キスカ・アッツ撤退
昭和18年9月。米軍の中部太平洋での攻勢が活発化した頃、北の海でも大きな動きがあった。アリューシャン列島方面でも米軍の動きが活発化したのだ。
この時期、日本はセイロン島占領作戦の陽動として発動した作戦で、キスカ・アッツ両島を占領していた。
この2島に駐屯する兵士は総数合わせても2000名程で、あくまで米軍の千島方面への侵攻を牽制する程度の役割しか果たしていなかった
しかし、7月頃から同島に対する米艦艇の艦砲射撃や、空軍による空襲が激しくなった。
大本営は米軍の航空基地化を懸念し、当初は二島への兵力増派を画策した。だが、気象報告から航空基地としては適正を欠く事が判明し、また米軍が中部太平洋方面から侵攻を開始したので、これ以上は占領する価値無しと判断され、輸送船団による撤退が開始された。
しかし、米軍がこれを見逃す筈がなく、艦隊を出撃させ妨害を図った。
アッツ島沖では撤退部隊を護衛する第五艦隊と米艦隊とで戦闘が発生した。両軍艦艇が被った打撃はたいしたことはなかったが、この時、撤退部隊の輸送船1隻が巻き添えを喰らって大破し、乗船していた陸軍兵49名が戦死し、98名が負傷した。
このため、続くキスカ撤退では、敵の追跡を振り切れ、小回りが効く高速の水雷戦隊が充当された。
司令官は木村昌福少将。海軍兵学校では下位、海軍大学を出ていない、現場だけで生きてきた叩き上げ将軍である。部下からはショウフクと呼ばれ、後に数々の武勲をたてることとなる。
彼は徹底的に霧を使った偽装作戦を展開した。途中味方艦艇同士の衝突事故がおきたものの、常に冷静に行動し、見事キスカに到着、守備隊を撤退させている。
艦隊は復路も何事もなく航行し、数日後予定どおり、幌莚島に帰還している。
米軍はこの作戦に気づかず、その後3週間近くも同島に延々と艦砲射撃と空襲を加え、多大な量の弾薬を浪費したうえ、上陸時には同士討ちを犯すこととなる。
おまけ
メルクワット空軍戦闘機GS9
全長7,6m 全幅11m 自重1300kg
速力450km 武装7,7mm機関銃2基
発動機寿二型改 600馬力
実在しない王国が採用した戦闘機。96艦戦の試験機。
川又千秋先生の飛龍空戦記に登場。
前話からおまけとして、架空戦記小説に登場した機体を紹介しています。
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