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米軍反攻開始
 




 北太平洋海戦後、日本軍首脳部は北太平洋海戦で敵に与えた損害から米軍の侵攻は最低でも10月まではないと予測していた。それまでに、各地の基地航空隊を強化し、返り討ちにする態勢を整える予定であった。
 しかし、米軍の再生能力は驚異的であった。
 8月18日、中部太平洋の最前線と言えるウエーク島に突如米機動部隊から発進した攻撃隊が襲い掛かり、現地駐屯の航空隊に大打撃を与えていった。
 この攻撃直後、日本側は血眼になって米機動部隊の所在を掴もうとしたが、捕まえる事は出来なかった。
 その後、米機動部隊は予想外の地点に現れた。タラワである。
 タラワには陸戦隊と航空隊が駐屯していたが、まさか米軍が侵攻してくるとは予想していなかった。
 8月25日、タラワに延べ300機の米軍機が来襲した。
 この時、タラワには零戦36、二式水戦8機が存在し、それらは全力で迎撃にあたったが、最終的に米軍機40機を撃墜して全滅した。その他に、滑走路使用不能、停泊中の小型貨物船1、撃沈という被害を被った。
 翌日、米機動艦隊はタラワを包囲し、猛烈な艦砲の雨を浴びせた。さらに、その後航空攻撃も連続して行い、さながら島は活火山の様相を呈した。
 8月27日、航空偵察の結果安全と判断された同島に米海兵隊2万が上陸を開始した。しかし、彼らが海岸に着岸した直後、日本軍の火砲が火を吐いた。
 実は、タラワに日本軍は地下要塞を築いていた。もちろん後のサイパンや北千島に比べれば茶々な代物であるが、それでも守備隊2000を艦砲射撃から守るのには充分であった。
 結果、その後日米軍は7日間に渡る攻防戦の末、米軍の同島終了で戦闘は終結した。
 日本側は戦死1859、捕虜約100というほぼ全滅の結果となり。僅かに米軍上陸前に航空隊の整備兵と飛行兵が潜水艦で脱出できただけであった。
 しかし、米軍も戦死2105、負傷978、戦車、水陸両用車72台という前代未聞の被害を負った。
 このような結果となったのは、米軍が日本の土木技術を過小評価し地下陣地の建設に気づかなかった為であった。
 実は同島は栗林忠道少将の提案の下、地下陣地の実験島となっていたのだ。タラワ守備隊は数回にわたり、地下陣地の有用性を解いた電報を打った。
 後に、栗林少将の地下陣地建設案は各諸島で採用されることとなる。





おまけ

 試製96艦戦改11型
 全長7,6m 全幅11m 速力495km 航続力1100km
 武装 12,7mm機関銃2基 発動機 栄10型 910馬力
 引き込み脚採用 発動機換装 全面風防採用

 羅門祐人先生の独立愚連艦隊に登場
 
 タラワで地下陣地建設が可能となったのは、オーストラリアから多数の建設重機が手に入ったという設定に基づいています。


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