1943
1943年。日本にとってはまさに順風満帆。アメリカにとっては悪夢から覚め切らぬ内にこの年は明けた。
前年の日本と豪州、ニュージーランドとの講和は、アメリカを含む連合国側にとって、まさに信じられない事態といってよかった。まさか、極東の小国日本がここまでやるとは誰も信じていなかったからだ。
日本とオーストラリアは講和後、早速民間レベルでの貿易を再開した。軍需品に関しては、オーストラリアが中立国宣言をしたため、戦時国際法違反となり行えない。
しかし、ここで日本は悪知恵を働かせた。
さて、この時日本は南方各地に独立国を誕生させていた。それらの国は、米国などには承認されていない為、国際法の定める交戦国の条件に当てはまらない。そこで、日本は豪州に対し軍需品をこれらの国々への輸出品とさせたのだ。もちろん、そこで今度は日本向けの輸出品となって物資は日本へ渡った。
この方法で、日本は豪州から多数の軍需品を習得している。もっとも、豪州では日本のように大規模で目立った軍需産業はない。
それでも、魅力的な物は数多くある。例えばT6型テキサン練習機や、戦時標準船。そして大型の航空機用プロペラである。これらは目立つ物ではないが、なくてはならない物である。
T6型練習機は二式中等練習機の生産不足を埋め、一部は満州や中華民国南京政府にも引き渡されている。また、航空機用大型プロペラは、陸軍の飛燕や疾風といった戦闘機の性能向上に役立てられている。
日本側にとってなにより嬉しかったのは、小麦や砂糖などが輸入可能になったことであった。これによって配給する食糧の減少に歯止めをかけ、なおかつ飢饉気味であったベトナム方面の食糧事情の改善に一役買った。
一方、これ以外にも日本側にとって嬉しかったのは、米軍が持ちきれずオーストラリアに残していった兵器類であった。
これらは、一端はオーストラリアに譲渡、または買い取られたが、今度は鉄くずなどの扱いで、東南アジア経由で日本にもたらされた。その中には損傷していたものの、修理さえすれば使えるガトー級潜水艦や、日本にとっては喉から手が出るほど貴重な工作艦。艦齢の新しいリバモア級駆逐艦も含まれていた。これらは日本にとって貴重な戦力となるのであった。
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