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海軍局地戦闘機迅雷
 



 昭和15年に完成した零戦は、すばらしい戦闘機であった。当時、共産党軍や重慶政府軍と戦う中華民国南京政府への援軍として中国漢口へ派遣されていた海軍の零戦12機が、国境地帯に空襲へ来た中華民国重慶政府軍の戦爆連合40機の内29機を撃墜し、味方の損害ゼロというワンサイドゲームに終わらせるという快挙をなしとげた。
 零戦の高性能に陸軍も着目し、その後一式戦闘機として採用している。ちなみに、陸軍使用は、主翼の20mm機関砲が12,7mm機関銃にされ、また航続性能もカットされている。その分が、中島の試作戦闘機キ43と同等の防弾装備が施された。
 後に、これが陸軍がフィリピン戦や南方戦線で活躍する原動力となる。
 一方、この時期陸海軍は迎撃機の開発も急いでいた。陸軍は中島に、海軍は三菱にそれぞれ機体を発注していた。
 しかし、三菱が開発していた一四試局地戦闘機として開発中の機体は、設計者が他機との兼任であったので、開発が遅れていた。
 そこで、中島の一式戦闘機が零戦にその座を奪われた代償に、海軍の局地戦闘機枠に中島のキ44を採用させる意見が出た。
 キ44は、陸軍でも期待されていた機体であった。しかし、エンジンの不調に悩まされていた。そのため、当初海軍側は採用を渋った。
 しかし、一四試の方も試験段階で振動が出ることが確実視されていた。それに加えて、量産可能になるのは昭和18年になる予定であった。これでは遅すぎた。
 そこで、多少の稼働率の低調は、エンジンの量産によって解消する見込みがあるということから、結局、昭和16年8月に、海軍は二式局地戦闘機迅雷として採用した。
 海軍版は主翼に20mmを装備していたのが唯一の陸軍キ44との相違であった。
 実戦では、12月9日に台湾へ来襲したB17の迎撃に初出撃し、5機中4機を撃墜した。
 これを波きりに、その後米爆撃機相手に大活躍した。
 しかし、南方ソロモン諸島方面では、やはり稼働率の低さがたたり、また航続性能の不足もそれに拍車をかけた。その後登場した海燕や零戦32型にその座を渡す事となる。




 迅雷という名称は、学研刊行の黎明の艦隊登場機から流用しました。

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