第一次ソロモン海戦 序
1942年(昭和17年)8月7日、米軍はソロモン諸島の一角にあるガダルカナル島に上陸した。
当時、日本軍は豪州完全封鎖のためソロモン諸島沿いに航空基地を建設しつつあった。この時点で日本軍は、ブーゲンビル島ブインに陸攻も運用可能な大規模な基地を完成させ、続いてそれよりも南にあるコロンバンガラとバラレにも戦闘機用飛行場を完成させていた。
ガダルカナル島にも9月に海軍の設営隊が上陸し、基地の建設を開始して11月には航空隊を進出させて稼動させる予定であった。
だからこの米軍上陸は、上層部にとって大きな衝撃であった。もしこのガダルカナル島に米軍の爆撃隊が駐屯し、また有力な艦隊泊地となれば、既に完成しているソロモン諸島の基地のみならず、モレスビーやラバウルの安全が脅かされる事となる。
早速、このガダルカナルに上陸した敵軍を攻撃するために、ブインの陸攻と零戦隊計42機が出撃した。もちろん、米軍も全力でこれを迎撃した。
この日、ガダルカナル上空は修羅場となった。しかし、日本側は台南空の猛者達の活躍により、戦闘機35機、艦爆、艦攻併せて18機撃墜を報じた。(実際は両方合わせて29機)
戦闘機隊の奮戦とともに、陸攻も果敢に米豪艦隊に雷撃を仕掛けた。
結果は、駆逐艦2隻撃沈。輸送船3撃沈。上陸支援の戦艦「メリーランド」中破とそれなりの戦果をあげた。日本側の被害は戦闘機2、陸攻7であった。
日本側の被害が米軍に比して小さかったのは、基地との間が短い距離であった事と、陸攻が新型の防弾ゴム装備の22型であったからだ。
しかし航空隊の奮戦に関わらず、米軍は悠々とガ島に上陸した。たった40機強ではさすがに数が少なすぎた。
一方、日本側も艦隊を出撃させた。ラバウルにいた第8艦隊であった。ただし、この艦隊はラバウルにいた艦艇を軒並み集めた、いわば寄せ集めであった。重巡「鳥海」、「青葉」、「衣笠」、「古鷹」、軽巡「久里浜」、「夕張」、「揖斐」、駆逐艦5隻の計12隻であった。
このうち、軽巡「揖斐」は南方で拿捕した蘭軽巡の「トロンプ」で、駆逐艦は4隻がやはり捕獲した平甲板型であった。
艦隊は途中敵機に発見されながらも、数度の欺瞞工作を行って敵の目を欺いて、ついに夜半に突入した。
結果は日本側がお得意の夜戦の腕を見せつけ、重巡5、軽巡1、駆逐艦3隻を撃沈し、その他3隻に打撃を与えた。それに対し、味方の被害は2隻が小破したのみであった。
大勝利であった。この海戦は後に第一次ソロモン海戦と名づけられた。
しかし、肝心の敵輸送船攻撃は、夜明けが迫っていたためて徹底せず、2隻撃沈、3隻に火災で終わった。これにより、米軍は一時的な弾薬と食料の不足をきたしたものの、戦力をしばらく維持するための物資を揚陸できた。
これが、一ヶ月半に及ぶガダルカナル戦の始まりであった。
第一次ソロモン海戦は実際にあり、夜襲戦でした。そして、輸送船への攻撃不徹底も実際に起きた事です。
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