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改装
 青島等で捕獲された中国艦艇は、簡単な修理と補給を受けると、全て曳航や自力回航によって順次当時日本が租借地としていた満州国の旅順(正確には日本の租借地)にある帝国海軍旅順工廠へ回航された。

 その中で平甲板型駆逐艦は、仮想敵であるアメリカ製の艦艇と言うこともあり、技術官による二ヶ月nい及ぶ念入りな調査が行われた。

 その後、順次改装のためにドックへ入った。この頃の旅順のドックは1万トン級が2基と、5千トン級1基で、後に東洋一と言われる15万トン級ドックはまだ完成していなかった。

 平甲板型の処遇については、哨戒艇への改装や標的艦としての使用、または解体処分などの様々な案が出された。しかし、このころ帝国海軍は艦艇不足に悩んでいたことと、艦体の状態が淡水湖の五大湖で保管されていたため比較的良好であったため、改装の上で駆逐艦として帝国海軍籍に入れることとなった。

 改装の主な内容は、それまで帝国海軍が持っていなかった対空・対潜駆逐艦への改装であった。この時代、航空機の進歩は著しく、帝国海軍でもまもなく対空戦闘専用の秋月型防空駆逐艦が建造されようとしていた。

 しかし前例がない艦種であるから、当然その運用マニュアルはもちろんまだなかった。そこで、帝国海軍ではこの5隻を暫定的に防空駆逐艦として使用し、そのマニュアルを作成してしまおうという腹であった。

 また対潜駆逐艦としての改装は、この5隻が比較的小型であるので、駆潜艇として使えるのではないかという意見が出たのと、船団護衛任務を務めさせるのに適していると結論付けられたからであった。

 改装の要点は主砲の高角砲への換装、射撃指揮盤の対空用への変更、水雷兵装(魚雷発射管)の一部撤去、対空機銃の増設であった。この他に、この五隻には後に試作段階の電探・逆探・水中聴音器なども率先して取り付けられることになった。

 これは五隻が実験艦的色合いが濃かったからである。しかし、これが後にこの5隻の生存性への高さとなる。加えて日本艦として識別(同型艦が100隻以上もアメリカで運用されていた)できるよう、第一・第二煙突は一つにまとめられた。

 そして昭和13年4月、改装を終えた五隻は旅順総督である豊田副武海軍中将によって、正式に帝国海軍への編入と、新たに命名された艦名をつげられた。

 新たに5隻の付けられた艦名は、いずれも植物からであった。

 帝国海軍撫子級(命名基準は植物)
 全長96m 排水量1200t 最大速力31ノット 

 乗員130名 航続力14ノットで4000海里

 武装 8cm65口径高角砲4門 25mm機銃6挺 61cm魚雷発射管4門 爆雷投射器、投下軌条各2基

 同型艦「蘭」「百合」「秋桜」(コスモス)「蒲公英」(たんぽぽ)



 5隻は竣工すると、旅順根拠地隊に配属された。そして第31駆逐隊を編成し、満州国海軍の「海威」(旧帝国海軍の二等駆逐艦)以下三隻とともに、長らく黄海や渤海での警備任務や、航空隊や潜水艦と共同での各種装備の試験、対空・対潜戦闘のマニュアル作成への協力作業を行った。

 その後日米間の緊張高まる昭和16年9月に南遣艦隊所属となり、住み慣れた黄海を離れてシナ海へと向かった。そして、運命の日米開戦を迎えることとなる。
旅順のドッグ建設と、総督が豊田中将であるのは、学研の不沈戦艦紀伊がもとネタです。


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