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 この小説は、人物の会話がほとんど出ない、伝記的な形式で書かれているので、その手の話が苦手な方にはあまりお勧めできません。また、多数の作品が下敷きになっているのもあらかじめご了承下さい。
プロローグ

 昭和6年(西暦1931年)の満州事変以降、緊張が高まる日中情勢を鑑み、中華民国総統蒋介石は不倶戴天の敵である日本海軍へ対抗すべく、日清戦争で起きた黄海海戦で全滅して以降整備が中断していた海軍の再興へ動き始めた。

 大陸国家であるとはいえ、シナ海と黄海に広い領海を持つ中華民国にとって、海軍の整備はその防衛戦略上必要なことであった。特に、敵が世界五大海軍国と言われる日本海軍ならば、尚更のことであった。

 彼はまず手始めに、練習艦を兼ねて亜米利加合衆国から平甲板型駆逐艦5隻を購入した。

 この艦は米国が第一次大戦中に280隻近くを量産した艦で、五大湖でモスボール状態にあったものを、格安の値段で買い込んだ物であった。

 米国から中国への譲渡にあたっては、厄介払いできた米海軍が復元工事を行った上で、五大湖から大西洋・パナマ運河経由で太平洋へと回航。その後はるばる太平洋を横断して、中華民国の青島まで回航した。

 平甲板駆逐艦は、既に性能の陳腐化が著しい旧式駆逐艦であったが、蒋介石はその譲渡式典に出席するほどに、大きな期待をかけていた。

 蒋介石はこの5隻を手始めに、ゆくゆくは日清戦争時の北洋水師に劣らぬ大艦隊を、少なくとも日本海軍に防衛上対抗できるだけの海軍力を整備しようと考えていた。

 しかし当時の中華民国軍は空軍や陸軍の整備に予算が回され、さらに分裂した国内の統治も上手くいかず、おまけに乗員を練成するべき人材にも欠いていた。そのため海軍を効率よく動かす組織と、これらの艦艇の乗員の育成は、蒋介石の期待に反して全く進まなかった。

 このころの中国海軍は、沿岸警備用の小型巡洋艦や砲艦が中心であった。その中で数少ない外洋で使える船は、第一次大戦後にドイツから購入した旧式の軽巡洋艦「珠海」だけというお粗末な状態であった。
 
 しかもその海軍自体も、各艦艇が所属する各省が独自に動かすという、滅茶苦茶かつ非効率極まりない状況下に置かれるとういう最悪の状態であった。

 結局5隻の駆逐艦は中華民国海軍の手でまともに運用されないまま、翌年(1937年)の7月7日の盧溝橋事件による日中開戦を迎えてしまった。そして、あわれこの5隻は青島港に係留されていた所を、侵攻してきた日本陸軍に拿捕されてしまった。

 しかしながら、当然日本陸軍では拿捕した5隻の扱いに困り、日本に回航するとさっさとこの5隻の駆逐艦を海軍に引き渡した。この物語はここから始まる。
 巡洋艦珠海 実業日本之社発行、林譲治作の特設第三水雷戦隊に登場。

 中華民国海軍は、実際に空母を含む艦艇の建造を計画しました。しかし、予算不足で中止となっています。


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