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ラブカクテルス その3
作:風 雷人


いらっしゃいませ。
どうぞこちらへ。
本日はいかがなさいますか?
甘い香りのバイオレットフィズ?
それとも、危険な香りのテキーラサンライズ?
はたまた、大人の香りのマティーニ?

わかりました。本日のスペシャルですね。
少々お待ちください。
本日のカクテルの名前は楽園からの帰宅ございます。

ごゆっくりどうぞ。


私は人妻。だが、今は一人。
心地いい波の音が私の耳を撫でる。
間もなく波間は夕陽を迎える準備をしている。
なんて素敵な光景だろう。どことなく甘い香りがする。南国独特のタバコのような。
私は椰子の木にもたれて夕陽を眺めている。なんて素晴らしい所なんだろう。
今までの日常が、この頃非日常的に思える。人というのは本来こういう風に、心が感じるままのことを幸せと実感できなくては。
私たちはそれができる生き物なのだから。
私は今の一瞬しかないこの時に自分の全てを寄り掛けた。そして思った。今までなんて馬鹿な人生を歩んできたのかを。

今の人に出会ってから、子供以外に何一つ幸せだと感じたことはなかった。しかもその苦労して育てた息子も、一人立ちしてからは滅多に家には帰ってこない、仕事が人生の全てだと思う父親譲りの子供になってしまった。
不倫?そんなことをするにはもう、時間が経ちすぎてしまった。
家事をする毎日。私が考える事といえば、毎日の献立。しかし、家族の笑顔を思いつつ作っても、これと言った会話さえない食卓。
家族旅行も行った事がなかった。気が付けば、私の世界は近所の中とテレビの情報だけだった。
私はある時、無性にこの生活から逃げ出したくなっていた。
そしてココに来た。
そして、今の私の世界は不満というものがなかった。
しかし、何か心の何処かに引っかかっるものを時々感じるのだった。それはまるで、誰かが心の中にある無数の扉の一つをノックしているような。
触れなければいけないような、気にしてはいけないような。
ふと、心に隙間ができると私に訴えかけてくる。
私はそれを振り払う。どうせ、置いてきた亭主の事だろう。

彼ときたら、最低な男だった。
出会った時はとても純粋で、優しい人だった。デートの時などは、とても気を使ってくれるし、お洒落な場所もよく連れて行ってくれた。見た目はいいとは言えないが、それなりに見れた。
私に夢中で、毎日電話をしてくるし、困ったものだった。
しかし、結婚するやいなや、彼は私を召し使いのように扱った。
私は好きな人には当たり前だと、頭の先から足の先まで面倒をみた。しかし、亭主は仕事中心で、自分だけ理由をつけては外出が多く、一時などは一ヶ月に二度程くらいしか帰らない事もあった。
きっと他に女でもいたのだろう。
私は初め、不安で仕方なかったが、子供が小学校にあがるくらいになると、あまり気にしなくなったし、表には出さなかったが、むしろ亭主が留守の方が気が楽だった。
事実、たまに帰って来る亭主は家でゴロゴロと、これといって何もせずに食うか飲むか、寝るか。そんな程度だ。

私はすっかり日が暮れた海辺で、とてもまあるい月をみながら誰を想うでもなく、少し洒落た飲み物を傾けていた。
今まで味わった事がない味に驚き、恥ずかしかったが、ほほが自然に緩むのを抑えられずにいた。
私はまたぼーっとしていた。
すると、心の隙を狙ったかのように、また何処かの扉をノックする、あの感覚が沸き上がってきた。
私はその感覚がなぜかとても優しい、懐かしい、まるで赤ん坊の時に感じたであろう母のぬくもりみたいな感じがすることに気付いた。何かとても不思議な感覚だ。
しかし私はなるべく気を反らそうと、遠くの海に浮んだ無数の光の玉に目をやった。
何とも言えない輝きを放ち、時々幾つかの光が空高く、綺麗な月に向かって飛んで行くのだった。
私はあまりに美しいその光景にため息をついた。
私も早くあそこへ行きたい。そしてグラスを再び傾け、ほんの少しそれを口に含ませた。
私はココに来る前の事を考えた。

あれは、いつものように夕飯の買い物に行く途中に自転車を走らせ、駅の前を通り過ぎようとした時、旅行代理店に飾られたポスターが目についた。私はついついその南国の風景に見とれた。
その時、私に一台のトラックが突っ込んできたのだ。
そう、私が見とれて止まった所は、大通りの車線の上だったのである。
そうして、私は死んだ。
気付いた時にはこの椅子に座っていた。そして、誰に告げられた訳ではないが、ココで暫く審判の時を待つのだと悟った。
もし私が天国に召されるのであれば、きっとこの身体を魂が抜け出し、あの海の上で、何の欲も持たずに浮かび、また生まれ変わるのなら、今日のような月の綺麗な日に新たな命として旅立つのだろう。
もし、万が一、天国に行けないときは、この海の底に沈み、二度と浮かんで来ることがない永遠の闇に葬られることになるのだろうと、何故か解った。
いずれにせよ、今のこの人として感じられる間だけでも、いままで味わえなかったこの幸せを満喫しよう。
そう考えてみると、私の人生の幸せとはなんだったのだろう。
私は少し気が滅入った。ろくな人生ではなかった。

もしあのまま生きていたらどうだったのだろう。
きっと、一生あのままだったのだろう。
私は虚しくなった。
生きている内に、人である内に本当に、こんな楽園に行ってみたかった。

すると、私の身体は輝き始めた。いよいよ審判が下ったのだ。
私は立ち上がり、手を大きく広げ、身を委ねた。白い光で頭の中と心の中は一杯になった。


そして、私は痛みと共に気付いた。
そこには、泣き崩れた母と息子、真面目な顔で私を見つめる亭主がいた。
気付いた私を見ると、亭主は喜んで、大丈夫か、と私に尋ねてきた。
私は動かせない身体に必死に指令を送り、何とか口を動かした。しかし、声は微かにしか出ず、それを見た亭主が耳を近づけてくれたお陰で、私は亭主にやっとの想いで告げた。
離婚してくだい。と。

おしまい。


いかがでしたか?
今日のオススメのカクテルの味は。
またのご来店、心よりお待ち申し上げております。では。














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