第五回 永遠
テーマ:憎悪
禁則事項:会話文の使用禁止
夕方。廊下の端にある窓から差す西日によって、辺り一面が橙に染められている。殆ど人が通らない為に、廊下の照明は弱く窓から遠ざかる程薄暗くなっていく。細く長い廊下に自分以外の人影はなく、異世界にでも迷いこんでしまったような気分になる。歩を進めるごとにスニーカーと床がたてるトットッという音は、近くの部屋から聞こえる僅かな音を掻き消し私の存在を知らしめるように響く。
今、ここにいる目的を忘れないようにと、ポケットに入れたままの右手は掌から少しはみ出すくらいの細長い金属に絶えず触れている。目的とする部屋の前まできて、私は一息ついた。ドクドクと音をたてて暴れる心臓を多少ではあるけれどを落ち着かせてから、右手をポケットから出して胸の辺りまで持ち上げる。
これで、もう一度朱流に私を見てもらうのだ。
どちらかが告白したわけでもないければ、お互いに付き合っているということを確認したこともない。それでも、周りからはどう見ても私たちは仲のいいカップルだったと思うし、私も朱流のことを彼氏として認識していた。登校こそ偶然時間が重なった時だけだったけれど、下校はほぼ毎日一緒に帰っていたし、教室でも私が話す相手は基本的に朱流だけ。休日には二人だけで映画を観たり遊んだりもしていた。それに、私が学校に行く理由は半ば以上彼に会う為だ。彼はそんな私を拒絶しなかったどころか受け入れてくれた。私と話して、遊んで、いつも楽しそうに笑っていたのだ。これで私と朱流がただの友達だとは誰も思いはしないだろう。
コンッ、コンッ。
緊張のせいか、強ばって微かに震える手でドアを二回叩くと、部屋の中から細い声で返事があった。
スライド式のドアを開け、俯き加減で部屋に入る。できるだけ音をたてないように気を付けてドアを閉めてから、その場で百八十度回転し、初めてヘッドの上にいる相手を見た。
私と朱流の関係が変わってきたのは一ヶ月ほど前だったと思う。用事があると、一人で先に帰ってしまうことが多くなったのだ。気が付けば、私と彼が一緒にいる時間は極端に減っていた。昨日は挨拶をした以外全く言葉を交わしていないし、今日はそもそも会ってもいない。元々友達が少ない私にとって昨日は、喧嘩でもしたのかとクラスメイトの向けてくる好奇の視線に、ひたすら堪えるだけの一日だった。
自分の病室に来た予想外の客に首を傾げているのは、私とそう変わらないだろう歳の少女だ。壁に寄りかかるようにして座っている。近くでじっくり見ているわけでもないのに、彼女は今にも散ってしまいそうな花のように見えた。真綿に包んでも容易に傷がついてしまいそうな、何物も彼女に触れてはいけない、そんな儚さだ。
一歩ずつ確かめるように、私はゆっくりとベッドに近付く。少女は歩み寄る私に少し驚いた様子だったが、見知らぬ私に怯えるでも警戒するでもなく、柔らかく微笑んできた。
あんたさえいなければ。そう思いながらも、私は笑みを返した。
朱流の異変の原因がわかったのは昨日。放課後に彼が何をしているのか、どうしても気になった私は彼の跡をつけた。どこにも寄り道せずにこの病院に来た彼を見て、このままではいけないと確証はないものの、私は確信を持った。昨日は受付で彼が誰に会いに来たのかを聞き出して家に帰り、今日は学校を休んでずっとこの計画を練っていた。
彼女さえいなければ、今もこれからも朱流はずっと私のモノだったはずだ。それを、この女は横からかっさらっていった。
けれど、これはチャンスなのだと今は思う。彼女を利用して、私が彼の心の中に棲み憑くための。
また右手をポケットに入れて、私は指先でそれの感触を確かめる。何か言おうとしているのか少女が小さい口を開いたが、私はそれが音を発するのを待たずにポケットからそれを出して、彼女の左胸のあたりに突き立てた。少女が逃げないように、左腕で少女の細い首を壁に押さえつけ、右手はナイフを離さないようにしっかりと握り込む。自分に力が無い事は承知しているので全体重をかけて、彼女の心臓があると思われる場所に一気にナイフを押し込んだ。
ヒッ——と、耳のすぐ近くで引き攣ったような声が断続的に聞こえる。私を押し返そうと上げられた腕は、少し力を込めれば折れてしまいそうな程細く、その力も弱い。そのうちに、腕は力を失ったようにパタリとベッドの上に落ちた。そこで私は漸く少女に被さっていた体を起こす。動かなくなった少女を見て、それでもまだ不安なので二度三度と同じ場所を突き刺す。傷口から飛び散る液体は生暖かく、顔にかかると気持ちが悪い。
ドアの開く音がして顔を上げた。部屋に入ってきたのは予想通り朱流だった。ここで看護師でも来てしまったら、私が一日中考えた計画がパーだ。服は赤黒い液体で染まっていて、手も顔もベタベタ。本当はこんな穢い格好で彼の前には立ちたくなかったけれど、それは仕方がない。できるだけ可愛らしく見えるように、顔だけは急いで拭って笑いかけると、彼は部屋の入り口で目を見開いて立ち尽くしている。ナイフを持った私が近付くと、彼の視線が、私の顔とナイフとベッドに横たわる少女を順に追っていることがわかった。
朱流の目の前まで行きナイフを差し出すと、彼は口を開いて何かを言ったような気がした。けれどその声は掠れ、言葉にはなっていない。私はただ微笑んで混乱している様子の彼の手にしっかりとナイフを握らせて、力強く抱きついた。
その刃が自身の命をを引き裂くように。
一瞬の間を置いて、傷口はやけるように痛みだしたけれど、彼の心に居られるのならこんな痛みはむしろ快感だ。彼の肩に顔を埋める形になっている為、彼の顔は見る事が出来ない。彼が今、どんな顔をしているのか、とても見たいのに。
さあ、私を憎んで。守るべき大切な人を傷つけ、貴方のその手をこの血で濡らした私を憎んで。私のことを決して忘れることがないように強く、深く、憎しみを心に刻んで……。
そうすれば私は、永遠に貴方の心に居られるのだから。
字数制限オーバーしちゃいましたっ>_<;;