I部 8「横取りした男」
―――I部 8「横取りした男」
僕は夜道を車で走った経験がほとんど無かった。それにもかかわらず、運転は大雑把になり、スピードも速かった。そんな僕の運転を嘲笑うかのように後ろにいた軽自動車が対向車線に入り、追い抜いていく。なに一ついい気分ではない。
あるマンションに向かっていた。さほど遠くはない。周りが田んぼに囲まれた道路を僕のレンタカーは走っていた。時間が経つにつれ、田んぼから住宅地へと景色が変わっていく。
目的地のマンションに着き、車を建物前の駐車場に止める。マンションというよりはアパートに近かった。3階建てで、入り口付近にささやかなコンクリートのアーチがあった。周りは個人住宅と居酒屋が構え、道路をはさんで向かいには 「邸宅」 と呼びたくなるような家が軒を連ねている。
「ついてきて」 月ちゃんが僕に手招きをする。
中の階段を上がっていく。二人分、4本の足音がピンボールのように思い思いに壁に反射し、響いた。2階を過ぎ、3階まで上り、廊下へ出る。そしてある部屋のドアの前で彼女は立ち止まった。
「ここ誰の部屋?」
「すぐにわかるわ」 月ちゃんがチャイムに手を伸ばす。
ピンポーン、と高い音が鳴った。何も変化は無い。いないのかな、と彼女がもう一度チャイムを押そうとした時、ドアの向こうからガチャガチャッ、とチェーンのようなものがぶつかり合う音が聞こえてきた。ドアが開く。
「月ちゃんに卓也じゃねーか。よく来たな」
「伏屋さんじゃないですか。ここに住んでたんですね、全然知らなかったです」 僕は素直に驚く。
「ま、中に入れ。アタッシュケースのことだろ?」
「やっぱり」 月ちゃんがため息をついた。
*****
極端な部屋だった。足元にはコンビニの袋やゲーム機、洋服などが散らかっているが、本棚や食器棚付近は整理整頓されている。小型テーブルの上には新聞が一部置いてあるだけですっきりしていた。 「福島競馬開幕!」 の文字が馬のシルエットとともに踊っている。
伏屋さんが部屋の隅に置いてあったアタッシュケースを持ち上げ、僕に手渡してきた。「これだろ」
「ありがとうございます。それよりなんであの場所に、なんであんなことを、なんで」
「まあ落ち着け」 そう言って敷いてある布団に腰を下ろした。 「とりあえず俺は未南ちゃんに頼まれたんだよ。顔を隠してK公園に行って、お前らと金を巡って取っ組み合ってる連中がいるから収拾つけてくれって」
「何それ」
「お前らの手助けしに行ったんだよ。事情は大体聞いてる。しかし、お前らもやるな、強盗から金奪おうとするなんてよ。けど、正直怖かったぞ、あんな狭い公園でバイク乗り回すのは」
「けど、お金持ってくことなかったんじゃ」
「それも未南ちゃんから頼まれてよ」
「何それ」
「なんか未南ちゃん、小難しい事言ってたな。予想外の出来事に対する対処能力とか、とっさの機転がどうのこうのとか」 伏屋さんがこめかみに人差し指を立て、考え込む。 「要はあの緊迫した状況の中でバイク乗ってる奴が俺だってことがわかるかどうか、ってことを試したかったんじゃねえか?」
一体全体姉ちゃんはなにをしたかったのかいまいちわからなかったが、要するに姉ちゃんなりに心配していた、ということなのだろうか。姉ちゃんなりに。
「そういや月ちゃん、どうして伏屋さんってわかったの?」 長年の疑問になりつつあることを聞いてみる。
「なんとなく。伏屋さんって左利きでしょ。だから左手でバイクのハンドル持って右手でケース持ってたんでしょ」 彼女が答えた。
「でも左利きの人なんていっぱいいると思うけど」
「いいじゃねえかよ、卓也。結局俺のこと見破ったんだからよ」 伏屋さんが満足そうに言った。月ちゃんのことになると、ほとほと伏屋さんは優しい。
「”手”よ」 彼女が静かに言った。 「伏屋さんの手、荒れすぎ。前に事務所に来た時と全然変わってないわ」
「な、なるほどな」 伏屋さんが自分の両手を見つめている。
「何でこんなこと姉ちゃんから引き受けたの?」 密かに気になっていた質問をぶつける。
「そりゃあ、万札5、6枚手渡されたら引き受けないわけにもいかないだろ」 伏屋さんは胸を張って答えた。
「絶対に引き受けないよ」 ”絶対”を強調して僕は言った。
「ほっとけ」 伏屋さんが小さく呟いた。「それに最近、未南ちゃん、なんか変だったからよ」
「姉ちゃんがどうかしたんですか」
「最近なんか思いつめたような感じだったな。言葉では言わねえけどよ、雰囲気で」 伏屋さんが曖昧なことを口にする。
「どうせ、しょうもないことですよ」
僕がそう言うと、伏屋さんは 「それはわかんねえだろう」 と神妙な声で言い、さらに 「多分お前は自分の姉貴のことをわかっちゃいねえんだ」 と言いにくそうに言った。
「なにがですか」
「あんまり言いたくねえけどよ、お前未南ちゃんの刑事時代の話聞いたことねえのか? 未南ちゃんは、そりゃ凄かったぞ」
「なにがですか?」
「本人に聞いてみろ」
*****
「ねえ今何時?」
「あ、そろそろ行こうか」 腕時計を見ると11時半を回っていた。「伏屋さん、そろそろ行きますね」
玄関で靴を履き、伏屋さんに挨拶をする。「それじゃおやすみなさい」
「もっと未南ちゃんと話してみろよ」
伏屋さんがポンと肩を叩く。僕は 「なるべく」 と、答えを濁した。
―――知ってるつもりは知らないつもり
高原の警句が頭をよぎった。
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