I部 5「脅迫犯の午後」
―――I部 5「脅迫犯の午後」
「全部お見通しだよ、芹沢。お前は昨日の昼過ぎ、一十七銀行T支店に侵入、銀行から金を奪い、逃
走。何?わけのわからないこと言うな、だって?そうか、じゃ今から警察にこの事タレこんでくるか」
僕はわけもわからず受話器と姉とのやり取りを眺めることしかできなかった。何の躊躇いも無く、姉の口から次々と暴言が吐き出されてくる。 「そうだよ、それでいいんだよ。じゃ明日の午後十時にK公園の時計台の下に金を置いておけ。間違えるなよ」 そう言うと姉は携帯を顔から離し、 「これでよし」 と満足そうに頷いた。
「な、な、な、」 何してんの!そう怒鳴ろうとしたが、言葉が出てこない。余りの出来事に体が、精神が、反応できないでいる。
「声は変えといたから大丈夫よ」 姉は落ち着いた口調で諭すように言った。
「未南美さん、そういうことじゃなくて……」 隣の月海さんが、か細い声を出す。 「一体何したんですか」
「なにって、脅迫よ、脅迫」 姉は悪びれもせず言い放った。 「聞いてりゃわかるじゃないの」
「もうわけがわからない!」 凍っていた自分の精神がヒートアップしていく。「なにが 『なかったことにできるよ』 だよ!まぁ前々からろくでもない姉だってのはわかってたけどさ、まさかここまでひどいとは思わなかったよ!なに、脅迫して金持ってこさせて、それで金手に入れて、強盗犯から金を奪ったから、これで一件落着、とでも思ってたの?」
「その金はもともと誰の金よ?」 姉がなだめるように言う。
「もしかして奪った金を銀行に返す、ってことですか?」 何か閃いた様に月海さんが言った。
「奪われた金が返ってくれば、少しは銀行の溜飲も下がると思うわ」
「本気?」
「本気も何も、もう脅迫電話は掛けちゃったから金は取りに行くしかないんじゃない? 少なくともそれが礼儀ってもんでしょ」
「そんな礼儀、学校で習った覚え無いけど」
「でも未南美さん、その芹沢が警察とか呼んでたら」
「いや、それはないでしょ」 姉は断言する。「芹沢たちは今頃は警察なんて見たくもないと思ってるでしょうよ。大きなヤマ起こした後は特に神経質になるものよ、犯罪者ってのは。さっきの電話でも最初は強気だったけど、後になってだんだん弱気になってったし。気が小さい男ね、芹沢ってのも。ま、そういうわけだからあんた達で明日金を受け取りに行けばいいわ」
「何言ってんの、姉ちゃんもでしょ」 脅迫電話の主が現場に行かないなんてずるいじゃないか。内心そう思った。
「明日からあたしずっと外で仕事なの」
その無責任な発言に僕は戸惑う。 「ちょっと待ってよ! 脅迫電話の主が現場に行かないなんてずるいじゃないか。あと僕の顔は教授には割れてるし」
「それに警察が来なくても相手は拳銃持ってるんですよ?」 月海さんも僕に加勢した。そうだ、そうだ、と僕も攻め立てる。
「あんたはフェイスマスクでもしていけばいいし、あたしが行ったところで拳銃がどうにかなるわけでもないでしょ」
「もういいよ、僕一人で行くから」 やけくそに言った。「別に月海さんを連れて行くことないでしょ」
「月海ちゃんも一緒に行くのよ。今日遅刻した罰として」 月海さんの顔が強張る。「それにこれは貴重な経験になると思うわよ」
「こんな経験いらないよ。だいたい姉ちゃんは月海さんに一体何を教えたいのさ」 だいたい遅刻した罰にしたって酷じゃん、とも付け足す。
「いいから行ってきなさい」 姉が微笑んだ。 「大丈夫よ」
その時僕の体が何かに包まれたような感覚になった。そういえば姉の微笑みをまともに見たのはいつ以来だろうか。そんなことを唐突に思った。
しかし感傷的になったのも束の間、姉がまた携帯を取り出し、電話を掛けるのを見て、はっとする。
「姉ちゃんまた教授にかける気!?」
「違うわよ。少し腹減ったでしょ、ピザでも食べない?」 姉が暢気に答える。僕は特大のため息をつく。
*****
「そういえば前々から気になってたんだよね。何で姉ちゃんは刑事になろうと思ったの?」 少しでも現実逃避しようと話題を作る。
「どういうこと、それ」 月海さんが興味津々な様子で聞いてきた。
「あれ、もしかして聞いてないの?姉ちゃん、探偵やる前は刑事だったんだよ」 そう言うと彼女は「えぇ、そうなの、初耳」と今時の女の子らしい反応を見せた。
「いきなり何言い出すのかと思ったら、そんなこと?別にあんたに関係ないじゃない」 ツンとして姉は答える。
「ちょっと気になっただけだよ。だって姉ちゃんは正義とか使命とか、そういうものが嫌いなんじゃないかなって」
「好きな部類には入らないわね」
「私もそういうの苦手」 月海さんがお手上げのしぐさを取る。
「じゃあ何で刑事に――」
呼び鈴が鳴った。次いで 「ピザお届けに参りました」 の声が響く。
「来たね」 姉が玄関に向かう。ドアを開けると、黄色の派手な制服を身に着けた男が現れ、姉に箱を手渡した。
「はいよ、未南ちゃん。お、月ちゃんも」 男は図々しくも中に入ってきて月海さんの手を握った。「今日もかわいいなぁ」
「もうあんたに頼まないわよ」 姉が男のわき腹をつねった。「そんな荒れ果てた手で触らないでくれる?」
「い、いやちょっとした冗談に決まってるじゃないか。それと手が荒れてるのはそれだけ一生懸命仕事してるってことで、ん、あれお前は……」 男は僕を見て思案顔になる。
「弟よ。昔一緒に遊んだじゃない」
「ああ!そうだそうだ、卓也だ、卓也だ、久しぶりだなぁ、おい」 そう言うと左手で僕の肩をばん、と叩いた。
「もしかして伏屋さんですか、何でここに?」 伏屋さんは姉の高校の時のクラスメートで僕の遊び相手にもなってくれたことを思い出す。
「近所のピザ屋で働いてるのよ。懐かしいでしょ」
「今何やってんだ、学生か?」
「はい、すぐそこの」
「いいね、いいねぇ。彼女とかできたか?」 ひそひそ声で言った。
「いえ全然です」 ひそひそ声で返した。
「月ちゃんは駄目だぞ?」 そう言うと左の親指で後ろの彼女を指差す。
「そんなこと言いに来たんならとっとと帰って」 姉がまた、伏屋さんのわき腹をつねった。
「痛えよ! もっと冗談を楽しめる人間になったほうがいいぜ」 伏屋さんがわき腹を押さえながら喚いた。 「それはそれとして未南ちゃん、もう少しでアイツの命日だけど今年も墓参り行くんだろ?」
「それなんだけどあたし、明日行ってこようかな、なんて思ってるの」
「明日?何で」
「もう少ししたら忙しくなるし、多分今逃したらしばらく行けなくなると思うの」
「未南美さん、明日仕事じゃなかったんですか?」
「仕事よ」 姉は何気なく答える。
「なんだかよくわからないけど、わかったよ」 伏屋さんが自分を納得させるように言った。「んじゃ俺もう行くからな。まだ配達残ってるし」
「あ、ちょっと待って」 姉が伏屋さんを呼びとめ、「後で」 と言い、自分の携帯を指差すのが見えた。伏屋さんはうなずき、そのまま去っていく。
*****
昼食のピザなど本当に久しぶりだ。向かいのソファーに座る月海さんもおいしそうに食べている。そんな中、姉だけは片手にピザ、片手に新聞のようなものを持ち、悶々と悩んでいる。
「何見てんの姉ちゃん」
「競馬新聞」
「やってたんだ、競馬」
「一生やるよ、あたしは」
その情熱的な発言に、僕は心打たれることなく、むしろそのエネルギーを他のところに費やしたほうがいいんじゃないか、と呆れ果てる。ギャンブルに熱中する人の心理は理解できなかった。
「でも何か熱くなりますよね、こういう賭け事って」 月海さんがそんなことを言い出すので僕はびっくり仰天する。十中八九、ギャンブルに関しての考え方は僕の味方だと思っていた。
僕の驚き様を見てなのか、姉が追い討ちをかける。 「月海ちゃんは競馬もやるし、パチンコもやるし、麻雀もやるしね。あんたと違って人生楽しんでるから」
「ちょっとやろうよ、ね? 最近はインターネットでも簡単にできるの」 月海さんが興奮ぎみに誘ってきた。はじめは 「金がないから」 と躊躇したが、結局は彼女の押しに負け、やや強引にやることになってしまった。
「よし、そこ!行け、差せ!」
「そのまま、そのまま!」
姉と月海さんがテレビに向かって叫んでいる。年頃の二人が馬券おやじのように馬を応援するのはいささか奇妙な光景だった。余りに夢中になっていたので僕もいっそのこと、この二人のようになりたい、とさえ思った。
馬がゴールすると二人が悲鳴を上げた。「負けちゃった!」 僕の買った馬券も勿論外れたが、それほど喪失感はなかった。あるとすれば金の喪失感だけだ。
「あんたも少しは興奮したらどうなの」 涼しい顔をしていた僕に姉が食って掛かった。「どうせ外れたんでしょ」
「姉ちゃんもどうせ――」
「外れたわよ」 僕の言葉を遮って姉が答える。「でもね、あんたの負けとあたしの負けは全然違うから」
「負けは負けだよ」
「あんたには熱意がない。そういう熱いものがあるのとないのとでは全然違うのよ。そんな『負けは負け』なんていう屁理屈言ってるから自分の教授が銀行強盗になっちゃうのよ」
いや、それとこれとは何一つ関係ないし、それに 『負けは負け』 というのは屁理屈とはかけ離れた、理屈の王道のような気がした。
「未南美さん、次のレースに集中しましょ」 月海さんが立ち直る。
「そうね、負けは次に生かせばいいものね」 残念ながら姉が何かを生かしているところは見たことが無い。
「競馬中継の途中ですが、ここで3時のニュースです。報道フロア、どうぞ」 テレビ画面が実況席から報道アナウンサーに切り替わる。
「お伝えします。今日で4年が経ちました」 そうアナウンサーが言うと下にテロップが現れた。「H県警内殺人事件いまだ犯人捕まらず」 とある。「H県警内部で溝川瑛警部が殺害されてから今日で4年が経ちます。警察署の建物内部で起こった大胆な犯行で当初は犯人の特定が容易と思われていましたが、手がかりは思いのほか少なく、捜査は難航し、犯人はいまだ見つかっていません。県警のコメントが入ってきています……」
「そういやこんな事件もありましたね」 月海さんが競馬雑誌から顔をあげ、しみじみと言った。
「姉ちゃんもこの時期は大変だったよね」
「どういうこと?」 月海さんが不思議そうな表情になる。
「姉ちゃん警察学校卒業してまさにこの年に、このH県警に配属されたんだよ」
「それじゃ配属された途端、こんな事件に巻き込まれたんですか」 ツイてないですね、と競馬予想をしている姉につぶやく。
「悪かったわね」 姉は競馬新聞を睨みつけたままだ。
「なにか疑われませんでした?」 月海さんが姉に遠慮がちに聞いた。
「外部犯って思われてたから」 そう言うと「それより馬決まったの?さっさと決めちゃいなさい」と彼女を急かし、この話題は終わりを告げた。
*****
ファンファーレが鳴った。GIというレベルが高いレースらしい。どの馬も良く見える。様な気がする。馬の違いがわかるほど目が肥えてはいなかった。
「どうでもいいけど、あんたどの馬買ったの」 冷めた口調で姉が聞いてきた。
「内緒」 2頭の馬を選んでいたが、どうせ当たらないと思っていた僕はそう答えた。
「何買ったの?」 隣の月海さんが無邪気に聞いてくる。
「内緒」 そう答えると「教えてよー」 と纏わりついてきた。一瞬ドキッとしたが、すぐ払いのけ、レースに集中する。
ゲートが開いた。僕の選んだ2頭はまずまずのスタートだ。そしてその2頭がどんどん押して早くも先頭に立った。そのまま右にカーブし、第1コーナーから第2コーナーへ向かう。
2頭は他の馬をどんどん引き離していった。大逃げというのだろうか。姉が「飛ばしすぎだねぇ」 と言っているのがわかる。
向こうの直線になっても2頭の大逃げは続いていた。2頭がポツリと前を走り、後続はぎっしりだ。前がばてるのを待っているように見える。獲物を獲るために、草むらなどに息を潜めている肉食獣にも感じられた。本来、馬はその肉食獣から逃げる立場であるはずなのに、だ。
第3コーナーから第4コーナーにかかるとさすがに後続の馬も少し差を詰めてきた。しかしそれでもまだ馬の身長5,6頭分くらいの差があった。草むらの肉食獣が少しずつ獲物に近づいていく。
そして最後の直線に向いた。行け、と僕は内で叫んだ。しかし、それも虚しく少しずつ2頭のスピードは落ちていった。もう駄目だ。下を向く。その時隣で誰かが 「あっ!」 と叫んだ。
顔を上げると、後続の馬に何か大量の黒い物体が群がって、馬が体勢を崩していた。「なんとカラスの大群が群がっている!」 実況アナウンサーが絶叫している。
僕の2頭はまだかろうじて前を走っていたからか影響を受けていない。まだ肉食獣に食われてはいない。 「行け!」 今度は叫んだ。騎手が何回も何回も鞭を入れている。デッドヒートの中、2頭はゴール版を右から左に真っ先に駆け抜けた。姉と月海さんが呆然とする中、僕も事務所中を駆け回っていた。
*****
「やった!」 興奮が止まらない。
「結局どの馬買ったのよ」 姉が疲れ果てた表情で聞いてきた。
「6番の馬と13番の馬」
「それって……」
「姉ちゃんの誕生日だよ、6月13日」
「あきれた!」 もうついていけない、と姉は大きなため息をついた。
「倍率すごいんじゃないの?6から13って」 月海さんがのろのろと競馬新聞を見やる。「軽く1万倍超えてる……」
「姉ちゃんにやるよ、配当金」
「は、何でよ」 姉が疲れ顔から驚き顔に変わる。
「僕にはこの金は大きすぎるよ」
「これはあんたの金よ。あんたが使い道を決めなさい」
「僕のこの金の使い道は、姉ちゃんにゆずること。それだけ」
姉はうつむき、悩みに悩んでいる。自分のプライドと金銭欲が戦っているのが目に見えるようにわかった。すると姉がようやく顔を上げ、「あんたがくれるってんならありがたくもらっとくわ。これで1つ借りね」 と無表情で言った。金銭欲が勝利したようだ。
「そういえば何で自分の誕生日にしなかったの?」 月海さんが不思議そうな顔で聞いてきた。
「僕がそんな強運持ってるわけないよ」
「でも当てたわ」
「姉ちゃんの誕生日だけどね」
「ミーちゃんのね」
「そのミーちゃんに少しは感謝しなさいよ」
ミーちゃんがぶすっと呟いた。案外この呼び名、気に入っているのかもしれない。
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