I部 4「姉、暴走」
―――I部 4「姉、暴走」
いつもより早く目が覚めた。今日は休日、体を休める日。なのに、休めていない僕の精神。何かに裏切られたような気分だった。カーテンを開けると、陽がさんさんと降り注ぐも、僕の内面は曇ったままだ。
昨日の銀行強盗の一人、あの一喝の主は確かに芹沢教授だった。あの無造作な長髪、渋みのある声、その他の立ち居振る舞い。ほぼ毎日顔を合わせている僕が自信を持って断言できた。この世界には同一人物が3人はいるというが、それが本当ならこの事実を覆せるかもしれない。
昨日の夕方のニュースでは早速トップで取り上げていた。拳銃を用意していたことや、手際の良さから計画的に銀行を下見していたのでは、と報じていた。その後にジャーナリストが銀行の防犯対策について語っていた。
警察に通報するべきか、とも考えた。僕の犯人についての証言は警察にとって喉から手が出るほど欲しいに違いない。おそらくそっちの方が社会に貢献すると思うし、銀行も警察も満足するだろう。しかし、そうなれば教授を見捨てることになるのは当然だ。今まで世話になってきた人を簡単に警察に売るのか? もう一人の僕が心の中で訴えてくる。
僕の中の正義と情けの天秤が上下に激しく揺れていた。
ここで僕の頭の中にぼんやりと光が差した。こういうことはその道のプロに聞いたほうがいいんじゃないか、と。厳密に言えば元プロだ。やや懸念材料もあるが、一人で悶々と悩むよりはいいと開き直ることにした。
*****
「あんたがここに来るなんて珍しいねぇ」 姉がマグカップに口をつける。今日は黒髪のショートだった。
「珍しいついでに話を聞いて欲しいんだけど」 コーヒーに口をつけながら僕は言った。
辺りを見回す。壁には本棚やコピー機、シュレッダーがならんでおり、窓際には姉が座っているスチール製の机、机上には「黒木未南美」 の文字。机の前には二つの黒のソファーがあり、そこに僕は座っている。普段は依頼人が座るのだろう。
僕にはこの探偵事務所がどのくらい経営が回っているのか見当がつかない。姉は家族の誰にも経営状態を教えなかった。それが親の不安を作り出しているが、当の本人は「勝手にやってるから」の一点張りだった。
「遅いわねぇ」 姉が腕時計を睨んでいる。
「何かあるの?」
「バイトちゃんが来ないのよ」
「誰か雇ってるの?」
「最近ちょっと忙しいから雇ったのよ。女の子なんだけど、確かあんたより1つ上だったかしら? 今時の子っていうか、難もあるんだけど、とにかく」 姉がにやつく。「あんたとは大違い」
「それじゃ姉ちゃんとも大違い」 言ってやった。「こんなとこで働くなんてもったいない人だったりして」
「いや、あの子はこういう業界で結構重宝するタイプよ。言っとくけど、彼女すごいんだから」
「何がすごいの?」
「あんたに教えるなんてもったいない人だったりして」 僕の口調を真似た。
「教えなくていいから僕の話を聞いて欲しいんだけど」
「何よ」 姉が面倒臭そうに言った。
*****
「本当にその強盗はその芹沢って奴だったの?」 姉がいぶかしんでいる。
「間違いないね。あんまり信じたくないけど」
「ホントにそいつだったの?」
「本当だって!あんまり信じたくないけど」
「他の二人に見覚えは?」 姉がどんどん職業口調に変わってくる。
「ないね」
「警察には言ったの?」
「警察が来る前に家に帰ってきたよ。通報もしてないし」
「何で警察に話さないの」
「いや、だって……」
「情けをかけるんだ?」 心臓の鼓動が速くなる。
「べ、別にそんなんじゃ……」
「んじゃ何なのよ」 姉の威圧感が流れ込んでくる。「あんた何がしたいのよ」
何がしたいのか。その言葉に僕は戸惑う。企業の面接試験を受けているような感覚に陥る。あなたはここで一体何をしたいんですか、と。
ガチャッと横から音がした。左を見ると、玄関のドアが開いており、その前で頭を下げている女の子が目に入った。
「未南美さん、おはようございます!き、今日は遅刻して、ほ、本当にすみませんでした!」
「遅い!何やってんのよ」 姉が声を荒げる。
「ね、寝坊しちゃいました……」
「もういいから頭上げなさい」
女の子が頭を上げ、長い髪を掻き分けて顔を見せた時、僕は気づいた。「あれ、君確か昨日銀行にいた……」
「あなたは……」
「どうしたの、あんた達、もしかして知り合い?」 姉は目を白黒させている。
「昨日銀行でお会いしたんですけど」
「あぁ、そういやつぐみちゃんも昨日銀行に行ったんだっけ」 合点がいったとばかりに『つぐみ』と呼んだ女の子を指差す。
「もしかしてアルバイトの人?」
「あ、はじめまして。西巻つぐみっていいます」 月に海って書きます、と付け足した。
「あ、こっちは我が出来損ないの弟の――」
「卓也です」 姉の言葉を遮る。「出来損ないの姉を持つ黒木卓也といいます」
「いい子ぶってんじゃないよ」
「悪い子ぶってるだけだよ」 言い返す。
「卓也、か」 彼女が人差し指を立て、考え込み、やがて笑顔でこっちを向いた。 「卓ちゃん?」
「え?」
「友達からそんな風に呼ばれたりしなかった?」
「いや、全然……」
「嘘。卓也って言ったら卓ちゃんじゃない、違う?」 彼女がはしゃぎながら聞いてきた。
「て、てか、いいとき来たね、月海ちゃん。こいつのささいな悩みを聞いてやって」 姉にささいな悩みと言われ、僕はむっとする。「壮大な悩みだよ」
姉が僕に耳打ちしてきた。 「あの子、最初あたしのことなんて呼んだと思う?」
首を振り、わからないの合図を送る。
「ミーちゃん」 ミーちゃんがひっそりと言った。 「もう説教したわよ、何もしなくていいから普通に呼んでくれって」
*****
「あの人って教授だったの」 へぇ、とうなずく。その後、「大学教授って銀行強盗しなきゃならない程儲からないの?」 と、どこまで本気なのかわからない質問をぶつけてきた。
「ここよりは儲かってるんじゃないかな」 真面目に分析した結果、こういう結論が出た。月海さんも「なるほど」 と頷く。
「納得してんじゃないよ」 姉が月海さんを睨みつけた。「あたしが気になってんのは本当にそいつがその芹沢って奴だったのか、ってことだよ」
「その芹沢って人の写真かなんか、ある?」 月海さんが思いついたように言った。
あるよ。僕はそう答え、持ってきた鞄から大学のシラバスを取り出し、ページをめくり写真を指差した。 「この人」
彼女は頭を下げ、その写真を見入っていたが、しばらくすると顔を上げ、自信たっぷりに 「この人に間違いないわ」と宣言した。
「月海ちゃんが言うんならそうね」 姉が無表情に言った。「この子の観察力は凄まじいから」
「そうなんだ」 さっきの姉が言っていたのはこういうことだったのか、と納得した。銀行でもその能力は僕相手に発揮していたのを思い出す。
「これからどうするの」 月海さんがさっきの姉と似たような質問を口にする。
「そうだね」 とりあえず今まで考えていたことを言った。「都合のいいことを言えば、今回のこの強盗事件をなかったことにできないかなって」
「いやそれはさすがに無理じゃない?」 月海さんが苦笑いした。
「できるよ」 姉が突然言った。
隣の月海さん共々姉を凝視した。もう湯気の出ていないコーヒーをおいしそうに飲んでいる。
「なかったことにできるよ。芹沢の電話番号教えてくれたら」
僕はかなり躊躇したが、「あぁそうなの、なかったことにしたくないの?」 という姉の言葉に苛立ち、 「んじゃ、やってみせてよ」と投げやりに番号を教えた。
すると姉はイヤホンマイクのようなものをつけた携帯電話を取り出し、電話を掛け始めた。「どこに掛けてんの?」
「芹沢んとこに決まってるじゃない、ちょっと黙ってて」
しばらく嫌な沈黙が続いた。胃がきゅうきゅう痛むのを感じる。やばいぞ、ともう一人の僕が呟いた。この女に任せてたら、やばいぞ。
姉が口を開いた。発した言葉で僕は凍りついた。
「銀行強盗の金、持って来い」
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