II部 4「Black,Moon,South,River,and God」
―――II部 4「Black,Moon,South,River,and God」
満月がとてつもなく大きく、その銀色の輝きが仙台駅を怪しく照らしていた。辺りの静けさがさらにその怪しさに磨きをかけている。本当に音が無い。車は勿論、犬猫の遠吠え、風の音までも。
頭が重かった。少し傾けただけでこの世界がゆらゆら揺れた。もしかして酔っているのか。そしてなんでこんな夜中に仙台駅のデッキにいるのか。記憶が抜け落ちている。頭から抜け落ちた物があるのに重いというのは不思議な話だ。
ホテルに戻ろうと思い、駅通りに伸びているデッキに足を進める。ちょうど下に道路が通っているので覗いてみると、車など1台も走っていなかった。白い車線が細く数本流れている。あたしにはそれが一種の芸術にも、落書きにも見えた。どちらにしても地球側から見ればいい迷惑だろうか。自分の顔に勝手に芸術を施されるのも、勝手に落書きされるのも怒りを買って当然の行為のように思えた。だから地球が顔を真っ赤にして、怒りで年々気温が上がっているのかもしれない。
地球の怒りが収まることを祈り、道路から目を逸らしデッキに視線を向けると、前方に3人の人影がふいに現れた。1人の中年男がへたり込んでおり、それを2人の若い男女が挟み込んでいる。その3人の外見には見覚えがあった。
「オイおっさん、銀行強盗は駄目だろ? わかってんのか、エェ?」
本当に我が弟、黒木卓也なのか? チンピラの手本のような声を出し、あたしは唖然とする。地面の男を睨みつけていた。
「テメェのせいでどんだけ人が迷惑してっと思ってんのよ」
月海ちゃんとは360度違う口調だった。卓也と同じく、男を見下ろしている。サングラスに、妙に肌を露出した格好だった。
「す、すまない、でも仕方が無かったんだ。研究費用がどうしても……。それが成功すれば莫大な利益が生まれるし、それで借金を帳消しした後、銀行にもこっそり返すつもりだったんだよ。お願いだ、今回は見逃してくれ」
よく見れば、地面にへこたれているのは芹沢だった。両手にあの銀行強盗に使っていたアタッシュケースを抱えていた。ダンディという雰囲気からは程遠いオーラを放っている。
「いいからさっさとよこせ!」
弟が芹沢の腕からケースを引き抜こうと手を伸ばす。月海ちゃんもそれに加勢し、芹沢の腕を押さえ込み、足で何度も体を蹴り飛ばした。
「おい、何やってんだ」
突然奥のほうから声がした。そちらに顔を向けるも暗がりで体の輪郭しか見えない。
「何だテメェ」 弟が突然の来訪者に威嚇の台詞を吐く。 「テメェにはカンケーねえよ。早くどっか行け」
「下らねえことやってんじゃねえ」
「なにコイツ、正義感気取り?」 月海ちゃんが笑いながら来訪者を指差した。 「超ウケるんだけど」
「さっさとどっかに行ってほしいんですけどォ」 弟が芹沢から離れ、来訪者のほうへ向かっていく。右手の拳が強く握られているのがわかった。
「やなこった」 来訪者が小馬鹿にしたような声を出した。
弟の拳が来訪者の左頬を直撃した。顔が斜めに傾くもそれは一瞬のことで、すぐ元に戻り、今度は男の右手が弟の左頬を打ち抜いた。弟は衝撃で地面に腰をつき、男を見上げる態勢になった。
「す、すいませんでした」 弟があっけなく謝罪の言葉を口にする。さっきまでの威勢が跡形も無く消えたようだった。
「俺じゃなくてそのオヤジさんに謝れ」
来訪者が言うと、弟と月海ちゃんは芹沢に頭を下げ、謝った。
「何でこんなことしたんだ」 男が弟に問いただす。
「あ、ある人に命令されて、それで断れなくて……」
「ある人って誰だ?」
「あの人です」
弟の人差し指がまっすぐあたしの方を向いていた。あたしは後ろや横を見回したが、誰もいない。人差し指の対象が自分だと認識し、再び前を見るとあの突然の来訪者が目と鼻の先にいた。中性的な、すっきりとした顔立ちの男。懐かしい高校の制服。
「なんであんたがいるのよ!」
あたしは思わず叫んだ。それはそうだ。何が原因で、死んだはずの人間が目の前に現れなくてはいけないのか。
「俺がここにいちゃまずいか、未南美?」 男が不敵に笑った。
「な、なによこれ……」
「未南美、お前は罪を犯した。これから判決が下る」
すると一瞬目の前が真っ暗になり、すぐに視界が拓けた。真っ白な壁に茶色の机が並んでいる。法廷だ。左の席には弟と月ちゃんが共にスーツ姿で姿勢良く座っていて、あたしは中学や高校の教壇のようなものの前に突っ立っていた。その教壇の上にマイクがポツンと置いてある。周りの人間が皆敵に見える中、それは唯一の味方のように見えた。
前方には一際威圧感のある法壇がそびえている。その法壇に控える3人の男の真ん中に芹沢を救った来訪者の姿があった。神成だ。
ピリピリした空間だった。弟と月ちゃんは眉間に皺を寄せあたしを見据え、神成は裁判官としての公明さを表現しているのか、無表情だった。現役高校生兼現役死者の裁判官だ。背後からは聴衆の囁きと冷ややかな眼差しが伝わってくる。
「検察側、黒木君」 法壇の神成が厳かな口調で呼びかけた。
弟が立ち上がり、「まずはこちらをお聞きください」 と、自分の隣にあるラジカセのボタンを押した。背後が静まる。
―――銀行強盗の金を持って来い。全部お見通しだよ、芹沢。お前は昨日の昼過ぎ、一十七銀行T支店に侵入、銀行から金を奪い、逃走。……何? わけのわからないこと言うな、だって? そうか、じゃ今から警察にこの事タレこんでくるか。
雑音が邪魔しながらも、あの時のあたしの脅迫の言葉を余すところなく、ラジカセは伝えていく。
―――そうだよ、それでいいんだよ。じゃ明日の午後十時にK公園の時計台の下に金を置いておけ。間違えるなよ。
弟はラジカセのボタンを押すと、「以上です」 と言っただけで何の主張も説明もなく席に座った。聴衆の囁きが一層激しくなった。
「被告人に判決を下す」 神成が突然聴衆を黙らせるように叫んだ。部屋が再びしん、となる。
「判決。黒木被告に死刑を求刑」
神成がそう最後の審判を下すと、部屋が一気に騒がしくなった。あたしはこの無茶苦茶な判決に異議を唱えることもなく、この後の行く末を見守ることにする。
「よかったな、未南美」 いつの間にか、すぐ横に神成が立っていた。この場に似合わない柔らかい笑みを浮かべている。「俺のところへ来いよ」
「……あんた神成じゃないでしょ」
あたしがきっぱりそう言うと、神成の外形が歪んでいく。やがてスーツ姿の白髪の中年親父の姿になった。やはり見覚えのある、邪険な顔だった。
「君は私が救ってあげたんだぞ。それを踏みにじるのかい?」 中年親父が詰め寄ってくる。
「別に頼んだ覚えは無いわ、ダメ本部長さん」 今のあたしに怖いものは無かった。この世界の仕組みを全部理解した、神様の気分に近い。
「そうかい」
男は不気味に言うと、周りの人間が全員この中年親父に変わった。なんとも気持ち悪い。吐き気が込み上げてくる。
目の前の男が鈍器を振り下ろした。
*****
頭に衝撃が走った。自分の頭に何かが偉そうに落ちてきたようだ。もぞもぞと手を動かし、それを顔から退かす。額縁に入った絵だった。朝からそんなものに興味が出るはずもなく、ベッドの横に投げ捨てた。後でホテルの支配人に文句の1つも言うべきか。そんなことを偉そうに考えながら背中のブラホックを外し、ショーツを脱ぎ捨て、シャワーへ向かう。
夢だと気づいたのは法廷に舞台が移った時だった。その時強引に夢を終わらせることもできたかもしれないが、事の成り行きが気になり、あえてそうしなかった。結果あたしには神成から死刑宣告が下り、最後に県警本部長まで現れた。刑事時代のボスとも呼べる存在だった。刑事を辞める最後の最後までコイツに付き纏われていたのは、一生の思い出だ。一生の重い出とも言える。
芹沢脅しについては少し反省していた。もっとよく考えて行動するべきだったのではないかとは思った。しかし、もし強盗した金が使われた後だったら、手を出せなかったのも事実だ。とりあえず昨日の寄付で全て結果オーライ、とすべきだろう。少なくともあたしが見た限り、芹沢はまんざらでもない様子だった。
シャワーを浴び終え、スーツに着替えようとベッド脇のボストンバッグへ向かうと、さっきの絵が横に寄りかかっていた。今度はベッドに叩きつける。
するとちょうど絵が上を向いた。何気なく見ると気味の悪いものだった。ボロボロの黒のコートを着た骸骨が鎌を振り上げている。後で支配人に本気で文句を言ったほうがよさそうだ。骸骨を見るのは火葬場だけで充分だ。
着替えを済まし、部屋のドアノブを回した。月に代わって太陽が空を支配し、音もちゃんとあった。が、頭は重いままだった。どうやら記憶は抜け落ちていないらしい。
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