II部 2「深夜の奉仕活動」
―――II部 2「深夜の奉仕活動」
僕はカウンターに転がっている硬貨を目で数えていた。100円玉が2枚に、10円玉が4枚、1円玉も2枚。242円ある。コンビニでカップ麺1つ買えるか買えないかくらいの金だ。しかし、残念ながら僕のバイト先のコンビニでは買えない。1円、足りない。そして、僕の目の前の老婆はそれを承知していないのか、あと1円、出す気配が無い。いや、1円くらいまけて欲しい、と言われればできないこともない。というか、簡単にできる。実際、今この深夜のコンビニにいる店員は僕だけだし、こっそりポケットマネーで1円くらいコンビニに、この老婆の代わりに払うくらいの余裕はある。 「絶対に金の貸し借りはするなよ」 父の教えはこの場合、破ってはいない。これは貸し借りではなく、奉仕というべきか。むしろ歓迎される行為といってもよさそうな感じに思えた。
「どうしたんだい、レジやんないのかい?」 しびれを切らしたのか、老婆が初めて声を出した。背筋はスッと伸びていたが、それでも腰が曲がった老人の背丈と大して変わらない身長だった。ありふれた柄の割烹着を身に纏い、首には紫色に光る数珠が巻かれている。平和な格好だった。
僕はもう一度、カウンターの上の硬貨を目で数えた。やはり同じだった。
「あの、1円まけてって言えばまけますけど」 1円足りないですよ、と言うのもがめつい感じがしたので、まける行為に至るまでのステップを一気にとばし、ストレートに言った。
「本当かい? じゃ遠慮なく」
老婆は遠慮なくそう言うと、カウンターの上の1円を取りがまぐちに放り込んだ。それでもカウンターの上には同じ数の硬貨がある。242円がそこにあった。あれ、と思わず声を上げる。
「こういうことよ」
老婆はがまぐちから1円を取り出し、カウンターの上に置いてある1円玉の上に重ねて乗せた。なんとも下らない。ただ単に1円が重なって、2枚のコインが1枚に見えただけだった。
「確かまけてくれるのよね? そうよね?」 老婆が種明かしのために乗せた1円玉をがまぐちに戻し、勝ち誇ったような口調で言った。
「242円お預かりします。ありがとうございました」 かなり気の落ちた声で僕は商売文句を口にする。その時、老婆が 「あんた、絶対貧乏くじ引くタイプでしょ」 と言ってきた。
「そうかもしれません」
「何かでっかいことを成し遂げればそんなのどっかに飛んでっちゃうわよ」 老婆はそんなことを言うとコンビニを出て行った。
でっかいこと。強盗から金を奪い返すというのは充分、でっかいことじゃないのだろうか? あれよりでっかいことをしろと言われたら僕は一生できない。
その銀行強盗から金を奪い返してから翌日、学校に行くと芹沢教授の姿があった。その日は教授の講義こそなかったが、昼食を食べている姿を見ることはできた。額に絆創膏が貼ってあり、動きもどこかぎこちなく、包帯こそ見なかったが、どこか打撲でもしたような歩き方だった。他の教授からは不思議そうな、可哀相な目で見られていたが、本人は 「階段から転んでしまって」 と言い訳していた。
さらにキャンパス内を歩いていた時、やはり絆創膏や痣のある教授を2人程見かけた。実際にその2人に講義を教わったことはなかったが、調べてみると例のロボットの開発チームのメンバーだとわかった。果たして銀行強盗の残りの2人なのか真偽はもうわからない。いや、もうこの際わからなくてもいい。もう終わったことだ。
だが、この銀行強盗で新たにくすぶり始めた問題もあった。僕には全く関係ないが、芹沢教授達が襲った銀行で、監視カメラが普段から作動させていなかった、というニュースが報じられた。そういえば、銀行で事件が起こると必ずと言っていいほど監視カメラの映像がテレビで流れるのに、今回の銀行強盗の時は流れなかったな、とこの報道を見てから気づいた。せっかく金を返したのにこの失態はなんだ、とテレビの前で怒ったが、勿論僕に謝る人間などいるわけもなく、それどころか世間に謝罪する人物も今のところ現れていないらしい。要はこの前テレビで 「正直、ホッとしております」 などと言っていた支店長のことだが、今は正直、ホッとしている場合ではないだろう。
また、それとは別に変わった事があった。
高原だ。
やや調子こきで時折変な事をベラベラと喋り、という性格だったはずなのだが、ここ2、3日は無口な調子が目立った。どうしたんだ、と聞けば、どうもしない、と返し、変だな、と言えば、お前ほどじゃねえよ、と笑いながら返してきて、僕はどっかの誰かみたいにバイクで追いかけ回したい衝動に駆られた。
店内はガランとしていた。客はいない。このコンビニにいるのは僕だけだ。深夜の店番が1人だけというのは何かの規定に違反しているんじゃないか、と時々思う。そう思った後、何か商品をくすねていこうかな、と誘惑に駆られることもある。ただ、そんな勇気など僕には無い。さっきの客の1円を補充しておかなければ、とズボンのポケットから財布を取り出す。
グクン、とくぐもった音がした。見ると入り口のドアから男が入ってきていた。 「いらっしゃいませ」 と声をかけようとしたが、その気が失せてしまった。男は顔面を黒のゴーグルとフェイスマスクで覆っていて、手にも黒いものがあった。それに加え、全身真っ黒のカラスファッションだ。
カラス男は大股で一気に僕のいるレジまでやってきた。もうここまで来たら疑いようがない。これは今流行りの、あれだ。男が、手に持っている拳銃を僕に向けた。
「金出せ」
*****
「え?」
今流行りの、普通の強盗なら 「え?」 という拍子抜けした声を出すのではなく、すぐに金のほうを出しただろう。 「金出せ」 という、その声に聞き覚えがなければ。
「金出せっての」
カラス男は静かな声で呼びかけた。僕は瞬間的に手に持っていた財布を差し出した。
「違うっつうの」 呆れた男は顎でレジスターを差した。
「ちょ、ちょっと待って、これ一体何? まさか本気じゃない……よね?」
「いいから早く金出せってんだよ!」 カラス男が僕に顔を近づけて大声を出した。
僕はその剣幕に思わず後ずさりするも、目は相手のゴーグルを見ていた。どうにも信じられなくなり、もはや耳だけでなく、目でも確認したかったからだ。幸い光の反射で一瞬だけ中が透けて見え、男と目が合った。その目はおそらく、ほぼ毎日僕を映し出していて、おそらく、その目がルックスの良さの一端を担っていて、おそらく、
『知ってるつもりは知らないつもり』 という格言を生み出した人間の目に違いなかった。
カラス男はカウンターに飛び乗り、そこからレジに手を伸ばし、開け、中から札を乱暴に取り、ポケットに押し込んでいく。僕はどうしたらいいのかわからず、その場に石像のように立ち尽くしていた。少しすると、満足したのかカウンターから飛び降り、駆け足で出口を抜け、ちょうど駐車スペースから車道へ向かって動き出しているRV車に飛び乗った。そのまま車は車道へ合流し、闇へ姿を消した。
僕は警報装置を押すことも忘れ、その場に突っ立っていた。これは1円をまけるのとは全く次元が違う話だ。 「絶対に金の貸し借りはするなよ」 父の教えはこの場合も破ってはいない。これも貸し借りではなく、奉仕だ。しかし、歓迎されるものではないことはわかった。
僕はようやくゆっくりと警報ボタンを押した。目で犯人像を確認し、耳で相手の声を聞き取った。はずだったが、急に自信が無くなってきた。本当にあいつだったのか、と。僕は月ちゃんとは違う。鋭い観察眼などあるわけがない。人間の五感なんて当てにならない。あのカラス男があいつである証拠なんてどこにもない。
あのカラス男が
「高原」 である証拠なんて。
夜明けに近づいているはずなのに、闇が消える気配はない。
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