II部 1「数日後―――止みかけた雨は再び勢いを増す」
「手ェ、上げろォ!」
あたしは黒板に目を向け、先生の話を聞いていた。すると突然怒号が響いた。女子生徒が悲鳴を上げる。
教室の前のドアから見知らぬ男が入ってきていた。よれよれのパーカーにジーンズ姿で、制服着用が義務付けられているこの高校ではまず目にしない格好だった。3,40代といったところで、手に文化包丁があった。高校で普段目にしないものばかりだ。
教室はパニック状態になった。生徒は窓際に走り、2階のベランダから隣の教室に逃げようとしていた。無論、あたしも同じだった。早くこの教室から、この状況から、この現実から脱したい。どんな状況か、どんな現実なのかいまいち把握できていないにも関わらず、だ。ただ人の本能なのか、穏やかでない状況だということは、理解できた。その本能に従い、ベランダに駆け寄ったが、30人以上の生徒が逃げるのにそこは適していなかったようだった。ベランダに逃げ込む生徒は、満員電車に無理矢理乗り込む乗客と化していて、それに乗り遅れたあたしの首には、すでに男の腕が巻きついていた。
「もっとこっちへ来いよ」 あたしの後頭部で男はそう言うと「へへへ」 と不気味に笑った。体中に寒気が走る。
「未南美!」 神成が叫んだ。彼はまだ教室の中に取り残されている生徒のうちの一人だった。中立的な顔が歪んでいる。
「おい、こいつがどうなってもいいのかぁ? 全員早く教室に戻れっつってんだよ!」 男がベランダにいる生徒に向かって怒鳴った。いやいや生徒が教室へ戻る。
男はあたしを後ろから押さえつけたまま教卓へ陣取り、席についた生徒を眺めていた。教室は、しん、と静まり返っている。ベランダに続くガラス戸や窓は開けっ放しになっていて、そこから吹き込む風が、教卓に隠れているあたしのスカートの丈を捲れ上がらせた。それを気にする余裕は無く、ましてやエロティックな気分にもなれるはずはない。
「なんだァ、少ねえな。まあいい」 どうやら何人かの生徒はベランダから逃げたようだった。5,6人分の席が空いている。
「変なこと考えんじゃねえぞ。いつでも俺ァ、コイツを刺せるんだからよ」 男がまた 「へへへ」と笑い、包丁をわき腹に突きつけた。 「それともここにいる全員一緒にあの世行きってのもいいかもなァ」
教室に備え付けられた電話が鳴り始めた。男が担任に命じる。 「出ろ。今のありのままの状況を伝えろ」
年老いた教諭は怯えながらも今の状態を電話の向こう側に伝えていく。
「警察は呼びたきゃ呼べ、と伝えろ。そしたら切れ」 男が命令する。教諭が指示通りに従い、受話器を壁の本体に戻した。
その後の男は饒舌だった。自分は神だ、とか世の中は俺のものだ、など意味不明なことを喋り始めた。そこにはなにか、常人とは逸脱した精神が存在しているような気がした。
「正義なんてな、所詮幻想だァ」 いつの間にかそんな話になっていた。 「俺ァ今まで正義なんてものは見たことねえ。多分これからもなァ。自分を犠牲にしてでもよォ、何かを貫く奴なんてこの世に居るわけねえんだよ」
男はさらに続けた。 「正直言うとよォ、こんなに人質いらねえんだよ。1人で充分なんだよ。そこで提案なんだけどよォ、おいお前」 男があたしの耳元に言う。 「この中から人質1人選べ」
教室がざわついた。あたしの頭も真っ白になる。
「自分を選んでもいいしよ、自分が嫌だってんなら、誰か他の奴を選べ」
教室の生徒があちらこちらに視線を送りあっているのがわかった。誰が行くんだよ。なんとかしろよ。そんな言葉が聞こえてきそうだった。目線で会話をしていた。
「さァ、選べ」 教室の視線が一斉に自分に注がれた。皆、目を見開いて、張り詰めた空気が流れる。息苦しい時間だった。そして、この時間を終わらせる方法をあたしは思いつけずにいた。今のあたしは―――人の運命を決めるという意味では―――この教室内を支配する神のような役割だった。もっとも、その神を支配する最高神があたしを拘束している。 「自分は神だ」 男の言葉が頭をよぎる。まさにその通りだ。
「俺がなる」
教室の視線があたしから、後方の机に座っている1人の男に向けられた。神成だ。
「オオゥ、立候補者が1人ィ、面白くなってきたなァ」 男が陽気に言った。
「俺が人質になる」 神成が何の恐れもなさそうに、くり返す。神に立ち向かう神成というのはそれはそれで運命的なものを感じずにはいられなかった。
「お、おい、神成……」 隣の伏屋が戸惑っている。
「な、なんで、あんたが」
「待て、待て! オラ、静かにしろォ! オイ、お前本当に人質になるのかァ?」
「なるっていってるだろ」
「いいだろ、面白え、進んで自分を犠牲にする奴なんて生まれて初めて見たぜェ。オラ、こっち来いよ」
神成が席を立ち、教卓に向かって歩いてきた。
「ちょ、ちょっと、あたしがなるって!」 解放される安心感はどこにもなく、逆に罪悪感が押し寄せてくる。
「静かにしろォ、これは決定事項だ。よかったじゃねえか、代わってくれる奴が現れてよォ」
そして、あたしを含む教室にいた全員は解放された。神成を除く全員が。
*****
校舎の外へ出ると、すでに警察と野次馬でごった返していた。パトカーの赤色警告灯が走り回っている。すぐに制服姿の大人達が駆け寄って来て、あたしたちを案内した。
あたしたちは校舎から少し離れた管理人小屋に通された。そこではこの事件を取り仕切っているのだろう、「警部」 と呼ばれている人物があたしたちに事件の様子などを聞いてきた。あたしや伏屋、先生が中心となり、状況を説明する。
「その神成という男が今、人質になっているというわけですね」 警部が椅子に座り、確認するように言った。
「はい、お願いします、あいつを助けてください」 あたしは涙声で言った。
「警部、犯人と接触しました!」 部屋に1人の刑事が飛び込んできた。
「どうだった?」
「要求を聞こうと試みましたが、犯人は意味不明なことを話すばかりで」
「意味不明なこと?」
「神がどうとか正義がどうとか。あと、爆弾を爆発させる、とやけに連呼していました」
「爆弾だと」 警部の顔が強張る。
「はい。ですが、犯人はどうも錯乱しているような状態でして、真偽の程はわからないかと……」
「警部、犯人の身元が割れました」 別の刑事が入ってきた。犯人の名前、職業、そして男が近くの精神病院の閉鎖病棟に入院していることなどを口にする。
「今日、職員がその男が病棟内にいないことに気づいたそうです」
「閉鎖病棟ってことは外部からの接触はほぼ皆無、爆弾なんて持ってたらすぐに職員が気づくんじゃないのか」
「爆弾……?」 報告の刑事が首をかしげる。
「男が爆弾を爆発させる、と言っている。どこまで本気か知らんがな」
その後も警察の説得は続いたが、 「一向に説得に応じません」 との、もどかしい報告が続いた。
数時間過ぎたある時、警部が苦々しく決心したように言った。 「突入準備を開始しろ」
「ちょっと、どういうことよ」 あたしは不満気な声を出した。
「犯人に精神障害があり、なおかつ何の要求もしてこない以上、無駄に長引かせる必要も無い」 警部の男が機械的に、誰の意見も受け付けない、というニュアンスで言った。
「おい、待てよ! こういう人質事件だとよ、犯人説得して、人質優先で行動するんじゃねえのかよ!」 伏屋が声を荒げる。 「それに爆弾持ってるんじゃねえのかよ」
「警部、もう少し様子を見たほうが」 1人の刑事がそう言うと、警部がギロリ、と睨み、小声で囁いた。 「お前、あのバスジャックのような失態を俺に演じろっていうのか」
バスジャックとは数ヶ月前に起こった、人質を10人以上殺された大惨事だとピンとくる。警察の不手際が大々的に報道されていて、ここをこうしていれば何人の人質が助かった、とわざとなじるような言い方をしているマスコミもあった。
「ま、人質10人殺されるよりは1人のほうがましだわな」 警部が何の悪気もなさそうに言った。
「なんですって!」 気づいた時にはあたしは大声を上げていた。 「今なんて言ったのよ!」
「おい、勘違いするな、あくまでバスジャックよりはこっちの事件のほうがまだ救いようがあるってことだ」
「だったら救ってみせてよ!」
警部はあたしの言葉を無視し、小屋を出て行った。あたしも後を追いかける。
「爆発したらどうすんのよ!」 もはや警部という肩書きは関係なかった。思っていることを口から投げつける。
「これは決定事項だ」 警部が早足で歩きながら冷ややかに言い放った。決定事項、とはあの犯人も口にしていた言葉だと気づく。 「爆弾所持などあり得ない。奴は錯乱して適当なことを言っているだけだ」
「錯乱して爆弾を爆発させることだってあり得るだろうが」 伏屋が鋭いところを突いた。
「もう時間だ」 警部が無線機で現場の指揮官に呼びかける。 「準備が出来次第、突入せよ。指揮はまかせる」
校舎が見えるところまで来た。周りには特殊部隊というのだろうか、武装した警察が取り囲んでいる。校舎の中にも侵入しているのがわかった。滑らかな動きで、男の立てこもっている教室に少しでも近づこうと模索しているのだろうか。
ここまで事が進んでいるなら、悔しいが、あたしがどんなことを言おうと警察は耳を貸さないだろう。あたしは目をつぶり、両手の指を額の前で絡ませ、祈った。
周りの野次馬が騒ぎ始めたのと同時に、この緊迫した状況に不釣合いな、リズミカルな曲が聞こえてきた。そういうこと、とあたしは気づいた。
ど
う
す
る
どうする?
〜意外と近くの犯罪者〜
―――II部 1「数日後―――止みかけた雨は再び勢いを増す」
目が覚めると、あたしの耳にはウィリアムテル序曲が入り込んできていた。両手で携帯を握り締めている。手にまとわりついている汗をシーツで雑にふき取り、携帯のアラームを止めた。
ベッドから体を起こし、もう一度携帯を見た。19時30分。約束の時間まであと30分ほどある。5分前くらいにこのホテルを出れば、充分間に合う。ベッドから抜け出し、シャワーへ向かう。
それにしても、なぜ今になってあの時の夢を見るのか、不愉快で仕方がない。
結局、警察が突入してすぐ、爆弾は爆発し、人質1人と被疑者死亡、というニュースが流れることになった。あの精神異常の男が言っていたことは本当だった、ということらしい。 「遺族の方々に深くお詫び申し上げます」 当時の警察署長がお決まりの台詞を吐くのをあたしは泣きながら聞いていた。神成とは友達以上の関係が当時存在していたから尚更悔しかった。とにかくアイツは正義感が強い奴だったな、と今更ながらに思う。いや、正義感が強いというのではなく、正義感しか持ち合わせていないようにも見えた。何かいじめがあったとして、どんなに分が悪くても、多勢に無勢の状況でも、平気で無勢の、いじめられっ子の側に回る。そんな奴だった。最も、あたしはそういうところに惹かれていたのかもしれない。
シャワーを浴び終え、スーツに着替えを済まし、化粧を済まし、右手にアタッシュケースとバッグを持ち、ホテルを出た。
*****
帰宅時間帯だからかスーツ姿のサラリーマンやОLが通行人の大半を占めていた。仙台駅前というのも影響しているのだろう。満月がぽっかりと夜の街を支配している。
人の合間を縫い、駅から離れていく。ある日本料理店に向かっていた。今から会う人物がそういう系統の食事が好きだということは事前に調べてある。
店の前まで来た。看板に店名が達筆で書かれていて、いかにも和風、といった雰囲気だった。しかし、隣には店名が英語で書かれているクラブがあり、いかにも洋風、といった雰囲気だ。和と洋が凌ぎを削っているような場所だった。何の迷いも無く、和の陣地へ入る。
店内に入り、予約しておいた部屋へ案内される。中央にテーブルがあり、畳が敷き詰められている、まるでお見合いでも行われそうな個室だった。ヒールを脱ぎ、部屋に上がるとテーブルの一方に座り、アタッシュケースを脇に置いた。
しばらくすると部屋の襖が開き、背広姿の男が現れた。長い黒髪が目を引く。
「どうも、初めまして、芹沢です」
「お初にお目にかかります。黒木卓也の姉の未南美です」 とりあえず思いつく限りの丁寧な挨拶をする。次に 「その額の絆創膏どうされました?」 と聞いてみる。
「あ、いや、ちょっと階段で転んでしまって」 芹沢が苦笑いする。
伏屋にやられたんだな、と想像を膨らませる。伏屋は昔、ボクシングをやっていたから、喧嘩には慣れっこだと思い、K公園での芹沢達の駆逐を頼んだ。しかし、中々承諾してくれなかった。ボクシングと喧嘩は全く違う、と若干ズレた言い訳を口にした。んじゃ、喧嘩でいいわよ。バイクでも乗り回して追い払って、と支離滅裂な交渉と金の力で、最後には伏屋が折れた。無論、バイクで芹沢達を追い払え、というのは冗談半分だった。まさか、本気でバイクに乗って追い回したわけではないだろう。どっちでもいい。
「それより話というのは一体何でしょうか?」 芹沢が不思議そうに聞いてくる。
「それは追々お話します。まずは食べましょう」 あたしは自分なりの接待を試みる。
*****
「いつも弟がお世話になってます」
「いえ、こちらこそ」 芹沢が軽く会釈をした。小中学校の親対先生の二者面談のような雰囲気だった。しかし、あたしは親の立場にも先生の立場にもなったことは無かったから、正確に言えば想像の中の二者面談に過ぎない。
「今日は私の無理を聞いてくれてありがとうございます」 2,3日前に芹沢に電話を掛け、見ず知らずの仲ながら食事に誘った。見知らぬ女から突然食事の誘い、というシチュエーションにその時はかなりの苦戦を予想したが、弟の名前を出すとすぐに好意的になり、食事に誘うのはそれほど難しくはなかった。どうやら弟は弟で、大学でそれなりの人間関係を築いているようだった。
芹沢が茶碗蒸しを口に運び、その器をテーブルに置いた後、 「話というのは何でしょうか?」 と、切り出してきた。
「今、先生は東北マテ大で凄い研究をやってらっしゃいますよね。何でもロボットの研究とか」
「まぁ凄いかどうかはわかりませんが」
「実は私、ロボットというものに憧れていまして、昔ちょっとそういう分野の勉強をしたことがあるんですけど、合わなかったんですね、すぐに挫折してしまいました」 あたしはロボットになんてこれっぽっちも憧れはないし、そういう分野の勉強などしたことがなく、ということは挫折もしたことはない。 「それで先生に何か手助けできないかな、と思いまして」
「手助け、ですか」
「はい、それでですね」 あたしは横に置いてあったアタッシュケースを持ち、芹沢の隣へ移動した。 「これを使ってください」 ケースを開ける。
「なんですか、これは」
芹沢が息を呑むのがわかった。いきなりアタッシュケースにびっしりと詰まっている札束の群れを見せられたら無理もない。
「これを使ってください」
「なんですか、これは?」 芹沢の顔がいぶかしむ表情に変わった。
「私には必要のないお金なんです」 弟が競馬で稼いだ金だった。あたしが浪費するよりはこういうところに寄付するのがいいのでは、と柄に合わないが、そう思ったのだ。研究が資金不足とも聞いていた。
「失礼ですが、お仕事は何を?」
探偵、と言おうとしたが、銀行強盗様には、あまりいい答えとは言えない。それにこんな大金を用意できるほど探偵は儲からない。適当にでっち上げる。
「本当にいいんですか?」 芹沢があたしと札束を交互に見やりながら、言った。なにか仕組まれているのか、と口には出さないが、そう考えているのが目に見えるようにわかる。
「本当にいいですよ」 弟の代わりに、あたしはそう言った。
*****
芹沢とは店の前で別れた。別れ際、 「もう銀行強盗なんてしないでください」 と言いたかったが、さすがにそれはやめ、 「最近、強盗が流行ってるようですから気をつけてください」 とだけ探りを入れてみた。すると 「ええ、大丈夫ですよ」 とだけ芹沢は答え、去っていった。その言葉には特に深い意味はないような気がした。探偵の勘、もしくは女の勘かもしれない。
アタッシュケースがなくなったことで体が軽くなった。次の目的地へ行こうと、足を進める。周りを歩くサラリーマンやOLの中に紛れ込んだ。するとふいに後ろから肩をポン、ポンと叩かれ、振り向くと芹沢と同じような背広姿の男が立っていた。顔を見る限り40代で、縁無し眼鏡に腰まで伸びている茶髪が異様な雰囲気を醸し出していた。無理に若作りしているお父さん、という表現が付き纏うような外見だった。
「アナタは黒木未南美さんでいらっしゃいますよね? そうですよね?」 男が話しかけてきた。「よね」 と言うたびに顔が近づいてくる。
「人違いじゃないの?」 自分の名前を口にされ内心戸惑ったが、こんなちぐはぐな中年男に付き合っている暇も無かったので軽くあしらう。
「いえ、そんなはずはありません。外見こそ昔とかなり変わってますが、アナタは黒木未南美に間違いない」 男が近距離からちょこんと右手人差し指を突きつけてきた。その指先があたしの胸と数センチと離れていなかったので、あたしは反射的に後ろにあとずさる。
「馬鹿じゃないの?」
「馬鹿は天才の裏返し、と思うようにしてます」
何をわけのわからないことを言っているのか。あたしは大きなため息をつき、男を無視して歩き始める。
「ちょっと、ちょっと、待ってくださいよ。せめて自己紹介だけでも」 男が慌てて前に立ち塞がり、背広の内ポケットから手帳のようなものを取り出した。 「こういう者です」
「警察……?」 久しぶりに見る警察手帳だった。
「はい、ワタクシ警視庁に属しております、笠岡といいます。以後お見知りおきを」 手帳を内ポケにしまう。
「警察が何の用よ。ってか、あんたホントに警察なの?」 手帳を見せられても、この男の胡散臭さを払拭できる程の効果は無かった。ただ、警視庁の人間というのが引っかかった。
「当たり前じゃないですか。これでも結構長いんですよ」 粘りつくような話し方が居心地を悪くさせる原因だと気づくのに、そう時間は掛からなかった。だからあたしは、 「さっさと用件言って頂戴」 と早口で言った。
「はい、実はワタクシ4年前のH県警内の殺人事件について調べているんですよ。ちょっと前にニュースでやってましたよね、事件発生から3年が経ったそうですよ。……いや、4年でしたっけ? まぁいいです。それで、アナタは当時H県警に所属していましたよね。アナタは警察学校時代から有望視されていて、H県警に入ってからも、まさに周囲の期待通りのご活躍をされましたね」
「ご活躍ねぇ」 ここまで丁寧な言葉遣いで来られると返って馬鹿にされたような気分になる。老人が必要以上に親切にされるのを拒む心理と同じだろうか。
「特にアナタの得意だったのは変装だとお聞きしました。なんでも相手に刑事だと勘づかれたことは無いとか。いやぁ,まるで刑事ドラマにでも出てきそうな、なんか格好良いですよね。どうしたらそんなことができるんです?」
「そんなこと聞いて何になるの」
「まぁ、そう言わずに。ワタクシのこれからの刑事生活の参考になれば、と」
なにが参考よ、と思いながらも 「別に変装とかそんな大それたもんじゃないわ。確かに外見はある程度変えるけど、それ以上に自分の性格を変えるのよ」 と、答えるのを渋ってても一向に立ち去りそうにないので、それらしいことを説明した。
「性格を変える、ですか。例えばどのように?」 笠岡がさらに聞いてくる。
「例えば、あたしは自分のことを 『あたし』 って呼んでるけど、これも変えたりするわ。 『わたし』 とか、男だったら 『俺』 とか」
「なるほど! 些細なことですけど、そういうのが意外に大事ということですね! 人間、外見より中身ということですか!」
笠岡が大袈裟に言った。余りに大きな声で言ったので、周りの通行人の視線を集めるという結果になった。その周りの通行人の中にはいかがわしい連中も含まれていたようで、2,3人の長身の男が笠岡に寄ってきた。耳や鼻にピアスをしており、いかにもチンピラといった雰囲気だった。 「おっさん、何、外見より中身って? えぇ?」
笠岡が男達にたじろいでいる隙をつき、あたしは早足でその場を後にする。背後で笠岡が 「なんですか? ワタクシは警察ですよ」 と男達に言っている。その次に男達の下品な笑い声が聞こえてきた。おっさん、嘘にも程があるぜ、こんな胡散臭え警官いるわけねぇだろうが。そんな声も聞こえてきた。
高校生だろうか、男女が手をつなぎ、歩いている横を早足で通り過ぎる。その男のほうが神成に似ていたような気がする。最も、似ていた所で何の意味も無いことは明らかだった。アイツは、もういない。
―――自分を犠牲にしてでもよォ、何かを貫く奴なんてこの世に居るわけねえんだよ。
ふとあの犯人の言葉が頭をよぎった。それはどうかしら、と内心で呟く。
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