I部 1「犯罪注意報、発令」
「大学の授業は高校とは全然違う」 と、高校の時の担任が言っていたことがある。「どう違うんですか」 と質問すれば、授業時間が長い、みんな私服だ、気軽にサボれる、などいい点、悪い点、いいのか悪いのかわからない点をごちゃまぜに説明されたものだ。
「大学と高校、どっちが楽ですか」 僕はさらに質問した。冗談半分だった。すると担任はため息をつき、「そんなことを考えているから大学に入って駄目になったりするんだ」 と、大真面目に答えた。それは今のところ、当たらずとも遠からず、といったところだろうか。
*****
僕は今、硬いが、温かみを感じる10人ほどは座れる木机の端に腰を下ろし、いそしそと手に持ったシャーペンを動かしている。おそらく1日のなかでシャーペンを動かすのはこの講義――伝送学――だけだ。同時に僕以外の学生が机に額をつけて寝息をたてている時間だ。
隣には高原が、やはり机に伏せて寝息をたてている。長い黒髪には艶がある。というわけでもない。高原はルックスではクラスでも1,2を争うモノを持っているが、服装や身だしなみにはそれほど気を使っていないように見えた。そのことを本人に柔らかく指摘すると、高原はなにやら、それに回す金が少ない、らしきことを口にした。後で知ったことだが、高原は母子家庭として育ったという。その辺のことが、もしかしたら服装や身だしなみに回せる金が少ないという理由に関係しているかもしれない。身勝手ながらも、そう解釈した。
黒板に視線を向ける。そのまま同時にシャーペンを動かす。空で文字を書くことで僕の板書のスピードは他の人より格段に速い。19年間生きてきて唯一身に着けた特技だ。
黒板の文字を追っていると、視線が教授の右手にぶつかった。芹沢教授だ。
芹沢教授は、ここ東北マテリアル大学の教授だ。歳は確か45だったはずだ。少し体を動かしただけで無造作な長髪がゆらゆらと揺れた。ダンディーという言葉が良く似合う。
初めて話したのは確か高校時代、僕がロボットコンテストで優勝した時だ。教授に「ウチの大学に来ないか」 と誘われた。僕には特に断る理由もなく、親とも相談した結果、マテ大への進学が決まった。おそらくあの時は人生最高潮といっていい時期だったのかもしれない。「人から認められる」 という喜びを初めて知った時だった。
終了のベルが鳴った。寝ていた学生も目が覚め、だらだらと、全く開いていないだろう教科書をしまいはじめる。隣の高原も同じだった。
「タカ、ちょっと外で待ってて、すぐ終わるから」 僕がそう言うと、高原はわかった、とうなずく。高原も、僕と芹沢教授の関係は承知している。
僕が教卓に近づくと、「やぁ、黒木君」 と教授は低い声で挨拶をした。その声が外見の渋さをさらに際立たせている。
「どうも」 ありきたりな挨拶をすると、すぐに「あの、この前の」と僕は遠慮がちに言った。
「あぁ、そうだったな、いやほんとに助かったよ、ありがとう」 そう言うと、教授は財布を取り出し、1万円札を手渡してきた。
「確かに、受け取りました」 僕は大げさに言い、万札を財布にしまう。強力な味方が戻ってきたような気がした。大富豪のジョーカーのような感じ。
「いや、ほんとにありがとう」
「いえ、たいしたことないです」 嘘をつく。ちょっと金貸してくれないかな、と持ちかけられたのは1週間前、あまり気が進まなかったものの、結局はそれに応じた。そのおかげで一日一食生活になったことは誰も知らない。
「金なんて絶対貸し借りするなよ」 父がよく言っていた言葉だ。「絶対何かトラブルが起こるから」 こうも言っていた。今回はその父の教えを破ったことになるが、後ろめたい気持ちはなかった。特にトラブルも無かったし、それに、おそらく大丈夫だろう、という高をくくった考えもあったのかもしれない。なにかしらトラブルがあったとしても、国家間のいざこざに比べればかわいいものだ、と。
「そういえばあの研究、どうなってますか」 僕は興味本位で聞いた。「格闘ロボットの」
「あぁ、あれか」 教授の顔が一瞬曇った。「ぼちぼちな」
僕が通う東北マテリアル大学では一大研究として格闘ロボットの開発が進められており、芹沢教授はその研究チームの一員だった。
「開発は進んでいるっちゃあいるんだが、なんていうんだ、その」 教授の声がだんだん小さくなる。「まぁ、順調だ」 ちっとも順調そうでない口調だ。
「順調に勝るものは無いですよ」 何の根拠も無かったが、言ってみる。
「周りのマスコミ連中もうるさくてな」 教授が苦笑いする。「ピーチクパーチク、雛みたいにうるさいんだよ」
「それ、嫌ですね」
以前、実家に鳥が巣をつくり、そこで親鳥が雛を育てていた時期があった。最初はかわいいと思って見ていたものの、雛たちの鳴き声や糞に根負けし、ついに父が巣を崩壊させることで騒動は終焉を迎えた。その親鳥や雛がどうなったかはわからない。世の中には知らなくてもいいことが多々存在するが、これはその典型例かもしれない。
「それじゃ、ちょっと用事あるからこのへんで」 そう言うと教授は教卓の上の本をそそくさと鞄にしまい始めた。
「あ、それじゃ僕もこれで」 軽く会釈をし、教室を出る。
廊下で高原が欠伸をして待っていてくれた。「早く食堂行くぞ」
ど
う
す
る
どうする?
〜意外と近くの犯罪者〜
―――I部 1「犯罪注意報、発令」
食堂に行くと、やはり学生でごった返していた。むん、とした熱気も伝わってくる。
とりあえず、席を探す。首を左右に振る。
「あそこ空いてんじゃねぇか」 高原が前方を指差すも、どこなのかわからない。
「どこ?」
「あそこだ、女の人が座ってる」
その言葉でやっとわかった。はるか前方彼方に金髪でストレートの20代くらいの女性が1人、麺をすすっているのが見える。
高原と僕は女性の席に向かって歩いていく。が、前の高原が途中で止まり、「もしかしてあの人、お姉さんじゃねえか?」 と僕に言ってきた。
目を凝らしてみる。確かに見えなくは無い。姉はこの近くで探偵事務所を営業している。その職業柄なのか姉は外見を次々と変える。前に見たときは黒髪でおかっぱ頭だった気がする。一種の変装術だと本人は言っていた。
と、その時、女がふいに頭を上げ、僕と目が合った。もう疑いようが無かった。
あっちも気づいたようで、手招きをしている。真っ赤なネイルアートが遠くからでもはっきりと見えた。決して趣味がいいとはいえない。
別なトコ探そう、と言おうとするが、高原はずんずん進んでいった。もう何もできなかった。
「高原君、おはよ、久しぶりだねぇ」 姉が真白い歯を見せる。その次に僕に「あんた、まだ学生やってたの」と突っかかる。
「やってるよ」 下唇を出す。「残念ながら」
「ホント、残念」
「なんでここで昼飯食べてんの?」 カレーの白米だけをほおばりながら僕は不満をあらわにする。「事務所追い出されちゃった?」
「あたしがここでお昼食べちゃまずいの?」
「まずいよ」 即答する。「姉ちゃんがいるとおいしいものが全部まずくなる」
「ずいぶん生意気になったわねぇ」 上から目線の発言が憎々しい。
「また事件の話お願いしますよ」 高原が言った。
姉は探偵の仕事を始める前は刑事をやっていた。高原は姉が話す刑事時代の摩訶不思議な事件の話題が好きだった。今までに数え切れない程――おそらく数百件――事件の話を聞かされたが、その半分以上はでっち上げだと僕は思っている。だって彼女が警察に所属していた期間は1年ちょっとだし。
「ごめんねぇ、高原君、また今度お願いできるかしら」
「あ、いえ、いつでもいいっすよ」 そう言いながらも、高原が一瞬残念そうな顔をしたことに僕は気づく。
「あと事件の話じゃないんだけど」 姉がテーブルに肘をつく。「なんていうか、警告かな」
姉の顔が厳しくなった。「最近はホント物騒よ。誰を信用していいかわからないし。『昨日の友は今日の敵』なんて諺がそのまんま当てはまるくらい。きっとこのことわざを考えた人は、現代のこの風潮を予言してたのかもね」
「ただ単に戦争とか戦で裏切りが多かったからじゃないかな」 僕は思ったことを言った。
「とにかく」 僕の言葉を無視し、姉は続けた。「最近このあたりでヤバイ奴らがいるんだよ」
「ヤバイ奴ら、っすか」 高原が苦々しく言う。
「なんか金貸しとかやってるらしいんだけどね、何か気に入らないことがあったら、後ろからグサ、ってやっちゃったり」 姉ちゃんの声がだんだん小さくなる。「脅して何か汚い仕事の手伝いさせたり」
「映画にありそうな展開だね」
「映画のほうがマシかもね」 姉が無表情で言った。
高原の顔が青ざめている。
「ま、そういう連中がいるから注意しなさいってこと。お父さんの言い分もあながち間違ってないって事ね」 そう言って椅子から立ち上がった。「金なんて絶対貸し借りするなよ」
その言葉に僕はドキッとする。
「んじゃ、もう行くわ」 鞄を肩に提げる。「じゃあ、高原君、また今度、事件の話たっぷり聞かせてあげるわ」
高原が、それじゃまた、と弱々しく挨拶をすると、姉はラーメンの器を持って去っていった。
「どこまで本当の話なんだか」 正直、嘘と本当が入り混じったような話だった。そして嘘の割合が高そうに思えた。
「黒木はやけにお姉さんに対抗意識持ってるよな」
「対抗意識っていうか、ただ単に馬が合わないだけだと思う」 大嫌いというわけではないが、できれば一緒にいるのは避けたい、というのが一番近い表現だ。
「姉弟仲良くしろよ」
「仲良くしてるつもりなんだけどね」
「”つもり”じゃ駄目だろ。実行しねえと」 高原がスパゲティをフォークに巻きつかせる。「『知ってるつもり』って言ってる連中は知らないのと一緒だ」
「それとこれとは話が違うんじゃないかな」
「お前こういうこと知ってるか。日本国憲法は、アメリカのGHQが考えた憲法草案ってのを基にして日本の政治家が作ったもんだって思ってるだろ」 何を思ったのか高原はそんなことを言い出した。
「うろ覚えだけど、確かそんな感じだった気がするね」 小中高の社会の授業の記憶を引っ張り出しても僕はこれ以上のことは言えなかった。
「日本国憲法のモデルになったのがGHQが作った憲法草案、っていうのが世間の大多数が知ってる事実だけどよ、その憲法草案にもモデルがあって、さらにそのモデルを書いたのは日本人、という事実を知ってる奴は少ないな」 高原は満足そうに説明した。
「それ知らなかった」 ちょっと得をした気分になる。「で、何が言いたいの?」
「知ってるつもりは、知らないつもり」
「仲良くすればいいんでしょ」 半ばやけくそに言った。
*****
今日の講義は午前中だけだったので、高原を遊びに誘った。大学生の特権を最大限に利用する。しかし高原は、「悪い、ちょっと用事があんだよ」 とだけ答えると、そそくさと自転車をこいで去っていった。用事のある人を無理矢理遊びに誘う程、僕の神経は図太くなかったようで、そのまま歩って一人暮らしのアパートへ向かう。
ふと空を見上げると、航空機が飛んでいた。肉眼で目を凝らせば、そのシルエットがなんとかわかるほどの高さだ。機体の向き、近くの空港の場所を考えるとおそらく離陸したばかりなのだろう。僕の上をゆっくりと通り過ぎる。あの鉄の塊が300キロ以上のスピードで飛んでいるとは到底思えなかった。ゼロがひとつ多いんじゃないですか、と言いたくなる。車で、いや自転車で全力疾走すれば追いつけるのではないか。そんな無謀な考えが出てくるほど航空機はのんびりと飛んでいる。「世の中見たものだけが全てじゃない」 これは姉ちゃんからの受け売りだ。おそらく刑事時代に考えた言葉なのだろう。人やものを見た目で判断してはいけないように、航空機も見た目で判断しては駄目なのかもしれない。ただ、僕は現代のあわただしさを象徴するような新幹線や自動車より、のんびりと飛ぶ飛行機のほうが好きだった。
アパートの前に着く。3階建ての築10年のアパートだ。コンクリートの白い壁は薄汚れているが、アパートのドアにはまだ真新しさが残っている。
自分の部屋の前でジーンズの右ポケットから鍵を取り出そうとしたその時、今度はジーンズの左ポケットが震えるのを感じる。
二つ折りの携帯を開くと、非通知からの着信だった。非通知はろくなことが無い、と自分に言い聞かせる。商品の販売やオレオレ詐欺ばかりで、ありがたみのある非通知の電話など遭遇したことがなかった。ペンギンが電話を取るアニメが画面に流れている。早く出ろ、と急かしているかのようだった。あっけなくペンギンの無言の訴えに負け、通話ボタンを押す。
「……」 僕はあえて何も喋らなかった。相手が何か言ってくるのを待っていると、ふいに無機質な声が飛び込んできた。
「明日ノ午後1時ニ、一十七銀行T支店ヘ行ケ」 機械で声を変えている。
「だ、誰ですか」 相手の声にビビリながらも言った。
「オモシロイモノガ見レルゾ。必ズ行ケ。間違エルナヨ」 僕の質問は無視され、ガチャリと通話も途切れた。
携帯の画面を見つめる。ペンギンが受話器を置くアニメが流れている。明日の1時に銀行?面白いものが見れる?何だ今のふざけた電話は。心の中で強がってはみたものの、不安がどどっと流れ込んできた。心臓の鼓動が速くなる。鍵を回し、乱暴にドアを開け、中に入る。バタン、と閉めたドアに背をもたれながら、僕は真っ先に携帯の着信画像を変えた。
―――――この物語はフィクションです。実際の地名、団体名とは一切関係ありません。
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