「春木 悠」
私はこの学校に入ってから、もう何回この名前を耳にしたのだろう。
彼はこの高校の卒業生。らしい。
先生たちのお気に入りだった。らしい。
笑顔が素敵でさわやか少年。らしい。
らしい、らしいと言っているけれど、私は彼を知らない。
会ったこともなければ、一体どんな顔をしているのかさえも知らないのだ。
だけど、想像の中でならもう何度も会って、そして楽しくお喋りしている。
そう、私は恋をしたの。
変な話だけど、会ったことも声を聞いたこともない、春木 悠に恋をしてしまったのだ。
会えないからこそ、想像はどこまでも高く、大きく膨らみ、想いはどんどん募っていくのです。
「悠木 春」
ちなみに私の名前です。
私は密かに2人の名前に運命を感じているのだ。
というよりも絶対に運命以外の何ものでもないはず!!
私が初めて彼の名前を耳にしたのは、入学式の次の日。
大きな桜の木の下に立ち、ぼーっと上を見上げていた。立派な桜の木だった。
「はっはっは!すごいだろう。うちの桜の木は有名なんだぞ〜。」
その時突然、先生が話しかけてきた。
それから聞いてもいないのにその先生は、春木 悠について語り始めたのだ。
「あいつもこの学校に入りたての頃、君と同じようにそうやってぼーっと見上げてたよ。目真丸くさせて。はっはっは!」
とても豪快な笑い方をする先生だった。
声も体も大きかったから、そっちの印象が強烈すぎて、正直この時はまったくと言っていいほど、春木 悠のことなど頭には残っていなかった。
二度目にその名前を耳にしたのは、夏休み直前の朝のこと。
「あら〜悠木さん。来るの早いのねぇ。何か春木君を思い出しちゃうわ。もう何年も前の卒業生なのに。彼もねいつも誰よりも一番に教室に来てたのよ〜」
家庭科の真田先生。
サラダが大好きだから、みんなにそう呼ばれているおばちゃん先生だ。
「春木…?どっかで聞いたような…?」
だけど私は思い出せなくて。
だから私はそんな名前のことは、すぐまた忘れたのだ。
けれど三度目の春木 悠の登場で、私の曖昧だった記憶がはっきりとくっつくことになるの。
その運命の瞬間に一緒に居たのが、保健室の先生。
ある晴れた秋の午後だった。
先生は、決して若くはないけれどとてもきれいで優しいマドンナ先生だ。
「春ちゃん。あんまりサボってたらダメよ〜?」
「う〜ん。でも天気がいいと何か、勉強してるのがもったいない気がして…」
するとマドンナ先生は笑ってこう口にしたのだ。
「やぁだ、春ちゃん!春木君みたいなこと言うのねぇ。久しぶりに思い出しちゃったじゃない〜。懐かしいなぁ。」
「まただ…春木…?春木…春木…悠?」
「春木 悠」だ!!
初めて耳にしたのは確か、あの大きな桜の木の下。
そして次が夏休み前の朝の教室。
それで今日が3回目の春木 悠。
「春ちゃん、春木君のこと知ってるの〜?そういえば何かあなたたち、名前似てるわよねぇ。何かおもしろ〜い。そう考えると何だか、雰囲気まで似ているような気がしてきちゃったわぁ。」
「ねぇ、先生!春木 悠って誰なの!?どんな人なの!?今何してる人?」
「どうしたの〜急に」
「あっ、いや…」
何だか急に照れくさくなった。
だって名前も知らない人に、この時の私はドキドキしていたのだから…。
それからマドンナ先生は少しだけ彼について話してくれた。
「もうどれくらいかな〜?確か3年前くらいに卒業したから、今は大学生かな?」
私よりも5歳も年上の春木 悠。
今はたぶん、大学生の春木 悠。
なぜだろう。
「春木 悠」の話をしていると、先生たちの表情が優しくて穏やかになっていく。
「すごく笑顔の素敵な男の子だったのよ。優しいし、明るいからいつも周りにいっぱい人がいて、あっ、よく女の子にも告白されてたりしたのよ〜」
「ふ〜ん。かっこよかった?背とか高かった?」
「うん。かっこいい顔してたわよ〜背も高かったし。確かサッカー部のキャプテンやってたのよ。」
「春木 悠」 ますます興味をそそられる人物だ。
「長いこと付き合ってた彼女が確かいたのよ〜。かっこよくて優しくて、その上一途なんて言うことなしよねぇ。」
まだ一度も会ったことなどない彼に、長く付き合っていた彼女がいたという事実に、私は何故だか胸を痛めていた。
それからだ。
私の小さな恋の日々が始まったのは。
この学校にはなぜか、春木 悠の名残りがあちらこちらに残っているのだ。
そんな小さな発見が私の毎日の楽しみになっていた。
校庭にある花壇には、毎年きれいに色とりどりの花たちが咲く。
うまいこと植えられていて、黄色の花の中にピンクのハート型の花が咲く仕組みになっているのだ。
そんな可愛らしい花壇が楽しめるようになったのは、4年前の春かららしい。
そう。
「春木 悠」のしわざだ。
「春木 悠」はあぁ見えて(どう見えてるか私は知らないけど…)花が大好きな少年だったらしい。
今どき花を大切にする若者は、先生たちにはとても好評判な生徒だったのだ。
時間はちがうけれど、確かにここにいた。
「春木 悠」が過ごしたこの花壇の前に、私が座り水をあげるのが日課になるまでに、そう時間はかからなかった。
----3月。
「今年もきれいに咲いてね。いっぱいお水あげるからね〜」
花壇には、白くて小さい看板がささっていた。
決して綺麗とは言えない字でこう書いてあるのだ。
【あなたのハートに届きますように…By春木】
そう、この学校の大人気スポット。
大好きな人に告白する前に、このハートの花壇の前でお願いをしてから行くと、想いが届くらしい。
そんな伝説まで作ってしまうのが、春木 悠なのだ。
「春木君が、彼女に告白する時にどうやったら自分の想いが彼女に届くか…って考えたのが、あのハートの花壇だったのよ。春木君の彼女、園芸部に入っていてお花が大好きな女の子だったのよねぇ。」
そう、だからきっと春木 悠は花が好きだったんじゃなくて、花が好きなその彼女が好きなだけだったのだ。
だけど、好きな子の好きなものを全力で好きになれてしまう、そんな春木 悠が私は好きだ。
2階の渡り廊下の壁に小さく書いてある落書き。
「1-B担任・西郷どん→」その横には下手くそな似顔絵。
豪快に笑うあの先生だ。
5年前でも今でも、先生たちのあだ名というものは変わらないらしい。
「下手すぎでしょ〜でもちょっと似てるかも♪」
今日も見つけた。
「春木 悠」の名残り。
----春。
私ももう高校2年生だ。
ということは、春木 悠は大学4年生だ。
ただし本当に大学生だったらの話だけれど…。
彼の卒業後については、どの先生に聞いても分からないの一点張りだ。
だけど、マドンナ先生いわく…
「ちょうど3年生の冬くらいにね、彼女と別れちゃったらしいのよね。タイミング悪く、その頃怪我して足もダメにしちゃって。それですっかり春木君は元気なくしちゃって。彼、頭だって良かったし、サッカーだって上手だったのにサッカー推薦もパァになっちゃって、そんな精神状態だったから受験もあまり納得のいく結果が出なかったみたいでねぇ。見ていてとってもかわいそうだったのよ〜」
「春木 悠」
彼の辛かった想いを想像したら、自然と涙が溢れてきて、一度溢れ出した涙は、なかなか止まることはなかった。
「春ちゃん〜ちょっと大丈夫?泣かないで〜大丈夫よ。卒業式の時には春木君、彼女とも仲良しだったし笑って旅立っていったんだから〜」
何だか急に私は春木 悠に会いたくなった。
会ってどうすることもないのだけれど、なぜだかとても彼に会ってみたくなったのだ。
----学校帰り。
お花屋さん。
どうやら私は春木 悠を好きになったことで、花まで好きになってしまったらしい。
「いらっしゃいませ。いつもご来店ありがとうございます。」
このお花屋さんのお兄さんは、とても優しい笑い方をする人だ。
いつしか私は、そんなお兄さんに春木 悠を重ねて見るようになっていた。
きっと春木 悠が笑うとこんな感じで…
春木 悠が話すとこんな声で…って。
「今日はどの花にします?」
「お兄さんのおすすめはどれですか?」
「じゃあこれなんてどう?」
こんな幸せなやりとりが私の最高の時間。
こんな人が春木 悠だったらいいなぁ。
春木 悠に会いたいなぁ。
春木 悠は、今ごろどこで何をしているんだろう。
「はい、お待たせしました。」
「ありがとうございます♪」
「あっ、悠木さんて桜華高校なんだよね?まだハートの花壇てあるの?」
突然のお兄さんの問いかけに、目が真ん丸くなった。
「はい。まだあります!!私毎日お水あげてるんです!!お兄さんどうして花壇のこと知ってるんですか?」
「俺も卒業生だから。」
淡い春風が二人の空気を優しく包んだ。
もらった花束の花びらがふわっと舞って、きのう降った雨の水たまりに太陽の光りがキラリと反射して、瞳と瞳が合った。
「春木 悠」
名前しか知らないそんな彼に、私は恋をしたのだ。
優しくて、かっこいい春木 悠。
花が好きな彼女が好きで、花壇まで作っちゃうような春木 悠。
そんな春木 悠が、私は大好きだ。
「…お兄さん。お兄さんの名前ってなんて言うんですか?」 |