「1月17日」
その日の朝方、トイレに起きた。
夕べの食べすぎが原因か少し腹が痛い。野球部で活躍した龍次郎は野球の名門の高校からスカウトが来ている。春からはその高校へ進学する予定。
トイレでうつらうつらしながら用を足し、さて部屋へ戻ろうかというその時……。
ダ───ン!!
物凄い轟音とともにズズッという不気味な縦揺れが起きた。何が起こったかわからないでいると、突然激しい横揺れがやってきた。
──1995年1月17日午前5時46分。
父親がとりつけた棚からトイレットペーパーや消臭剤がなだれ落ち、その棚そのものが頭を覆ってしゃがんだ龍次郎の上に落ちてきた。
身動きができない。ダンプカーが突っ込んできたのかと思った。
トイレの窓が開いていく。しかし枠がすでにひしゃげてきている。
そこからものすごく明るく輝く月が見えていた。不気味なくらい綺麗だった。さらに揺れが来た時、龍次郎の上に天井の板が落ちてきた。
──おとん! おかん! 龍斗……。
しばらくして近所のマンションの非常ベルが鳴った。
俺、動けるやろか……。
少しづつ体を移動して見る。腕が冷たい。パジャマの袖が血でべっとりと張り付いていた。
折れてはないな。傷口から派手に出とるだけや。
何が起こったかわけがわからない。不安と恐怖で一杯だった。
体を這うようにしてトイレのドアから抜け出す。
──なんや! これ!
自分の家がメチャクチャだった。台所から倒れこんだ冷蔵庫が廊下に倒れ、柱が覆いかぶさっている。天井は半分落ちている。
「おかん! 大丈夫なんか?」
叫んでみるが返事はない。外を見るとあちこちで赤いものがゆれている。
火事や! あちこちで火事になっとる!
「おとん! おかん! 龍斗!」
両親と弟の名前を呼ぶが返事はない。それにあまりにも崩壊がひどくてどこに進んでいいやらわからない。薄暗く、足元もよく見えない。
余震がくる。ばらばらとまた天井から破片が降ってくる。
「おい! 誰かおるんか?」
近所の電気屋のおじさんの声がする。
「おっちゃん! 誰も返事ないんや!」
「龍ちゃんか? 動いたらあかん、今行くから待っとけ」
電気屋の店主に抱えられるように外に出る。龍次郎は驚愕した。
町が、ぶっ壊れてる!
近所のタバコ屋は見事にペシャンコ、電柱が倒れて道をふさいでいる。
角の家は家の形が無い。微かにガスの匂いもする。
近所の人がばらばらと集まる。瓦礫の下の家族の死体の前で泣いている声があちらこちらで聞こえる。
怪我をしてる人や血だらけの人もたくさんいた。硝子の破片があちらこちらに飛散していてジャリジャリと音がした。
布団屋のおばちゃんがジャンパーを着せてくれた。
「龍ちゃん、血が出て……痛いことないか?」
「おばちゃん、僕は大丈夫や、それより誰も返事ないんや!」
誰かのラジオが鳴っていて周りの人達が集まって聞いていると、震源は淡路島北部でマグニチュード7.2、神戸は震度6という情報が入って来た。
ふと家をみると……瓦礫の間から白い腕が出てる。母親の腕だ。
「おかん!」
「龍ちゃん! 危ない!」
「おっちゃん、あれ、あれおかあちゃんの腕や!」
「何? 百合子さんかあっ?」
数人の大人とともにあたりを掘り返す。
──あかん、あかんよ、お母ちゃん……お母ちゃん!
母親の上半身が出てきた。
「お母ちゃん! お母ちゃん?」
「百合子さん、大丈夫か!」
母親は額から血を流し、真っ青な顔で動かない。
「お母ちゃん!」
微かに動く目。うっすらと開いたその目は龍次郎を捉えた。
「お母ちゃん!」
「あ……龍……次……だい……じょうぶ……や」
母親の消え入りそうな声が聞こえた。
皆で母親を掘り出す。しかしその足元には──。
龍次郎の弟、まだ小学三年生の龍斗が箪笥の下敷きとなって変わり果てた姿になっていた。
──龍、龍斗おぉ!
その後のことはよく覚えていない。
母親はレスキュー隊員によって救出され、とりあえず退避させられた。
父親はその時点では不明。龍次郎は小学校の体育館に避難させられた。
***
あたしは紺野さんの話を聞いてるうちに涙が止まらなくなった。
龍ちゃんがそんな……そんなひどい事を体験してるなんて全然知らなかった。
あたしが過してきた日々なんて龍ちゃんに比べたら……。
「レスキュー隊は生存率の高い人から救助していくから……まあ龍ちゃんの弟さんはダメだったって。お父さんも生き埋めになっていて、生きてたらしいんだけど、力つきてしまって……。レスキュー隊と何人かの大人で掘り返してたらそこで、最初は木だと勘違いして、掴んだのがお父さんの足で……もう冷たかったらしい」
紺野さんは淡々と話してくれた。あたしは息が詰りそうだった。
「お母さんもその時にひどく脊髄をやられて、ずっと入院してたけど三年前に亡くなったそうだよ。龍ちゃんのその時の住まいはJR六甲道の南の灘区肥後町あたりで特にひどかった所だよ。お母さんが亡くなって、叔父さんに借りてたお金を返すためにこっちに出てきたんだって」
龍ちゃんの弟……あたしとおんなじ年なんだ。
「龍ちゃん言ってた。人は助け合って生きていくものだから人が嫌いってことはないけど、大切な人を持つのが怖かったって。女の人と付き合うっていっても何時、相手がいなくなっても大丈夫くらいな付き合いしかしてこなかったって」
あたしは俯いて聞いていた。龍ちゃんに実家に帰らないの? って聞いたことがあった。あの時言葉を濁してたのは、龍ちゃんには帰る家が無かったんだ。
「龍ちゃんはベリちゃんを大切な人だって俺に言ったよ」
涙がますます止まらなくなってきた。龍ちゃんに会いたい。今すぐにでも会いたい。
「1月17日ってボクには今まで最悪の日だったけど、大切な人が生まれた日なんだって思えて不思議だって。弟と同じ年っていうのも本当に不思議だって言ってさ。びっくりしたよ、龍ちゃんがあんなに一生懸命話してくれて。僕も七ちゃんの事で真剣だったからさ、龍ちゃんもそうしてくれたんだなって嬉しかったけどね」
紺野さんはあたしにティッシュをくれた。涙と鼻水でグズグズだったから。
「毎年1月17日は阪神淡路大震災1.17のつどいっていうのがあって毎年有給をとって行ってるんだって。今回の出張は自分で希望だしたらしいし」
紺野さんはあたしに2枚の紙をくれた。
一枚はその集いのことが詳しく書いてある紙、もう一枚は地図だった。
あたしは涙でぐしょぐしょの顔で笑って受け取った。
「それからね、これは僕と七海からのお礼。べりちゃんにね」
なんだろうと思ったら新幹線のチケットが入ってる。
「こ、これ───」
「あ、いいから。たまには格好つけさせて。それにベリちゃんに相談してなかったら七ちゃんとはどうなっていたかわかんないしさ」
紺野さんはメガネを拭きながらニコニコしてる。
「行ってきなよ、龍ちゃんのためにさ」
あたしは鼻をすすりながらぼんやりしてると
「自分のためにも……ねえ、ベリちゃん」
また涙があふれてきた。もう、なんて言っていいかわからない。
「あのさ、僕が泣かせてるみたいで困るんだよね」
「あ、ああそっか、すいまひぇん……」
あたしは慌ててハンカチで顔をぬぐった。えへへと笑ったら紺野さんもへへと笑った。
その後紺野さんにお礼を言って喫茶店を後にした。
ティアラに早めに行く。ママが一人でいる時間だから。
「あら、ベリちゃんどうしたの? 早いわね」
ママにお休みをくれるように訳を話してお願いしてみた。
「そう、紺ちゃんがねえ。やるわね。いいわよお休みあげる」
ママは快く承諾してくれた。
「帰ってきたらその分、働いてもらうけどいい?」
「はい、もちろんです。ありがとうございます」
あたしは神戸に行くことを決めた。
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