「夜の喫茶店」
日曜日がまちどおしいあたしは、学校でもバイト先でも始終ボウっとしていて、皆に嫌がられた。
学校ではシャンプーの実習で、相手の子の背中をびっしょびしょにして、先生にも珍しがられた。
バイト先では水割りグラスを数個割り、マドラーのかわりに指を突っ込んだりして、西田さんたちを慌てさせた。
バンドの練習でルイがギターを鳴らしてる途中に、あたしはなぜかマーシャルのプラグを抜き、みんなの顔を青くさせてしまった。
い、いけない、こんなことじゃ……気を引き締めよう。なんだかバカになってる、気をつけよう。
もうすぐ日曜日が来る。
今日は金曜日。あたしはティアラのカウンターに立っていた。
ドアが開いて、お客さんが入ってきた。
おっちゃんだった。
「あら、先生、一人なんて珍しいわね。しかもお久しぶり」
ママはにっこり笑っておしぼりを渡す。
「久しぶり、美咲ちゃんにはしてやられたよ」
おっちゃんはやれやれという顔をして、おしぼりで顔を拭いている。
「うちのお姫様をたぶらかしてくれてさ、おかげで寂しい一人身よ」
「あら、それはどうかしら。先生をほっとく女なんていないでしょうに」
ママは含み笑いをしながらボトルを出し、優雅な手つきで水割りを作る。
「今日はお姫様に話があってきたの」
「あら、痴話喧嘩はやめて下さいね」
「そんなんじゃないよ」
おっちゃんは曖昧な笑いを浮かべながらグラスを口にする。
あたしはカウンターの別のお客さんと話をしていたけど、耳はおっちゃんのほうを向いていた。
「ベリちゃん、こっちお願いね」
ママに呼ばれてあたしはおっちゃんの前に立った。こんばんはと挨拶をする。
「少し大人びてキレイになったんじゃない?」
「そうですか? なら自立生活のおかげかな」
あたしは自嘲気味に笑ってみせた。おっちゃんに何か飲みなさいと言われて、ボトルから水割りを頂くことにした。
「本題にはいるよ。どうして就職の試験、うちに来なかった?」
おっちゃんは少し厳しい顔をした。あたしはグラスを口に運んで喉を湿らせる。
「ボクとの事で気が進まないことはわかる。でもそれとこれとは違うだろ?」
「で、でも……」
「ボクは君をもちろん特別扱いするつもりはないよ。ただ純粋に必要な、優秀な新人は欲しいと思ってる。うちは自慢じゃないがふるい落とす方の審査があるような店だ。君だってわかってるだろ?」
知ってる。アトリエKに憧れて美容師を目指す子だってたくさんいるし、しっかりしたお店だ。業界でも定評がある。
あたしは全く違うお店に希望を出したのだった。
「タバコやめたの?」
「え? ああ、はい止めました」
「そう。彼とは上手くいってるの?」
「えっ、そ、そんなんじゃないですって」
あたしは慌ててグラスを煽る。
「恋愛も結構だけどね、将来も考えないと。彼はしがない電気工だろ? 君は自分で思ってる以上に才能あるよ。僕が言うんだ、まちがいない。たぶん美咲ちゃんもそう言うだろう」
おっちゃんはグイっとグラスを開けた。あたしは空のグラスに水割りをつくる。
氷に店のライトが反射して、カランと音を立てる。
しがない電気工……おっちゃんの言葉があたしをグっと黙らせる。
「まあ、そんなことはいいとして、もう一回考えなさい。君がその気なら特別に面接を設けるし。二次募集は2月だから」
おっちゃんは水割りを飲み干し、お会計と言った。ママがあら、もう?と言うと、まだ仕事があるからといって笑いながら席を立つ。
あたしはドアまで見送った。
「じゃあね、よく考えて」
おっちゃんはあたしの肩をポンと叩いて出て行った。
その日、お店の片付けをしてたらママが、帰りにコーヒーでも飲まない? と言って来た。
あたしはうなずいて、お疲れさまと皆と別れてからママと近くの小さい喫茶店に入る。
そこはもちちろんお酒も飲めるけど、レトロでシックなレンガ造りのお店でアップライトのピアノがあり、サイフォンが並び、静かにジャズが流れる……そんなお店だった。
あたし達は二人がけのテーブルに向かい合って座った。
運ばれてきたコーヒーは猫足のついたアールデコ調の素敵なカップに入れられていた。
「おいしいのよ、ここの。素敵なお店でしょう」
ママはゆっくりコーヒーを口に運び、それから優雅にタバコの火をカチンとつけた。
あたしはお店の中をゆっくり見回してコーヒーのいい香りをかいだ。
「ごめんなさい、さっき聞こえちゃったの」
ママは煙をふうっと吐いて綺麗な指で髪をかきわける。
あたしは、ううんとかぶりを振った。
「先生みたいな男気ある人、なかなかいないわよ?彼はやっぱり大人だと思う」
変拍子のジャズがかかる。狂ったセッションなのに落ち着いた音。
「さっきのお仕事の話とか、きちんと考えるべきだと思うわ。私も龍ちゃんがどうのとか、先生との関係がどうのとかじゃなくて……、っていうより先生が自らあんな風に言ってくださるなんて、正直ベリちゃんが羨ましいわ」
「えっ? 羨ましい?」
驚いてママを見上げる。ママは伏目がちにほうっと小さなため息をつく。
「そうよ、松岡先生、本当にいい男だと思うわ。そんな男に見守られて……、それに、どうなってるのかは知らないけど、龍君だってあの年にしちゃなかなかよ。不器用かもしれないけど、器用でこずるい男のほうがたくさんいるのよ」
あたしはじっとママの話に耳を傾けていた。本当に言われた通りかもしれないとしみじみ考える。
「ベリちゃんの才能の一つにね、求心力があるの。なんていうか、人を引きつける力があるのね。だからベリちゃんが一生懸命なとき、人が動くのよ。そういうとこに先生は目をつけてると思うしね」
求心力かあ……ふうん、なんだかピンとこないけど、そういうのがあるなら嬉しいなあ。
「私もベリちゃんには頑張ってほしいから応援してるの。別にうるさく口を出すつもりじゃないけど……まあ、聞こえちゃったからね。ちょっとアドバイス」
ママは悪戯っぽく片目を閉じてみせた。女のあたしから見ても本当にチャーミング。
「ママ、いつも良くしてくれてありがとうございます。時々どうしてそこまでって思うときもあるくらい、感謝してます」
「あ、あらやだ、そういう事を言ってるつもりはないの。ただね、似てるところがあるなあって思ってね」
ママは左腕のブラウスをかなり上まで捲り上げた。はっと息を呑んだ。二の腕のあたりに火傷の後があって皮膚が引き攣れている。
そういえば、ママは夏でも長袖だったのを思い出す。
「これねえ、高校生のときにいじめられてね、ライターでやられたのよ」
あたしは目を離す事ができなかった。なんだか痛みが伝わってきて涙が出そうになる。
「まあ、あたしが美しすぎるのが罪だったんでしょうけどね」
ママはブラウスを下ろしながらケラケラっと笑った。
「まあ、そんなことはさておき、少なからずベリちゃんを応援している人もいるってことだけ、忘れないでね」
あたしは涙がこぼれてしまった。
「あらやだ、泣かないの。いじめてるみたいじゃない」
ハンカチを差し出しながらママはまた笑った。あたしは泣きながらへへへと笑ってみせた。
その後、とりとめもないおしゃべりをして、あたし達はお店を出た。
「ママ、ありがとうございました。ちゃんと考えて見ます。また相談にのってください」
ペコリと頭を下げた。ママが笑っていつでもどうぞと言ってくれて嬉しかった。
よし、また頑張ろう。ちゃんと考えよう。あたしは背筋を伸ばしてアパートへ帰る。
街は秋の終わりに差しかかっていて冷たい風が気持ちよかった。
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