「ホテル サザンウィンド」
龍ちゃんは、あたしを抱えるようにしてホテルの中に入る。
入口で部屋を選ぶパネルの薄いグリーンのライトが浮かびあがっている。
あたしはといえば、震えてびしょ濡れのままで動かない思考回路にあきらめ、流れを見守っているだけ。
部屋は結構使用されていて、赤いランプがずらーっと並んで点灯している。
黄色いランプの部屋が2つだけあって龍ちゃんは迷わずそのうちの一つを押した。
恋人同士ならここで迷ったりするのが楽しかったりもするんだけど、ずぶ濡れでしかもガタガタ震えているあたしを抱えた龍ちゃんの一連の動作は、レスキュー隊員のそれだった。
甘い……と言うより緊迫感……ラブストーリーの映画と言うより教習所の事故ドキュメンタリー映像を見ているかのよう。
抱えられたまま部屋に入ると、すぐに龍ちゃんはあたしにバスタオルを2枚渡してバスタブのお湯をひねった。
あたしはバスタオルで頭からゴシゴシふきはじめたけど、手が震えて上手くいかない。雷の音はまだ聞こえる。窓がないから見えないけど雨音はまだ微かに聞こえるから、よっぽど強い雨なんだろう。
バスルームから出てきた龍ちゃんは、あたしを見兼ねてタオルで頭や背中をふいてくれてる。二人とも口を利かない。龍ちゃんに拭いてもらってると心地よくてだんだん落着いてきた。
ちょっと待っといてな、といってバスタオルをあたしにかけ、龍ちゃんはまたバスルームに消えてシャワーを浴び、すぐ出てきた。5分くらいかな。
濡れた服を脱いでバスローブみたいなのをひっかけて出てきた。
「お湯たまったから、ゆっくり入ってきたらええよ」と言って自分は奥のベッドルームへ行っちゃった。
「頭もようかわかさんとあかんよ」
タオルで頭をゴシゴシしてる音が聞こえる。
あたしはドアを閉めてバスルームへ入った。まずはシャワーの栓をひねる。
シュウーと音をたてながら柔らかいお湯が体を滑り落ちていく。アイボリーの壁にお湯が弾けて湯気が湧き立つ。
ザアッとお湯を浴びてから、猫足のついた白いバスタブに泡をいっぱい立てて潜り込んだ。
アクアブルーのライトがついててジャグジーの気泡がキレイ。ほうっと一息ついてお湯の中で手足を伸ばした。じんわりとお湯がまとわりついてきて、体がほぐれていく。ボーっとしていた思考回路が動き出す。
ええと、この状況って……。
あたしは雷が大嫌いだった。さっきは本当に怖くて固まってしまった。
だからあそこで無理やり走ることは出来なかったし、お風呂に入って生き返った。
でも、龍ちゃんとラブホテルにいるなんて! ……はああ。
あたしはとぷんと泡の中に沈没してみた。顔をザブザブってわざと乱暴に洗ってみたり。
思考回路が作動し始めた。意外な事に、あたしは自分がもっとパニクったりグルグルしちゃうんじゃないかって思っていたのに落ち着いてる。そのことに驚いた。たぶん雷雨の衝撃のほうが強くかったからかなあ。
とりあえず今はゆっくりおふろに入って……緊張もするけど……にしても妙に落ち着いちゃってるなあ。どうしたんだろ。それより龍ちゃんはどうなんだろうなあ。
髪を洗って、シャワーで流す。毛穴にお湯が染み渡って頭からじんわりあったまる。体もボディソープをつけてマッサージするように洗った。だいぶリラックスしていい感じ。
あたしはつい歌いだしてしまった。家のお風呂じゃないのにいつもの癖で。
自分の好きな洋楽をフンフンと口ずさむ。ノリノリのあたしの歌を、龍ちゃんはどんな思いで聞いているんだろう。
ゆっくりお風呂を楽しんで、洗面台の前で髪の毛にドライヤーを当てる。
このブワってくる風が気持ちいい。
それからバスローブを着て、備え付けの乳液をペタペタ塗ってみた。
服はしぼって干そう。
下着にドライヤーをかける。パンツもブラも濡れてるから、よっぽど雨が強かったのがわかる。
さすがにノーブラノーパンではいられないから、半乾きの状態で身につけるしかないな。
仕方ないや……。頭をくるくるっとお団子にして、顔をチェックし、よしっと気合をいれてバスルームを出る。
部屋に戻ると龍ちゃんはソファーに横になって目をつぶっていた。
寝てるのかなあ。ちらりと時計を見ると1時間近くもお風呂に入っていたみたい! 失礼しました。
寝顔かわいいなあ……。龍ちゃんの鼻は外人の男の子みたいにちょっと上を向いていて唇の形がはっきりしてる。そこから白い歯を見せて笑うんだけど左側に小さい八重歯があるから笑うと幼い顔になる。
部屋を見回してみた。白い壁とこげ茶色の床、観葉植物が置いてあってベットは天蓋つきでなかなかおしゃれ。籐の椅子なんかも置いてある。ミニカウンターもついてたりしてちょっとしたリゾート気分にひたれるな。お風呂も猫足バスでレトロなタイルが貼ってあり、なかなか凝っていた。よかった貝殻のベットなんかじゃなくて……あ、それはそれで面白いかな。
「龍ちゃん、お風呂ちゃんとはいったら? 起きてよ」
あたしは軽く揺さぶってみた。おおーい、龍次郎ー。ちょいちょい。
「わあ!」
かなりびっくりした。龍ちゃんが飛び起きたから。キョロキョロしながら起き上がる。
「だ、大丈夫? ごめん、びっくりさせて」
あたしは龍ちゃんに近づいた。
「ああ、大丈夫や。えーと、そやな、風呂はいってくるわ」
なんだかそそくさとお風呂にいってしまった。ザアーっとさっきの雨のようなシャワーの音がする。ちょっとポカンとしてしまったけど笑いがこみ上げてきた。
なあんだ、龍ちゃんも緊張してるんだ。ちょっと面白いかも。あんなの見たことない。
電気ポットのお湯をカップに入れて、インスタントコーヒーを溶かした。ミルクもいれてかきまぜる。
BGMのチャンネルがたくさんあっていろんな音を試しながら楽しんでいた。横を見るとマッサージチェアみたいな椅子がある。もちろん座る。
おおっ! これはBGMのリズムと連動して振動する。おもしろーい、ボディソニックってやつね。南国のわけのわからないサンバにあわせて遊んでいた。
龍ちゃんがお風呂からあがったみたい。あたしはあいかわらずチャンネルをいじくりまわしてボディソニックを堪能していた。龍ちゃんにもコーヒーをいれてあげよう。あ、来た来た。
「はい、コーヒー。砂糖とミルクは?」
あたしはカップを手渡した。
「ああ、ありがと。ブラックでええよ」
コーヒーを渡しながらソファへ座ったら、龍ちゃんは立ち上がってTシャツと作業ズボンを籐の椅子に広げたりしてる。
なんていうか……あんまりあたしを見ないようにしてるって感じがワカル。
「そんなに逃げ回らなくてもいいじゃん。襲わないから」
あたしは少しふくれて声をかけてみた。
「あたりまえや。女に襲われるなんていやや」
何言ってるんだか……。背中をみせたままゴソゴソしてる。
「じゃ、襲って」
龍ちゃんはパッと振り向きあたしを見た。あたしは手をひらひらさせて、おいでおいでをした。
「あほか。こんな時にそんなこというな」
目をふせて唇を噛んでいる。
「ふーん、じゃあ、いいですよーだ」
自分の手の爪を見つめながら投げやりな感じで言った。
龍ちゃんはツカツカとやってきてソファにストンと腰を落とし、あたしをキロっと見た。
「さっきは心配したんやで。そういう言い方しなくてもいいんちゃう?」
あたしはじいっと龍ちゃんの目を見た。少しづつ視線をそらしてゴメンナサイと言ってソファの上で膝を抱えて丸くなった。
龍ちゃんは少し怒った顔でコーヒーを飲んでる。あたしも膝を抱えたまま黙って座ってた。
二人とも黙ったままでやけに明るい南国のリズムだけが部屋に漂う。あたしと龍ちゃんの距離は30センチくらい。その距離がまた微妙に気まずい。
「彼氏が心配するとあかんから、帰ろか?」
「ヤダよ、まだ服乾いてないし。それに仕事忙しくて今夜も帰って来ないし」
あたしは龍ちゃんのほうを見ないで答える。膝を抱く手に力が入る。なんだかせつなくなってきた。龍ちゃんはソファに深く腰掛けてまた黙ってしまった。
「ごめんね。あたしとこんな所に来たくて来たわけじゃないんだしね」
思わず口をついて変な台詞がでちゃった。
「七海だったらよかったかもね」
自分でもおかしい事を言ってると思う。龍ちゃんは何も言わない。そっと顔を見てみた。ソファにもたれて目をつぶってる。あたしは急に立ち上がって自分の服をとりに行く。触るとまだ湿っぽかった。
「帰ろうよ……もう服なんか濡れててもいいから」
龍ちゃんに背をむけたままキャミソールをパンパンと叩いた。
「ボクかて……」
あたしは濡れたジーンズを乱暴に広げる。
「ボクかてどうしたらええかわからん……」
龍ちゃんの言葉が聞こえて、あたしは振り向いた。ジーンズを持ったまま動かない。
龍ちゃんも口を結んだままそれっきり何も言わない。サンバのリズムだけがその空間を横切って行く。
「ねえ、龍ちゃん、服が乾くまで一緒にいてくれる?」
あたしはジーンズを干しなおして聞いてみた。龍ちゃんはやっと顔をあげてあたしを見る。
「……うん」
「お願いがあるの」
「なに?」
「服が乾くまで、添い寝してほしいな」
龍ちゃんは視線をはずして首を少し斜めにして……考えてるみたい。
しばらくして、返事をしないでソファから立ち上がりベットに転がった。横になって片腕を伸ばしてポンポンと叩き、ハイドーゾって言いながらあたしを見る。
さっきまでの顔とは違って優しい顔してる。あたしは近寄ってお邪魔しますって小さい声で言って隣に寝そべった。龍ちゃんの腕を枕にして。
「ちょっと腕借りるね」
コロンと横になって目を閉じた。
「ええよ。高いで?」
龍ちゃんの声には笑いが混じってる。あたしもつられて笑う。
「しっかし…パジャマみたいなコレ……ブカブカやなあ。どこの子かと思ったわ」
「しょうがないでしょ、規格外なんだから。龍ちゃんだってちょっと短いじゃん」
「ああ、ボクも規格外なんかなあ。セクシーやろ? 短くて」
おかしくて笑った。ふわっと石鹸とまざって龍ちゃんの匂いがする。
「やっぱり少しドキドキするね」
「そうやね」
「もう少し近づいてもいい?」
「ん〜……いやや」
笑ってる。見上げたらあごの先からひげが見えた。
「ホントに少し眠ってもいい?」
「うん」
あたしはルームライトを小さくした。BGMを波の音にかえて龍ちゃんの胸に顔をくっつけてみた。トクトクトク……心臓の音がする。生きてる音。
「わあ、ちょ、あんまりくっつかんといて」
あたしは聞こえないふりをしてもっとくっついた。
龍ちゃんはなんにも言わない。その変わりに少しゴソゴソ動いて体制をかえてきゅうっと抱きしめるような形になって、あたしの背中をそっと撫でてくれた。波の音と龍ちゃんの心臓の音を聞いてたら、本当に眠くなってきた。
いつのまか二人で丸い形になって眠っていた。
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