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無駄に長い説明文になってます。苦手な方は、読まれない方がいいかも知れません。
鏡界線
作:月城 柚


箱の中の猫。生きているのか、死んでいるのか、誰にも分からないシュレディンガー方程式。
青酸ガスを、猫を入れた箱に注入した場合、果たしてどの様な状態になるものか。








「どうなると思う?」
「いや……お前、何を言ってんだ?バカじゃねぇのか?」
ガラス張りのテーブルには、手作りのクッキーが大きな皿に乗せられていて、七〇度という適温で煎れられた紅茶が二つ置かれていた。
部屋は、女の子の部屋とは思えない程、無機質な印象だ。安っぽいパイプの簡易ベッドに、小さな本棚。カーテンは薄汚れた白い布という感じで、化粧台すらない。
ただ、テーブルの上――クッキーの乗った皿の隣に、可愛らしいピンクの鏡が置いてあるだけだ。
「だから、箱の中の猫はどうなったでしょう?って聞いてんのよ」
「どうなったも何も……青酸ガスなんか注入したら死んじまうんじゃねぇの?」
「それ。アンタは不正解。素人が陥りがちな罠にまんまと引っかかったわね」
「……はぁ?」
意味が分からないと言わんばかりに訝しむが、紅茶を一口飲み、話を続ける。
「私は、箱がどのくらいの大きさだとか、青酸ガスをどのくらい注入したとか、一言も言ってないでしょ。アンタは『猫を入れる箱』という抽象的な言葉を『猫が入れる小さな箱』と連想したでしょ。でも本当はコンテナかも知れない」
「……いや。それ、卑怯だろ」
「ふむ。まずはアンタには、シュレディンガーの猫って話から教えないといけないわね」
ため息を吐き、本棚から一冊の本を取り出す。
「さて、この本の中身は何でしょう?」
「……いや。中身は知らないけど、少女マンガだろ、それ」
「実はこの本、少年マンガの上に少女マンガのカバーを被せただけよ」
「……?何だって、そんな面倒な事を?」
「これがシュレディンガー方程式。じゃあ聞くけど、この本の中身は何でしょう?」
「さっき少年マンガって言ったじゃん」
呆れながら、クッキーを一つ頬張りながら、紅茶をすする。
「私が嘘をついている可能性は?」
極めて真剣に、先程までの茶化す様な口調を一切なくした言葉を聞いて、思わず息を呑む。その双眸は爛々と輝いている。
「シュレディンガー方程式ってのは、無数の確立理論を明確かつ曖昧にしたものなの。何が謎なのかは分かっているのに、どういう謎なのか、アンタは分からないでしょ」
そう言いながら、手にした本の、少女マンガのカバーを外す。その下には、カバーと同じ少女マンガのタイトルが書かれていた。
「さっきまで、この本の中身は少女マンガである可能性が五〇%、少年マンガである可能性が五〇%だった。私がカバーを外して、実際の『結果』を出した事で、少女マンガである可能性が一〇〇%になっただけの話よ」
一呼吸置き、左目を瞑りながら、
「箱の中の猫が生きているのか死んでいるのか、蓋を開けてみないと分からない……って話に似てるでしょ」
青酸ガスが『虚偽』に、生死が『マンガの中身』にすり替わっただけで、結局は同じ事だ。思わず押し黙って仕舞う。
「私はね。実はこの話、多重人格にも適用する話だと思うの」
「……どういう意味?」
「どっちが、またはどれが表の人格かしらって意味」
含み笑いながら、クッキーに手を伸ばす。
「多重人格って聞いたら、マンガみたいに性格が切り替わるものだと思ってるでしょ?」
「……違うのか?」
「それはカイリ性同一障害という精神病よ。実際には、他に統合失調症ってのがあるワケ」
カイリ性同一障害が『精神の一方通行』であるなら、統合失調症は『精神の複雑混線』だと言う。
例えば、完全に人格が切り替わるのとはまた別に、人格が二つ同時に表に出る可能性がある。その場合、疾患患者は気付かずない事があるのだとか。
「本人の意思とは別に、右手が勝手に文字を書き始める、なんて話もあるワケよ。これが統合失調症。でも、これは『表』と『裏』がハッキリしているから、まぁ話の本題とは無関係ね。今は、マンガみたいに人格が切り替わる方を想像して」
ふむ、と嘆息を吐きながら、すっかり冷めて仕舞った紅茶に手を伸ばす。
話は続く。
「どちらが表で、どちらが裏か。それは本人すらも自覚できない」
「いや、多重人格っつっても、ガキの頃からの性格が表だろ、どう考えても。精神的なショックとかで、心の防衛本能が新たな精神を作るんだろ?だったら後に生まれたそっちが裏だろ」
「一概にそうとは言わないわよ、私は。表だと思っている方が実は後に生まれた裏で、本来表であるべき人格が引っ込んだら、それは裏になり得る」
「……ごめん、もっと分かりやすく頼む」
「だからようするに、いくら表だからって表に出る回数が少なくなって、裏の方がずっと表に出てたらどうなんのよって話よ!」
「そりゃあ……あれ?ん……その場合、どっちが表になるんだ?」
「でしょ。コペルニクスやガリレイが地動説を唱えた事は有名で、こっちが表と考える人が多いかもだけど、実際にはアリスタルコスが始めに唱えてる。『後』の事象が『表』に出てくる事なんて、この世には腐る程あるのよ」
ポストホーク・エルゴ・プロプテルホーク(事のあとに、故に、事のせいに)。
つまりは、それは箱の中の猫の様に、明確な謎であると同時に、曖昧な謎でもある。
「……ね。だからさ、つまり、世の中の全てはあらゆるものの狭間なのよ。『どちら』と『どちら』が『どれくらい』『どの様』に『どうなってる』か、なんて誰にも分からない」
まるで、電子鏡(ミクロ)顕微鏡(マクロ)の様に。
まるで、混沌(ケイオス)秩序(コスモス)の様に。
……だから、と続ける。
「私の世界もそう。全ての狭間が、境界線が、ボーダーラインがハッキリしない。だから、ちょっと聞きたいのよ」
テーブルの上に置かれた、一つの小さな鏡。そこに映し出されている『少女』は、鏡に向かってこう呟いた。




「私とアンタは、どっちが『表』なのかしら?」




二つ以上の人格が混線する、統合失調症。
二つの紅茶は、既に冷めきっていて、




「俺にも分からねぇよ」




鏡に映し出されている少女は、鏡に向かって吐き捨てた。


かなりメタな短編で申し訳ないです。何となく思い付きを形にしてみただけですので、どうか寛大な心を持って赦して下さいませ。
最後まで読んだ方は、タイトルの意味が分かると思います。まぁ、後書き(ここ)を読んでいるという事は、最後まで読んで下さったのでしょうが。













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