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ある推理作家の逆襲

作者:高山直
爽やかな読後感とはかけ離れています。拙作は高山の他作品のようなコメディ要素はありませんのでご注意ください。
また、作品中にSFを批判する描写がありますが、あくまでフィクションの中の設定、表現ですのでご容赦ください。
「こんな世界は、たくさんだ!」

 原稿用紙を縦に切り裂き、男は慟哭した。
 仕事道具であり宝でもある自身の万年筆を折り、卓子上を散乱する資料を強引に床へ落とし、書棚から引きづり出した過去の偉人たちの著作ミステリを踏み付け、あらん限りの語彙で罵倒する。
 息継ぎも満足にしないまま罵倒の限りを尽くした男は、ついで、まるで糸がプツンと切れたようにその場に座り込み、だんまりと虚空を睨む。そのまま微動だにしないが、よく見ると、ひゅーひゅーと痰が絡んだ呼吸を繰り返し、喉仏が動いていた。
 男の体はガリガリに痩せ細り、節くれ立った指にはペンだこが見られ、爪は割れて血が一筋流れている。ぽたり、ぽたりと雫が落ちるのに合わせ、落ち窪んだ目はゆっくりと瞬いていた。土気色の男の顔は、歳に見合わぬしわが深く刻まれていて、黄ばんだ眼は澱んでいる。その瞳に映るものは、過去の憧憬か、現在の絶望か。確実に言えることは、そこには未来への展望は何一つ見受けられないことである。
 男は、推理作家であった。
 二十世紀前後には、華々しく花開いていたその文学は、今では過去の遺物と化した。しかしながら、昨今の生活形態を鑑みればそれは極めて当然のことであり、時流に則った結果である。いや、則るなどと主体的に述べれば齟齬そごをきたしかねない。より客観的に、第三者として述べるなら、推理小説ミステリノベルが世に出回らなくなった理由は、ひとえに需要がなくなったからに他ならない。
 ――需要がない。
 ニーズがない。必要ない。いらない。不要不必要遺物ごみ。どんな言い方をしたところで、突き詰めればただただそれだけの理由。そしてそこまで墜ちたのは、科学が長らく続いた常識を超え、急速に進化を遂げたから。
 男は数年日の光を浴びていないが、ひとたび足を踏み出せば、再び絶望の底に突き落とされるだろう。
 人々は地下にシェルターホームを作り、そこで生活するようになったため、地上は人工的に植林された木々が鬱蒼と生い茂っている。
 そして整然と区画され、整備された道を、人々は自動操縦車で進むのだ。
 彼らは既に、自分の手を、足を、体を必要としていない。進んだ科学は人間の肉体を甘やかした。しかし筋力が衰えることはない。同時に発達した医療科学は、健康を一部の隙もなく、徹底的に管理した食事法を編み出した。
 これが解決した。では次はどうだろう。これに懸念がある。こうすればいい。さて次は。
 そうして科学の成果は連鎖していき、ついには“超能力”さえも実現可能な“能力”にまで引き下げた。
 “超能力”が、現実世界リアルに顕在してしまったのである。
 それは推理作家にとって、言うまでもなく致命的な欠陥である。 禁忌タブーである双子トリックの比ではない。Aにはアリバイがある。しかしそれは実は双子のBだった、ではなく、実はAが分裂して創り出したA′だった、がまかり通る世界になってしまったのである。
 密室トリック? 犯人は壁をすり抜けられたのさ。外傷がない? 誰もが武器を持たずとも相手を死に至らしめる道具かがくに囲まれて生きているのに何を言う。ダイイングメッセージ? そもそも被害者が見たのは本当に犯人の姿なのか。整形外科に頼らずとも、好きに外見をいじれるこの世で。
 ミステリと言っても、怪奇小説ではなく推理小説である。不可欠な前提条件は、超自然ではなく常識的な現実リアル。推理小説はSF論に発展してはならないのだ。
 では、現実がSFと合致してしまったら、推理小説はどこに帰着するのだろう。
 答えは『行き場はない』。
前提条件を失ったものは、存在ごと消えるしかない。足場が崩れた地面に城を築いたところで、瓦解するのは目に見えている。“超能力”が発現した時点で、推理小説の命は絶たれた。残滓は過去の名作――それこそ、男が最も好んだ時代である二十一世紀においても傑作とされていた著書の数々を残していた、クリスティ女史やダネイ氏、小栗虫太郎に横溝正史といった、探偵小説を好まなくとも、誰もが知る偉人たちの作品のみである。そしてまた、彼らの作品は古典文学としての歴史価値と、教養の一環としての価値を持ちこそすれ、もともと内在していたはずの、“ミステリ”本来の価値は見出されなくなってしまった。
 彼らの作品でさえその扱いなのである。いわんや現代を生きる男の作品をや。わざわざ筆に乗せるべくもないであろう。
 しかし、男はそれでも抗った最後の一人であった。
 まさにちょうど、科学の発展が目覚ましく、奔流のように世界を変えていった時代の転換期を、男は生きていた。
 年々下火になりつつあった推理作家としての立場を投げず、今の今まで現実と向き合っていた、最後の男であった。
 原稿用紙に万年筆。紙の資料に手書きの文書。現代では誰一人として使っていないそれらを愛用してきたのは、はじめは先人たちへの敬意であり、愛であった。しかしそれはいつしか意地や愛着や執着さえも通り越し、もはや執念、妄執となっていく。
 男は何人も人を殺した。紙の上で、誰も知らないヒトビトを生み出し、そして自らの手でひっそりと屠ってきた。一歩外に出れば嘲笑われる、そんな旧世界の常識の中で、男はヒトビトを殺し、推理し、解決してきた。インモラルもアンモラルも、正道も邪道も、本格ミステリも新本格ミステリも、叙述トリックさえも取り入れることに躊躇いはなかったが、“超現実”だけは排除した。たとえ外の世界では“超現実”が“現実”であろうが、“超能力者”が闊歩しているのが“常識”であろうが関係ない。
 男は一人、完結した世界で狂ったように机に向かう。カリカリと、万年筆が原稿用紙を削る音だけを暗い部屋に響かせて、書いて、書いて、書いて、書いて、ただひたすらに筆を起こした。
 そして――

「もう嫌だ。こんな世界は嫌だ。何が推理作家だ。読者もいないのに何が作家だ。ああ嫌だ。いやだ、いやだ。こんな世界はうんざりだ」

 座り込んでいた男は、書棚を頼りにずるずると立ち上がる。充血した目には、先ほどの澱んだ闇は見られない。かわりに焦点の合わない瞳はどこか狂気を孕んでいて、大部分が曇った鏡に映る瞳は、反射のせいかぎらぎらと光っていた。
 男は哄笑した。ガラガラの声で、ぜぇぜぇと荒い息を吐きながら。

「どうしたら推理小説の素晴らしさを分かってもらえる? そうだ、“超能力”などあるからいけないのだ。そんな馬鹿馬鹿しいものに頼るからいけないのだ。ではどうする? いらないものは排除すればいい。なくせばいい。なかったことにすればいい。……ああ、なら、いなくなればいい。無駄な科学を装備した“超能力者”など、消えてしまえばいいのだ」

 男は推理作家“だった”。しかし推理小説の肝というべき『トリック』を作る才能は、決して失われてはいなかった。
 男は思考する。新しい原稿用紙を取り出し、新しい万年筆をおろし、ゆっくりと机に向かい、黙々とトリックを練り始める。
 さて、主人公は決まっている。探偵ではない。犯人わたしだ。被害者は誰だ? “超能力”に頼る者。しかし半端な数ではない。いったい犯人はどのように彼らを殺す? 一人二人の話ではない。全てを排除しなければ意味がない。さて、まずは――






 数か月後、世界は一人の男を除いて死に絶えた。“犯人”は目的を果たした。あとは“探偵”が事件を解くのを待つのみ。しかし、待てども待てども解決編への章へは移動しない。男は思考する。さて、何が問題なのだろう。
 犯人と被害者。全人類をそのキャストに割り当て、探偵枠を残さなかったことに男が気付くのは、いったいいつになるだろう。
 いや、それ以前に。
 『たった一人を除いた全人類を殺すことなど、紙面の上での話でなければ、どんなとんでもないトリックを使ったところで不可能であること』――それを男が自覚する日は、来るのであろうか。
 そう、旧世界の“常識”では、不可能なのだ。
 それこそ、男が忌み嫌い、推理小説ではあり得ない“トリック”である“超能力”でも使わない限り。

 男は微笑む。やつれた面に、心の底からの歓喜を乗せて。

 さあ、誰も見たことがないスペクタクル。問題編はこれにてお仕舞い。あとは探偵の登場を待つだけだ。これ程の難題、解くには時間がかかるだろう。なぁに、その頃にはみんな推理小説の魅力に気付くはずだ。それまで一眠りしておくか。犯人わたしは往生際悪く足掻いたり、悲嘆に暮れて探偵の前で膝をついたりしない。堂々と面を上げて立ち去ろう。

 そして、男は目を閉じた。
SF=推理作家のフラストレーション

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