挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
Clump,Clump 作者:モロクっち

第1章 11月17日

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

3/29

〔2〕

 

 
 辺りの道を照らすのは、古いガス燈と新しい電灯の二種類だ。あと数年もすれば、街灯のすべてが電灯に切り替わるらしい。
 歩きながら、ネイダが口をすこしすぼめて、ほーっと温かい息を吐いた。ガス燈に照らし出されたネイダの息は、すこしだけ、白く色づいていた。
 それを見たとたん、ソロは意識していなかった寒さを感じ、軽く肩をすくめた。
「寒くなってきたな」
「ね」
「ここじゃ、あんまり雪が降らないよな」
「ソロ、雪好き?」
「いや。冬は苦手だよ」
「……第二ウェンガンは、あったかいとこだった?」
 ソロは足を止めた。かたわらを見下ろしてみると、ネイダが自分の顔を見上げていた。
 その顔には、えも言われぬ不安が張り付いていた。子供がこんな顔をして、いいはずはない。ソロは漠然とそう感じた。
 町の治安は悪化の一途をたどっているそうだが、そんな町でも、子供はいつでも明るく笑っていてほしいものだ――家庭を持ちたいと思ったことはめったにないのに、ソロの胸にはそんな願望が浮かんできた。
「空気がジメジメしてたよ。海沿いだからかな、なんだか身体中ベタベタするしさ。そんなに過ごしやすくはなかった。ここのほうが快適だ」
「第二ウェンガン、嫌いだったのね」
 ネイダの返しに、ソロは苦笑いした。
「いい思い出もあるさ。文句言いながら、5年も住んでたからな」
「じゃ、どうしてここに来たの?」
「女にフラれたんだよ」
 ネイダがぎこちない笑みを浮かべた。
 笑っていいのか悪いのか、わからなかったのだろう。その理由が本当なのかどうかもまた、わからなかったはずだ。
 しかし、第二ウェンガンと言えば……、さっきネイダが興奮して口走っていたことは何なのだろう。彼女は、かの港町が「なくなった」と言ったのだ。
 ソロはそれについて話したかったが、ネイダが次に話題に持ち出したのは、町ではなく、ソロ自身についてだった。
「ソロって……〈ヴォーパル〉なんでしょ? わたし、聞いたの」
 ソロは言葉に詰まった。ネイダがぴくりと身体を強張らせたのがわかる。つい、目つきがするどくなってしまったのだ。
「どこでそれを聞いたんだ?」
「な、なんでもいいじゃない。そんなこと。わたし、ヴォーパルが嫌いな人間じゃないよ。なんか都合でも悪いの?」
 ――そうだ。何を警戒してるんだよ、俺は。〈ヴォーパル〉は犯罪者じゃない。俺はお尋ね者じゃないんだよ……人間の社会じゃあな。
 ソロは、努めて平静を取り戻した。少女をいたずらに怯えさせてしまったことに、罪悪感をおぼえる。
「いや。話したくないなら、いいんだ」
「じゃあ……、ソロ。もしここにスナッチが来ても、退治してくれる?」
 ネイダは、大きな薄緑色の目で、じっとソロの目を覗きこんできた。
「そうだな。よっぽどデカくなけりゃ大丈夫だ」
 上着の内側を見せる。この界隈は物騒なので、護身用として安物の拳銃を携帯していた。
 先週ネイダを助けられたのも、この銃のおかげだ。しかし、ネイダの不安を、すべて拭い去られたわけではなさそうだ。ネイダはちいさく頷いたが、表情は硬いままだった。
 よっぽど大きな怪物でなければ、撃退できる。
 でも、もし襲ってきた怪物が、あまりにも巨大だったら?
 馬鹿げた懸念だ。だが、無邪気な子供なら、そんな不安を抱いても何もおかしくはない。
 無人トラムが、レールの上を走る音が聞こえる。トラム乗り場はすぐそこだ。ソロがついていくのは、いつも、ここまでだった。
 ネイダがどこに住んでいるのかは知らない。目的の降車場で降りたあと、自宅までネイダが徒歩で帰るのならば、その間も護衛が必要だと考えるのが自然だ。
 しかしネイダはここまででいいと言い張るのだ。べつの男が、降車場で待っているのだろうか。
「お休みなら、明日は会えないね」
「だから、もう来るなって。この辺、夜は危ないんだ。わかるだろ?」
「わたし、いろんな人と話がしたいの。勉強中なんだよ。だからソロにも協力してほしくて」
「協力ってのは他人(ひと)に強要するもんじゃねえ」
 大きな通りに出た。深夜だが、ちらほらと人影もある。ガス燈はなりをひそめ、明るい電灯の球状の光が、鉄と銅でできた建物の列と、アスファルトの道を照らしていた。
 トラムのレールは車道の上で、硬質な光を放っている。無人トラムはレールから電力を供給しているのだ。人が踏まないように、夜はレールそのものが淡く発光している。
 もっとも、電気がそこら中を駆けめぐる第五ワンダーランドでは、厚いゴム底の靴が義務づけられているので、トラムのレールで感電する人間はまれだった。犠牲者は、履く靴にもこまるようなホームレスや、野良猫くらいのものだ。
「ねえ。お店に通うのがダメなら、どこかで会ってよ。そうだ、明日お休みなんでしょ? だったら、危なくないところでランチとか!」
 ネイダがそんなことを言い出すのは初めてだった。ネイダに対して特別な好意を寄せているわけではないのに、ソロはちょっと動揺した。
「それ、デートに誘ってるってことになるぞ」
「え!? そんなつもりじゃないのに」
「お前にそんなつもりがなくても、男ならみんな勘違いするとこだ。もうすこし言動に気をつけろ。あと、服装もだ。寒くねえのかその足は。女は足と腹冷やすとよくねえんだってよ。……おい、聞いてんのか」
「聞こえてるよ。ソロ、なんだか先生みたい。……実際、先生か。いろんなこと教えてもらってるもんね」
 ネイダが微笑んだ。年相応のようにも、大人びているようにも見える笑みだった。不可思議なくらい、印象深い微笑だ。
 突然、この娘はいったい何者なのだろう、という今さらな疑問が、ソロの中に沸き起こった。
 自分は知らず彼女にいろいろと教授しているらしいが、思えば彼女は自分のことをほとんど明かさない。自分と同じように。
 今までの会話から、かなりのおばあちゃん子であることだけはわかっている。だが……その程度だ。
 デートの誘いを突っぱねたいのはやまやまだが、謎は謎のままになってしまう。自分がつきまとわれている原因にすこしでも近づかなければ、いつまでも状況は変わらない。
 今までさんざん突き放してきたが、とうとうソロも折れるときがきてしまったようだ。
 どうしてここまでこの少女が自分に興味を示すのか、知りたくなっている。
 ――ネイダ。お前の勝ちだ。
「わかったよ。明日、いっしょに昼メシ食おう」
「ホントに!? うれしい、ありがとう! ねぇ、どこでなに食べる?」
「お前の行きたいとこでいいよ」
「ソロは何が好き?」
「ピーナッツバター」
「そーゆー冗談はいいから。ソロっていっつも何食べてるの?」
「パンにピーナッツバター塗ったやつ」
「もう! わたし、真剣に聞いてるのにッ」
 ネイダはわりと本気で怒っているように見えた。
 が、ソロとしても心外だ。彼は正直に質問に答えていた。
 ピーナッツバターは大の好物だし、毎朝「パンにピーナッツバターを塗ったやつ」を食べている。コーヒーをお供に、他人が見ればあきれるほどの量を。
 甲高いベルの音が聞こえ、視界が明るくなった。いつもネイダが乗るトラムが乗車場に近づきつつある。中央ブロック行きの最終便。
「待ち合わせをしないとな。じゃ、明日の10時半に、西ブロック1丁目の赤ハブ前だ」
 早口で強引に、ソロは待ち合わせ場所を指定した。すぐに思い浮かんだわかりやすい場所を行っただけで、ネイダが知っているかどうかも、時間に都合がつくかの確認も取らなかった。
 赤ハブとは、西ブロックのトラムのターミナルだ。大きな待合所なので人通りも多い。南出口には煙草会社の赤い看板が掲げられていて、通称『赤ハブ』と呼ばれていた。
 赤ハブ前での待ち合わせは、西ブロックの住人にとってごく一般的だ。
「10時半に赤ハブ前。うん、わかった」
 幸い、ネイダも知っていたようだ。大きな目を嬉しそうにかがやかせて、うんうんと何度も頷く。
 トラムはすでに停車していた。運転手がちらちらとこちらの様子をうかがっている。早く出発して、今日の業務を終わらせたいらしい。
 ネイダもその視線に気づき、あたふたとトラムに駆け込んだ。
「約束だからね!」
 危なっかしくも乗車口から身を乗り出し、大きく手を振って、ネイダは叫んだ。
 ソロはどんな表情がふさわしいかわからないまま、軽く手を上げて彼女を見送った。
 するどい汽笛が鳴り、トラムが動き始める。乗客の姿はまばらだった。
 トラムが見えなくなってから、ソロは煙草を取り出し、火をつけた。
「デートの約束、か。何ヶ月ぶりだろうな」
 それから、背をすぼめて、ひとり歩き出す。急に、寒さが厳しくなったような気がした。

 

 もうずいぶんと昔から、ヴォード大陸には危険な怪物がはびこっていた。
 海の向こうの大陸や島国にも現れるらしいので、恐らくやつらは全世界に分布しているのだろう。
 ヴォード大陸では、人びとはその怪物どもを〈スナッチ〉と呼んで忌み嫌い、また、恐れていた。
 スナッチは何でも喰ってしまう。犬も猫も鳥も豚も、もちろん人間も。ときには、石や鉄まで喰ってしまう。ありとあらゆるものを、世界から奪っていく。
 人間や動物にとっては都合の悪いことに、どうやら石や鉄よりも肉のほうがはるかにうまいらしく、地面だけを食べて過ごしてくれるスナッチはいない。無機物を食べるのは、よほど切羽詰まったときだけのようだ。
 そして、そのおぞましい食事のたびに姿を変える。――いや、喰うたびにやつらは進化する、と学者たちは言っている。だから、ひとつとして同じ姿の個体はない。
 それは人間にも動物にも言えることだが、やつらの個体同士の姿はあまりにもかけ離れている。スナッチ、たったひとつのその名前でくくっていいのかわからないほどに。
 やつらすべてに共通するもの、それは気配だけだ。
 しかし、その共通点こそが、まごうことなきスナッチの証だった。きっと、人間の本能が、やつらを『天敵』と認識できるのだ。
 さらに厄介かつ始末に負えないものは、やつらの血肉そのものだった。やたらと数が多いので、しとめたのちは食糧にできればすこしは人類の役に立つだろうに、やつらを食べるとほぼ確実に中る。
 傷口にやつらの血が大量に入れば、重い感染症にかかってしまう。
 血肉から毒らしきものは検出されていないのだが、どうやらいかなる動物の胃袋も満たせないようだ。スナッチの死骸には、ハイエナさえ見向きもしない。
 そんな百害あって一利もないスナッチどもを狩り殺す人間は、いつしか〈ヴォーパル〉と呼ばれるようになった。
 ヴォード大陸には、〈ジャバウォッキー〉なる難解な古詩が伝わっている。魔獣ジャバウォックをひとりの男が倒すという内容だ。伝承では、魔獣を仕留めた剣の名が、ヴォーパルであるとされている。
 度胸さえあれば、誰でもヴォーパルになれた。
 だが、生き残れるのは、それなりに技量と運と身体能力を持つ者だけ。戦争に使われる軍人と同じだ。
 ヴォーパルの多くはひとところにとどまらない。ヴォード大陸をあてもなく放浪し、立ち寄った町や村で依頼を受けて、または道すがらの成り行きで、スナッチを駆除していた。
 なぜ、流れ流れているのか。
 それは、必要に迫られるからだ。
 一匹でもスナッチを殺すと、生涯、スナッチに追われ続けるはめになる。スナッチはどうやら種族意識が強いようで、同胞の恨みを晴らしたがるものらしい。らしい、というのは、スナッチと人間が意思疎通できたためしがないからだ。
 なぜスナッチを殺せばスナッチに狙われるのか、なぜスナッチが同胞殺しを見分けられるのかは、今のところ、よくわかっていない。
 身体や服を洗っても、スナッチを殺したときに飛び散る血や分泌物の匂いは消えないのではないか、という説が有力だった。
 しかし、たまたまその場に居合わせただけで、偶然血を浴びただけの一般人は、なぜだか恨まれないようなのだ。結局、有力的な『匂い説』にも謎は残っている。
 立ち寄った小さな集落でスナッチ狩りを終え、慰労会を開いているところを襲撃されて、結局集落ごと喰われてしまったヴォーパルの話など、枚挙にいとまがない。
 そのため、命の恩人にもかかわらず、ヴォーパルは用が済めば集落から追い出されるのが常だ。
 もっとも、すべてのヴォーパルはそんなリスクなど承知の上だった。必要に迫られ、覚悟を決め、ときどき後悔することはあっても、皆自らヴォーパルになる。ヴォーパルの誰もが、生きるためにこの道を選ぶのだ。
 それに、武力を擁した大きな町ならば、ヴォーパルの宿命が疎まれることは少ない。町によってはヴォーパルの定住を歓迎するところもある。
 強固な壁や重火器で護りを固めていれば、スナッチも寄りつけず、報復のしようがないからだ。
〈ヴォーパル〉ソロもまた、大陸を転々としてきた。
 どこをどう通って生きてきたか、どこで誰のために戦ってきたか、もはやほとんどが忘却の彼方だ。
 彼は忘れるのが得意だった。忘れよう、と思ったことを本当に忘れられるのだ。
 だから……自分がどこで生まれたのか、自分がいったい何歳なのか、そもそもソロという名前は本名なのか、彼自身にも、もう真実はわからない。なかば記憶喪失であった。「忘れよう」と思ったことすら、忘れてしまえるらしい。
 だから、誰に年齢を聞かれても、曖昧にしか答えられなかった。
 町から町へ、村から村へ。流れているうち、見ず知らずの人間から、親しげに話しかけられたこともある。
 けれどソロは、彼らのことを覚えていない。まったくの初対面としか思えない。
 だから彼は、いつも、誰にでも、ぶっきらぼうな印象を与えがちだった。ただでさえ、長い前髪に隠された目つきは、人当たりのよいものではないのに。
 ただし、ここ数年の足跡は、わりと安定している。ソロも、自分自身の生活のひとつひとつを、ちゃんと覚えていた。
 第二ウェンガンで5年暮らし、その後流れ着いた第五ワンダーランドで2年暮らしている。いずれも、ヴォーパルには寛容な都市だ。
 特に第五ワンダーランドは、大陸でも屈指の武力を誇る、コンクリート製の城壁に囲まれた古都だった。正規軍の中には、精鋭のヴォーパルだけで構成された一個師団があるそうだ。
 第二ウェンガンでも第五ワンダーランドでも、町中でスナッチが目撃されたことは一度もない。町の壁際で、常に誰かがスナッチを退けているからだ。
 賑やかな日中には皆ほとんど意識しないが、夜になって雑踏がなりをひそめると、町の郊外から『音』が聞こえてくる。
 電動アシストの大砲や機銃が火を噴く音。スナッチが弾け飛ぶ音。
 夜になって初めて、人びとはヴォーパルや町の技術の有り難みを知る。
 そして、自分たちの生がいかに脆いものであるかを思い知るのだ。
 飢えた怪物は、いつでも自分たちののどもとで牙と爪を光らせている。

 

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ