猫
大陸中央を幅広く埋めている砂漠は、宵の口に最も過ごしやすい気温になる。僕とナナスは太陽の沈んだ地平線を目指して、歩を進めていた。
犬に姿を変えて隣を歩くいるナナスが、足を止め宙を睨み唸った。
「どうかしたのかい。ナナス?」
「嫌な気配だ。此方へ近づいて来ておる」
苦々しくうめくナナスの視線を追う。宙には夜に差し掛かった群青色の空が有るばかりで、鳥一匹飛んではいない。
つかんだ気配は、危険なものではないようだ。ナナスはあまり緊張していない。僕も周りに意識を拡げ、よくよく探ってみた。そして見知った気配に辿り着いた。
と、同時に何もない宙から、黒い塊がズルリと地面に落ちてくる。それに僕は声をかけた。
「久しぶりだねクロさん」
地面に降りた黒い塊は黒い猫。短毛の艶やかな漆黒の毛に、同じ色のくりっとした目の猫は、この世ではありえない全てが黒い猫だった。
「久しぶり。魔法使い」
猫の口から舌足らずな、子供のような声が発せられた。丸い目が僕を見て、微かに笑うように口を動かし、それからナナスを見る。
「相変わらず無愛想な犬だね。挨拶くらいしたら?」
「フンッ、何故ワシからおぬしに挨拶せねばならぬのだ。おぬしこそ相変わらず、目上への態度がなっておらんようだな」
「目上?寝言は寝て言いなよ。君が僕の上だったなんて事、今まであった?」
「貴様こそ、その冗談は笑えぬぞ」
ナナスとクロさんは互いを睨み付け、一歩も譲らない言い合いをする。それはいつもの事だった。顔を会わせれば互いを罵り、放っておくと本格的に喧嘩を始めてしまう。それを避ける為に、早々に止めるようにしていた。
「ところでクロさん。何か用でもあったのかな?こっちにいるのは珍しいんじゃないかい?」
ナナスを押し退けて、小さな黒猫の前にしゃがみこむ。猫の頭はそうしても低い位置にあったが、彼はすぐにフワリと宙に浮き上がり、僕と視線を合わせてきた。
「魔法使いに伝言があってきたんだよ。インドリからね」
「インドリから?なんだろう」
旧知の人物の名前に首をかしげた。インドリとは古い付き合いだけど、もう何十年もの長い時間、会っていなかった。
それどころかインドリの側にいるクロさんが、こうして僕の元へ来ることも、実に珍しい事なのだ。
「魔法使い 君さ最近黒い天使を助けたでしょ?」
「黒い天使って……人格を持って闇に染まった、あの天使の事かな」
「そうだよ。その天使だよ」
少し前に――とはいっても半年くらいは経ってしまっていたけど――出会った天使を思い出す。
はじめ僕は、闇に染まった天使がしている事を、止めようとした。だけど最終的には、彼女を神族から助けた形になってしまっていた。
あれから彼女の姿は見ていないし、彼女が何がしら行動を起こしたという事も感じてはいない。
「何故クロさんがあの天使の事を知っているんだい?」
「あの天使がこっちに来て、インドリと関わりを持っちゃったからさ」
「……なるほど。彼女はそちらでも自分の主義を通したんだね」
「そのとおりだよ」
弱き人間を救うために世界の理を無視し、自分の力を使う天使。彼女の行動は確かにルール違反だったけど、その心は純粋に人間を救いたいというものだった。
おそらく彼女はインドリの住んでいる世界に入り、同じ事をしたのだろう。それでインドリと知り合ったらしい。
「インドリは彼女を……どうにかしようとしたのかな?」
排除と言いかけて止めた。インドリなら殺しはしないだろうから。でもインドリも僕と同じで、彼女の行動を黙認もしないと分かっている。
「追っ払いかけたよ。でも君が関わっているのに気付いたし、何よりインドリがあの子に興味持っちゃたんだ。話しようとした。こういうトコ、インドリの悪いクセだよね」
クロさんに同意できず、咳払いをして先を促した。
「それで?」
「邪魔が入ったよ。神族の」
「なんだって」
「まぁ仕方ないよね。あの子 神族にしっかり目 付けられてたし、少しでも力を使えば見付かるよね」
僕は無言で頷いた。闇で巧妙に隠れられても、神族のネットワークは伊達じゃない。僕でも逃げる時はそれにかかりきりにならなくては、神族から逃げ切るなんて無理なのだ。
「でもって神族もかなり警戒してたみたいだね。あっという間に消されちゃったよ」
「消された!消滅したってことか!」
「そう。インドリが全く手を出せなかったくらい、速業だったよ」
結局彼女は神族に殺された。
闇に染まりきり自我が消えるのもいとうわず、力を使い続ける事を望んだ。それが神族に見付かる事だと分かっていたのに。
やはり神族は彼女を、ただ殺してしまった。
神族にとって世界の理を乱す存在は、あってはならない。それを守る為に。
「でもその神族も、インドリにバッサリやられちゃったけどね」
短い前足を人間がするように組んだ黒猫は、アッサリと剣呑な事を言ってのけた。
「僕と彼女が関わりがあるから、インドリはそれを伝えてくれたのかな?」
「それもあるけど、インドリはもうすぐ動くよ。もう時が満ちたんだって。それに巻き込まれるも、自分で参加するも、去るのも月光の意思だから、先に伝えておくよ、ってさ」
「そう……」
インドリが何を考え、どう動くか。僕はおぼろ気にしかわからない。
でも根底は分かる。
僕は胸に広がった重く鈍い気分を、大きく息をすい吐き出して払った。
「わかった、と伝えてくれるかな」
「うん、いいよ」
クロさんは短く答えてから、僕の後ろで静かに座っていたナナスを一瞥して宙に消えた。
「さてと、少し時間をとってしまったね」
顔を上向かせるとどこまでも在り続けるみたいな、深い夜の空があり、紙に指で空けた穴のような満月がそこに登っていた。
白銀の光を放つ月。夜の象徴で夜の光。
「おぬしはどうするつもりだ」
「ん?」
「インドリの意思に賛同するか。それとも」
「ナナス。僕はね 今まで自分が悔いない選択をしてきた。道は世界が決めても、その時々にある選択は僕がした。まぁ、悔いが全くないとはいえないけどね」
天使を助けた事は後悔してない。天使を逃がした事も。でもやり方はどうだっただろう。
もっと違う、最善があったのではと思う。常に付きまとうどうしようもない自問自答。
それでも僕の来た道は、僕にとっては正しきものなんだと信じたい。
「インドリ様の起こす事に僕がどう関わるかは、世界が示すだろうね」
「……つまりこのまま傍観するという事か。相変わらずだな」
「受け身なのは仕方ないよ。さて しばらくは暢気な旅人では居られなくなるかもね?そうなると」
立ち上がり砂をはらう。黄土色の砂はサラサラと砂漠に落ち、もう見分けはつかなくなった。
大きな流れに巻き込まれる、小さな人間のように。
ナナスも立ち上がり、ブルリと身を震って体から砂を落した。
「お主が暢気な旅人だった事があったのか?ワシは知らなかったぞ」
ナナスに意地悪く混ぜっかえされ、僕は笑った。
終り
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