天の使い
風に乗って香るのは土と鉄の臭い。そして人の血肉の臭い。
僕がその国へ来たのは秋の終わり。そして内戦が始まって半年程経った頃だった。
「血の臭いが濃いのう」
隣を歩く狼に似た白銀の獣が、苦々しく吐き捨てた。
「そうだね……」
同意しながらも僕は違うことを考えていた。この国に近づくにつれて濃くなっていった血の臭い。濃いなんてものじゃなかった。
その臭いしか感じとれない。
胃からせり上がって来る生理的な吐き気を、僕は意識から押し出し、歩き続けた。もう目の前まで城壁は迫って来ている。
「ナナス。嫌なら離れているかい?」
彼の嗅覚は人間の僕は勿論、普通の狼などよりもよっぽど鋭い。濃い血の臭いが彼の鼻を麻痺させてしまっているのではと、僕はこの国に入ってから気になってはいた。
しかし何時もと変わらない様子の相棒に、それを聞くタイミングを失ったままだった。
「このような物騒な国に、おぬし一人をほったらかしにはできぬよ。おぬしはただの人間相手には、極端な程 手出しをせぬからのう」
僕はこちらを見上げるナナスに肩をすくめて、苦笑した。
それから再び城壁を見上げた。かつては美しかっただろう、青石を積んで作られた城壁は、今や土や埃、人の血で黒く汚れていた。
この国は古い王国だった。今では珍しくなった王政をしいていたが、平和な国だと記憶している。
例え王による独裁国で、閉鎖的で、国民が異常なまでも王家を崇拝するように教育が、国民にはそれとはしらされずなされていてもだ。この国には戦はなく、地形の利から他国の侵略も受けなかった。
ただ、他国から取り残されつつあったが。そんなものは外を知らない国民には、どうでもよい事だろう。
僕は城壁にそって歩いた。静かなものだ。人気どころか、カラス一羽いない。乾いた土が乾いた風に吹き上がる様は、余計にもの悲しさを感じさせた。
「なんだい?」
不意にコートの裾を引くナナス。彼は視線だけでそれを僕に教えた。
僕がそちらへ顔をむけた時には、城壁から外れた、崩れかけた建物の影にいた者は、サッと身を潜めたところだった。
「ナナス。影に」
いつも町へ来る時にはしているように、ナナスを僕の影に導こうとしたが、ナナスは動かなかった。
「ナナス?」
「影に入れば何かあった時に、おぬしを護れぬ」
「その心意気は嬉しいけど、ここの人間は君を怖がるよ?こういう状況下だからよけいにね」
「ふんっ。ワシどころか、おぬしも恐怖の対象となろうよ。こんな状況下なのだ」
「それもそうか」
ナナスの指摘に軽く笑った時、城壁から聞こえた音に顔を上げた。
「ナナス。着いて来れるね?」
「ワシに言うておるのか、その言葉は!」
いきなりの僕のセリフに疑問ではなく、苛立ちをみせるナナス。それを了解ととり僕は意識をほんの僅かだけ、集中させた。
視界がすりかわり、周りには濁った空色があり、今まであったものは足元にある。
あの場で誰かが見ていたなら僕は忽然と、消えたように見えただろう。本当は空気の密度と摩擦力を変化させ、僕の身体に加速をつけて上空へ飛んだだけだ。
空の風を使い高度を保ちながら、足元をながめる。すぐそばのナナスの長い尾が、視界に入った。
「軍隊だ」
城門からはき出される規則正しい人の流れは、訓練を受けた軍人達だった。
もしかしたらさっきの人影は、この軍隊を見に来ていた民衆の一人だったのかもしれない。
数十人の軍人らは列を乱さず、騎乗の人間の後を小走りについて行った。
「追うのか?ワシは反対だ」
夜明けを思い起こさせる深い紫の瞳に、強い拒否が浮かんでいた。
「ナナス?」
神族が関係していればともかく、それ以外ではあまり僕の行動に干渉をみせないナナス。だからあからさまな否定を無視する事は出来ない。
宙で膝を折り、ナナスと目線を合わせた。
「あれを追えば、人同士の戦いを見る事になるのだぞ」
あぁ、そういうことか。
ナナスの優しさに僕は微笑む。
「ありがとうナナス」
人と人とが戦う。命を取る事を大前提にしてはいないだろうが、そうなるだろうところを僕が見、どう思うかがわかっているから止める。
「君は僕以外にもその心をみせれば良いのでは?」
「余計なお世話だ」
ムッと目を細めたナナスは、背を向けるついでに長い尾で僕の肩を叩いた。
照れ屋で天邪鬼、そして気の強い相棒の背を撫で立つ。
「ナナス。僕は世界の意思によって旅をし、同じモノによりこの国に導かれた。ならこの国に起こっている事を見なければならないんだ。それが僕のしなければならない事だよ」
見下ろすとナナスの瞳には諦めたような、光がやどっていた。
「一番初めに世界との約束を破った僕は、世界が望むことを行わなくてはならない」
「そんな古い約束を、いつまでも……。おぬしは真面目すぎるのだ」
「約束は約束だよ」
軍隊が進む方へ、風を流し身体を進める。生暖かい空気が手足に巻き付いてくように感じる。
さほども行かないうちに、金属がぶつかり合う音と悲鳴が聞こえてきた。
黄土色の乾いた大地。そこでぶつかり合う音と悲鳴が聞こえてきた。
片や統制の取られ洗練された動作の軍人。片や寄せ集めの民衆。戦えばどちらに分があるか、見るまでもなく明らかだ。
農機具や家事道具の延長のような武器しか持たない民衆が、しっかりとした武器を持ち、訓練を受けた専門家に勝てるわけがない。
無駄のない様子で民衆を地面に押さえつけ拘束していく軍人達。それを見ながら、それでいいと思った。
実力の違いがあるから無駄な血は流されない。国も無闇に民を失えば、たちゆかないだろうことは認識しているから、いきなり殺しもしないだろう。
僕はそれに少しホッとした。民がヘタに抵抗しなければいいんだ。
「不思議だと思わぬか?」
「ナナス?」
「この国は昔から軍事に力を入れておった。それは今も変わらぬようだ。そして国民は国王を崇拝するように教育されている。国民には国軍、王に逆らう意思など持ちようは無かったはずだ」
「そんな事は無いよ。人は目隠しをされたままではいられない。長い時間がかかっても、それを外そうとする人間は必ず現れるものだよ」
完全に国民の意志を掌握出来ていた国王。だけど永遠など有りはしない。いつかは国王の真実も、世界の真理も気づく者が現れ、そして考える。
この国は正しいのかと――
だから起こるべくして起こった内乱だと僕は思った。
「……では何故、半年も内乱は続いている?国民は生かさず殺さずの生活を強いられていた。それは今も変わらない。なのに何故、そんな国民を未だ鎮圧出来ず、内乱は続いているのだろうな」
「――そうだね」
ナナスが言った事は僕も考え無かったわけではなく、だけど人の未知数な可能性がそうさせているのかもしれないと、ぼんやり考えていた。
だが現実をみると、戦力の違いは酷すぎる。
「良くて三ヶ月くらいだろうか?」
自分のつぶやきにナナスが頷いた時、数人の民衆が思わぬ所から現れた。
建物に隠れ軍からは死角になる、そんな場所から軍の横から襲う民衆。
「ほう、奇襲か。よい手だな」
「馬鹿を言うな!」
感心したようなナナスに鋭く反論する。
軍隊も驚いた様子を見せていたが、直ぐに体制を立て直し反撃に転じた。それはもう拘束ではなく殺傷。
命の危険を感じて軍隊は対処を切り替えた。
「あんな事をすればそうなる」
苦々しく奥歯を噛み締めてうめくと、僕の袖をナナスが引いた。
「分かっているな。おぬしは手出ししてはならぬ」
「……分かっているよ」
ナナスが引いた腕を、逆の手で握り締める。そうしていないと、力を使ってしまいそうだったから。
人同士の争いに魔法を介入させる事は出来ない。それは昔、魔法使い全盛期よりの約束事だった。
それでも目の前で失われて行く命を、黙って見ていられない。衝動的な感情が走りだしかけた時、それは起こった。
「!」
「これは!」
僕が息を飲む横で驚愕の声が上がる。足元で起こった事を凝視した。
地面に叩きのめされていた民衆の背後から、勢い良く風が巻き起こり、軍隊の正面へ向かって吹き抜けていく。風は民衆には一切影響を与えず、軍人達を背後へと飛ばした。それほどの強風だった。
不自然に生まれた風。その風に混ざった、覚えのある嫌な気配に、僕の精神を制御するタガが外れた。
(また神族か!)
「待つのだ、魔法使い!」
低い声が焦った響きを宿したのを聞いたが、無視する。身体を支えていた風に命じて下へと向かう。
いや、向かいかけたが先に、僕が操っていた風の支配権が変わっていた。僕はピクリとも動けなくなって横目で彼を見た。
「邪魔をするな!」
「月光!」
その名になんの支配力も強制力もありはしない。だけど僕はかつて持っていた名前を呼ばれた瞬間、冷水をかぶったみたいに冷静さをとり戻せた。
「ナナス。悪いんだけどまた僕は、厄介な事を背負うよ」
「――いや、それはわかる。構わぬよ。だが、冷静さを欠いては何も出来ぬだろう。ワシが言いたいのはそれだけだ」
「ありがとう」
微笑をもどすと身体にかかっていたプレッシャーは、あっさりと霧散して、僕の身体は意思どおり地面に降下した。
続けられている戦い。その中に降り立ち、僕は目当てのモノを見つけ跳んだ。
民衆の中に飛び込む。
視界に入ったのは細身の人物。その人間に向けて圧縮した空気を放つ。相手はそれに押される形で、背後へと飛んだが、僕の力によってではなく、僕の力を利用して後方へ飛んだようだった。
一陣の風が過ぎ去るがごとく、僕とその人物は町から天空へと移動していた。
空に逃げた細身の身体を包む白い服と、まとわりつく長く真っ直ぐな黒髪。
「女性?」
馬鹿なと思った。僕は確実にあの風を起こした人物を捉えた。そして僕の力を利用して、逃げ出した目の前の人間。――いや、見かけは人間とそっくりでも、それは人間ではありえない。
彼女が持つのは天の力。神族が持つ力の波動が見える。
なのに彼女は神族ではない。神族が持つ圧倒的な強さが無かった。
それで天の者でも、弱い立場の者だと推察した。――天の使いだとか。
「ナナス。天の使いは女性体も存在するのかな?僕は初めて見たんだけど」
「ありえない。奴らは中性的な姿をしている。どちらかの顕著な特徴など、持たないぞ」
細身の女性体を追う僕とナナス。互いに視線と驚きを交わした。
「人間の肉体に乗り移っておるわけでもないようだな。しかしあの髪……黒髪だと」
「そうだね。それもありえない。姿を偽っているにしても、あんな日の光の下でも、輝かない黒だなんて」
長い髪は太陽光を浴びているのに、一筋の艶やかさも現さず、風になぶられ蛇のようにうごめいている。
「ナナス。彼女を地面に下ろせるかい?――僕がやると手加減が出来そうに無いから」
冷静さは取り戻せているが、天の者を目の前にしていつまでもそうしていられるか、自信が無かった。
「分かった」
ナナスが応えるとすぐに、天の使いの身体が見えない何かに拘束され、ガクンと落下を始めた。
地面に着く寸前に落下は一度止まり、そして改めてドサリと落ちた。それを見ながら僕とナナスも地上に降りた。
そこは町から数キロ離れた荒野だ。数時間前に僕はここを通った。人の気配どころか、生物の気配もあまり無い乾いた地面が広がっている。
乾いた明るい茶色の上に、転がった白い身体を見下ろす。
やはり彼女は天の使い、人間の言うところの天使だった。神族が使役する存在で神族と同じ力を持つが、その力は神族とは天と地ほども違う。下位の神族にも天使は敵いはしない。
彼女も天使ならばその姿は、天の者としての姿をしているはずだった。僕もそう多くの天使を、見た事があるわけではなかったが、彼らは皆一様に、十代の少年のようなほっそりとした身体をし、髪も目も純白だった。さらに彼らの背には、その象徴たる虹色の光を宿す、白い翼を持っている。
彼らの姿は、天の者であると分かっていても、美しいと感じられるものだった。
だが彼女は違う。
女性のそれもかなり魅力的な肉体を持ち、長い艶の無い髪は黒。瞳も光を吸い込む黒だった。
「ナナス……」
僕は注意を促した。必要以上に彼女に近づくなと。
それから再び視線を下へおろす。彼女も僕の視線に気付き、黒い瞳でこちらを見、先に口を開いた。
「まさか魔法使いが未だに、存在していたとはね。驚いたわ」
透明感のある高い声だった。その声は女性が持つものだが、天の者の特徴も現し美しいかった。
「天の使いが何の為に、人間の争い事に手を出しているんだい?天が――神族が直接人間の運命に関与するなんて、世界が許さないはずだけど?」
自分でも声が硬く、冷ややかになっているのが分かった。どうしても神族に関わる時、僕は感情を押さえられなくなる。ナナスが心配するのは仕方ないなと、自嘲した。
「天の者ですって?」
彼女は鼻で笑った。それはとても人間臭い仕草にみえた。自然で違和感がない。
「この私の姿をみて、本気でそんな事を思っているの?」
そのとおりだ。僕も彼女を天の者だとは信じられない。
天使ではあり得ない要素が多すぎた。
だけど力や存在が持つ気配は、天の者だけが持ち得るもので、正直混乱していた。
「君は天使だ。それは間違いない。だけど……君は感情を持っている」
「そのとおりよ。私は天使だけど感情を持っているわ。持ってはいけない感情をね」
天使も神族も、人格はあっても感情は持っていない。少なくとも人間のような感情はない。せいぜい理性で簡単に制御可能な程度の、底の浅い感情だけだ。
世界の理を管理する者達に、感情など必要無いのだと聞いた。
規格外の神族がいないわけではないけど。
神族以上に感情を持たない天使。なのに目の前の彼女は今や面白がるような目をして、僕を見上げていた。
「だから天から逃げたのよ。天から裁かれる前にね」
「なるほどな。天は感情を持った天使など、野放しにしておきはせぬだろうからな」
感情がないから天使は絶対に神族には逆らわない。そして神族も自らの役目を放棄する事も、歪ませる事もない。
「何故君は感情を?あり得ない話じゃないけど、やはり珍しい事には変わりないよ?」
彼女は神族の命令で動いているわけではない。そうわかった事で力が抜けた。――警戒を怠るわけではないのだけど。
「感情をいつから持ってたかなんて分からないわ。気付いたら私は他の天使とは違っていた。だけど感情を持った事でより世界がわかったわ。そこに生きる人間がわかった。それに神の事も」
「……ナナスやインドリ達と同じパターンだね」
納得顔で呟いたら、ナナスが僕の足の上に座りこんだ。
「インドリはともかく、ワシをあんな黒猫と一緒にするな」
「あ――ごめん、ごめん。謝るから退いてほしいな。君はものすごく重いから」
しかしナナスは全く動こうとはしない。そうとうご機嫌を損ねてしまったようだ。
「やれやれ――っと、話が逸れたね。じゃあ君は神族から逃げて、地上へ来たんだね」
「そうよ」
「分からないな。なら何故、力を使うなんて派手な真似をするんだ。すぐに見つかってしまうよ。それにその姿は一体どうしたんだい?自分で姿を変えているんじゃないだろう?」
「勿論。私の姿は私そのものよ。魔法使いのようにほいほい簡単に、姿なんか変えられないわよ。――ねぇ、答えなんてもう分かってるんじゃないの」
「…………」
答えには達していた。
彼女の姿を変えたのは、彼女がこの世で最も忌むべき力“邪闇”にに染まっているからだ。
光の対極に位置する闇の力。夜の闇ではなく人から生じた、負の心が凝り実体化した力 邪闇。
――邪闇に手をだしてはいけない。それは力ある者達の中での暗黙の了解だ。
だがその禁危の力は神の力と同じく、万能の力であり全ての望みを叶え、あらゆるものを手にすることが出来る力でもある。
彼女はその力を持つ。だから身体も光から闇へと変化したのだろう。
「まさか君は望んで闇を受けたのかい!?」
「フン 私だって天使の端くれだったのよ。闇の恐ろしさは理解しているわ。……神から逃げた途端、私の身体は闇に染まったのよ。神の意に反しただけでこうなった!そんなの人間ならいくらでもやっているに。そうでしょう?魔法使い」
「否定はしない」
「なら何故私が闇に染まらなくちゃならないの?私は自分の命を守る為に逃げ出しただけだわ。それを世界は許さないと言うの!」
フワリと彼女の髪が揺れた。ナナスが仕掛けていた拘束が、彼女の力によって解けていくのが見える。
ナナスがサッと立ち上がり僕の前に出た。
白い身体に纏いつくように立ち上る濃い影。闇の力に本能的な恐怖が沸き上がってくる。
思わず一歩身を退いてしまっていた。
「人間の事に手を出した理由を聞きたい」
その疑問だけが残っていた。
もしや闇に染まった心が、人間の争いを望んだのか?――だけど彼女は民衆側についていた。
「聞こえるのよ。感情を持つ前からずっと聞こえていた。人間の声が。神に祈る声が聞こえるのよ。神に救いを求める声がね。だけど神は動かない。指一本動かさないわ!簡単に人間を救える力があるのにね!」
「その理由は君だって分かっているはずだろう!神は独断で地上に干渉してはいけない。出来ないんだ。良くも悪くもだ!」
だからこの理から外れる僕の存在を、神族は許してはないだろう。そして僕もそうなった神族を許しはしない。
「ええ 分かっている。でも私には人間を救える力があるのよ。その力があるから人間に手を貸しただけ。正しい心を持つ人間が何故、虐げられて苦しむ必要があるの?苦しむべきは彼らを虐げる人間だというのに!」
「それで手を貸した?」
「そうよ」
彼女は彼女だけの意思で人の世界に介入した。そこに神族の意思はない。その事に安堵した。
僕は彼女の意思をどうこう言うつもりはない。僕だってやっていることだ。――ただし、僕は人間として、だ。
彼女は明らかなルール違反をしている。人の世界でのルールに。
それだけは伝えなければと思った時――
「ちょっと囁けば良かったのよ」
「え?」
何を言い出したんだ?意図が分からず聞き返す。
「あなた達がそんな風に我慢をしている事はないんだって。正しい道を開きなさいとね。そう言ってあげたのよ」
「な……なんだって……」
耳を疑った。今の話では彼女が民衆をそそのかしたように聞こえる。
内乱を起こせと。反旗を翻せと――
だけどそれは真実で、この内乱を起こすきっかけはこの天使だったのだ。
「なんて事をしたんだ!君は一国の歴史の流れを、変えてしまった!天の者である君が……」
呆然と呟く僕に、嫣然たる笑みを浮かべる天使。
「それのどこが悪いの?皆 心の中では国王と国王が作ったあの国の制度を、壊してしまいたいと思っていたのよ。国王さえいなければ自分達はもっと自由で、もっと満ち足りた生活が送れると、彼等は知っていたのよ。だから時間の問題だったはずよ。私が背中をおさなくても、同じことは起こり得た」
「そうだ同じことは起こっただろう。君がいなくても。僕もそう思うよ。それでも、それは民衆自身の意思で起こさなければならなかったんだ!きっかけをつくるのも彼等が彼等の意思で、行わなければならなかったんだ!」
そうでなければ力ある者が世界を自由にしてしまう。
「綺麗事ばかり並べないで欲しいわ。そんな事で真実 人が救えると思っているの?――あり得ないわ。世界はね光だけで成り立ってはいないのよ」
「分かっている!!」
そんな事はこんな天使に言われなくとも分かっている。どれだけそれを見てきたと思っているんだ。世界の光も闇も。表も裏も。天も地も。
「君に何がっ……!」
再び冷静さを欠きかけ上げた声は、一筋の閃光によって止められた。
視界が両断され、その中で細い身体が地面に倒れる。銀の刃が付き刺さった状態で。
「魔法使い!」
ナナスの声に顔を上げる。
「あなたは!」
銀の刃は優美な矛の刃だった。それを握る人物もまた、流麗な姿をし、そこに立っていた。
緩く波打つ白銀の髪に紫の瞳。白い衣を身に着けた長身の男は、やはり人間ではない。
その個体は初めて目にしたが、彼が何者かは名乗られる前にわかった。
「審判神……」
「それも上級のようだのう」
審判神は無表情のまま矛を天使から引き抜く。
天使の身体からは、人間のように血液が流れ出しはしない。闇に染まった身体からは代わりに、黒い靄のようなモノがフッと抜け出した。
「忠告しておく魔法使い。これより先、手を出す事は無用」
低い美声が抑揚もなく僕に向けられた。
「なら僕も忠告しておくよ。その矛からさっさと手をはなさないと、あなたも闇にそまるよ。闇はとても平等だからね」
神族でさえ闇に抗う術はない。闇の洗礼を受ければ全てを飲み込まれる。
身体も力も意思も。
銀の矛は刃から徐々に黒くなり、ボロボロと朽ち落ちて、最後には灰が風の中に散るように空気に溶けて消えた。
審判神は己の武器から手をはなし、矛が消滅するさまを冷やかな目で見送った。
審判神を一瞥し、僕は倒れたまま動かない天使の傍らに膝をついた。
「魔法使い!」
ナナスと審判神が同時に呼ぶ。ナナスは心配そうに。審判神は堅い声で。
「御心配なく。僕は魔法使い。対応法くらい分かっているよ」
だけど僕はあえて審判神に答えた。
「手を出すなと申したはずだが」
「聞きましたが、従う義務はないよ」
審判神から視線を外し天使を見つめた。天使の身体の傷は塞がりだしていた。服も綺麗に修正されつつある。
闇の身体とは便利なものだな――自分の事を棚に上げ、急速に塞がっていく傷をみて、感心すらした。
「君 もう動けるね?」
声をかけると見開かれまたまま動かなかった目が、僕の方を見た。それを返事ととった。
「なら逃げるんだよ。僕がその時間をつくってあげるから」
耳に囁くと黒い瞳に疑問が浮かんだ。
「僕は君のした事は許せない。でもね問答無用で殺されていい命なんて、どこにもないんだよ」
天使の黒い髪を一束、するりとすくい流しながら立つ。審判神と対峙する為に。
音もなく僕の隣にナナスが立った。
「やれやれ。本当におぬしは阿呆だのう」
「もうとっくに知っていると思っていたけど?ナナス」
「神族に逆らうつもりか魔法使い」
「それもとっくに知れ渡っているはずだと、思ってたんだけど。まさか僕を知らないなんてないよね?」
僕の周りに風が走る。
旋風は範囲を広げ審判神へと向かう。しかしすぐにその風は消え去り、静けさを取り戻す。
「魔法使い 警告だ。今すぐ立ち去れ」
僕は天使を背後に庇い、くすっと笑った。
上位の神族に勝てる見込みなどない。そんな事は知っている。そしてその常識を元にこの審判神も、僕の行動を愚かしいと思っているのだろう。
「よーく耳を澄まし聞くと良いよ審判神。僕の名前は――月光だ」
それは鍵だった。一瞬で全てを変える言葉。
名前自体にもう力はない。僕は未だに、自分の名前を失ったままだ。あの時から。
だけどこの言葉は魔法を解くパス。僕が声に乗せる事で魔法は解ける。
無表情だった審判神の顔が、僅かに動いたのを見た。それから腕を上げるのも。それらをみながら僕は僕の中から溢れる出す力を、制御もせずにほったらかした。
僕を中心に渦巻くのは、さっきとは違い、純粋な力の流れ。僕から放出された魔法の力が気流を作る。
長い間封じていた力が一気に解き放たれ、外へ向かって放たれるのを眺めた。
「その髪、その目、その姿……!お前があの、はぐれの魔法使いか」
「本当に僕を知らなかったのか?驚いたね」
肩を竦めて苦笑し、手を上げた。それに合わせて肩に乗っていた長い髪が零れ落ちる。
長い髪を払ったと同時に力の放出がとまり、僕の手の中には一本の棒が現れた。
銀色の僕の身長よりも少しだけ長い、飾り気の一切ない棒は僕の杖。魔法使いの力を共鳴増幅させる魔法使いの杖で、僕のもう一つの相棒。これを手にするのはととも久しぶりだった。
直接触れた馴染みの感覚に、ついつい口元が緩んでしまう。
杖を肩に軽く乗せ足を退く。それを見た審判神は目を大きく開いた。
いたはずの天使は既に消えていた。それにやっと気付き、その事実に驚いたようだった。
馬鹿な顔に向けて手を払う。
審判神はすぐさま反応し、不意討ちに飛ばした風の刃を後ろへ飛んでかわした。
「ほらほらぼんやりしている暇なんて、ないんだよ?」
後ろへ飛んだ審判神を追い、開いた距離を一瞬で詰め、杖を直接その聖なる身体に叩き込んだ。
しかし寸前にそれもかわされ、無為に流れてしまった力に従い、微かに身体をずらして隙になった脇腹に手をヒタリとあてる。
審判神が身体を強ばらせたのがわかった。
『闇よ』
魔法を囁く。掌に小さいながらも黒い影の塊が生まれ、その力で審判神を大きく飛ばした。
「ナナス!」
鋭く呼ぶと、すぐさま耳の側で大きな羽音がたった。僕はそれに掴まる。
次の瞬間には地面ではなく、上空へと逃れていた。
周りは濁った空色で、あの国も荒野もずっと向こうに小さく霞んで見えた。
「ありがとうナナス。このまま巧く逃げ切れるね?」
「まったく無茶をする――わかったから早くその力を封じよ。でなければいくら脚の早いワシでも、すぐに見つかってしまうぞ」
大きな背によじ登りつつ、勿論だよと答えた。僕としてもこの姿でいるのは不本意なのだから。
杖を体内にしまいこみ、そこに全ての力を流し込むイメージを作り出す。それだけで僕の魔法の力は流れを変え、外へと向かっていたモノが内へと固まってゆき、最後には封じられる。
それは解除するよりも少しだけ、時間をようするけど瞬く間の封印。
長く伸びた銀の髪は短く黒くなり、今はもう目も人間のもので、そうとしか見えない姿になっているはずだ。
フッと息を吐くのと、ナナスが溜め息をついたのは同じタイミングだった。
ナナスの背に乗って空を駆けるのも久しぶりだった。こんな時だけど、どうしても心地良さを感じてしまう。
勿論いつもの、狼に似た犬の姿をしたナナスに乗れはしない。彼も本来の姿、天狼に戻っていた。
白銀色の狼の肢体に鷹の翼を持つ、世界で一番脚の速い獣 天狼。天狼が本気になれば神族でさえ追いつけない程速く、空を駆ける事が出来る。
今回もだけど逃げる時、いつもナナスの力を当てにしてしまう自分が、本当に情けなく思う。
自分の意思を通す為に他の力を当てにするのだから。
「ナナス もう少し行った所に霊穴があるから、そこに降りてくれるかい」
「分かった」
地上には幾つか、世界の力が集まり溜まる場所が在る。そこはかなり強い地の気配があるおかげで、僕の気配もナナスの力もうまく隠す事が出来るはずだ。
滑るように霊穴がある山に入る。
僕はナナスから降りて、大きく息を吐き出した。思った以上に疲労している。
立っているのがやっとで、近くの木に寄りかかりかけた僕の身体を、ナナスは大きな口で掬い上げて、自身に寄りかからせる形で僕を座らせた。
温かく柔らかいナナスに、ほっと安堵が広がってしまう。
「ありがとう」
「封印を解かずとも、逃げるだけなら出来たであろう。たとえあの者が上位の審判神だとしても、ワシとおぬしの力をもってすれば可能だ」
「そうだね」
だけどそれでは彼女を逃がす隙は作れなかった。
僕の力で隠さなければあの神は、彼女を見失なわなかっただろうから。そして動きを抑える為にも、解除時の勢いは必要だった。
「おぬしが犠牲になってまで救う価値など、あの天の使いにはなかった。どちらにしろ時を置かず消滅するのだからな。あの天の使いの闇が自我を消してしまうのはそう遠くはない」
「そうだね」
闇に堕ちたモノはいつかは闇そのものになって、世界を漂うだけの存在へと変わってしまう。彼女も例外なくだ。そしてその時はもうすぐそこまで来ていると、直接触れた僕には分かっていた。
「僕は彼女の行動を肯定しているわけじゃないんだ。でも彼女が人間の為に動いていた事や、彼女を動かしていた心まで否定はできない」
方法は違っていてもその心だけは、僕と彼女は同じなんだ。
目を閉じると身体にのしかかるような疲労感が、一層濃く感じられた。
「おぬし分かっているのだろうな。おのれの力を解放するたびに、自らの首をしめているのだという事を」
「分かっているよ」
力を使えば使うほど、人間としての身体は失われていく。望まない姿へと変化していく。それは分かっている。
「仕方がないな。おぬしがおぬしであるのは、そういったところなのだろうから」
諦めた口調でナナスはうめき、起こしていた顔を前肢に乗せて、緊張を解いた。
彼の背の大きな翼が、僕の上にフンワリ乗せられる。眠れと言われているようだった。
「ありがとうナナス」
数日 霊穴で過ごし、再びあの国へ向かっていた僕達の前に、彼女が、天使が現れた。
「君……」
まさか僕の前に姿を見せるとは思っていなかった。
「何故ここに?」
余裕のある表情で笑う女性体の天使は、軽く腕を組んで僕を見つめていた。
「私があなたの前に出てきた理由?それともどうやって神族ですら見失なったあなたを、私が見つけられたかって事?」
「理由かな。闇の力は地上では、神族の力よりも融通が利くからね」
「正解」
にっこり笑う顔も本物の人間のようだった。感情を持つ者の本当の笑顔だ。
僕はその笑顔につられて微笑を浮かべた。
「良かったよ。君がちゃんと逃げ切れていて」
「あなたのおかげだわ魔法使い。あなたが私を何故逃してくれたのかは分からないけど、これは借りにしておくわね。――それを言いに来たの。だって私は最後まで私の力を、私の思うままに使っていくつもりなんですもの」
それは僕が否定した方法で、人間に手を貸していくという事。それを僕に伝えに来た彼女が、なんだか可笑しくてたまらなかった。
「知ってるの?君はもうすぐ心を失うよ。力を使えば使う程、闇に近づく。時は早まるよ」
「知っているわよ。だから何?叫ぶ声が聞こえてくるのに、助けられなかった頃に比べれば最高に良い気分だわ」
「そう――」
潔ささえ感じられる天使。今の彼女はそう遠くない未来に、消えてしまう。本人も分かっている。
なのに自分の意思を曲げたりはしない。保身に走りはしない。
彼女が眩しく思えた。
「分かってる?僕は君を止めるよ。僕の目の前で君が同じように力を使えば」
「分かっているわ。だけど私は負けないわ」
「……了解」
両手を広げて微笑んで、肩をすくめた。それは半分は彼女の意思を受け入れた僕の現れ。
彼女ももう一度にっこりして、それから背に翼を広げた。
その翼も真っ黒だった。とても美しいとは言えない。なのに闇に対して常に感じる嫌悪感を、僕は持たなかった。
「ああそうだわ。あなたがあの、魔法使い月光だったのね」
「――残念ながらその名前は、もう僕の名前じゃないけどね」
「名無しの魔法使い?」
「まぁ、そうだね」
「勿体無いわね。――綺麗な月の光みたいな髪をしているのに。あなたの本当の姿、凄く綺麗だったわ。どんな神族よりも綺麗だった」
「そう?」
「だから月光ってぴったりの名前よね」
そんな事を言い残して、彼女は空に舞い上がって行った。僕はそれを見送ってから歩きだす。
「追わなくて良かったのか?」
「今日のところはね。わざわざ僕の前に現れてくれたからね」
「つくづくおぬしは甘いのう。神族以外には」
「そう?」
呆れた様子のナナスの頭を撫でて、空に視線を戻す。もう彼女はいない。かわりに遠くから風に乗って、血の臭いが降りてきた。その中で歩みを再開する。彼女がきっかけとなった出来事を、最後まで見届ける為に。
終わり
|