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旅人
作:Toshiki



第一話 旅人と釣り人


 旅人は河原にさしかかった。日が落ちる前に野宿の準備をしなければならない。河原は丁度良かった。

 ふと私の目には先客の姿が映った。川にかかった小さな橋に腰かけ、釣り糸をたらしていた。しかし足元のバケツには透明の水があるだけだ。

「釣れますか?」
 お決まりの言葉をかけてみる。釣り人はこちらに顔をむけ、首を振った。

「残念ながら」

 同じような年頃の青年は河原の方へ腕を伸ばした。 
 そこには深緑の小さなテントがあった。

「旅人さん。もし良かったら僕のテントで休んでいきませんか?」
「良いのですか?お邪魔しても」

 願ってもない事だった。私はテントを持たずに旅をしていた。野宿となると火の側で寝袋にくるまり眠る。不自由は無かったが、それでもたまには屋根が恋しくなる。

 たとえ布で出来た簡易的なモノであっても。それにかなりの時間、人に会っていなければ、孤独を愛する私でも人と話たくなる。

「遠慮なく。大した持て成しも出来ませんが」
「いいえ。ありがとうございます」

 私は釣り人に微笑んだ。

 釣人はテントに招いてくれた。近くに寄るとそれが旅人が使う携帯用のものだとわかった。小さく折りたたむ事が出来るが、けっして華奢ではなく丈夫な物だと。

「あなたも旅をしているのですか?」
「ええ、そうです」

 釣人は竿を肩に担いだまま柔らかな笑みを見せた。その笑みが彼を見た目より年長に見せた。同い年位だろうに一体何歳なのだろう?

 テントの側には小さな釜戸が設えてあった。その中の灰の量や様子からしてこの釣人が数日前からここに居るのがわかった。
 釣人はテントの中に入り、すぐに出てきた。その手には紙にくるまれた小さな包みを幾つか持っていた。それらを釜戸の側には置き、釜戸に火をおこし始めたので、私も手伝う。小山になった薪を空気が流れやすいように並べていく。

「ありがとうございます。さすがですね。手慣れている」
「まぁ、5年も旅をしていれば、嫌でも身につきますからね」
「5年?それは素晴らしい。さぞかし色々な地へ行かれたのでしょう?」
「ええ、まぁ」

 私達は旅の話をしながらてきた経験を喋り、彼は相づちをうち時々質問をしてくる。そんなふうにだった。

 彼は薫製肉とチーズ、そして乾パンを私に出してくれた。旅の下ではこれはまさしくご馳走だった。私は前の町で仕入れた薄切りにした乾燥果物を提供した。彼はとても喜んでくれた。

 食事のあいだも私たちちの会話はとぎれはしなかった。私はベテランの旅人とはまだ言えないかもしれないが、それなりに沢山の経験をし、修羅場も乗り越えてきた。だから旅の話は自慢出来るものであったし、彼はどうみても私よりも経験が浅く見えた。だからできるだけ彼の役に立つような話をしてあげたくなった。

 やがて夜も深まり、私は彼のテントで休ませてもらった。

 翌朝私が目を覚ましたのは水音を聞いたからだった。まだ予定していたよりは半時間程早かったが、隣にいたはずの彼がいなかったので、身支度を整えてテントを出た。彼は昨日と同じに橋の上に座り釣糸を垂れていた。

「おはようございます」

 彼の側までいくと彼の方が先に挨拶をしてきた。 私も挨拶をかえし橋の上に立った。彼の足元のバケツには、昨日とは違い今朝は岩魚が3匹泳いでいた。そして丁度いま、更に一匹釣り上がる。

 彼は4匹の魚の入ったバケツをもち立ち上がった。

「少し早いですが、朝ごはんにしましょう。塩で焼くと美味いですよ」
「ありがとうございます」

 先に行く釣人の背中を見つつふと、私は彼に疑問を持った。それは昨日テントに入れてもらってからなんとなく、引っかかっていた事が、疑問の形になったものだった。

 私は彼の旅の仕方に疑問を持った。彼はどうも数日に渡ってここに居るようだ。少なくとも二、三日の滞在とは言えない様子を、テントの中にみつけた。

「あの変な事をお聞きしますが」

 前置きをすると彼は笑みでもって応えた。

「あなたは昨日、旅人だと言っていましたね。なのにこの地には、長くいらっしゃるようだ」

「ええ、その通りです。僕はここに……半年ほど居ますね」

「何故です?」

「何故とは?そんなに不思議ですか?」

「旅人の殆どは一所に長くはいません。長くても一月ほどではありませんか?私はそうですし、私が出会った旅人達も皆、そうだった。でなければ旅人は旅人とは呼べない」

 旅をしてこその旅人が、長く一つの地に止まって居てはそれは旅ではないと私は考えていた。だから私はどの地に行っても、一週間以上留まる事はない。
 出来るだけ沢山の地へ行きたい。沢山のものを見て知りたい。だから有効に時間を使いたい。――私の言わんとすることは彼にも伝わったらしい。彼は少し首をかしげて、何か考えるような遠い目をした。その目が不思議な色を見せた。老成を感じさせる目の光に、まさかと首をふる。

「あなたの考えは正しい。あなたはあなたの心に従って旅をしている。それはあなたの旅だからです。沢山の地へ行く事は素晴らしいし、そこから得るものもかけがえのないものでしょう。――ですが僕は、一つの地に深く関わっていたいのです。気に入ってしまえばその地に住み、しばらくしてまた旅立ちたくなったら旅へ戻る。それが僕の旅なのです」

 私は言葉を失った。ひどく自分の常識に囚われていた事に気付かされ、恥ずかしいおもいだったからだ。

 一人ひとりの旅が、違っているなど当たり前なのに。
微笑んだ彼の目は春の陽のように優しく、そしてとても静かな深さを感じさせた。それはまるで賢者の瞳――。

 私は彼がなんとなく、姿とおりの歳ではない気がした。しかしそれならばなんなのかと聞かれれば、答えられない。年を取らない人間はいないのだから。

 ――いや、もしかしたら存在しているのかもしれない。例えば目の前に。なぜならここは旅の空の下なのだから。

 私は自分の中の、半分馬鹿ばかしい考えに笑い、半分納得して最後にもう一つ質問をした。

「今は旅立つ気にはならないのですか?」

 私は彼の話をまだ聞きたかった。彼としばらく共にいてみたくなったのだ。もしまだこの地に居るのなら、私は私の主義を曲げてでも、留まりたいと思ってしまっていた。

 そしてもし旅立つなら――

 彼はフッと一度目を伏せ、それから静かな声で告げた。

「僕は今日、南へ旅立ちます。そして気に入る場所が見つかるまでは、南下し続けるでしょう」

 しっかりとした決意ある目と、声。

「僕はいつも行くべき所を自分では決めません。今回はこれで決めました」

 傍らに置いていた釣竿を示す。

「旅立ちを決めてから毎日、夜明けと共に糸たらし、日暮までに魚が釣れれば旅立とうと思っていました。昨日までは全く釣れなかった。でも今日は釣れました。だから旅立ちます」

「南へ?」

「僕は決めていましたから。あなたが起き、橋の上に来るまでに、釣れた魚の数が奇数なら北へ。偶数なら南へ行こうと」

「まるで今日は釣れるとわかっていたみたいですね」

 本当にそんな気がした。そんな不思議さが自然と似合う男だから。

「今日まで魚が釣れなかったのは、あなたとこうして話をする運命をしめされていたのかもしれない。そして今日は、旅立ちを示された」
「それは……」

 どういう意味だと聞きかけた私を、彼は指を口元で立てて止めた。

「僕は世界の声に従っているだけだよ」

 私はいいようのない、捉えどころのない気持が胸に生まれたのを感じた。目の前にいる青年がとても不思議でとても大きなものに見えた。


 優しく微笑んで送ってくれた青年は、私に一本の組紐をくれた。

 
 優しく微笑んで送ってくれた青年は、私に一本の組紐をくれた。

 彼が自らの袖を捲ると、そこには沢山の色とりどりの組紐がくくられていた。それは旅人がお守りにしている物で、旅先でもらったり、旅人同士が交換したりするものだ。
 沢山の守り紐から青い物を彼はくれた。

「これからのあなたの旅が、良きものでありますように」

 そう言って結んでくれた。青い中に銀糸の混ざった組紐は太陽の光にキラリと輝いた。

 昔話だが、一人の旅人が、旅の中で様々な事を学び続け、とうとう知と道を知る旅人を守る神になったという。その旅人の髪は清水のような銀髪だった事から、守り紐には必ず銀糸を編み込むのがならましになっていた。

 私はその昔話はお伽噺だと、はなから思っていたが、もしかしたら彼はそれに近づいている人のように思った。

 彼の祝福の言葉は、私の中に暖かな力を与えてくれたからだ。

 私は振り返ることなく、いつか再会を願って歩き出した。



 
 若い旅人を見送る青年の側に、いつの間にかのっそりと大きな獣が現れていた。狼に似た白銀色の獣に気付き、自分の腿位の高さにあるその頭を撫でた。

「おはよう、一日ぶりだね」

 にこやかに話しかける。すると獣は旅人の背を一瞥し鼻を鳴らした。

「ワシは人間は好かぬ」

 獣はきちんと人の言葉を話した。

「おやおや、なら僕も嫌いなのかい?僕も一応は人間なんだけどね」

「ふん。数百年も生きている魔法使いを人間とは言わぬよ」

 やれやれと気難しい相棒の頭を、リズムをつけて叩いてから火の始末を始めた。

「やっとこの地を去る気になったかのう。魔法使い」
「僕はげんをかつぐほうだから」
「お主は人間くさいのう。いつまでも」
「だから、僕は人間なんだって。たとえ数百年生きていても――お伽噺にかつがれていても」

 肩を竦めてから登りゆく太陽を見つめた。変わる事なくあり続ける偉大なるものを。

――あれに比べれば僕も小さきものなんだけどな。













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