Horoscope.1 舞い降りた悪魔
――――たぶん、普通の女の子でした。
あなたと出逢う、前までは……。
ここは、公立星ノ原高等学校。授業も終わり、のんびりとした、ある秋の日の放課後。
「あれぇ?私の筆箱がないっ」
「どっかの教室に置いてきたんじゃないのぉ〜?」
「ふわぁっ!!」
誰もいない放課後の教室に、残っている三名の女子生徒たち。二人の会話を聞いて、もう一人の少女が、いきなり叫び出す。
「何よ?沙由っ」
「まさかっ……何らかの事故で通じてしまった魔界への穴から突如として人間界に迷い込んでしまった魔物が筆箱を持っていったんじゃっ……!」
「んなわけないでしょっ」
「あっ、鞄の中にあった」
「あれっ?」
鞄の中から筆箱を見つけた女子生徒に対し、心底不思議そうに目を丸くする少女。肩まで伸びた黒髪に、どこにでもいそうな、とりわけて目立ったところのない顔つきの少女。見た目は至って普通だが、思い込みと想像力だけは激しい少女のようである。
「すぐ返してくれるなんて……改心したいい魔物っ……?もしくは妖精っ……」
「ほらっ!帰るよぉっ、沙由っ」
「えっ?あっ!ちょっと待ってっ!」
沙由の推論を無視して、さっさと教室を出て行ってしまう友人の二人を、沙由は少し慌てた様子で追いかけた。
「まったく、相変わらず沙由のボケ振りは大したもんよねぇ〜」
「まっ、聞いてて飽きないけどねっ」
「言えてるっ!」
沙由の天然ボケぶりを話題にしながら、二人は階段を下り、昇降口へと進んでいく。
「魔物が鞄の中に入れたかも知れないでしょっ?」
「ないないっ!」
下駄箱で靴を履き変え、校舎を出て正門へと歩いて行く二人と、少し遅れ気味に二人の後に続く沙由。
「あっ、今日私、買い物あるからこっち行くわっ」
「私もバイトだからっ」
「二人ともそっち?」
「ええっ、じゃあねっ!沙由っ!」
「魔物にさらわれないようにねぇ〜♪」
どこか小バカにしたように微笑み、沙由を正門前に残して、友人二人は去っていく。
「……帰ろ」
少し間を置いて、沙由は、友人たちとは逆の道へと歩きだした。
「いると思うんだけどなぁ……魔物っ……」
まだ拘る沙由が、よく晴れた空を見上げて呟く。
名前、中嶋沙由。
毎朝の日課、ニュース番組の星占いで、自分の星座(射手座)の順位を確認すること。
ごく普通の名前。
ごく普通の日課。
ごく普通の女子高生。
ごく普通の見た目。
ごく普通の友人関係。
ごく普通の放課後。
ごく普通の帰り道……だった。
「……?」
ゆっくりと道を歩く沙由の目に、入ってくる一人の人物。
それは、辺りをジロジロと見回しながら、反対側からこちらへと歩いてくる、一人の少年であった。黒の短髪に、意志の強そうなまっすぐで大きな瞳。幼いながらにもわかる、素晴らしく整った、上品な顔立ち。十一,十二歳くらいだろうか。
しかし、子供としては不自然な、全身真っ黒の服を着ていた。結婚式か葬式の帰りであろうか。それにしても礼服とは違う。見たこともない不思議なデザインの服だ。オシャレと言えばオシャレなのかも知れないが、何というか、“物語に出てくる人ならざる者が着ている服”といったような服であった。
「迷子……かなぁ……?」
首を傾げた沙由が、その少年へと歩み寄る。
「君、どうかしたの?」
「……?」
膝を曲げ、しゃがみ込み、沙由が少年の顔を覗き込む。少年は、怪訝そうに沙由を見上げた。
「誰だ?お前っ」
「おまっ……!?」
“お前”呼ばわりの少年に、沙由が表情をしかめる。
「みっ……道にでも迷ったの?」
しかめた表情を何とか笑顔に戻しながら、沙由がまた問いかける。
「別にっ。俺は迷子じゃない。人を探しているだけだ」
「人っ……?」
少年の答えに、沙由が少し目を丸くする。幼い外見とは異なり、少年は妙に落ち着いた話し方である。
「えぇ〜っとそのっ……お母さんとかっ?」
「違うに決まっているだろう」
「……っ」
落ち着いているというよりは、偉そうな言い方をする少年に、沙由は再び顔をしかめた。まったく子供らしくないその態度は、いかに子供相手とはいえ、腹立たしいものであった。
「随分と偉そうな子だなぁ……」
沙由が曲げていた膝を伸ばし、ポツリと呟く。
「ふはぁっ!!まさかっ……悪霊に取り憑かれてるんじゃっ……!」
「おいっ!おいっ、お前っ!」
「……っ?」
またしても激しい思い込みにかられていた沙由が、下の方から聞こえてくる偉そうな声に顔を俯かせる。すると目の前に立った少年が、睨みつけるような目で、沙由を見上げていた。
「何っ?」
「お前、“中嶋沙由”って人間、知らないか?」
「へっ……?」
たぶん、世界で一番よく聞いてきたその名前に、沙由が目を丸くする。
「中嶋沙由なら……私だけど?」
「何っ?」
戸惑うように答えた沙由の言葉に、少年も少し驚いた様子でその目を見開いた。
「……そうかっ」
だがすぐ後、少年がどこか楽しげに微笑む。
「やっと……見つけた……」
「えっ……?」
「……っ」
少年が右手を挙げたその瞬間、少年の小さな体から、目が潰れそうな程に眩しい光が放たれた。
「うっ……!」
そのあまりにも眩しい光に、思わず沙由は目を伏せ、身を屈めた。
「……っ?」
やがて目を閉じたままで、光が止んだことを感じ、沙由がゆっくりと目を開く。
「えっ……?」
「……。」
沙由の目の前に立っていたのは、黒の短髪に、意志の強そうな、まっすぐで大きな瞳の青年であった。その髪色・瞳、端正な顔立ちから見たこともなかったあの服装まで、その青年は、先程までそこにいた少年が、数年成長した姿、そのものであった。
姿を変えることなどあり得ないとは思いながらも、少年と青年が同一人物であるという確信は脳内にしっかりと入り込み、沙由は戸惑うようにただ、青年を見つめる。
「えっ……えと……」
「俺と一緒に来てもらうぞ、中嶋沙由」
「えっ……?」
「……っ」
「……っ!!」
次の瞬間、青年の背から、勢いよく空へと伸びたのは、大きな黒い翼であった。
黒い翼を背負ったその青年の見た目は美しいが、その翼は、鳥のような、そんな美しいものではない。どこか禍々しく、不気味な翼。
「行くぞ」
青年が翼を広げ、沙由に一言だけを言い放つ。
「ちょっと待ってっ!行くってどこにっ……!」
「……っ」
「ちょっ……!きゃあああああああっっ!!」
青年の翼が沙由の体に覆いかぶさると、沙由の視界は一面の黒へと変わった。
「んっ……」
少し頭に痛みのようなものを感じながら、沙由がゆっくりとその瞳を開いた。
「私……」
沙由がゆっくりと起き上がり、徐に顔を上げる。
「ふわぁっ……」
感嘆の声は、思わずこぼれ落ちた。
沙由が見上げた先に広がるのは、一面の星空。どこまでも深い漆黒の夜空に、どこまでも明るく輝く満天の星たち。星は、今まで見た中で一番大きく、一番輝いていた。
「なんて……星が近いのっ……」
本当に、手を伸ばせば、すぐに届いてしまいそうだ。
「もっと近くで見てみるか?ほれっ」
「へっ……?」
横から伸びてきた手が、沙由が見上げていた一際大きな星を、まるで摘み取るように無造作に掴み、沙由の方へと突き出した。
「……。」
その手の中で輝いている星を見ながら、唖然とした表情を見せる沙由。
「何だ?いらないのか?」
星を手に持ちながら、何の惑いもなくそう言うのは、先程の青年であった。星を見ながら茫然としている沙由に、青年がどこか不思議そうに首を傾げる。
「いらないなら戻すぞ?」
「あなた……」
「……?」
取った星を元の位置に戻していた青年が、ポツリと呟かれた沙由の声に振り返る。
「あなたは一体……それにここは……」
「……。」
戸惑いの表情を見せる沙由に少し目を細めた後、青年が星を戻し終え、しっかりと沙由の方へ体を向き直らせる。
「俺の名は羅珠。射手座を司る悪魔だ」
「射手っ……?」
青年の言葉に、沙由が目を丸くする。
「そしてここは星魔界……」
青年が、すぐそこにある星空を見上げ、言い放つ。
「お前は新たな星魔王を選ぶため、この星魔界にやって来たんだ」
顔を下ろした青年が、まっすぐに沙由を見る。
「中嶋沙由……」
「えっ……」
その言葉に、沙由が大きく目を見開く。
「えっ……?」
もう一度、確かめるかのように、声を漏らす。
「えと……」
少しの間、俯き考え込んだ後、沙由がゆっくりと顔を上げ、青年の方を見た。
「やっぱり……いたんですね……」
「あっ?」
沙由の言葉に、青年が少し顔をしかめる。
「精霊って……」
「お前、俺の話、聞いてたかっ!!?」
ごく普通の名前。
ごく普通の日課。
ごく普通の女子高生。
ごく普通の見た目。
ごく普通の友人関係。
ごく普通の放課後。
ごく普通の帰り道。
ごく普通でない日々の始まり。
――――たぶん、普通の女の子でした。
あなたと出逢う、前までは……。
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