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第八章 最強の殺し屋  7月 2日 午後9時
 葵とシャーロットを乗せた車は、ホテルから一番近い所轄署に向かった。
「犯人はどうやって脱出したのかしら?」
 葵が尋ねると、シャーロットは真顔で、
「脱出してないんじゃないの?」
「あのね……」
「葵、貴女立場わかってる? 今は私は貴女の友人じゃないのよ。その質問には答えられないわ」
 シャーロットは妙に冷たい。彼女は何かを警戒しているようだ。運転している刑事か? いや違う。もっと上だ。シャーロットは、警察内部に妙な動きをしている部署があるのを知っているのだ。彼女は小さな紙片を葵の手にそっと渡した。葵はそれを刑事に気づかれないように見た。
( 盗聴の恐れあり? 公安が動いている? )
 葵はさすがに身震いしそうだった。公安が動いているとなると、一大事だ。やり方を考えないと、つけ込まれてしまうかも知れない。官庁の中には、葵達の存在を疎ましく思っている者もたくさんいるのだ。

 一方美咲達は、ファラを連れ、大原の車で葵のマンションに向かっていた。
「公安が動いているんですか?」
 後部座席で、ファラを気遣いながら美咲が尋ねた。大原は小さく頷き、
「そうだ。僕と茜ちゃんを尾行していたのは、間違いなく公安だよ。連中は遠巻きに尾行して、入れ替わりながら確実に追いつめて来る。僕が一緒だったから直接行動は控えたけど、美咲さんや茜ちゃんだけだったら、取り囲んで何らかの理由を付けて、連行していたかも知れないね」
「まァ……」
 美咲は驚きながらも、ファラの様子を観察していた。最初に比べて随分落ち着いたようだが、まだ震えている。
「今は尾行されていないようですね」
 美咲は顔を上げて後ろを見た。大原はフッと笑って、
「そのようだね。多分、水無月さんをマークしているんだろう。我々から得るものはないと判断したのだと思うよ」
「所長なら大丈夫ですよ。公安の人達なんて、一瞬で黙らせるスーパーテクがありますから」
 助手席の茜が陽気に言った。大原は茜をチラッと見て、
「水無月さんが気づいていればいいけど」
「シャーロットさんが教えていると思いますよ」
とは美咲。大原は口笛を吹いて、
「なるほど。彼女なら、そのくらいのことは気づいているだろうね」
と答えた。

 葵達を乗せた車は、所轄署の車寄せに停止した。シャーロットはその玄関先に、署長と警視総監が来ているのに気づき、仰天した。彼女は呆れ顔で葵を見て、
「貴女、何かしたわね?」
「何もしてないわよ。ただ、友人にちょっと連絡しただけよ」
 葵はすました顔で言ってのけた。
「水無月さん、申し訳ない。部下がとんだことを……」
 警視総監は自分からドアを開き、葵の手を取って降車の手助けをするほど恐縮していた。
「これは総監、お忙しいのに所轄署までお出かけですか? どうされたんです?」
 葵は意地悪そうな笑顔でそう尋ねた。警視総監は額の汗をハンドタオルで拭いながら、
「そういじめんで下さい。今回は我が方の勇み足です。ファラ王女を襲った殺し屋を始末したのは、他の誰かであって、貴女ではありません。とにかく、詳しい話は署長室で」
「わかりました」
 葵はシャーロットと共に、警視総監と署長に先導されて、警察署奥の署長室に向かった。周囲の刑事や警官達は、一体何者だという目で、葵達を見ていた。

 美咲達は葵のマンションに到着し、ファラ王女を葵の寝室に通し、葵のパジャマに着替えさせた。
「このマンションは私達の知り合い以外は住んでおりませんので、見知らぬ者が近づいたら、すぐにわかります」
と美咲は説明し、王女をベッドの端に腰掛けさせた。
「でも万が一に備えて、私と茜で守ります。王女様はお休み下さい」
「はい、でも……」
 ファラは不安そうだ。いくら一国の王女とは言え、所詮はまだ10代の少女なのだ。
「大丈夫です。絶対にお守りいたしますから」
「いえ、そういうことではないのです。私のせいで、皆さんが危ない目に遭われて」
 ファラが言うと、美咲は微笑んで、
「それもご心配なさらないで下さい。私達はプロですから」
と言った。その力強い言葉にファラはようやく安心したのか、ベッドに入り横になった。
「お休みなさい」
 ファラは二人に言い、目を閉じた。美咲は茜に目配せし、動いた。美咲は寝室の窓、茜はドアの近くに立ち、警戒に当たる。大原は寝室に通じる居間の椅子に座り、辺りの気配を探っていた。

 葵は署長室で、警視総監と向かい合って、来客用のソファに座っていた。シャーロットは外で待たされている。署長は席を外すように言われ、渋々外に出た。この署の主なのに、と言いたそうな顔つきだった。しかし警視総監相手では何も言えない。官僚とはそういうものだ。
「犯人の侵入経路はわかったの?」
 葵は唐突に尋ねた。総監はハンドタオルで汗を拭って、
「一課の報告ですと、浴室の窓のようです。屋上からロープを下げて降り、ガラスを割って侵入したようです」
「そう。で、どうやって浴室のファラを襲ってから、殺し屋共を始末したのかしら?」
「その辺はまだ不明です。もしかすると、殺し屋を始末してから王女を襲ったのかも知れませんし」
「殺された連中が、風通しを良くしてくれたものね」
 葵はソファに寄りかかり、総監を見た。
「公安は何を調べているの?」
「はっ?」
 総監のリアクションは、本当に何も知らないようだった。葵はすぐにそれを悟り、
「貴方が何も知らないとなると、警察庁の方かしら?」
「はァ。もし公安が動いているのであれば、警察庁でしょうね。大原君の方がわかるのでは?」
「そうね。それは大原君に訊いてみましょうか。それともう一つ」
「はい」
 総監はまるで上司と話す平巡査のようだった。葵は身を乗り出して、
「ソレイユと言う殺し屋の情報が知りたいの。日本に入国しているらしいことは聞いているんだけど」
「ソレイユですか。ICPOから照会があった殺し屋ですが、まだ何の情報も入っていませんね。一応、調べさせましょう。ただし、警察庁が独自に動いているとなると、難しいですよ」
「それは仕方のないことね」
 葵は肩を竦めた。総監は苦笑いをして、
「まァ、警察庁には私の同期や後輩もおりますから、うまく聞き出しますよ」
「ありがとう」
 葵はそう言って席を立った。
「水無月さん、お疲れ様です」
 葵が署長室を出ると、そこにはシャーロットの他にセシオが立っていた。葵はセシオを見て、
「セシオさん、こんなところで何してるの? 王女が襲われたんですよ」
「わかっております。しかし、私が王女を警護するまでもないようです」
 セシオの意味不明の言葉に、葵はシャーロットと顔を見合わせた。
「どういう意味?」
 葵の問いにセシオは声を潜めて、
「イスバハン王家には、王族を守護する者がおります。いわゆる、暗殺者( アサシン )です」
「アサシン?」
 葵とシャーロットは異口同音に尋ねた。セシオはフッと笑みを浮かべて、
「王族の守護者が動き出したとなれば、私は用済みでしょう。国王陛下も日本に向かわれているようですし」
「国王も? 余計危ないのでは?」
 シャーロットが言うと、セシオは、
「いいえ。守護者が動けば、何人もイスバハン王家の者を殺めることは叶いません。イスバハン王家の者は、世界で一番安全なのですよ」
「じゃあ何故最初からその守護者がファラ王女に同行しなかったの?」
 葵が不機嫌そうな顔で尋ねた。セシオは葵を見て、
「さァ、それは私にもわかりません。守護者は自分の意志で動くと聞いております。それに、我々に守護者と接する手段はないのです。水無月さんも、ホームズさんも、任務終了ということで。ありがとうございました」
「納得いかないわね」
 葵とシャーロットは申し合わせたかのように同時に言ってセシオを睨みつけた。
「そうおっしゃられても、私にはどうすることもできません。もちろん、お二人にはお約束の報酬は全額お支払いいたしますので」
とセシオは言うと、会釈してその場から立ち去ってしまった。葵はセシオの後ろ姿を憤然として見送ったが、
「シャーロット、報酬ってどういうこと?」
と今度はシャーロットを睨んだ。シャーロットは苦笑いして、
「ハハハ。それは聞かないで。私、クビになっちゃうからさ」
と歩き出した。葵はシャーロットを追いかけながら、
「それより、セシオってホントは何者なのかしら? 挙動がおかし過ぎるわ」
 シャーロットも真顔になって、
「そうね。何か裏がある感じがするわね」
 二人は警察署の玄関まで来た。
「これからどうするの?」
 シャーロットが尋ねた。葵は彼女に目を向けずに、
「私のマンションに行くわ」
「私も一緒に行っていい?」
「ダメよ。肝心な時に姿をくらましていた貴女は、別行動してよ」
 葵は冷たく言い放ち、シャーロットから逃げるように小走りで警察を出て行った。
「ホーント、つれないんだから、葵は」
と言いながらも、シャーロットは何やら嬉しそうに含み笑いをした。

 成田空港に、一機の自家用ジェット機が降り立った。ジェット機はゆっくりと滑走路を進み、端にある乗用車を目指した。乗用車の脇には黒いスーツ姿の大男が二人立っており、辺りを警戒していた。
「そこまで気を張る必要はない。国王陛下を狙う者など、この世界におらんよ。何故なら、国王陛下を狙ったが最後、そやつは死ぬまで逃亡生活を送ることになるからだ」
と乗用車の助手席に座っている男が言った。彼はイスバハン王国の日本国国交樹立委員会の委員長である。
「日本国の首相は、我が国を極秘に訪れ、我が国の国情を知っている。国王陛下が来日するのは、外務省すら知らぬ極秘事項だ。内閣官房のわずかな幹部が知っているのみだ。漏れる恐れはない」
 委員長はジェット機が停止するのを見て、助手席から外に出た。
「アッラーフ・アクバル」
 ジェット機から、一人の長身の老人が現れた。彼こそイスバハン王国の国王、エクセル・ピクノ・ルミナである。ファラの父親にしては歳を取り過ぎているように見えるが、彼女が第十子であると言えば、納得できよう。ファラの母親であるシンシア・ピクノ・ルミナは、第二夫人なのである。では何故第十子のファラが王位継承者なのか?その理由はやがて明らかになろう。
「ファラはまだ無事か?」
 国王は低い声で委員長に尋ねた。どういう意味であろうか?
「はい、まだご無事です」
「そうか。ゲームは始まったばかりであるからな」
 国王は不敵な笑みを浮かべて、乗用車の後部座席に乗り込んだ。その両脇を大男二人が固めた。
「ホテルへ向かえ。今日はひとまず休む」
「はい」
 乗用車は滑走路を離れ、空港の外へと向かった。

「所長、早かったですね」
 茜がドアを開いて出迎えた。葵は、
「まァね。それより王女は?」
「ベッドで眠っています」
「そう」
 葵はリヴィングルームに行くと、大原に目をやった。大原は立ち上がって、
「公安が動いていますよ」
「ええ。大原君、何とかならない?」
「無理ですよ。連中は公安と言っても、公安調査庁です。僕らとは全くの別物ですから」
「そっちの公安なの? それはまた厄介ね」
 葵は腕組みした。
「しかし公安調査庁が何故動くのか理由がわかりません。イスバハンがいくら不可解な国だとしても、公安調査庁が動くとは、穏やかじゃありませんよ」
「そうねェ」
と葵はソファに腰を下ろして脚を組んだ。
「警視総監くらいじゃ、太刀打ちできないくらいの大物が動いてるってことかしら?」
「そうですね。内閣官房辺りではないでしょうか」
 大原も向かいのソファに座った。
「もしかすると、首相が黒幕かしらね。ファラと二人で会った時のあいつの態度、妙だったわ」
「でも何故、という疑問が常に湧いて来ます。イスバハンに関して、我々は情報不足ですよ」
 葵は茜を見た。茜は頷いて美咲を呼んで来た。
「何でしょうか?」
 美咲は葵の脇に立って尋ねた。葵は美咲を見上げて、
「神戸君に訊いてほしいの。イスバハンがどんな国なのか。そして、外務省がイスバハンについて調べていることを」
「はい」
 大原が、
「篠原さんにも協力してもらいましょう。情報本部も何か知っているはずですよ」
と口を挟むと、葵は渋い顔をして、
「うーん」
と考え込んだ。すると茜が、
「どうして所長は篠原さんのことを毛嫌いするんですか?」
「だってあいつスケベなんだもん。必ず私の胸やお尻を触るんだから」
 葵はムッとして答えた。茜は、
「篠原さんだけですよ、所長にそんなことしてくれるの。あとはいないじゃないですか?」
「何ですって!?」
「きゃっ!」
 茜は葵の怒鳴り声に驚いて、パッと葵から離れた。大原は笑ってそれを見ていたが、
「とにかく、いろいろ調べる必要がありますね。僕はこれで失礼して、情報を集めてみます」
と真顔になって言い、立ち上がった。
「じゃあ茜ちゃん。デートの続きはまた今度ね」
「は、はい」
 茜は何故か赤面して応えた。
ポチッと押して下さると、小躍りして喜びます。


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