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飛ばされた人たちの出来事。
気がつくとサシャは白い部屋にいた。
床にへたり込んだ姿のまま、呆然と周りを見上げる。
目の前の白い衝だてがあり、その横には薬棚。奥には数台のベット。
消毒液の匂いにぼんやりとここが保健室であることがわかる。
突然そんな場所に飛ばされて驚いたが、混乱はしなかった。
一度大賢者に飛ばされた経験から、マンナが転移魔法を使ったのだと漠然とわかった。
辺りを見回すが誰もいない。
どうやら保険医はいないらしく、あたりに人の気配はない。

「・・・うっ・・・。」

完全に一人だとわかると再び涙腺が緩んで、サシャは再び静かにすすり泣いた。
惨めだった。
とっくに乗り越えたと思っていた過去が、あの男の顔を見たとき堰を切ったようにあふれ出して、サシャを襲った。
それは二年前。悲しくて悔しくてもどかしい子供のころの感情。
子供のサシャの言葉は大人には届かなくて、世界に絶望した時の記憶。
だが、あのときから二年経ち、サシャはそれらのことを忘れた。
自分は強くなった。乗り越えたから忘れたのだと思っていた。
だが、実際はちっとも進んでいなかった。
前に進むどころか、一歩も抜け出してなんかいなかった。
気がついたら目の前が真っ赤になって、あの男に向かって罵りながら、椅子を投げていた。
後先のことなんか考えもせずに。
あの男とマンナの会話を思い出す。
あの男はどうやら今は名を変えて、この塾の講師をしているらしい。
あの男は未だに教壇に立っている。サシャには信じられないことだった。
それにあの男の目。
完全に初対面の女を見る目つき。
サシャは今思えばこの二年間完全に忘れたことなどなかったのに。
ずっと苦しんできたのに、あの男は完全に忘れてあまつさえサシャに笑いかけた。
許せなかった。
だが、それでもあの時、堪えるべきだった。
サシャにはこうなりたい理想の大人の姿があった。
いつでも冷静で感情に惑わされない理知的な大人の女性。
サシャは幼いころから癇癪持ち、聞かん気の強い子供だった。
感情になりやすく、思い込んだら突っ走って止まれない。
だが、その性格のせいで二年前それまでサシャを取り巻いていた世界全てを失った。
二年前の子供の自分と決別するべくずっとそういう女性になるよう努力してきた。
最近になって、漸く思い描くような行動が取れるようになっていたと思っていた。
自分は変わったのだと信じていた。
あの時、男と差し向かった時だってそういう大人の対応が取れるのだと思っていた。
サシャの思い描いていた大人であるサシャは内心どう思おうと表面上は冷静なそぶりで挨拶しなければならない場面だった。
だってあの男は塾の講師だったから。
この塾はマーブルの両親に無理を言って入れてもらった塾だ。
問題を起こすことは彼らに、そしてそれを頼んだマーブルの顔に泥を塗ることになる。
どんな理由があれども、あそこは表面上でもにこやかに対応しておくべきだったのだ。
だが出来ずにアポロに怪我をさせ、マーブルの顔に泥を塗ってしまった。
また、周りの人を傷つけてしまった。
変わっていない自分に、変われない自分に心底絶望した。
ぎしりと奥に置いてあるベットのスプリングが鳴った音がした。
誰もいないと思っていたので、ぎくりとしてそちらを見る。
だが、それきり音はせず、室内は再び静けさを取り戻していた。
サシャは涙を袖口でぬぐい、そっと立ち上がると恐る恐る衝立を回ってベットを覗き込んだ。

「…アポロ……?」

衝立の向こうには簡易なパイプベットが三台置かれており、そのうちの一台にアポロが横たわっていた。
微動だにしないその姿に投げた椅子が当たって倒れた姿が重なり不安に駆られる。
確か頭を打ったような音が聞こえた。
胸が激しくざわつく。不安に早鐘のごとく打つ心音を無理やり無視して、そっとアポロの手首に触れた。
十代半ばの力強い脈動がそこからしっかりと伝わり、ほっとする。
だがついで触れた指先が冷たい。
何の気なしに手を伸ばして、そっと暖めるように包み込む。
体温を分けるように両手で覆うが、サシャの手では手の半ばくらいまでしか包めず、意外な手の大きさに驚いた。
その時、サシャは彼をどうやら姉のマーブルと同列に扱っている自分に気付く。
アポロはサシャにとってマーブルと言う親友の弟という位置づけだった。同い年だが、弟のような存在だと感じていた。
そっとサシャは彼の顔を見た
マーブルと同じ色の、だが短い髪が枕の上に散っている。
マーブルと同じような端正な顔立ちだが、あどけなさを多く残しながらも、姉とは違う線の固さを感じる輪郭。
長い睫もその奥の今は見えない瞳の色も同じなのに、まだ未発達ながらも確実に大人の男性に近づく彼の寝顔に思わずどきりとする。

(……なにを、考えているのでしょう?こんなときに。)

思わず、一人で赤面しながら顔を左右に振ると、アポロの頬に一筋の赤い筋を見つけてぎくりとする。
握っていた手を下ろし、そっと顔を覗き込む。
陶磁器のような滑らかな白い肌が目に入り、思わずいつもスキンケアに気を使いまくっている女の身としてはお手入れの仕方を聞きたくなった。
だがそれを無理やり頭の中から追い出して頬を見ると、縦に赤い傷を見つける。
擦過傷のような傷口にそう言えば椅子の足の先が顔のそばを掠めたのを思い出す。
きっとそのときに椅子の足で擦ったのだろう。
かすかに滲んでいる血はさほど出ていないが、白い肌に走った赤い傷跡を自分がつけたと思うと胸が痛くなる。

(こんなときに回復魔法の一つでも使えたら…。)

悔しさに下唇を軽くかみ締める。
サシャは魔法が大の苦手だった。回復魔法どころか、黒魔術はまったく使えず、自身の属性である地属性の最低魔法ですら、成功率五十パーセントくらいという有様だ。
もちろん昨日のクラッツの追試でも結局発動すらせず、再追試の判定を受けている。
Zクラスの人間であれば似たり寄ったりなのだが、普段断然回復量が多いマーブルに頼りきりなので余計上達しようと言う気が起きないでいた。
だが今はそんな浅ましさに後悔の念が渦巻く。
そしてこんな役に立たない人間をアポロとともにこの部屋に送ったマンナを少し恨む。

(マーブル…はだめでもカールかマンナ自身が来てくれれば、簡単に治してしまうのでしょうに…。)

カールは割りと何でも卒なくこなすので回復魔法は使える。
だが、なぜか彼はテストになるとやる気を無くすという妙なところがあり、彼もまた再追試組みなのだが。

(…これがいけないのかもですわね。)

何でも、他人を当てにしてしまう。
自身の出来ないことを他人にゆだねて努力使用ともしない。
それでは成長など望めない。

『魔法はな、思いの力で動かすんだ。』

不意に大賢者の声を思い出す。

『精霊魔法はこの地に根付く精霊を思いの力で屈服させて使役する。黒魔術は破壊の意思を相手に伝達して相手の守ろうとする意思を上回れば、発揮される。』

大賢者の授業は基礎をみっちりを基本なので耳にたこが出来るくらい繰り返し聞かされたため、そんな魔法の基本知識はZクラスの生徒達がいくら馬鹿でも、空でも思い出せるようになっていた。

(…では白魔法は?)

記憶の中の大賢者が意地悪く微笑む。

『相手を思い、自分を信じる心だよ。』

自分を信じる心。それは今サシャに一番欠けている心だ。
成長していると思ってちっとも変わっていなかった自分。
一時の感情で大事な人たちに傷を負わせてしまった。
こんな自分に本当に魔法など使えるのだろうか。
自問にさらに気持ちが落ち込み始めたとき、サシャが無意識に自分の唇の左端に手を当てた。

「…っ」

唇に、いや左頬に走った痛みに思わず顔をしかめる。
そこで初めてサシャはメントスに殴られたことを思い出した。

『いい加減にしろ!アポロに怪我までさせておいて、他にお前がするべきことは何だ!』

頬に手をやると今まで気付かなかったのがおかしな位熱を持って腫れていた。
まったく女に対してすら何の容赦もないメントスらしい。
だが、その言葉と痛みはサシャの決意を固めさせた。

「……今、私がするべきこと。やる前からあきらめるなんて許されませんわね。」

サシャはそっとアポロの眠る頬に手を添えた。
保健室。
いい響きだ…ふふふ〜。
保健室は学生時代に冷蔵庫になぜかあった卵に赤チンを注入し、赤卵を作ったのがよい思い出です。

つぬく。
特設頁

大賢者の教室入り口





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