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五百年の約束
「行ったか…。」

学園に向かって走り始めた生徒達を背の高い木のうえから大賢者は見下ろしながらつぶやいた。
その姿は夜の少女のものではなく、すでにいつもの少年の姿に戻っている。

「一時はどうなることかと思いましたけど、何とかなったみたいですわね。」

下の枝から聞こえた声に目を向けると上品そうな黒髪の美女が枝に行儀よく座っていた。
艶めいた長い黒髪に黒目がちなやや垂れ気味の優しい面差しの女性で、しとやかな雰囲気が明らかに木の上で浮いている。
だが、大賢者は気にした様子もなく彼女の名前を呼んだ。

「すまないな。マルタ。わざわざここまで来てもらって。」

パールディーにしては珍しく素直に礼を言うとマルタと呼ばれた女性はにっこり微笑んだ。

「いいえ。パールディー様。貴方の元使い魔として、現使い魔(グラナダ)の母として当然のことをしただけです。」

マルタはパールディーの現在は引退した使い魔だった女性だ。
グラナダを生んで以降、暫く彼女がパールディーの使い魔であったが、最近になって代替わりして、パールディーの新月の棲家の家守を現在はしている。
種族はグラナダ同様パンサーだが、その強さはグラナダなど足元にも及ばず、現在も現役時代と変わらない力の強さを保持している。
本来まだまだ未熟すぎるグラナダとは代を交代する必要はないのだが、彼女のたっての希望で代替わりが進められた。

「だが、本当に助かった。マルタが来てくれなかったら、あの時あの小僧をセルバの家まで運ぶことなど出来なかった。」
「私は、パールディー様がお作りになった魔法アイテムを運んだだけですわ。真に有能なのは貴方の作った物たちです。」

マルタはパールディーがメントスと遭遇した森でパールディーが困り果てているところに現れた。
それも、パールディーが万が一新月の夜に襲われたときの為に作っておいた魔法の封じられたアイテムを持って。
さまざまな効能のあるそれらのアイテムを駆使して、メントスの森歩きの傷を治し、体を乾かし、マルタがそっと見つからないようにセルバの家のベットまで運んでいったのだ。
そうすることで森を彷徨い、パールディーに出会った記憶を夢だと思い込ませるように仕向けた。
今のところメントスはまったくクラスメイトに昨日の夜のことを話そうとするそぶりは無い。
夢だったと思い込んでくれている。
そう断言するには時間は浅いが、思ったことをすぐ口にするような浅はかなメントスがすぐに級友にあの話をしない辺り大丈夫かと思える。
とりあえずの危機は脱したと言えそうだ。

「いや、それでもあれらを選んで持ってきてくれたのはお前の有能さだよ。しかもキラートスよけの薬まで。」

マルタの持ってきたアイテムの中にキラートスよけの薬もタイムリーに入っていた。
千里眼でも持っているかのような準備のよさに感心する。
それをこれ幸いと、セルバに渡すことが出来た。
まさに、かゆいところに手が届く使い魔の手である。

「まあ、嬉しい。お役に立てたのなら光栄ですわ。」
「それに比べて…。」

パールディーがじと目で下を睨んだ。

「うえ〜〜〜〜〜ん〜〜〜!こわいよ〜〜〜!」

にこやかに笑うマルタの足元から悲鳴に近い泣き声が聞こえてくる。
マルタの座る枝に一本のロープがくくりつけられており、そこから垂れ下がるロープに蓑虫よろしくグラナダが逆さに吊り下げられていた。

「…もうしわけありません。パールディー様。おろかの娘が大変ご迷惑をおかけして。」
「…まあ、そろそろ慣れてきたと言えなくもないけどな。」

遠い目をしたパールディーに、マルタが情けない娘を盛大に睨んだ。

「こわい〜〜。高いところこわ〜〜〜い〜〜〜!おかあさまぁぁぁ〜。許して〜。」

泣き喚くグラナダに、あくまで母の視線は冷たい。

「だめです。」
「うえ〜〜ん。」
「まったく、グータ!貴方ときたら生まれて三十年経つと言うのに、いつまでも子供みたいに。理由のいわず勝手に主人の下から数日いなくなったり、主人が無防備なときに自分のことを優先させていなくなるなど使い魔として言語道断です!」

娘の愛称を叫びながらマルタは鬼のような形相で娘をしかりつける。
その迫力たるやパールディーですら少し引いてみているほどだ。
それに小さな体をさらに小さくしながら、グラナダが怯えて涙を貯めた目で母親を見た。

「だあってぇ、綺麗な鳥がいたから捕まえようと思ってたら夢中になっちゃんて…。」
「言い訳をしない!それに!」

びしっと指を顔に突きつける。

「また、太ったのではなくて?!」
「ぎくっ!」
「貴方の口の周りから、なにやら甘い匂いとかするのだけど…?…パールディー様?」

ただならぬ雰囲気に思わず大賢者は後ずさる。

「っ!私じゃないぞ!他の奴らからもらったんじゃないか?」

パンサーは俊敏さが売りの魔物であり、それをキープするにはしなやかな筋肉と適正な体重管理が求められる。
だがグラナダは食べることが好きで、それらのパンサーの特性そっちのけで太るので、マルタは娘の体重管理を徹底していた。
それは主人であるパールディーも巻き込んで、決して余計なカロリーを取ることのないように徹底して指導していた。
このことになるとマルタはかなり神経質になるし、使い魔がいざと言うときに体重が重くて役に立たないのではパールディーも困るのでこのことについては協力するように勤めている。
なので、パールディーがグラナダに何か食べ物を余分にやることは無い。

「そうですわね。でも…へえええ、しかもかなり大きな砂糖菓子のようね。かなり広範囲から匂いがします。グータ、貴方・・・。」
「ふみゅい!」
「パンサーとしての誇りを持てといつもいつも言っているでしょうが!ぶくぶく太ったパンサーなど豚以下の存在だわ〜〜〜〜!」

怒りの発露と共に電撃がグラナダを直撃する。
パンサーは簡単な魔法が使え、マルタはその中でもかなり魔力の高いパンサーだった。
そのため、感情が高ぶると勝手に魔法が発動し、相手を攻撃することがある。

「うにゃ〜〜!」

雷の直撃にしびれたグラナダの悲鳴が木霊する。

「まったく!使い魔の自覚を持てば少しは甘さが取れると思ったのに。・・・パールディー様、申し訳ありません。」

深々と謝る元使い魔の女性にパールディーは少し寂しそうに目を細めた。

「……パールディー。か。」
「?どうかされましたか?」

不思議そうに聞く、マルタにパールディーはいや、と軽く首を振る。
それから勤めて明るい声で言った。

「大したことではないんだが、マルタ。パールディーとは呼びにくい名ではないか?」
「そんなことは・・・。」
「いや、呼びにくいだろう?それならパディと…。」
「パールディー様。」

名を呼ばれてはっとする。
何を向きになっているのだろう。
気まずい雰囲気にパールディーはマルタから目を逸らす。

「私達は使い魔です。使い魔が主人を愛称で呼ぶことは許されません。」
「……、すまない。」
「いえ、主人の意向に添えないのは心苦しいのですが、こればかりはお許しください。」
「いや、我侭を言ったのはこっちだ。悪かった。前も言われていたのだったのにな。」

マルタと使い魔の契約を行ったとき、パールディーは一度今回と同じような提案をしていたが断られていた経験があった。
少し寂しそうに微笑む主人の顔をマルタはじっと見た。
それから森の中に目をやり、その中を駆けていく少年達を見つめる。

「……彼らを見て、お仲間を思い出しましたか?」

パールディーは答えなかったが、逸らされた目線の先に彼らがいる。
それが何よりの証拠だと言えた。
おそらく昨晩、あの少年と昔の姿で触れ合って、昔を思い出したのだろう。
マルタは自身より遥かに長寿のこの大賢者が実は大層寂しがり屋だということを見抜いていた。
だが、それはパールディー自身が一番触れられたくない部分であることもわかっていたので、それ以上何も言わなかった。
暫く沈黙が続いた。
そして徐に口を開いたのは大賢者だった。

「…あの子達はあいつらとは違う。姿形も性格も、全て。…わかっているのにな。」

皮肉めいた口調で口を歪める主人に、マルタは痛ましげに目を伏せた。
もう、何百年独りでいたのかわからないこの少年姿の大賢者は孤独だった。
かつて心を許しあった仲間は当になく、それでもかの賢者は生きている。
魔物を封じた封印の守人、その役目だけをずっと己の身に科しながら。
深い溜息がもれる音がした。

「約束を、な。…したんだ。」

不意に大賢者がそう言った。
マルタが主人の顔に目を向けると、その目は閉じられ、口元には寂しげな微笑が浮かんでいる。

「…約束、ですか?」
「ああ、あの戦いの前に『もう一度皆で集う』と。」

誰が、とは聞かなかった。
聞かずともわかる。五人のかつてのパールディーの仲間達のことだ。
だが、その約束は果たされることは無かった。
オーリードがかの戦いで命を落とし、皆が揃うことはなく、結局他の英雄達も戦いの後ばらばらになり、それぞれの国を興すために奔走し、それに生涯を捧げ、亡くなったはずだ。
パールディーにその後、会うこともなかったと聞いている。

「たとえ『死んでもまた生まれ変わって』なんて馬鹿が言ったりして。…縁起でもないと叩いてやったんだが。」

おそらくその言葉を発した人物はその言葉の通り帰らない人となった。

「わかっているんだよ。生まれ変わりなんて無いって。そんな不確かなもの。もう、私を愛称で呼ぶものなどいないということも。」

誰にともなく口にする大賢者の顔は微笑んでいたが、マルタには寂しい悲しい表情にしか見えなかった。
今、主人の記憶に残る声はすでに過去のものだ。
愛称を口にした人間もすでに土に帰ってどの位立つだろう。
その種族ゆえに、人とは暮らせず、ずっと親しい人間もいない孤独。
同族を封印した故に同族にも反逆者としてしか見てもらえない。
自身が選んだ道だとしても、ひどく悲しく寂しい。
マルタには主人の歩んできた道を想像することも出来ない。
だが、その悲しい魂に涙を流しかけたときだった。

「パディ」
「!」

突然聞こえた声に目を向けると、なにやら森の中を走る生徒達が走りながら騒いでいるのが見えた。

「だ〜か〜ら〜!パディせんせ!いつまでも大賢者とか呼んでられないでしょ?」

そうわめいているのは一番最後尾を行くマーブルだ。

「でも、なんで『パディ』なんだよ。言うならパールディー先生だろ?」

眉間に皺を寄せてカールが反論する。

「言いにくいもの!それにパディせんせの方が可愛いし。」
「可愛いとかで決めていいのかよ?」

やや呆れたようにメントスが言うと、今度はサシャが反論してきた。

「まあ、呼び方に語感(ニュアンス)は大切ですのよ。」
「それ以前にパディと呼んで、あの大賢者が納得するのか?」
「それもあるけど、どうしてこんな話になったわけ?」

その後もわいわいと話をしながら走る生徒達にマルタは呆れた視線を向けた。
随分とのんきな会話もあったものだ。
あと、半日で学園まで魔物のでるともしれない森を走りきらないといけないと言うのに、緊張感のかけらも無い。
昨日魔物に殺されかけたと言うのにである。

「…まったくあいつらは。」

頭上から聞こえてきた声にはっとしてマルタは主人の顔を見た。

「随分とぼけた会話をしよって。緊張感の無い。まだ、自分達の立場がわかっていないようだな。」

にやりと不敵に笑うその顔に先ほどの寂しさなど微塵も見られない。

「まだまだ、鍛え方が足りんようだな。くくく、ならばまた学園に戻ってきたら課題を与えねばなぁ。」

目に暗い光を宿して不気味に笑う大賢者の顔に嗜虐の色を見つけマルタは思わず身を引いてしまう。
だが、大賢者はそんなマルタの様子に気付かず、マルタに命令した。

「マルタ。私はどうやらあの馬鹿どもにまだまだ教育しなければならないらしい。先に帰って出迎えてやろうではないか。盛大に準備をしてな。」
「そ、そうですか…。」

そのあまりの毒気に思わず引きつり笑いをする。
だが大賢者はあくまで楽しそうだ。
だが、マルタはそれでも先ほどの寂しそうな顔よりよほどこの表情のほうが主人に似合っていると思った。

「さあ、いくぞ。」
「はい。ご主人様(マスター)の仰せのままに。」

マルタは主人にひざまづき、頭を垂れる。
その肩に手を置き、パールディーは素早く呪文を唱えた。
浮遊感が、二人を包む中、マルタはふと何かを忘れているような気がした。
だが、それを自覚する前に二人の姿がその場から消えた。

「わ〜〜〜!お母様〜〜!ご主人様〜〜〜!!グラナダを置いていかないで〜〜!!」

枝に縄で吊り下げられたまま、グラナダの絶叫が盛りに響いていた。
はい。
最後の最後に新きゃらだすな、と。
あはは、…すんまそん。

とりあえず一部完結です。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
本編はまだまだ続きますので、お時間があるときでよいのでよろしくお願いします!
特設頁

大賢者の教室入り口





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