大賢者の秘密その1
さて、メントスが目覚める数十分前に話は遡る。
そこはメントスが少女に出会い、溺れた泉だ。
新月の静かな夜、流れ落ちる滝の水音しかしない中で突然水面に少女の顔が浮き上がる。
「…ぷはっ!」
泉で水浴びをしていた少女だ。
少女の傍らには冷たくなって少女の髪よりも白い顔をしたメントスの顔がある。
少女はメントスの体を羽交い絞めにして、力いっぱい泳いで浮上させたのだ。
元々少女の体は少年とはいえ男のメントスよりも小さい。
浮力があるとはいえ、自分より体の大きい相手を捕まえたまま泳ぐのは至難の業だ。
それを何とか引っ張って岸まで連れて行く。
そしてメントスの体を岸に半分まで引き上げ、自身も泉から出て、少年の体を引っ張って完全に引っ張りあげる。
浮力も無い地上では水を吸った服を着たメントスは予想以上に重くて、少女はかなり踏ん張らなければならかったが、なんとか引き上げることに成功する。
水に浸かっていた足が完全に地上に上がったのを確認してから、少女はメントスを離し、自身も地に倒れこんだ。
全裸の上、全身ずぶぬれだったため体が汚れるが、構いはしなかった。
荒い呼吸を収めるように大きく呼吸する。
それから呼吸が少しだけ収まったのを確認してのろのろと起き上がりメントスに近づく。
顔を覗き込み、唇に耳を近づける。呼吸する音がする。
泉の中で水を飲んでいたようだが、早々に人工呼吸を行ったのが功を奏したのだろう。
乱れているが、確かな呼吸が聞こえた。
念のため濡れた服の上から耳を当て、心音も確かめる。若く力強い鼓動が聞こえ、無事を確認する。
少女は漸く安心したように息をつき、その場にへたれ込んだ。
心臓の音が早い。
まったくどうなることかとひやひやした。
少年一人自ら引き上げるのにこれほど体力を使うとは思わなかった。
やはりこの姿ではあまり無理はできないと感じる。
不意に目の前に垂れてきた長い髪をかき上げながら少女、パールディーは強く目を瞑った。
再び目を開けるとメントスの顔を覗き込む。
その顔は水から上がったことで体温を取り戻してきているらしく血色が戻ってきている。
濡れていたが先ほど溺れかけた人間とは思えないほど、能天気に見えた。
ちょっと腹が立って頭を軽く小突く。
なんてのんきな顔をしているのだろう。
パールディーのこの姿を見たにも関わらずだ。
おそらくメントス以外が今のパールディーの姿を見たら同じ反応をして叫ぶだろう。
驚愕と恐れ、畏怖を貼り付け、『魔族』と。
魔族とは魔物でも最も魔力が高く残酷なかつての大陸の支配者である。
白い髪も赤い瞳も黒褐色の肌も全て純魔族を現す特徴だった。
髪に隠れて見えにくかったとはいえ、耳も尖っている。
歯をむけば犬歯は人間のそれより発達している。
おおよそ、昔の文献に描写される魔族の具現のようなパールディーの容姿である。
そしてそれは確かにパールディーの属する種族の名前だった。
魔族は人が入植する前からのこの大陸の覇者だった。
それゆえにかこの大陸に属する全ての精霊の力を借り受け、行使することが出来た。
人には考えられない強大な魔力もあり得ない寿命もそれ故だ。
パールディー自身は知らないが、かつて寮の部屋でカールがパールディーの正体について考えたとき、ある可能性として心の中で導き出したのはのパールディーが魔族であるという仮説だった。
通常、魔族は一匹狼的に生活し、残忍で残酷。
破壊衝動も強く、魔獣を従え、人に対して容赦なく襲い殺すほど残忍な種族だ。
しかし、パールディーは生まれながらに破壊衝動が低く、そして生まれてすぐに人に育てられたため、非常に親人間派な魔族だった。
だが、それでも人は彼女の容姿を恐れたし、退治しようとする。
また、女であることも災いした。
魔族の女は極端に少ないため、強い子孫を残そうとする男魔族に力の弱いうちは襲われ続けたのだ。
それを防ぐために普段は姿を偽り、少年の姿をしている。
普段の服装が身の丈に合わないローブなのは実際の姿に戻ったときにある程度肌を隠すための措置だ。
そうやってずっと独りで生きてきた。
そんな彼女は普段はいつも少年の姿だが、どうしても元の姿に戻ってしまう時間がある。
それが新月の夜だった。
魔力が消えるこの夜には彼女の変化の魔法も解けてしまう。
姿が戻り、魔法の無い彼女は文字通り、ただの小娘と化してしまう。
そして普段は魔法で筋力補強しているせいで、魔法が解けたときに普通の村娘より力が無くなっているのである。
だから、この晩だけは過去一部の例外を除いて誰とも一緒にいることは無かった。
その例外がかつての仲間である英雄達である。
彼らは彼女が魔族だと知った上で仲間と呼んでくれた数少ない人間なのだ。
彼ら以降人間と一緒にこの夜を迎えることはなかった。
だが。
横に眠る少年の顔を見る。
意識がないとはいえ、新月の夜にこうして人間を傍らにするのは五百年振りである。
まったくこっちの気も知らないでと、鼻をはじくとメントスの目じりから水滴が流れ落ちた。
濡れていたせいかと思ったが、次々に零れる水滴に泣いていることに気付く。
だが、それだけだ。その表情は変わらない。悲しそうな顔もしていないしさびしそうでも無い。
だが、無表情で泣き続けるメントスの姿は誰よりも慟哭しているように思えた。
思わず、少年の頭を抱え、抱きしめた。
「…泣くな。」
幼子にするように何度も背中を軽く叩いてやる。
「…泣かないで。」
守るから。
この世界を。お前達が生きる世界を私が守り続けるから。
かつてある男に約束した。
この世界を、英雄の末の生きるこの大地を、人間を守ると誓った。
最後のそして最悪の約束は確かに今を生きるパールディーを支えていた。
そして誰よりも信頼しあった仲間達との約束とを持ってパールディーは五百年と言う長い長いときを独り生きてきた。
メントスは似ている。
残酷で自信過剰で最低で最悪な剣の腕だけは確かなあの男に。
髪の色も違う、目の色だって違う。
彼の直接の祖であるかの国の初代はあの男とは違って、もっと優しく責任感の強い男だった。
(…だが、血は同じなのだな。)
あの馬鹿で格好つけのあの男と同じだ。
幼く未熟だか、苛烈な魂。
昼のメントスの行動を思い出す。
まっすぐ、自分の正しいと思ったことを躊躇することなく弾劾する。
それは幼くそして愚かしい行為だと少し知恵の回るものなら思うだろう。
だが、パールディーは彼の愚かしさはその純粋さゆえだろうと思う。
まっすぐしか見ない彼はいつだってパールディーを見たままで、感じたままでしか評価しなかった。
媚びたりしない、誰になんと言われても、その意見に左右されることはない。
この姿で出会ったときも単純に驚いてはいたが、恐れたりはしなかった。
単純に魔族の容姿を知らなかったとしても、この人に無いまがまがしい色の肌や目を見て怯える人間が少なくない。
頑ななまでの純粋さ。
パールディーには眩しくて好ましい光だ。
「…大丈夫だよ。いつかその涙に打ち勝つ強さを持てるから。その純粋さを失わなければいつか必ず。」
かつてパールディーが世界に絶望したときに救ってくれた太陽みたいな男の血を引く子孫。
彼らが生きる世界を守るためにここにいる。
迷ったときに道を照らす光となるために。
いつの間にかメントスの涙は止まり、おだやかな寝顔のまま懇々と眠り続けている。
そっと、頭を下ろしてやり寝かしてやる。
それから自身の体が倒れこんだ際に汚れたことに気付き、再び泉に濯ぎに行く。
メントスのことは気になったが、呼吸をしているし、若いから何とかなるだろうと思い、残して滝で身を清めた。
それから岸に上がると茂みに隠してあった服を取り出し、まだ水の滴る状態だったが下着もつけずに羽織る。
その服は少し薄汚れたフードつきの黒いローブ。
少し丈が短いのか、本来足元まで隠れるローブが、少女の太ももが見えている。
普段は大きめに見えるこのローブも万一本来の姿に戻った時のためにいつも着ている代物だ。
パールディーはあまり着る物に頓着しないため、それがどれだけちぐはぐに見えても気にしない。
とりあえず大事なところだけ隠せればいいと考えている。
森に向かって声を上げた。
「グラナダ!いないのか。」
『はーい。ご主人様。』
声と共に近くの茂みが揺れる。
そこから現れたのはパールディーの腰ほどもある大きな四足歩行の真っ黒な毛並みの魔獣だった。
口にはなぜか小鳥が咥えられている。
豹に似た生き物でその牙は鋭く、獰猛そうな顔つきだ。
その獣に向かってパールディーは恐れることもなく言った。
「グラナダ、お前どこに行っていた?ちゃんと見張っていたんだろうな。」
グラナダと呼ばれた魔獣は昼の少女の姿をした使い魔と同一の存在だ。
彼女もまた魔物なので、パールディーと同様変化の術が解け、本来の姿を晒していた。
本来、使い魔と言えども術が解ける新月の夜は魔獣と一緒にはいることは無い。
だが、グラナダは母親のお腹の中にいた頃からパールディーは知っており、その出産にすら立ち会った魔獣だった。
身重だった母親が他の獣に襲われているのを助けて以来、母子ともどもパールディーに絶対の忠誠を誓っていた。
グラナダの本性は黒豹に似たパンサーと呼ばれる種類の魔獣だ。
魔獣としてのランクを言えば、キラートスなど及びもしないほど、上位に位置し、単純な構成だけだが魔術も駆使することも出来る。
知性があり、魔族のペットとしても高い人気をかつては誇っていた。
しかし、そのほとんどが魔族と共に英雄が施した封印の中に封じられたため、一部封印を免れた者のみが現在世界にて細々と種をつないでいるという状態だった。
そのためあまり今の人間にその存在が知られていない魔獣の一つだった。
魔獣は魔力への依存度が低いので新月の夜でもいきなり力が落ちたりはしないので、水浴びをする間、周りに誰も来ないように見張っているように命じておいたのだが。
『あい〜。ちゃんと見張ってましたよ。』
獣姿のグラナダとは言葉で話すことは出来ないため、念話を送ってくる。
念話は長距離でなければさほど魔力を使わずに済むのでこんな魔力が低下している時間でも何とか使える魔法の一つだ。
「だったら、これはなんだ。」
そう言ってメントスに指を向ける。
魔獣の首がかすかに傾いた。
『あっれ〜?メントスさん。なんでここに?』
「なんの妨害もなくここに入ってこれたようだがな。」
『ええ、そんな!ちゃんとグラナダは見張ってましたよぉ!』
あくまで言い訳をする魔獣に華奢な少女の相貌が細くなる。
「…ほお、それじゃあ、お前のその口に咥えているものはなんだ?」
『あ、これですか♪いいでしょ?さっき捕まえたんです。結構すばしっこくてなかなか捕まえられなかったんですけど、綺麗でしょ?かあさまへのお土産に…。ぴぎゃー!』
パールディーは四足歩行の動物に器用にさそり固めを決めていた。
「お・ま・え・は!見張りがどこかに行っていたのでは話しにならんだろうが!ええ!」
『ぴょぎゃ〜〜〜!ロープ!ご主人様、ロープ!』
「やかましい!」
そうしてしばらくさそり固めを決めたまま、グラナダに反省を促し、漸く謝ったところで離した。
パールディーは少し上がった息を整えながら使い魔を睨みつける。
「まったく、お前という奴は。口ばかり達者になって。」
『ふい〜ん。ひどいよお〜!ご主人様〜。』
「どっちがひどいんだよ。こいつが入ってきたおかげで、私は溺れたこいつを引き上げたり何なりしなきゃならなかったんだぞ!」
『え〜、でもご主人様。なんだかいい雰囲気だったじゃないですか。メントスさん抱きしめたりしちゃって。』
「………なんだと?」
『グラナダは気を利かせたのです。それをグラナダが一方的に悪いみたいに…。』
言わなくてもいいことを言っていることに気付かない使い魔は、いつの間にかパールディーが不穏に近づいていることにも気付かない。
「…ほお、とどのつまりお前は私が必死でこいつを引き上げているときにのんきに見ていたのだな。」
『まあ、途中からですけどね〜。メントスさんが泉に落ちてすっごい音がしたから見に戻ったんですよ。そしたら二人がなんだかいいふ…のりゅがおえ〜〜〜!』
パンサーの体に少女の拷問コブラの技が炸裂する。
「…一辺、本気で教育しなおしたろか、こらあ!」
『みぎゃあああああ!』
念話の声と共に獣の咆哮があたりに木霊する。
気の弱い鳥の逃げる羽ばたきが夜の森に響いていた。
驚愕の事実発覚!?
大賢者主従の正体。
まあ、最後はいつものノリで。
特設頁

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