新月の夜その1
「…しまった。迷った。」
メントスは夜の森で途方に暮れていた。
大賢者と別れ、村人やクラスメイトとキラートスの後始末に奔走した夜だった。
何とか全ての死体を火にくべ終えて、メントスたち五人はセルバに「後は村人でやるからさきに休んでくれ」と言われ、セルバに自宅を提供された。
一応、事件の関係者として、最後まで手伝おうと思っていたが、昼間の戦闘と朝からの歩き詰めで、いくら若いとはいえ、もう体力的に限界だったので、言葉に甘えた。
セルバの家は村長の家のはす向かいにあり、運よくキラートスの破壊を免れていた。
その大きさは一般の民家より少し大きい程度で、村長宅に比べるとあまり村の代表が住むには質素な気がした。
しかし、ナダ村の本来の経済力を考えれば、おそらくこちらが正しく、村長宅は異質なのだろうと思われた。
だが、質素な外観とは違い、内装は簡素ながら温かみ溢れて、清潔であり住人の人柄のよさがにじみ出ているようだった。
(ま、あそこがたとえ馬小屋だろうと関係なかっただろうけど。)
セルバの家の印象を思い出しながらメントスは一人ごちた。
メントスが考えたとおり、それがどこであろうと関係は無かった。
メントスたち五人は家に入り、ベットを見つけるなり皆、糸が切れた人間のように倒れこんだ。そのまま意識が落ちるのに数秒かかったかわからない。
ただ、そのまま気を失うように眠りに入った。
だが、メントスは突然真夜中に目が覚めてしまった。
あまりに疲れすぎていると、かえって目が冴えてしまうと聞いたことがあった。
体は疲れを訴えているが、意識は落ちる気配は無い。
しばらく、もう一度眠るように頑張ってみたが、まったく眠気は訪れなかった。
仕方なく、メントスは両脇に眠るカールとアポロ、女性陣は別の部屋で寝ている、を起こさないようにそっと立ち上がり、部屋を後にした。
そして、玄関を出て、外に出る。
軽く夜気に当たればまた眠気が訪れるかも知れないと思ったのだ。
だが、今はその行動を激しく後悔していた。
外に出さえしなければ、思いつきで夜の森を散歩しようなどと言う愚考を犯すことなど無かったのだから。
迷いの森と呼ばれるオームの森。
村が見える範囲での散策だったはずなのにいつの間にかメントスは村の明かりを見失っていた。
辺りは暗く、時折飛び立つ鳥の羽ばたきにびくりとする。
奇怪な形の枝の多いオームの森の木々は昼より尚、不気味さを増し、メントスは知らず身震いした。
さらに厄介なことにその日は新月だった。
月の明かりの望めない今日は森をより暗く、そして周囲を闇に包みメントスの行く手を覆い隠していた。
普通の新月の晩なら明かりを持って出たのだが、運悪くナダ村のその日の夜はキラートスを焼くための火を村人が寝ずの番で見守っていた。
そのため、村の中は明るく村の近くの森の散歩程度なら明かりなど無くても問題はなかった。
それが完全に裏目に出た。
メントスは空を見上げた。
そこには星の小さな明かりだけが黒々とした木の隙間から見て取れる。
だが、月と違い、その明かりは頼りなく森の中まで入ることは無い。
かつて世界の新月は特別な日だった。
月は全ての魔力の源とされ、月の満ち欠けによって世界を包む魔力量が変化すると言われている。
人間は元々魔力への依存度が低く、魔力容量も少ないので月の満ち欠けによってさほどの影響は無い。
だが、かつてこの大陸を支配していた魔物という最も魔力保有の容量の大きい生き物の活動の活発さにも影響を及ぼしていたため、その下で生きる人間にも完全に無関係と言うわけにはいかなかった。
最も魔力が満ち、魔物の動きが活発になる満月の日には人間は家に篭って彼らの害が自分に及ばないよう小さく縮こまっていなければならなかった。
だが、新月の晩は逆に世界を覆う魔力が極端に低くなるため、活動のほとんどに魔力が必要な魔物は動くことすらままならなくなるのだ。
そうなれば、人間にすら劣るほどの能力しかなくなってしまうため、魔物は夜が明けるまで誰の目にも留まらない場所で隠れて過ごすのである。
そのときだけが人間にとって、一番安心して過ごすことの出来る夜であり、五百年前に六英雄によって魔物が封印されるまで、唯一人間が地上の支配者になれる時間帯であったのだ。
今でも新月の夜は特別とされ、各地で祭や儀式が行われるのは決まって新月の夜だった。
これらのことは大陸のものならば誰でも嫌と言うほど聞かされる話であり、流石のメントスも知っていた。
メントスが夜に危険とされるオームの森を散歩するという愚考を起こしたのもある意味この知識のせいであるところが大きい。
オームの森で危険とされているのは魔物であり、村や森の中で襲われたキラートスもこの晩ばかりは出くわす可能性は無いだろうと思ったからだった。
キラートスは魔物の中でも魔力の強い魔族ではなく魔獣であり、その魔力の容量も魔族と比べ物にはならないが、それでも新月の夜にはほとんど動かないくらいだから、新月の晩の魔物に対する安全神話は絶対だった。
「…だが、森の中で迷って、野垂れ死んだら新月とかまったく関係ないよな。」
思わず、独り言がもれる。
時々飛び出している小枝を顔の前に腕を翳しよけながら、ひたすら歩く。
ともかく夜明けまでには森から出なくてはならない。
メントスは今シャツ一枚に制服のズボンと言う軽装だった。
その上、武器になるようなものをまったく装備していなかった。
もともとちょっとの散歩のつもりで出てきたのだから当然と言えば当然である。
だが、このような状態で魔物に出会ったら、戦うどころか逃げることさえ出来ないだろう。
月よりは大分劣るが太陽も魔力を司り、世界に魔力をもたらす存在である。
だが、月と違い、満ち欠けしないため、日中は魔力が常に世界にある程度溢れる状態となるため、夜が明ければ、再び魔物はその動きを取り戻してしまう。
その前になんとしてもこの森を抜けて、村に戻る必要があった。
「…まったく、何で俺がこんな目に…。」
歩き続けながら、悪態をつく。
セルバの家で少し睡眠をとったおかげで、少しは回復していたとはいえ、あれほど体を酷使した後の、森の徘徊である。
すでに足は限界にきつつある。
「それもこれも、あの大賢者のせいだ。」
ぶつぶつ、不満をここにいない人物に向ける。
そもそも、森を彷徨うことになったのはメントスの不注意のせいであったが、だがそんな行動をとった原因に大賢者が村長宅に消える前に口にした謎かけのようなあの言葉があった。
一度は村のキラートスの始末が先と割り切って、頭から追い出した言葉だったが、それがひと段落し、一度休んだ後、冴えてしまった頭にぽっかりと浮かんできた。
『お前はお前であり、お前でしかない。お前以上でもお前以下でもないんだ。』
何を、当たり前のことを。と思う。
だが、それと同時になぜこの言葉を大賢者ほどの人間がメントスに与えたのか疑問があった。
それを考えているうちにどんどん眠れなくなり、一度じっくり考えるために外に出たのだ。
だが、外には村人が大勢いて、騒々しかった。
一人で静かに考えたかったため、深くも考えず、誰もいない森に足を向けたのだった。
そしてぼんやり考え事をしながら歩いているていたら、完全に村の明かりを見失ってしまったわけなのである。
メントスはとりあえず、その言葉に対する疑問を頭から切り離した。
ただでさえ、迷いやすく、そして迷っている道中である。
他所事を考えながら歩く愚行をこれ以上犯したくなかった。
どれくらい歩いたのか。
三時間くらい歩いた気分だったが、案外三十分も経っていないような気もする。
とうとう疲れ果ててメントスは歩きを止めた。
行けども行けども景色は変わらない。
星は空に出ているけれども、鬱蒼と茂る森の木々に阻まれ、方角を知ることすら適わない。
元々強大な魔力を誇る魔族を迷わせるほどの強力な結界の置かれた森だ。
英雄の子孫であるが、ただの人間であるメントスに抜け出せることなど本当に出来るのか。
絶望感に胸がひやりとする。
あのキラートスを相手にして生き延びたと言うのに、こんなところで死ぬのか。
メントスの胸に諦めが忍び寄ってきたときだった。
「?……人の声?」
微かにだが、声が聞こえてきた。
それは小さいが、森の木々が揺れる音や小動物が動く音ではない。
確かに、高く、伸びやかに静かな空間に流れる声。
「…歌だ。」
その声は、美しい旋律を奏でていた。
高く、耳に心地いい。
メントスは思わず、その声に聞き入った。
どこかで聞いたことのある旋律。
絶望しかけた胸に染み込む様な暖かさを感じた。
メントスの足が再び動き出した。
誘われるように、声のするほうに足を向ける。
怪しいとは思った。
こんな深夜のしかもオームの森という場所に普通の女性がいるわけが無い。
そう頭でわかっていてもメントスはその歌声に惹かれる自分を抑えることは出来なかった。
かつて歌で男達を惑わし、誘い込んで食ってしまうと言われた女の魔物セイレーンが歌ったらこんな感じなのかと思う。
だが、不思議と大丈夫な気がしていた。
なんの根拠も無かったが、妙な確信だけはあった。
メントスは誘われるままに歩き、そして。
視界が開けた。
特設頁

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