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  幻影金魚 作者:takao
第3話 ひとりで
 暗闇の中、少女は膝を抱いて思う。
 ――このイライラは、なんなんだろう。

 あさぎは中学三年生の頃、地区で一番成績のよい高校を受けたかったが、成績が足りなくて二番目の高校を受け、今の高校に入学した。おかげで成績は悪くないものの、かといって主席というわけでもない。
 また、特に何か能力に秀でていることもないので、部活で才能を発揮ということもない。
 普通に身だしなみには気を使ってはいるが、地味なほうだから「モテる」ということはなく、女子の友達はそれなりにいるが、男子との個人的なやりとりはしていない。
 文芸部に友達と入ったものの、本を少し読む程度だから、先輩のように人目を引く文章も書けず、表現する言葉自体が思いつかずにもどかしい思いをしている。

 ――なんだか、自分は、つまらない人間だ。

 そんなことを思いながら、あさぎがその暗闇の中、ベッドの上に身体を横たえれば金魚が舞い出す。
 そしてその幻影と同時に、こんな自分がたった一度だけ、「女」扱いされたあの日のことを思い出す。
 あさぎにとって「あの時」はただ驚き、嬉しくなど感じられなかった。しかしあの日あった出来事は、こんな風に自分の居場所が見つからない気分の時に思い出せば、あの時、確かに自分はそこに存在していた、そこに生きていたのだと――大げさであるが、そんな風にすら感じるのだった。

 あの日されたことが、もし自分の身体を傷つけられたり、人格を否定するような乱暴な行為であれば、あさぎはこんな気分にはならなかっただろう。微かに触れられただけ、時間にしてもほんの少しのまるで夢のような、子供の戯れであった。
 しかしただの「雌」としてでも、「あさぎ」という存在を求められたこと――それは、「私はここにいるよ」ともどかしく思う思春期の少女にとっては、そんな行為であっても、自分がここに存在している証にさえ思えるものであった。
 未知の性行為に憧れる理由はそういった深層心理もあるのかもしれなかった。

 しかしだからと言って、誰もいいわけでもない、ともあさぎは思っている。
 あれが変な中年男であれば気持ち悪く、恐怖に凍りつき、もっと傷ついていた。――よく知った「彼」だったから、まだよかった……のかもしれない、とあさぎはなんとなくそう感じていた。
 またいくら興味があっても携帯電話で出会い系サイトにアクセスしてまで、そういうことをしてくれる人を探そうなどとは考えなかった。
 それこそあの意外に厳しい母親に携帯電話の使い方はよくちくりと言われているし、そんなことが知られればどんな恐ろしい雷を食らうか分からない。それにその日会ったばかりの人間とそんな関係になり、妊娠しただの病気になっただのという話を聞けば、余計にそんな危険な方法で己の性欲を満たそうとは思えなかった。

 第一、少女が本当に満たしたいのは、性欲だけではない。
 心にぽっかり穴が開いているような感覚に、「私」が此処に居る証が欲しいと、あさぎの心が叫んでいる。
 誰かに必要としてもらいたい、受け入れられたい。
 それなのに、あの初めて誰かに求められた日の相手――二つ年上の従兄の少年・清矢郎は、あさぎをその場に居ないように扱うのだ。あの日のことを無かったことにしたいかのように。
 その切なさが益々彼女から自信を奪い、苛々する気持ちを増幅させていた。

 ――嗚呼、このイライラを、今すぐ解消したい――。

 真っ赤な金魚が舞っているのは、欲求不満の証だとあさぎにもなんとなく分かっている。その社会や周囲に対する欲求は、今のちっぽけな自分の力では満たせない。
 ではどうすれば、それを今すぐ満たせるかと言えば、誰にも迷惑掛けず、ひとりで、昇華するしかない、という結論に達するのであった。
 そして少女はこのもやもやする気持ちを、逸る心を忘れられる「あの毒」を、今宵も求めた。


 布団の中、あさぎは己の細い指をパジャマのズボンの中に入れ、下着の上からそっと己に触れた。二年前に初めてこの行為を覚えた時は、こんなことはしてはいけないと罪悪感を抱いていた彼女だが、いつの間にか身体がそれを好いものとして覚えてしまった。
 そんな難しいことを考えていても、結局、本能に溺れるのだ。それに気持ちよくなっている内は、嫌なことも全部吹き飛んで、身体が悦びに震えることが出来るからだ。
 それは少女が知ってしまった禁断の甘い毒の味――何度も何度も飽くことなく味わいたくなる、「快楽」というものだった。
 触れているうちに気分が高まり、その芯に直接触れるよう指を伸ばした。そうしているうちに、頭の中のぐちゃぐちゃも混ぜられ、脳が溶かされていく。
「……っ、」
 あさぎは暗い部屋の中、隣の部屋の姉に、階下の両親に聞こえないよう荒くなる息を潜め、声を殺す。
 少女が「これ」をする時に、いつも思い描くのはあの夏の日の光景だった。
 血の色の赤い金魚が増えていく。眼を閉じても真っ赤に視界を覆いつくす。
 なのに、ここ一年ほどは――そう、特にこの前のように「彼」に会った後などは――、「その最中」に思い描くことが、あの夏の日のことだけじゃなくなってきたのだった。

 少女の思い描く緋色の幻影の中に、いつしか浮かぶようになったのは、ひとりの人影。
 ずっとあの夏のままだった幼い幻に、いつの間にか男性らしくなったその逞しい身体が上書きされている――。

 嗚呼、気分が高じる。滅茶苦茶にされたくなる。
 何も考えられない。考えているのはただひとつ。
 ただ、ひとりのこと。

 ――こんなの、おかしいよ。私は異常なの……!?

 そう思うのに少女のその手は狂ったように止まらない。止められない。更に、更に、高みを求め、忙しなく動く。
 理性や倫理感と裏腹に、自暴自棄のように淫らな自分の本性が暴れ出す。

 ――もう、狂っていても構わない。もう、叫んでしまいたいくらい、キモチよくて、たまらない――。

 絶頂へと高まりゆく気分の中で、赤い金魚は狂喜乱舞し、そのただひとりの人物の幻影は自分の心を切り裂かんばかりに色濃くなり、終には「その名」を声に出して叫び出したく――。

 そして、全ては今宵も砕け散る。

「……っく!!」

 くぐもった呻きと動物的な荒い息、そして衝動的に叫びそうになった「その名」を、あさぎは唇を噛んで堪えながら――やがて、ふう、と身体の力を抜いた。


 ――虚しいな……ばっかみたい。

 終わるといつも、こんな風に馬鹿らしい気分になるのに、沸き起こるイライラと衝動を抑えるために、あさぎはついいつもこんなことをしてしまうのであった。しかも、口も利いてもらえない男の幻で、妄想しながら。

 重く気の抜けた身体をしばし横たえていたあさぎであったが、やがて思い出したように下着の中から己の指を抜いた。
 思わず顔に近づけると、苦い、匂いがした。終わりがけであるが、生理の血の、匂いだった。
 こんな日にまでこんな汚らわしいことをする自分に更に嫌悪感を抱き、少女は大きなため息をついて、手を洗うためベッドから降りた。
 

◇拍手&簡易メッセ◇

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