第29話 まぐわい(後編)
清矢郎はその白い肌から顔を上げると、裸の少女を見下ろした。そして、昔からこいつはこういうヤツだったよ、と心の底から実感し嘆息していた。もちろん、その黒い瞳に嘘はない。あさぎは絶対に嘘はつかない純粋な子であると彼は知っている。
清矢郎には無論、金魚は見えていない。だが、あさぎには「見えている」らしい。
それは金魚がこの空間に存在するしない、という議論ではなく、「それを見えていると思うあさぎ」は、事実そこに居るのだから、後はそう思う気持ちごと彼女を受け入れるか否か、彼女自身を信じるか否か、なのである。
……そのように少年は色々と考えてはみるものの、正直、この先をするのが嫌になってそんなことを言い出したんじゃないのか、自分が何かまずいことしたのか等々、心の中では密かに思い悩んでいる。その結果、やはりどのような表情を浮かべてよいのか分からず、清矢郎はあさぎを睨むように見つめることしか出来なかった。
そんな彼の男心を知らないあさぎは、最も恥ずかしい部分に触れられて己が狂い、正常な思考ができなくなってしまう前にきちんと言っておこうと、真っ直ぐに彼を見て全てを打ち明けた。
「あの日、せいちゃんに触られてから、見えるようになったの。最後に、おまつりでとってきたのと同じ金魚が……」
清矢郎はいつものように黙って、あさぎの不思議な話を聞いていた。
「それから、せいちゃんのこと、考えるたびに見えるようになったの。今も、また、見えてる……」
えっちな気持ちになると見えるの、などと言えるわけもなかったが、結局そういう時は清矢郎を愛しく思い、欲する時でもあったので、あさぎはそのように言い換えた。
それを口走ったのは、不安に思ったからでもあった。清矢郎は自分に眼を向けてくれた、今はもう、自分を大事にしてくれている。それなのに――。
「どうして、まだ、見えるんだろう……」
この金魚があさぎの性欲の現れだとすれば、最初に見た時は、近親者に襲われたというショックから逃避するため、憧れていたその相手を性の対象として欲するように思考回路が変更された――彼女はそのように解釈していた。今となっては彼とこうしていることが幸せなので、それは哀しい過去だとは思わないが。
そしてその性的欲求は叶っている筈だった。その時金魚は消えるものだと、あさぎはずっと思っていた。
それなのに、金魚はまだ見えている。
――もう、十分ではないのか? まだ彼と繋がっていないからか? まだ自分は彼を欲しているというのか?
これほど幸せな行為をしているのに、まだ――。
あさぎは己の欲望の底が見えなくなり、自分でも自分が恐ろしくなってしまっていた。
あさぎの不安に揺れる瞳に、清矢郎も眉を寄せ心配そうな顔をした。彼女の言っていることはよく分からないが、あさぎが哀しむようなことは嫌だと彼は思っている。
よって彼女の言葉と彼にそれを言うということから、清矢郎はひとつの結論を導き出した。
「どっちにしろ、俺の所為なんだろ、それも。……俺がお前を、そんな風にしたんだろ。あの日に」
また清矢郎は彼自身を責めるような表情をしていた。そういうつもりではなかったあさぎは慌てて言った。
「こ、こういうのも含めて、責任、とってくれるの?」
「って実質、責任っつうよりは約束だけど、……とるよ」
ガキの分際で責任なんて口にするのはおこがましいよなと思いながら、清矢郎はあさぎに誓う。
金魚が未だに見えることは不安ではあるが、この金魚たちと一緒に自分を受け入れてもらえることは分かり、あさぎはほっとした。そこで、もうひとつ尋ねた。
「私のこと、おかしいって思う……?」
まるで人形のように白く細い裸体を横たえ、対照的に黒くさらりとした髪をシーツの上に散らして尋ねる少女に向けて、少年はふっと苦笑した。
「今更。あさぎらしい」
その瞬間、あさぎの視界の中に金魚が増えた。嬉しい、と思ったからだろう。
あさぎは微笑んで、少年の広い背中に再び手を回し、二人は抱き合った。
――好き、と少女は初めて囁いてみた。囁いたそれは、思った以上に気持ちいい言葉であった。
一秒ごとにその気持ちが、少女の中で増えて確実なものになっていく。
きっと、最初から歯車は狂っていた。狂ったまま、この恋愛感情に似た新しい気持ちが生まれてしまった。だからこの気持ち自体、狂っているのかもしれないが、もうそれでもいいとあさぎは思っていた。
自分を認められて、求められる。自分も相手を認めて、求める。
これ以上の幸せは、あさぎにはやはり見つからないのだ。
あさぎはまだ経験の浅い子供だが、まるで自分の世界が生まれ変わるくらいの喜びを感じられることなど、一生の内そうないことだろうと自信を持って言える。
寧ろこの瞬間に勝るものがないと感じるかどうかは、これから先も、ただこの瞬間をただ無心に信じていればいい。それだけのことである。
金魚が次々に増え、泳ぐ。
彼が欲しい、彼が欲しい――少女は渇望する。
あさぎからのもうひとつの告白が終わり、再び営みの続きは始まった。
甘い蜜で溢れかえった奥の奥まで、熱い舌で触れられ、指を挿し入れられる。初めての異物の侵入に若干痛みはあったが、それ以外は背筋がぞくぞくする快感に身震いしていた。
背を逸らし、黒い髪を乱して喘ぐ。身体はまだ未成熟でも、少女のその反応は妖艶な「女」そのものであり、少年を存分に満足させ、興奮させていた。
そして相手への信頼感と、彼女自身の性の経験から、愛しい男の腕の中で素直に身を震わせられる――恐怖と恥ずかしさはあっても、涙が出るほど嬉しいとあさぎは感じた。そんな彼女を抱く清矢郎もまた、同じ気持ちであっただろう。
そして最後の時が訪れる。
ようやく脱がれた彼のジャージであるが、彼自身全てを見せることに抵抗があったのか、それともあさぎにショックを与えたくなかったのか、おそらく両方の理由だろう。清矢郎もまた一糸纏わぬ姿になったもののあさぎには身体の正面を向けず、彼女も流石にじろじろと眼を向けられずにいた。しかしそれでも気になってちらりと見てみた「それ」は、あさぎの想像を絶する形状であり、あの狭いところに本当に入るのかと、泣きたい気分にさせられた。
それは清矢郎も理解しているようで、最後まであさぎを心配しており、初めから触れてもらおうとは思ってもいないらしい。あさぎはこの時自分が恐れるばかりで、そうした彼の気遣いにまた気付いていなかったのであるが。
それでも実際に痛い思いをするのは女性の方である。だが、あさぎは後に引きたくなかった。痛くても恐くても、彼の全てを手に入れ、他人とは成し得ない関係を成立させたかった。
避妊具を装着した清矢郎があさぎに覆い被さる。しかしいくら覚悟を決めても、その瞬間は、痛みのみがあさぎの全てを占めた。
悲痛な声に清矢郎は切ないような顔をするが、「やめないで」とあさぎは顔を顰めて首を振る。シーツを掴んでただ耐える。どうすると問われながらも、最後までして欲しいとあさぎは息も絶え絶えに要求した。
ぎこちなく動く清矢郎。初めてのそれは、ただ痛くて「好いもの」とは思えなかった。それでもあさぎは、彼を手に入れた、彼に手に入れられたというこの事実が欲しかった。
あさぎは涙を零しながら清矢郎の顔を見ようとしたが、眼を開けると、彼女の視界は真っ赤な金魚に覆われていた。これは痛みによるものだろう。痛みから逃れるためと、快楽が伴っていないのでそれを求めて、あさぎの深層心理が具現化されているのだろう。
――やめて! 私は彼を見たいのに。私と繋がっている時の、感じている彼の表情が見たいのに!!
最初に唇を交わした時とは、いつの間にか逆のことを思うようになっていたあさぎは、ぼろぼろと泣きながら首を振る。
――痛くてもいい、今は現実がいい。今は現実のあの人をもっと感じていたい!
あさぎはそう切望していた。
しかし彼と繋がっているはずなのに、どうして金魚が見えるのだろうか。
清矢郎を手に入れ、彼と結ばれ、あさぎは満たされる筈だった。それなのに、どうして――。
気がつくとあさぎはその姿勢のまま、清矢郎に唇を塞がれていた。そして唇を軽く吸われた後、頬の涙を舐め取られた。清矢郎は涙を流すあさぎをただ切なげに、心配そうに見つめていた。
清矢郎の顔が間近に見える。至近距離ならば、金魚に邪魔されることはなかった。あさぎは必死で裸の彼に縋りついた。
――傍にいて、離れないで、と子供のようにせがんだ。それを抱き返し、安心させるように彼はあさぎの頭を撫でてくる。
繋がったままの姿勢であるので清矢郎の息は時にとても荒く、何か込み上がって来るものを堪えているようであったが、あさぎのことを想ってくれていることは伝わってきた。
寧ろ彼自身が、快感を得る代償にあさぎを苦しめていることに罪悪感を抱きつつも、身体はそれに反して想像以上の甘美な刺激に悶えているような、それを苦しむ相手に必死に隠しているような、そんな風にも見えた。
だからあさぎは耐えた。
今度は彼にも悦んで欲しい、自分の身体が少しくらい傷ついても、自分の肉体で彼を性の悦びに導きたい。心も一緒に求めてもらえるならば、己の身体を滅茶苦茶にされても構わない――そう思っていた。
相手の一層の動きに、更なる痛みと金魚の群れが彼女を襲う。その隙間からどうにか清矢郎の表情を確かめながら、あさぎは様々な格好で彼を受け入れ、蹂躙されていた。
それら全てが最高潮に高まった時、彼の呻き声が遠くで聞こえたと思った直後――、砕け散るように、初めての行為はようやく終わりを告げたのだった。
清矢郎に身体を離され、疲れ切った様子でベッドに横たわったあさぎは、ぼんやりと未だ現れる金魚の群れを見ていた。
その身体の下には、まるで赤い金魚のような小さな染みが出来ていた。
◇拍手&簡易メッセ◇
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