ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
  暗黒魚類 作者:雨宮雨彦
 正子は中学1年生でしたが、おばあさんについては、小さいころからいろいろと思い出がありました。

 正子の家は町でも一番の金持ちで、彼女自身はあまり意識したことはありませんでしたが、この小さな町だけでなく近隣のいくつかの町を見渡しても、これほどの金持ちはいないだろうと思えるほどだったのです。経営しているのはお父さんですが、いくつか支店のあるスーパーマーケット、アパートの賃貸、林業や農園、はてはバスやタクシー会社まで手広くやっていたのです。だからお金持ちであっても何の不思議もないのですが、こんな田舎町にだって時代の波は押し寄せてきます。だから以前はやっていたけれど儲からなくなって、もうやめてしまった事業もあるのでした。氷室というのもその一つだったのです。

 今と違って昔は電気冷蔵庫が一般の家庭には普及しておらず、暑い夏に食べ物を保存したければ、どこかから氷を買ってこなくてはならなかったのです。正子の住む町は山間にあり、冬にはとても寒くなりました。すると池などにはもちろん分厚い氷が張ることになります。厚さ15センチを超えることだって珍しくないほどです。それをノコギリで切り出してきて、氷室と呼ばれる建物の中に何十トンと積み上げておくのです。

 氷室というのはかなり大型で窓がなく、まるで倉庫のような見かけの建物です。でも壁は倉庫よりももっと分厚く、夏でも外の暑さをさえぎることができます。といっても氷が解けるのを完全に防ぐことはできませんが、冬に集めたものが夏までにすべて解けてしまわなければよいのです。半分しか残っていなくても、それでも何十トンという量です。売れば十分商売になるではありませんか。

 でも時代は変わり、今ではどこの家にだって冷蔵庫があります。お金を出してわざわざ氷を買おうとする人などいません。だから氷室はもう何十年も使われておらず、正子の家の裏山の奥深く、日の当たりにくい場所にずっと放置されていました。でもなぜか小さいころから、正子はこの氷室に心ひかれるのを感じないではいられませんでした。

 おばあさんの部屋には仏壇があり、ご先祖がまつられていましたが、その部屋の壁の少し高いところで、まだ小さいころの正子には顔を真上に向けないと見ることができないような場所でしたが、額がひとつかけてありました。四角い形をしてガラスがはめてあり、写真が飾ってあったのです。サイズは電話帳ほどもあるから、かなり大きな写真といってよいでしょう。白黒の古めかしいものでしたが、黒っぽい制服を着た若い男が写っているではありませんか。

「おばあちゃん、これは誰の写真?」ある日、正子は質問してみました。

「それはおまえの伯父さんだよ」とおばあさんは答えてくれました。

「こんなに若いのに?」写真の中の人物は本当に二十歳前ほどにしか見えなかったのです。『伯父』とは自分の父親と同年輩以上の人々をさすと思っていたから、正子にはひどく不思議に思えました。

「和夫は19歳で死んでしまったからね」

「どうして?」

 背伸びをして額を降ろし、手に持たせておばあさんはもっとよく見せてくれました。とてもハンサムな伯父であることに正子が気がついたのは、このときのことでした。彼について、おばあさんはもう少し詳しく話してくれました。和夫はちょうど昭和元年の生まれで、昭和二十年の時点で、あと少しで二十歳に手が届くというところでした。陸軍に入隊し、戦闘機に乗っていたのです。

 終戦までもう少しというころですから、そのころにはアメリカ軍はもう戦闘機を日本の本土上空へ飛ばすことだってできるようになっていました。日本の近海まで空母がやってきて、そこから発進してくるのです。そして戦艦でも飛行場でも軍需工場でも、見つけたものは手当たりしだいに破壊してゆきました。でも日本軍だって、それを黙って見ていたわけではありません。戦闘機を飛び立たせ、迎え撃とうとしたのです。その中の一機に和夫は乗っていたのです。空中でアメリカ軍機と一騎打ちとなり、だけど被弾して墜落し、戦死してしまったわけでした。

 戦死といっても、それを通知する書類が一枚、軍から送られてきただけで、遺骨が戻ってきたわけではありませんでした。墜落場所が不明だったので、遺骨の収容はあきらめるしかなかったのです。

 この話は、正子の心に強い印象を残しました。でもそれ以上に深く刻まれたある思いがありました。どうやら正子は、和夫に恋をしてしまったようだったのです。彼女が生まれる何年も前に死んで、写真でしか見たことがなく、しかも自分の伯父にあたる人です。だけど乙女の心には、それは大した障害ではなかったのかもしれません。

 本当にかわいがっていたらしく、写真の入った額を正子が自分の部屋へ持ってゆき、机の上に飾ることはおばあさんも許してくれませんでした。でも写真屋を呼び、写真を複製するように手配してくれたのです。だから数日して正子の勉強机の上にも、小さなサイズのものですが和夫の写真が飾られるようになったのです。

 家族の人たちはそれを笑って見ていました。中学生の女の子の気まぐれだと思ったのでしょう。でも正子は本気だったのかもしれません。このことがあってから、正子とおばあさんの間のきずなはさらに深まったようでした。二人がともに大切に感じている和夫を中心にしてのきずなでしょう。でもそんなある日、おばあさんがなくなってしまったのです。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。