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オールダンニュー・グレートウォー 作者:屋鳥 吾更

第1章 自在剣篇

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1.「楠森」という男

 帰り道だった。
 学校から徒歩10分の帰路を、狭い歩幅で蛇行する少年。何か良くないことがあったのか、その顔はラフランスの断面みたいな色をしている。青色というより淡泊な白色だった。
 少年の通学路は道幅が狭いので、交通量もかなり少ない。それは時間帯も関係しているが、彼があえてそのルートを選んでいるのが主な理由だ。かといって彼以外の通行人がいるわけでもなく、閑雅というより閑寂な場所である。
 そんな人も滅多に来ない寂れた場所で、多くの家屋が立ち並ぶ真中で、まさに奇縁と呼ぶに相応しい邂逅は実現した。

「…………」

 少年の無言が、沈黙に変わった。
 そこにある明らかな異物が、少年の時間を止めた。

「…………!」

「…………」

 全てを黒に包んだ異物と少年の目が合う。明らかに不審な見た目と違って、その異物が纏う雰囲気からは非日常を感じられない。それこそ不自然なくらいに平凡な、クールな少女。
 少年は緊張で唾をのんだ。けれど、平凡な少女の輪郭が見えた途端に、表情が安堵の色で包まれる。

「あ、あの……もし、俺に、用とかある?」

「…………」

 少女は必要以上の動作をしない。荒い呼吸に肩を揺らし、左手で握る得物をただ陽に晒す。
 ――――得物?
 迂闊だった。なぜ今まで気が付かなかったのか、理解できない。
 一瞬にして、少年の顔面に差した赤橙は青紫へと変色した。

「――っ⁉」

 剣呑な空気が突如流れ出して、少年の身体を恐怖が支配する。
 畏縮して動けなくなった少年を睥睨する少女に動きはない。じっと、そのまま。
 恐怖心を自覚してから数秒後、ついに『殺意』が首をもたげた。


 ――――――――――。


 声にならない叫びをあげた少年は、元来た道を振り返って、走り出した。
 追ってくる足音はない。だから意識しないで、ひたすら走り続けた。

「…………?」

 すると少女は首をかしげて、前方にいる少年に冷たく微笑む。

「(あ、あれ……? 走れない……?)」

 異物少女からの逃避は『超現実的な妄想』だ。
 少年は元々立っていた場所で、弱々しく座り込んでいた。さらに口を動かしたのに、言葉が口より外に出なかった。
 少年の心身は今、自分が自分ではないという未知の感覚に陥っている。正確には、五感以外の機能を感じられなくなっていた。

「(まずい……これは死――)」

 少年が最後を口にした直後、少女は歩き始めた。
 来るな、来るなと少年は後退るが、少女の歩みは絶対に止まらない。しっかりと道を踏みしめながら、一歩一歩確実に近付いてくる。足音と同時に、金属の塊を引きずる音もこちらへ迫っている。これ以上ないほど不快な高音が、少年の敏感になった聴覚を傷つける。

 いつもの通学路が、刹那的に少年の生死を入れ替える異空間へと変貌した。
 異物の進行、斬撃を止める術のない少年に、生の確率はほとんど残っていない。少年にとっての生とはもはや「すぐ死ぬか、ゆっくり死ぬか」くらいの違いに過ぎない。

 二人、一人の人間と一つの殺意の邂逅は――フィナーレへと着実に向かっていた。
 感動のステージを飾るのは、芸術的な断面を外気に晒した、少年の生首。または両腕か両脚か、少女の趣向によっては恥部かもしれない。しかし生理的な醜悪さを拭えないにしても、切断面の美しさだけは保証できる。もはや少女の左腕の延長にある得物の鋭さがその証拠だ。
 もう少年は、逃げることをやめている。後退も現実逃避も、目線さえも。
 長い歩みが止まった。少年を冷え切った瞳で見下ろした少女は、少し前に見せた微笑を今もなお口元に浮かべていた。
 すると初めて、

「……ごめんなさい」

「…………(な、何が)?」

 純粋で平淡で無情な少女の謝罪に、眼下の少年は顔を歪める。常識的に考えて、少女のそれはこの場面において適切な言葉ではなかった。だから少年は、少女への敵愾心と不快感を臆することなく露にしてみせる。この場には逡巡の余地など全くないのだから。

 そして少女は頷いた。少年の潔さに感心したのか、または介錯の代わりなのか。知りようもないことだが、少年は気になって仕方がなくなった。もし彼女の心に「少年を殺すことにまだ抵抗がある」ならば、少年はその事実に希望を持つことができる。まだ生きていられるかもしれない。

 少年の期待に満ちた瞳を見て、何を思ったのか。少女は一瞬だけ焦りを見せた。
 いや、本当に焦りだったのか? ――膠着状態が続いているせいで、幻覚でも見えたんじゃないだろうか。少年はあくまで『超現実的な妄想』しか脳内で生成できないため、幻覚症状の可能性さえ考えてしまう。現状では逆効果だ。
 だが、そうわかっていても否定できない。なぜならもうすぐで、自分は無残な死を遂げるのだから。

「……わたし、怖いかしら?」

 唐突に、頭上から疑問の声が降ってくる。
 少年は今すぐに恐怖を叫んで、いつこちらへ振り下ろされるかわからない得物を放り捨てて貰うよう懇願したい。けれど驕ってはならない。現実、少年の身体を支配しているのは、眼前で殺意を弄ぶ少女に他ならないのだから。
 少年は冷静に、現状を嚙み砕き飲み下すと、なぜか自身の右掌に強烈な痒みを覚えた。
 すると……上体は不思議と前屈みになって、両腕に尋常じゃない力がこもる。そして額の前から、少女によく見えるような体勢で、左手の人差し指が右掌を力強く搔きだした。

「(痛い痛い痛いっ!)」

 相変わらず声は出ないが、鋭く尖った痛覚が電流のごとく全身を駆け回った。上気する肌、迸る汗、滲む血液。気を失いそうなほど多くの情報が、少年の脳内を蹂躙する。
 ――頼む、もう殺してくれっ。
 恐れが、焦りが、痛みが、痒みが、火照りが、諦めが、一つの切実な叫びとなって少年の口から零れ落ちた。
 きっと少女の耳に届いたその哀願は、


「……本当に、ごめんなさい」


 振り上げられたシロガネの得物によって、叶えられる――
 2021年8月6日金曜日。神奈川県川崎市某所。
 帰り道だった。

「まったく……急に連絡があったと思えば、まさか補習させられるなんて」

 陽光と対の煌びやかさを纏う短い髪。頭頂部のそれを搔き毟りながら、小柄で華奢な少年は苛立ちを込めてそう述べた。ニュアンスでいうと愚痴である。
 学校指定のブレザーの制服を少し着崩したスタイルで、前のボタンは上二つ以外が全て外れている。子供が格好良さを取り違えたような外見だが、少年の見てくれと合わされば違和感はほとんどない。むしろ平常の着こなしにさえ見えてしまう。
 名前は楠森くすもり。近くの高校に通う高校1年生。

「うちの担任も理不尽がすぎる。下手したら訴訟問題だと思うけど」

 楠森は相変わらずの不満顔で、隣を歩く少女に同意を促す。
 彼の左横を歩く少女は、同じ学校のクラスメートである恵光えこう日和ひよりだ。

「ジルくんは先生から、呼び出された理由を聞いていないのかい?」

 淑やかな調子で訊き返した日和は、いじらしく茶色い髪の先っぽを巻いてほどいてを繰り返す。どこか疲労感の漂う表情が、まるで楠森を拒んでいるようにも見えるのだが。

「これまた随分お疲れのようで」

「わたしの問いに答えてくれないかな……」

 楠森は申し訳なさそうに日和を一瞥し、

「『素行不良』だってさ。俺のどこにそんな要素があるって話だよ」

「……ジルくんって本当に阿呆だよね」

 短く嘆息した日和は、包み隠さず楠森を詰る。

「そんなことないよ。今日の白いカチューシャも似合ってると思う」

「同じフレーズを聞きすぎてもう喜べないよ」

 楠森が話題を勝手に転換したことに言及せず、日和は退屈に唸った。尤もそれは、深い同情の意もこもっているのだが。彼女もまた被害者であることに変わりはない。

 川崎駅から徒歩約5分とアクセスの良い場所に建つ「私立新川学園」は、中等部と高等部が同じ校舎にある形態ではあるが、中等部の卒業生は他の高校へ入学することもできる。
また都心の近郊地域にあたる川崎市ならではの静けさも定評があり、毎年のように溢れかえるほどの入学志願者が訪れる場所だ。
 それはつまり裏を返せば、入学者のほとんどが成績優秀だということ。
 無論、今年度の新入生である楠森と日和も、その例外ではない。

「というより、今年は本当に運がなかった。なあ日和?」

 しかしこの学園の中高生、その両方の話題としてよく挙がるものがある。それは、

「そうだね。毎年、普通科の1組の担任は変人らしいし」

「早くも1年目で裏付けが取れたわけだ……」

「ジルくんは被害者であり同業者だけどね」

 『1組の担任は変人らしい』という、噂より教師への悪口に聞こえるこの説が、残念ながら二人の前に現界してしまったらしい。ともすればその生徒もまた然り、というのが日和の意見でもあるのだが。
 現に、今日二人が夏期補習へ強制参加させられた件について。
これに対する日和の見解は、

「まあ、どうせ。予定していた補習組に欠員が出たとか、そういう理由だろう」

「……なんでそう思ったんだよ?」

「あの教師のことだ。真面目な副担任に『不真面目な生徒を全員改心させてみせる』みたいな漠然たる啖呵を切って、いざ本番を迎えてみると数人が連絡もよこさず欠席した。といっても欠員はせいぜい3、4人程度。欠員としては微々たるものだったけれど、短絡的なあの教師のことだ、どうせ『失敗』だと思ったんだろう。それで見てくれが『不良』っぽいわたしたちを急きょメンツに加えて、外殻だけの補習組を再構成した……って、ところかな」

 それを踏まえたうえで、日和は楠森に向けた目線を少し上、彼の頭髪へと送り、

「……ジルくん、その髪をどうにかしないか? その見るからに頭の悪そうな色彩のせいで、わたしにまで飛び火している気がしてならないんだよね」

「マジでごめん。何が言いたいのかわからなかった」

 日和の言わんとしていることが、完全に理解できないわけではない。ただ結論として自分に皮肉を言いたかったのなら、無駄に遠回しなだけ腹が立っても仕方がないだろう。
 そうした楠森の心境を見透かしたのか、日和が上機嫌に鼻を鳴らした。

「……なんだよ、日和?」

「いいや。そんな君が、クラスメートの厚意に与ったという事実が、なんか夢みたいで」

「絶対に褒めてないだろ」

 そんな力ない憤りに、日和は爽やかな笑みを浮かべた。

 備考のようになってしまったが、楠森の本名は「楠森バジル」。白い髪の少年である。

          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

「じゃあな。今日の夜はどうする?」

「質問をするなら先に挨拶はしないよね。ジルくんは迂闊だなぁ」

 日和の指摘にバジルが鼻白む。自宅のあるアパートの2階へ駆け昇った日和は、彼の反応の余韻を噛みしめて、謝罪のごとく一礼する。

「ジルくんは、その様子だと余暇のようだね。夏休み中に余暇って表現もおかしいけど」

「細かいことはいいから……日和が暇だったら、その……」

 その先を言い淀み、頬を赤らめたバジルは深く俯いてしまった。
 さながら恋乙女のような仕草に日和も動揺しつつ、バジルがなかなか口にしない部分について躊躇なく言及する。

「それで、わたしとどうしたいの?」

「い、いやっ…………ああもうっ! 祭りに行きたいんだが!」

「うん。それで?」

「お、お前もなかなか狡猾だな……」

「煮え切らない態度のジルくんをフォローしているのに、その評価はちょっとひどいよね」

 日和の反論にぐうの音も出ないバジルは、一度上げた面を再び下へ向けるしかなかった。
 本日の夕方から出店が出て、川崎市にある稲毛神社では『山王祭』という祭りが催される。毎年数日間にわたって様々な行事が行われる大きな祭りではあるが、正直なところ若者にとっての祭りとは『数多の夜店によって作られる一夜限りの往来』を指している。特に、他県から川崎市へ来たバジルはその傾向が強い。
 さらに言えば、冤罪もといバジルの巻き添えで補習に参加させられた日和は、誰の目から見てもわかるほどに疲弊している。夜店の重要度より、日和のバジルに対する評価を重要視したうえでバジルは彼女を祭りへ誘っているのだ。

「そ、それで……いいかな?」

 日和はフェンスに凭れかかって、一人黙考に耽る。そして、

「君は本当に……クラスメート且つ学年一の美少女に海へ誘われたくせに、祭りにはわたしを誘うってね……非常識と言うか、節操がなさすぎじゃないかな」

 そう言いつつも、彼女の頬は紅潮している。赤茶の髪を弄る右手は、高速回転で髪を巻き上げては瞬間にといて……それを続けるばかりだ。
 しかし高低差のあるアパートの1階からは、彼女の様子などまるで見えない。

「そう言われると……じゃあいいよ。居もしない妹と仲良しこよしするから」

「え――いやいやいやいやっ! それって幼女拉致だよね、冗談抜きに犯罪だよね⁉」

「だとしたら、同じアパートに住む同級生のプランに沿って犯行に及びました、って供述するよ。大丈夫、詰問されても口割らないから。拘置所で罪悪感に身を焦がれながら一日中泣き続けて、いつか涙で溺死するから大丈夫」

「長いよ! わかったから……落ち着いて欲しい」

 先ほどのヒールな雰囲気はどこへやら、見下していた相手以上に取り乱す日和の恥ずかしい顔を下から眺めるバジルは、下卑た笑みを浮かべるのだった。

          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 どこか若さを失った二人のやり取りからおよそ4時間。いまだ日は照っているが、頃合いだろう。
 普通の祭りは18時過ぎから屋台を出し始める。今が17時過ぎなので、川崎駅から徒歩で10分程度の稲毛神社には、コンビニや近くのアパートで寄り道をしながら向かえばいい。
 ――と、そんなことを考えるバジルは、1時間前から日和宅の前で待っている。
 二人が暮らすアパート『隣人荘』は、新川学園から徒歩10分の距離にある優良物件だ。尤も、隣人荘の周囲にも多くのアパートが存在する。日和は中学生の頃から住んでいるが、なぜバジルがこのアパートを選んだのか……率直に言えばツテである。
 とはいえこのアパートの入居条件に「隣人間での交流を積極的に行い、且つお互いに苦労を分かち合う」という項目が存在する。自己主張の強い二人がこの条件を満たせたことはもはや奇跡と言えるだろう。
 ちなみに二人は、文字どおりの隣人関係にある。2階5部屋の東側の隅に楠森家、その左隣に恵光家の順で並んでいる。相性の良し悪しはともかく仲は良い様子。

「やあ、お待たせしたね。そのまま放置も考えたくらいだよ」

 ドアから出てきたのは――大きめの帽子と、チェック柄の半袖シャツと、デニムのショートパンツと、黒い短い靴下にスニーカー。なんとなく好みが炸裂した服装に仕上がっている。
 しかし似合うか否かの二択なら、判断材料としては十分だった。

「浴衣がないって落ち込んでたけど、似合ってるじゃないか。これなら、いつお嫁に出しても恥ずかしくないな。うん」

「君ねぇ、本当に……もう」

 よくわからない間を作った日和は、軽快な足どりで階段を下る。
 すぐに気付かなかったが、帽子の中で小さなお団子を作っていた彼女は、声高にバジルの名前を呼んだ。昂奮と期待が溢れているのか、全身が細かく揺れている。

「あいつ……小難しいこと言うくせに、やっぱり子供じゃないか」

 呆れと安堵がないまぜになった、微妙な感情がバジルのテンションを塗り替える。彼自身、今回の祭りが生まれて初めてのものなのだ。正直、日和以上に楽しみにしている。
 そんな彼さえもまるで保護者のような気分にさせる、日和とは一体何者なのか……?

「ジルくん、何をしているんだい? 早く行こうよっ!」

「――はぁい。今行きまーす」

 とにかく、そんなことは今はどうでもいい。
 祭りに持っていくものは、わが身と友人オア恋人と財布だけ。あとの小難しいことは全て放っておいて、全身全霊で笑い狂うのが祭りの真骨頂だ。
高揚感と臨場感、そして人情に溢れた年に一度の大往来。その場はまさに、地元民も余所者もない、日本人も外国人もない、外せる限りの隔たりを除去した自遊空間である。


「まあでも、祭りの中でも相容れない存在……皆無とは言い切れないだろ」


 誰の言葉だったんだろう。不意に聞こえたその声は、バジルの耳朶を強く打った。

「日和、ちょっと待って」

「――? なんだい。忘れ物かな?」

「じゃあ財布忘れたことにして、今日は勘定よろしくね」

「君の図々しさには頭があがらないよ……」

 これは誤魔化しではなく、必要な忘却だから。そう自分に言い聞かせて、バジルは強く踏み出した。それに続く日和の歩幅に合わせて、二人仲良く。
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