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あなたに恋文を。

 昼。代わり映えのしないいつもの青空が、私の視線いっぱいに広がっている。

 雲すらない真っ青な空。私は病院のベッドからそれを眺めるのが大好きだ。

 いつかきっとまた会えると、あなたはそう言ったから。



────────────
──────



 中学生の私が足の病気で歩けなくなるということを知ったのは、今から三ヵ月前。不知の病らしい。歩くと足の骨が砕け散る恐ろしい病と聞いた。

 両親はそのことを泣いて悲しんだ、でも私は理解が追いつかなかったのか、悲しいという思いはあれど涙を流すことは無かった。

 別にスポーツをやってた訳では無い、歩けなくなったとしても、私はそこまで困らないのではないかと、そう思っていたんだ。

 訪れる恐怖から逃げたかったのかもしれない、その先を考えることを、無意識に拒絶していたのかもしれない。

 怖くないのに、私は怯えている。そんな日々が続いた。

「今日も、青空」

 病院に入院した私は一日の殆どを病院のベッドの上で過ごしていた。車椅子にも乗らず、ただ寝ることで一日を過ごしていた。

 友達は来ない。いやいないと言った方がいいかもしれない。平日に病院に見舞いに来てくれるほど、仲のいい友達がいないだけだ。

 あぁそのうち私は蛹になって羽化して、蝶になって、歩けなくても飛ぶことは出来るぞ……なんて言うことにならないかな。とかいう馬鹿みたいなことを思って、暇を潰していた。そんな日が連日続く。心がどうにかなりそうだ。

 そんなある日のことだった。窓から見える綺麗な青空の下にあるこれまた綺麗に咲く桜の木の側に、一人の男性がいた。

 上から見ているから顔は見えない、見えるのは茶色の髪の毛。茶色い服に黒い靴。

 興味がある訳では無い、イケメンかどうかなんてのもわからない。でも、なんだか目を離せない。

 私は理由もないのに、その人をじっと見つめてしまっていた。

「あ……こっち向いた」

 私の視線に気がついたかどうかすらわからない。でも少年は私の方を向いた。上を見上げ、私に目を合わせた。

 顔は普通だった。……あまり使いたくない表現だが、恐らくそれが似合う。

 少年と私は少しの間見つめあった。お互い目を離すことが出来ない。付き合っているわけでも、にらめっこをしてる訳でもないのに、離せない。

 少しだけの時間が立ち、少年はにこりと笑った。私はそれを見て笑うことは無かったけど、視線が一瞬、彼から離れた。

 一瞬な、はずだった。

「あ、あれ? さっきまでいたはず……?」

 少年は消えていた。瞬きほどの一瞬で、少年は私の視界から消えた。

「まぼろし……?」

 まぼろしにしては、しっかりしていたと思う。多分少年が恐ろしく速い足で、私から逃げたのだろう。

 多分そうだ。そうなんだと思う。

 見るものも失くした、私はまたいつものように眠りにつく為に窓を閉める。

 さて、寝ましょう。そう思ったその時。


 私の耳元にふぅ、と、息が吹きかけられた。


「ひゃっ!?」

 驚いた私は囁きの聞こえた方向に素早く振り返る。

 不思議だ、そこには、先程まで下にいた男性がいた。

 男性は笑顔で私を見つめていた。な、何この人。不審者!?

「だ、誰ですか……?」

 本能がこの男性と距離をとった方がいいと告げている。シーツを盾にする、私はその男性から目を離さずにガタガタ震える。

 怖い、笑顔が揺るがないのがとても怖い。

 身構えている私を見て、その男性はいきなり腕を組んで考え事を始めた。

 何を、悩んでいるのだろうか。

 伝えたいことがあるのなら、なんか喋ればいいのに。

「!」

 なにかに気がついた表情をしたその男の人は、私の枕元に置いてあった鉛筆とスケッチブックを指さした。寄越せ、と言っているのだろうか。

 私は恐る恐るスケッチブックと鉛筆を持って、その男の人に渡した。

 にこりと笑ったその男は、何やらスケッチブックに書き始めた。

「な、なに?」

 そして書き終わったのか、私にスケッチブックを渡してきた。そこにはこう書かれていた。

『私は喋ることが出来ません』

「あっ……」

 その文字を見て、私はすごく残酷なことを思っていたのだなと後悔した。私が歩けないのと同様に、この人も障害を持っていたんだ。

 それなのに、喋ればいいのになんて思ったこと自体が罪だ。謝罪も込めて、私は深々とその男の人に頭を下げた。

「……!!」

 ブンブンとその男の人は体の前で手を振った。「いい、いい!」と言っているように思えた。

 この人は喋れないのに……何かを精一杯伝えようとしている。それは文字であり、身振りであり……。

 同じような病を抱えている私にとって、それは無条件に美しく見えた。


「あの……」

 他人と喋るなんていつぶりだろうか、ちゃんと聞こえているか不安になった。

 男性は真っ直ぐに私を見つめていた。自分勝手な解釈だけど「なに?」と聞き返して、聞く準備が出来ている。と伝えたいように見えた。

 だから私も、ちゃんと伝えよう。久しぶりの人との会話。発する言葉はハキハキと。

「また、会えますか?」

 こくりと、その男性頷く。私は嬉しくて久しぶりに笑顔になれた。

 恐怖という言葉が、心から少し抜け落ちた気がした。



×××


 あれから一ヶ月。私と彼はよく病室で遊ぶようになった。安静にしておけと言われている私と一緒に遊べるような遊びを、彼は毎日持ってきてくれる。

 だから今日は私が彼に何かを教えてあげたい。

 そう思った時に思いついたのが絵を描くことだった。

「……あなた、絵は下手くそなのね」
 
 私がそう言うと、何度聞いても名前を教えてくれない彼は『ごめん』とスケッチブックに文字を書いた。

「うぅん、最初は誰だって出来ないの。出来ないってわかって怖くなって、止まると何も出来なくなってしまうの」

 少し俯いた顔で、『がんばる』と、彼はスケッチブックに書いた。

 ……自分で言ったのに、私はこの恐怖に立ち向かおうとしてないんだ。自己嫌悪。

 結局私は、まだ歩けないことに心底恐怖していない。それは多分自分が言ったように、『歩こうとすらしていないから』だ。

 出来ない時に人はショックを受ける。でもそのショックに負けることなく挑めば、出来るに変わる。

 私はまだ恐怖を超えるのスタートラインにすら経っていない。恐怖を覚えているのにだ。

 何かのきっかけをずっと探している。


 なんて……そんな考え事をしていたら彼に迷惑だ。折角私なんかと遊んでくれてるんだから、彼といる時ぐらいは笑顔でいよう。

 彼がスケッチブックを私に見せてきた。『大丈夫?』とそこに書いてあった。

 優しい人だ、優しくて優しくて、私には勿体ない。

 彼は私に人との繋がりの重要性を思い出させてくれた、人は孤独な生き物だけど、常に群れることを強いられているのだということを知った。

 まだ一ヶ月しかこの人に会っていないけど、多分私はこの人のことが好きだ。

 いつでもどこでも、話していたいと思う。

 手を繋いで歩くことも、ただそれだけも出来ない。

 戻れない時は過ぎて、このまま終わる気がしてる。



 夕方になると彼はいつもすぐ帰る。来てもらっている立場なので、止めることなんて出来やしない。

 手を振って彼を見送る。そうすると私は一人ぼっちになる。

 彼に出会ってから、この時間がとても辛い。

 もっと彼と一緒にいたい。

 もっともっと話していたい。

 出来ることならば、ずっと一緒にいたい。

「まって」

 その想いが、彼の足を止めた。

「……」

 彼は「何か用?」と言いたげな顔でこちらを見ている、きょとんと首をかしげてる。

「見送り、させて」

 最後の最後まで一緒にいたい、それが叶わなくても帰るまでのその一瞬までは一緒にいたい。

 彼は、笑って頷いてくれた。

 ……車椅子に乗るのも、久しぶりだ。



 そこからはもう、迷惑かけまくりだった。

 慣れない車椅子で、彼の足を引き止めてばかりだった。病院から出るのに五分もかからない筈が、なんと二十分もかかってしまった。

 そしてどうも、彼はゆっくりした速度で歩くのが苦手なようで、私との移動速度がまるで合わなかった。いや、単に私が遅すぎただけなのかもしれない。

 すると彼は笑顔で私の車椅子を手で押してくれた。でもそれじゃあ意味が無い、あなたの笑顔が、姿が、後ろじゃ見ることが叶わない。

 ようやく彼とともに病院から出れた時には、夕焼けの綺麗だった空は少し暗くなっていた。

「……ごめんね、迷惑かけて」

 彼は首を横に振った、「気にしないでいいよ」と言ってる気がする。

 彼はそのまま、走って病院の敷地から消えていった。

 そしてついに私は一人となった。

 帰りは自分で車椅子を動かす、なかなかの重労働でもある。

 彼のことが一瞬たりとも頭から離れない、常に考えるのは彼と遊んでいる楽しい自分だ。

 あぁでも、今日は迷惑かけてしまった。やっぱり歩けないと……。

「歩……く?」

 車椅子を回す手が止まる。

 冷や汗が一粒私の頬を伝って落ちる。

 彼と一緒に……つまり、歩けなきゃいけないんだ。私は歩けない、だから彼と一緒に帰ることも出来ない。

 彼に迷惑をかける日々が、ずっと続く……?

「嫌だ……嫌だ!」

 心臓がはねる、頭が痛い。呼吸も荒い。そうか、これが歩けない恐怖。今まで見てこなかった恐怖。

 歩けない絶望を、今知った。

 目から涙がこぼれ落ちた。


×××



 次の日も、彼は私に会いに来てくれた。

 私は昨日怯えて夜も寝ることが出来なかった。ようやく知ったのだ、涙が出るぐらいの恐怖を。

 彼との遊びが、最早楽しめない。彼に迷惑しかかけていない私が、ヘラヘラ笑っていいわけがない。

 そんな私のしょぼくれた態度に気がついたのか、彼は私にスケッチブックを押し付けてきた。

『相談したいことがあったら言って』

 そう書かれていた。

 これ以上迷惑はかけたくないから言わない方がいい……と私はそう思ったが、今のしょぼくれた態度を続けてる事の方が、迷惑をかけているのだとも思う。

 なら、はっきりと言った方がいいのではないだろうか。

「……私、あなたに迷惑かけてない? 昨日だって、私のせいで二十分も無駄にしちゃってたし」

『そんなことはない』とスケッチブックに書いた。そろそろこのスケッチブックも限界だ。ページが足りない。

「私、歩けるようになりたいの。歩きたいの。そして……」

 あなたの、一緒にいたい……そこまでは言えなかっ
 た。勢いより恥ずかしさが勝った。顔が熱い。

 彼はその言葉を聞いて、少し考える素振りを見せた。顔をあっちこっちに動かして、いかにも「悩んでます」と言っている感じがする。

 悩み終わったのか、彼はスケッチブックに文字を書き始めた。でもいつもと様子が違う。いつもなら嬉々揚々と書いているのに、今は重苦しくて、笑顔が暗い。

 そんな表情で彼は書き終わったスケッチブックを見せてきた。

『ぼくになら、どうにか出来る』

 そう書かれていた。

「ど、どういうこと?」

 この人は、腕利きのお医者さんだったんだろうか? いつもならわかりやすい彼の文字と表情が、今回ばかりは分かりにくい。

 彼はまた文字を書いてみせる。

『ぼくは、君たちの世界で言われる妖怪のようなものだ』

「よ、妖怪……?」

 妖怪って、あの砂かけばばあとか、鼠小僧とかの、妖怪?

「ほんとなの?」

 聞き返すと、彼は大きく頷いた。そしてまた書く。

『ぼくの能力でなら君は歩けるようになる』

「ほんとっ!?」

 さっきから妖怪とか能力とか、そっちの方に頭を回さなければいけないのだろうけど、今はこの足で歩けるかもしれないという希望の方が強い。

 心に花が咲いた気分だ、とても華やかで心が踊る。希望とはこういうことだったのか。

「じゃ、じゃあお願いしていい?」

 迫る私に、彼は手を前に出して『ステイステイッ』と静止の合図をした。私は犬か?

『条件がある、僕の能力は等価交換。君の大切なものを奪って、僕の何かを与える。それがぼくという存在だ』

 華やかな私の心に泥が一滴落とされた。少し考えれば分かることだ、もし、もし私がこれに応じれば……。

「あなた……歩けなくなるじゃない!」

 彼は黙って、頷いた。

 そう簡単に頷ける問題じゃないと思うんだけど。

「……あなたは、それでいいの?」

 彼はスケッチブックに文字を書く。今回はいつものようにスラスラと書き始めた。

『ぼくは妖怪だ、浮くことが出来る、問題ない』

 親指を立ててウインクをしてきた。それならいいんだろうけども……。

『でも、考えるべきなのは君の大切なものだ』

 スケッチブックに続けて書いた。表情は真剣味を帯びている。

「大切なもの……」

 ……そんなの、考えるまでもない。あなただ。今の私はあなたがいるから出来ている。

 私は、歩ける足を手に入れる代わりに、あなたの存在を持っていかれる。よく分からないことになる。

『それでもいいなら、大丈夫』

「……やっぱり、だめ」

『そこまで大切なものなのかい?』

「うん、それが無かったら私は歩いても意味が無い」

 彼と歩きたいから、それが一番の理由なのに彼がいなかったら本当に意味が無い。

「……」

 笑顔になった彼は、スケッチブックに文字を書く。心做しか、少し手が震えている。

『じゃあ、こうしよう。貴方の声を私にください』

「声?」

 大切なものの代わりに、声が欲しいと言っているのか。

 私は考えてみた……いや考える必要すらない。答えは決まっている。

「それで、お願いします」

 私はこの一ヶ月で何を見てきたんだ。言葉なんて、発さなくても通じるんだ。

 伝えたいと思えば、文字であったり、動作であったり。それだけで伝わる。

 大切なのは心だ、伝えるものに対する心があればそれでいい。

『分かった、今から貴方の声を奪い、あなたに私の足を渡します。目を瞑ってください、準備に時間がかかります。少し待っててください』

「は、はい」

 私は彼の文字通りに目を閉じる。


「……」

 音沙汰がない。目を閉じてから数分たったけど何も起こらない。

 何を準備しているのだろうと思って、ほんのちょっぴり薄目を開けた。

 見えたのは、こっちを見ずにただひたすらスケッチブックに文字を書く彼。

 何をしているのだろうと私は思ったけど、どうやら書き終わったようだ。薄目がバレたら大変だ。急いで目を強く瞑る。


 顔に掌をピタリとくっつけられる感触を覚えた、次に彼の手が私の足に触れられた。

 これから私は言葉を失い、歩み出す。そしたら彼と一緒に外に出よう、彼と一緒に遊ぼう。

 目を瞑りながら、私は夢を見る。ワクワクが止まらない。思うことは、彼と共にいることだけ。


×××


 長い間私に触れていた手は、ゆっくりと私の体から離れる。まだ感触が残っている、暖かい温もりを足と顔に残している。

 手が離れたということは、もう目を開けていいということだろうか。

 ねぇ……あぁ、そうか。今の私は既に喋れない

 確認は取れないけど、それは向こうも重々承知のはずだ。

 ゆっくりと目を開ける。

 それは、一ヶ月前にあった現象と同じだった。

 確かに私に触れていた彼は、また忽然と姿を消していた。私は目を疑う。そして次に疑ったのは声帯。

「……! ……!」

 声は無い。声が出てこない。

 ということは、彼が私を騙したという可能性も消えた。存在と引換に声を持って、彼はどこかに消えていった。

「……!」

 窓の外にも彼はいない。彼は消えてしまった。彼が残した痕跡は私に触れていた温もりだけ……。

 いや、違う。私は見たじゃないか、彼が私の体に触れる前にした行動を。

 スケッチブックに手を伸ばす。だがそのスケッチブックは床に置かれていた。私の位置からだと歩いて取りに行かないと行けない距離にある。

 ……試されているのだろうか。

 また心臓がはねる。恐怖で足が震える。

 体をねじって、ベッドから足を出す。問題ない

 動く、足に痛みはない。問題ない

 足をゆっくり地につける。床はひんやりと冷たかった懐かしい感触だ。問題ない

 ゆっくり、ゆっくりと両足に体重をかける。問題ない

 そして、立ち上がった。違和感はない。崩れない。本当に私の足の病気が治っている。

 全てにおいて、問題は無かった。

 懐かしい歩くという動きに感動しながら私はふらふらとスケッチブックまで歩く。そして手に取りしゃがみながら開いた。

 これまで一文や、一単語しか書かれてなかったスケッチブックに、明らかに多い文字が書かれているページを見つける。

 彼はあの数分間でこれを書いていたのだろう。

 私はそれを読む。彼は何を残したかったんだろうか。


 ────────────────────────

 この文を読む時、既にぼくは認識出来ない存在になっています。それは、ぼくが妖怪としてのルールに反したからです。妖怪とは、自分の存在意義を否定することはしてはいけないのです。
 ぼくは存在そのものであるルールを壊した罰として、妖怪の国へ強制送還されます。
 ですが、それはあなたのせいではありません。ぼくがあなたのために何かをしてあげたかったからやった事なんです。だからどうか、気にやまないでください。
 あなたは知らないと思いますが、ぼくはあなたに命を救われていたのです。
 ぼくのような名前もない底辺妖怪は、存在を周りから認知されていないのです。しかもぼくは人に何かを伝えるための最大の手段、声を持っていなかったのです。認知されない妖怪は存在しなくなってしまうんです、そしてぼくは誰からも認知されることなく。これまで妖怪としての生を受けてきました。実は初めてあなたと出会ったあの時、ぼくは消滅寸前でした。
 つまり、あなたがどうであれあなたはぼくの命を救ってくれたのです。あなたがぼくを見つけてくれたから、偶然だとしても僕の存在を認知してくれたなら、ぼくはこうして存在できているのです。
 感謝しています、だからこれは恩返しです。
 あなたと過ごした一ヶ月、とてもとても楽しいひとときでした。そしていつの間にか、僕はあなたに恋をしていたのだと思います。叶わない恋愛だと、分かってはいます。けれども、いつかぼくが妖怪の国からの罰を終えて、帰ってきたら。

 どうか答えを聞かせてください。
 いつかきっと会えると、信じています。
 また会いましょう、愛する人。



 名も無き妖怪より。

 ────────────────────────

「……」

 無条件に、私の目から涙が溢れてくる。言いたいことが沢山ある、今この瞬間、彼に会って言いたいことが山ほど出来た。

 ただ静かに、私は涙をこぼす。彼の手紙が滲む。



 ×××



 あの日から、私はリハビリを始めた。二ヶ月間のリハビリによって、歩くことはあまり苦じゃなくなった。

 初めはお医者さんから「信じられない」との一言をもらった。親は足が治ったのと、声がなくなった事で感情がごちゃ混ぜになって、何を言えばいいのか、なんて対応すればいいのかわからない様子だった。

 私はもうほとんどページのないスケッチブックに「大丈夫」と書いて両親に伝えた。両親は泣いて私に抱きついた。

 長いようですぐ過ぎていったこの二ヶ月。私はずっと続けていることがある。

 それは手紙を書いていることだ。いつかきっと会えると言ってくれた彼に向けて、言いたいことを山ほど書いた手紙を書いている。

 気にするなって言っても気にするよ。

 どうして最初に言ってくれなかったの。

 あなたにも辛い思いなんてさせたくなかった。

 その他もろもろ、あの日残した手紙のことじゃなくて私が言葉に出来なかったことや、歩けるようになって感じたことをズラズラと書き留めていった。

 そう、何かを伝えるのに声なんてそこまで重要じゃない。重要なのは伝えたいと思うこと、願うこと。私はずっとこの手紙を彼に伝えたいという思いで書き綴っている。

 そしてその長い長い私のこの手紙は、そろそろ終わりを迎えようとしている。あとたったの一文で、二ヶ月間考えて考えて書き綴ったこの手紙がやっと書き終わる。

 でもまだ、最後の一文をなんて表現すればいいのかわからない。この部分だけで、もう三日は悩んでる。

 季節は、夏に入ろうとしている。

 じわじわと暑くなっていく病室、私は窓ガラスを開けて、外の空気を取り込む。温い風が頬を撫で、更なる熱気を感じてしまう。

「……似ている」

 あの日のように、空は今日も雲一つない真っ青。この二ヶ月で一度も忘れたことなどない、彼と出会ったあの日と同じ景色が視界に映る。

 もしかしたらと思って下を向く。あの時の桜はすでに緑色に変わっていた。そして、彼の姿はやっぱり見えない。

 けど、何でだろう。

 見えないのに、本当に姿形全く見えないのに。



 ───そこに、彼がいる気がしてならない。

「……!」

 私は最後の一行を残した手紙を手に、外へと向かう。

 あの日、二十分もかかった道を、私は歩き続ける。早歩きを時々入り交え、今出来る全力疾歩で外に向かう。

 息が荒い、でも心地良い。心臓がはねる、それが心地よい。私は今楽しんでいる。

 歩くことは、ここまで楽しいことだったのか。


 外に出た、約八分でここまで来れた。手を膝について、私は桜の木の周りを見渡す。

 案の定、桜の木の下には誰も見えなかった。

 ……やっぱりか。

 荒い呼吸のまま、私はゆっくりと桜の木の木陰に身を寄せる。少し涼しい。

 風が木の葉を揺らしている。聞こえる音に涼しさを覚えた。

 このまま眠ってしまいそうな、そんな心地よさがあった───────。






「君は、僕を見つける天才なのか?」

「……!」

 後ろから、聞いたことのない声が聞こえた。でも私には分かる。この会話は、その発言は、彼にしかできない。

 なんだ、やっぱりそこに、いたんだ。

「書いたでしょ? いつかきっと会えるって」

 うん、信じてた。

 私は立ち上がって声のする木の裏側に向かう。

 そこには、何も変わらない彼がいた。笑顔が綺麗な彼がそこに居た。はっと気づき、足に視線を落としてみると、彼の膝から上が幽霊のようになっている。

「ごめんね、君はぼくの力で喋れなくなってるんだよね。だから、返答は首を動かすだけでいい」

 ……確かに、その身振りで私の想いは通じる。

 でも、私はあなたに伝えたいことがあるんだ、それも沢山。

 その量を、首を縦に降るか横に振るかなんかで、表現できるわけがなかった。

 彼が口を開く前に、握っていた手紙を彼に突きつける。

「えっ……これは? 読んでってこと?」

 こればっかりは首に頼ろう。うん、と頷く。

「分かった、じゃあ──」

 あっ、しまった。私はまだ最後の一文を書いていない。最も長考した最後の締めを書いていないではないか。

 思い出した私は急いで彼から手紙を奪い取る。

「えっ!?」

 彼が心底驚いた表情をした。ごめんね、少し待ってて。もうなんて書くかは決まったから。


 実際に会って、難しい表現はいらないと分かった。悩む必要なんてなかった。

 私がずっと伝えたかった思い。伝え続ける思い。

 私は手紙の最後に書き足す。




『愛してる』




 ただ、それだけです。私は笑顔で彼に手紙ラブレターを手渡した。

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