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囚われの姫は林檎がお好き

「姫を返せ!」

「返す? バカなことを抜かすな。あの娘は我のものだ」

「魔王め!」


 『魔王の城』と呼ばれる、この魔界で一番大きい城の最上階で行われている『戦い』もとい魔王がメタボリックシンドロームとやらにならないための『定期的な運動』が水晶からスクリーンに映し出されている。

 それを魔界のはずれにある塔の最上階でキングサイズのベッドに寝ころびながらジャスミンは見ていた。

 いつもよりも長いなとか、ここはこの前雑誌で見たエクササイズの動きとりいれてるな、とかそんなことを思いながら。

 ぽかんと口を開けながら見ていると口の中に渇きを覚えた。どのくらい寝ていたのかはわからない。けれども最後に水を飲ませてもらったのはジャスミンが眠りにつく少し前のこと。

 わざわざ立って靴を履くという行為を面倒に思ったジャスミンは身体を一直線上に伸ばし、ベッドの端までゴロゴロと転がって移動する。そして隣に置かれた小さな机の上に乗った籠から赤く熟れた林檎を1つ取り出す。いつも皮をむいてくれる魔王が不在のため皮をむかずにがぶりとかぶりつく。

 石で囲まれた部屋にシャリシャリと音を響かせながら、引き続き映し出された『運動』を見る。時々腕に伝いながら流れていく林檎の汁は舌を這わせて掬い取った。

 口の中に広がる林檎と味は変わらないけれど、タオルで拭ってくれる魔王が帰ってくる様子はいまだない。シーツを汚すと怒られるから仕方ないのだ。

 食べ終わるころには喉の渇きと、ついでにお腹も満たされて再び睡魔はやってくる。

 林檎の果汁の代わりに唾液でべたべたになってしまった手を眺め、拭くものを求めてあたりを見回す。けれども周りには林檎がたくさん入った籠と、格子のついた窓。そし今ジャスミンの横たわっているベッドを含めた寝具のみ。

 それ以外はない。あるはずもない。

 魔王は必要なものは全て魔法で取り出す。余計なものなど塔の中にある、この一室に残しておくことはしない。

 いくらジャスミンが逃げないと言っても魔王はその言葉を信じることはない。

 魔王がこの部屋に来るのは一日数回。仕事の手が空いた時だけだ。それ以外は今、スクリーンに映し出されている、魔王の間と呼ばれる場所にいる。

 魔王はジャスミンがこの部屋からいなくなることを恐れて監視用にこの水晶を部屋に置いた。そしてジャスミンの逃亡に役立ちそうなものは全て没収した。

 タオルでさえも窓から垂らしてしまえば、目印になってしまうからと毎回必要な時だけどこからか魔法を使って取り出しては持って帰ってしまうのだ。


 仕方ない。

 このまま唾液でべたべたになったまま寝る、というのも気持ちが悪いと感じたジャスミンは着ている服で手を拭いた。

 子どもがそうするのと同じように。

 子どもと違う点は少しだけためらったことだろうが、そのためらいすらもほんの少しのものであった。


 そしてすぐにジャスミンは迎えに来た睡魔に身をゆだねた。



「ジャスミン、起きぬか、ジャスミン!」

「ああ、おかえりなさい魔王」

 ジャスミンは目を擦りながら魔王の声のする方へと顔を向ける。まだ視界はぼやけているが、その中で一か所だけ妙に黒で塗りつぶされているようなところを見つけて視点を固定する。

 目を何度かパチパチと合わせては離しを繰り返すと次第にあたりは鮮明になっていく。そして真っ黒なマントに身を包む魔王を足から順に顔に視線を移していく。

 なぜか堂々とした風に張った胸はいつものことなので無視をしつつも、満足そうな顔は無視できなかった。

 まだ幼い子どもが虫を捕獲したような、褒めてほしいと訴えるような顔。

 そんな表情をジャスミンは筋肉の凝り固まった顔で眺めていた。

 すると早く成果を告げたいとうずうずしていた魔王は我慢できなくなったのか口を開いた。

「どうだ、見ていたか? 今日もまた懲りずにお前を迎えに来たあいつらを追い返したのだ」

「ああ、そうだね」

 『あいつら』とはジャスミンが眠りにつく前にスクリーンに映し出されていた人間のことだろう。

 もう何も映っていないスクリーンに視線を向けて大きな欠伸をする。

 すると視線は魔王に遮られた。

 こんなに近くでは顔を見ることはできない。少しだけ下がろうと身をよじって移動を試みるとジャスミンの肩は魔王のゴツゴツとした手でつかまれた。それは魔族を束ねるものの力としてはとても弱いもので人間の女であるジャスミンでも簡単に振りほどくことが出きるほどであった。けれどもジャスミンはそうしなかった。魔王の長く鋭利な爪が刺さっているわけでも、力強くて痛いというわけでもないからだ。

 特に何か不自由しているのでなければそのままでも構わないと思ったのだ。

 だからジャスミンは魔王の手をそのままにしておくことにした。


「……悔しくないのか?」

「なんで?」

 首をかしげるジャスミンの肩をつかむ魔王の手はほんのわずかに力がこもった。


「お前はまた逃げるチャンスを失ったのだぞ?」

「だから逃げないっていつも言っているじゃない。ずっとここにいるって」

「それは我を欺くための嘘だろう? いつかお前はあいつらの元へ帰ってしまう。我を騙して、我の元からいなくなってしまう」

「行かないよ、どこにも」

「嘘だ」

「嘘じゃないって」

 この問答もジャスミンがこの場所に連れてこられてからもう何度となく繰り返されている。だからジャスミンはこの問答に意味なんて見いだせずに面倒くさそうにタオルケットを引き寄せて魔王とは反対方向に顔を向けて目を閉じた。


 魔王はジャスミンを返すつもりはない。それなのに魔王はいずれ帰ると主張する。それがジャスミンには気に入らなかった。

 攫うのならばいつまでもそばに居てほしかった。今みたいに世話を焼いてほしかった。ずっとずっと。

 魔王が飽きたというのならば仕方ないと思うくらいの気持ちはジャスミンにもあった。そうしたら諦めてしまおうと。

 けれどそう聞いたところで魔王はいつも否定をする。

「貴様は我のものだ」

 そういって震えた手でジャスミンを包み込むのだ。


* * *

 城にいたころは望むものは、必要な物は与えられていた。それらは全て最高級の物であることをジャスミンはよく知っていた。

 けれどもジャスミンの心が満たされることはなかった。


 城にいる誰もがまだ10にも満たない幼いジャスミンに仇を見るような視線だけを向ける。けれどその視線ですらジャスミンに向けたものではなかった。

 皆、ジャスミンを通して他の女性を、ジャスミンの今は亡き母親を見ては複雑そうな、忌み嫌うような視線を向けた。

 誰もジャスミン自身を見てはいなかった。見てはくれなかった。


 いつも退屈で、部屋から一人で出ることすら許されない、監視され続ける毎日。

 たかだか両方の手の指の数にも満たない年数しか生きていないジャスミンはすでに生きることを億劫に感じていた。

 そんなある日ジャスミンのもとに一人の男がやってきた。バルコニーの窓から闇夜に紛れてやってきた男は自らを『魔王』といった。そして魔王は手の中にある一つの真っ赤な林檎をジャスミンに突き出していった。

「お前を攫いに来た」――と。


 ジャスミンにはその行動の意味を理解できなかった。けれどジャスミンは魔王に興味を持った。

 城にはまだ自分に話しかけてくれる者がいたのか――と。

 侍従にすら決まった言葉しか向けられなかったジャスミンにとっては魔王の行動も言葉の意味さえもどうでもよかった。

 ただ自分に言葉を向けてくれる。自分を見てくれる。

 それだけでよかった。


 固まっているジャスミンの手に林檎を収めてから魔王は言葉通り、ジャスミンを攫って行った。

 マントからは大きな翼が生えて来て、それが動くたびに2人の身体は空へと昇っていった。

 ジャスミンは小さくなる城下の屋敷を見ながら手の中にある林檎にかじりついた。それは今まで食べてきたどの林檎よりも水っぽくて、甘さは劣っていた。

 けれどジャスミンは食べることをやめなかった。

 甘さではない他の何かが口の中に、身体の中に入って来ているような気がしたのだ。

 それが恋しくてまた一口。

 食べるごとに得体のしれない何かは広がっていった。

「寂しいか?」

「え?」

「お前がいくら帰りたいと望んでも返してやることだけはしない。我はお前を攫ったのだから」

 魔王はにやりと口を片方だけあげて悪役みたいに笑って見せた。

 そして魔王は攫ってきたジャスミンを塔に閉じ込めた。

 身体の小さなジャスミンには大きすぎるほどのベッドのある部屋に。


「ここがお前の部屋だ」

 部屋のどこにも綺麗なレースの装飾はなく、壁は形のよく似た石を積み重ねてできていた。

 城でジャスミンが与えられていた部屋とは到底比較にもならないほど貧相なものではあったがジャスミンはひどく気に入った。

 魔王の手の中から解放され、ジャスミンは部屋の中でクルクルと回った。

 意味なんてなかった。けれどジャスミンはそうしたかったからそうした。

 クルクルクルクル。

 足首まであるドレスの裾は床から離れていき、ジャスミンの身体の周りで回っていった。

 クルクルクルクル。

 ジャスミンの動きに合わせて。



 城にいた時から表情一つ変えず周り続けるジャスミンの手の中には食べかけの林檎があった。



 その日からジャスミンのもとには籠一杯の林檎が届けられるようになった。

 水っぽくて少しだけ甘い、得体のしれない何かを含んだ林檎が。


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