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お嬢さま、それはなりません。

作者:結木さんと

 私の名前は、九才のときに小山澪こやまれいから九条宮澪くじょうみやれいになった。
 親の都合によるものではない。生まれたときから施設で育った私は、両親の顔を知らない。
 そのことに関しては小学校に上がる前にふん切りをつけた。自分を捨てた人間のことなど、いくら考えても仕方がない。
 そんなことより、私には目指すべき夢があったのだ。

 ――大人になったら大企業で働いて大金持ちになる。という、ビッグな夢が。

 きっと可愛げのない子供だっただろう。いつも温厚な施設の園長先生が、私と接するときだけオロオロしていたのを、いまでもはっきりと思い出せる。年々増えていく胃薬を見るたび、幼児ながらに小さな胸を痛めたものだ。かといって幼い私にはどうしようもなかった。
 いまは見違えるほど健康になられたそうで、ちょっぴり安心している。
 そんな私に転機が訪れたのは、間もなく九歳の誕生日が訪れようかという頃だった。
 ひょんなことから知り合った大財閥のお嬢さまが、私のことを指差しながらいったのだ。

『お父様。わたくし、あの子が欲しいわ。……ほら、あの強そうな』――と。

 犬猫じゃあるまいし、と思わないでもなかった。仮にも女に向かって「強そう」ってなんだ、とも。
 しかし、それまでに色々あってお嬢さまの人となりを理解していた私は、特にそれを不快と感じることはなかった。むしろ「チャンスだ」と思った。これは将来設計のための重要な布石である、と。
 ――イヤな子供だ。あの頃は施設にある成り上がりものの時代小説にハマっていて、そんな痛々しい考えに至ったのだと思う。
 かくして、その後の様々な紆余曲折を経て、九歳で九条宮家に引き取られることとなった私ではあるが、いまはお家の方々を心からお慕いしている。

 九条宮澪、十一才。
 現在の私の立ち位置は、同い年の凛子りんこお嬢さまの側近で――血の繋がらない「妹」という、なんだか複雑なものになっていた。


     ◇


 九条宮家の子女であらせられる凛子さまは、少々変わっていらっしゃる。
 決して頭は悪くない。日本屈指の難関校と名高い獅王院しおういん付属小学校において成績は上の中。良家の令嬢として、たくさんの習い事もされている。運動はやや苦手なようだが、それがなんだというのだろう。
 小学生にしてすでに気品と華やかさに満ちあふれた美貌を持つお嬢さまの魅力をもってすれば、運動音痴などむしろお茶目なオプションのひとつにすぎない。
 では、どういったところが変わっているのかといえば、

「レイ! レイ! わたくし、決めましたわ!」

 バンッと勉強部屋のドアが開く。ノックもなしに転がりこんできたのは、お屋敷の廊下を走ってきたらしいお嬢さまだ。
 いまはもう夜の八時半。ずいぶんと急いで来られたのだろう。麗しい頬っぺたが林檎のように赤くなっている。
 いつもなら、凛子お嬢さまはこの時間にはおやすみの準備をしているはずだ。

「凛子さま、どうされました?」
「これを見て!」

 ずい、と差し出されたのは、白く輝くディスプレイ。
 スマホの最新機種である。その画面には、なにやら細かな文字がびっしりと書き込まれていた。どうやらどこかのサイトを開いているようだ。これは……ネット小説の類だろうか? タイトルらしき大きな文字で「令嬢」がどうとか書いてある。


「――レイ! わたくし、『悪役令嬢』になりますわ! ……って、レイ? わたくしのスマホを持ってどこへいくの? なんで走……ま、待ってぇ!?」

 平べったい通信機器をしばし拝借し、私は屋敷の廊下を駆けた。
 どこへむかうのか。……当然、この騒ぎの元凶のもとに、である。


     ◇


「旦那さま」
「……はい」
「私は、旦那さまをお慕いしております」
「はい」
「経営手腕にも優れ、家族への思いやりも忘れない、すばらしいお方であると」
「うれし……はい」
「……ですが、なんでもかんでもお嬢さまの望みをホイホイ叶えてしまう点においては、いかがなものかと思わずにはいられません」

 私は、持ってきたお嬢さまのスマホを旦那さまの前に突きだした。

「――なぜ、『あんぜんチャイルドロック』を解除したのです」
「い、いや、だって、凛ちゃんが」
「旦那さま、お静かに。まだお話しの途中です」
「…………はい」

 なにかいいかけた旦那さまが力なく項垂れる。
 私が九条宮家の養子にしていただいて、二年とちょっと。――もはやなじみの光景となった、少々お嬢さまへの溺愛が過ぎる旦那さまへのご忠言の最中である。
 姿勢は正座。もちろん、九条家現当主のご夫君である旦那さまを床になど座らせるわけにはいかないので、大きなふかふかのソファーにクッションを敷いて腰かけていただいている。
 たぶん足は痛くないはず。

「小学校の先生方がおっしゃっていました。『インターネットの世界とは、落とし穴がそこら中にある危険な場所だ』と。……私も、おおむねその意見には賛同しています」
「ねぇ。前から思ってたんだけど、澪ちゃんは本当に十一歳なのかな……?」
「拾われたときに生後一ヶ月以内だったという情報がたしかなら、間違いではありません」
「そ、そう」

 旦那さまが微妙な表情で目をそらされた。
 ……なんだろう。なにかおっしゃりたいことがあるのだろうか?
 まぁ年齢に関して間違いはないはずだ。私はクラスで一番背が低い。それは私の悩みの一つでもある。まことに残念ながら、容姿だけなら同級生の誰よりも子供っぽいのだ。……ただ、リアクションがほんのちょっと周囲よりも落ち着いているだけの話で。
 いずれにせよ、いまは私のことなんてどうでもいい。問題は凛子さまのネット環境だ。
 完全実力主義の九条宮家現当主にして海外を飛び回っておられる蘭香らんかさまとは違い、旦那さまは少々お嬢さまに甘すぎる。
 近頃は子供を狙ったネット犯罪が深刻になる一方だと新聞に書いてあった。見た目よりずっと純粋で影響を受けやすい凛子お嬢さまが、おぞましい事件に巻き込まれたらどうするというのか。おかげで『悪役令嬢』とかいうよくわからない役職に就くとかいいだされてしまった。あの純真無垢な凛子さまに「悪」への憧れを抱かせるなど、許しがたい所業だ。

「……旦那様、澪お嬢様、お取り込み中に失礼いたします。――ベルギーの御当主様よりお電話でございます」

 ノックと共にドアの向こうから聴こえた渋い執事長さんの声に、旦那さまがピキッと固まる。もちろん、私も。
 それからの行動は早かった。旦那さまは急いで卓上の子機に飛びつき、私は別に見えるわけでもないのに姿勢を正す。
 その場にいなくても、周囲に大きな影響を与える。それほどの力を持ったお方なのだ。――九条宮蘭香という、才気に満ちあふれたご当主さまは。

「もしもし、蘭香さん? そっちはまだお昼だった……え? スピーカー? あ、いや、分った。すぐに切り換えるよ」

 慌てて旦那さまがボタンを押す。蘭香さまの意図を察した私は、すぐに黒檀の大きな机に近づいた。ピッという音のあと、受話器越しとは思えない澄みきった声が流れ出す。

『やぁ、澪。久しぶりだね。元気にしてたかい?』
「は、はい! 蘭香さま!」

 思わず上ずってしまった声で返事をすると、電話の向こうから微かに笑う気配がする。
 ああ、ほんとうに蘭香さまだ。特徴的な凛々しい口調に、なんだか胸がいっぱいになった。

『いつも孝利たかとしと凛子が世話になっているようだね。君には本当に苦労をかける』
「そ、そんな! めっそうもありません!」
「そうだよ蘭香さん。さすがに僕も娘のお世話になるようなことは……」
『今日も、凛子が奇妙なことを言い出したんだろう? ……主に孝利のせいで』

 旦那さまが硬直した。孝利、とは旦那さまのお名前である。
 さて、なんと答えたものか。事実は事実なのだけれど、そのまま伝えて蘭香さまを不安にさせることはしたくない。かといってお嬢さまを貶めるのも論外だ。ならば、

「それは……旦那さまに関しては、慣れておりますので、大丈夫です」
「ちょっ!? その言い方はマズ……!」
『慣れる、ね……』

 涼やかな声に鋭さが増した。旦那さまの身体は硬さを増した。
 申し訳ないとは思う。
 けれど、人生にはなにかをギセイにしなければならないときもある。
 ――そう、蘭香さまがおっしゃっていた。

『……まぁいい。それより凛子のことだけど、もし大丈夫そうなら今回はあの子の好きにさせてやっておくれ』
「ですが……」
『澪。人間というのはね、失敗して立ち上がった分だけ強くなれるんだ。大事なのは失敗しないことじゃない。転んだ場所で、どれだけのことを学べるかなんだよ』

 ――――全身を雷につらぬかれたかと思った。

 なんて深いお言葉だろう……! そして私はなんとあさはかだったのか。部屋に戻ったら、蘭香さまのお言葉ノートに一言一句もらさず書き留めておかなければ!

「いや、別にそんな大袈裟な話じゃないよね?」
『そちらは夜だろう? 後のことは任せて、澪はもう寝なさい。孝利は私がぶち抜いておくからね』
「ブチ抜くってなに!?」
「はい、蘭香さま」
「ねぇ! ブチ抜くってなんなの!? あとさっきから父親を無視するのやめようよ!!」
『ああ、それと』

 叫ぶ旦那さまをまたしても華麗にスルーされた蘭香さまは、少しだけ間をおいて、おっしゃった。

『……澪は、まだ私のことを「母」とは呼んでくれないのかな?』
「あ……そ、それは……」

 どうしたものだろう。養子とはいえ、私のようなものが蘭香さまを気安くお呼びするなど、恐れ多くて腰がひける。
 しかし、電話の向こうで待つご当主さまは、お呼びするまで決して許してくださらないようだ。
 ――覚悟を決めて、息を吸いこんだ。

「いやいや、おかしいよね? もっと普通でいいんだよ? あと、僕もパパって」
「おっ、お母、さま……っ!」
『ふふ。可愛い子だね、澪。またすぐに帰るよ。今日はもうお休み』
「は、はい……!」

 カァッと頬が熱くなった。心臓がバクバクと音を鳴らしている。
 蘭香さまは私の憧れだった。いつかはあんな素敵な女性になりたいと、毎日のように夢見ている。もちろん当主の座は敬愛する凛子さまのものなので、側近として生涯お仕えするつもりだ。そのためにも、私はもっともっとがんばらなくては。

「いやいやいやいや、なんなの? 君たちの関係……こんなの絶対おかしいよ……」

 なにやら呆けてしまわれた旦那さまに「御前を失礼いたします。おやすみなさいませ」と声をかけ、さん然とシャンデリアの輝く大きな部屋をあとにした。
 さて、私にはするべきことができた。

 まずは、『悪役令嬢』とやらがどういった役職なのか、詳細を調べなくては。


     ◇


「お嬢さま、なりません」

 翌朝、凛子さまのお部屋をおとずれた私は、開口一番にそうつげた。

「なぁに……? どうしたの? こんな朝はやくから……」

 のそのそと起きだされた凛子さまは、まだ眠そうに目をこすっていらっしゃる。
 ちなみに、現在は凛子さまが二度寝されたのでそろそろ支度をはじめないと完全に遅刻するギリギリの時間であり、決して朝早くはないのだが、いまはそれどころではない。

「凛子さま。私は側近として、凛子さまをトラックなどにひかせるわけにはまいりません」
「――ごめんなさい。わたくし、レイが何をいってるのかさっぱりわからない」

 ああ、まだ寝ぼけていらっしゃる。
 私は洗顔用の温水が入った桶とタオルを準備しながら、くわしく説明することにした。

「きのう調べたところ、『悪役令嬢』とはその八割ほどがなんらかの原因で死に、その後に少女マンガかオトゲーとやらのゲームの世界で生まれ変わることによって就任できる役職であることが判明しました。……凛子さま、これは難易度が高すぎます。せめて、『天然主人公』とか『ドジッ娘主人公』あたりで手を打たれては……」

 私の提言に対し、まだ眠気の残る麗しいお顔をタオルでぬぐわれた凛子さまは、とろけるような微笑を浮かべられた。

「レイ、フィクションと現実を混同してはいけませんわ」

 ……どうしよう。それはそっくりそのままブン投げ返したいお言葉ではあったのだけど、なんとか喉の奥で押し留めた。

「わたくしは、この世界で『悪役令嬢』になるのよ」
「はぁ……しかし、なぜ急にそのようなことを……?」
「これをごらんなさい」

 手渡されたのは昨日のスマホである。
 そこには、アドレス帳の画面が表示されていた。
 登録件数は――四件。蘭香さまと旦那さま、あとは私と運転手の笠井さんの分だ。

「……少なすぎるわよね…………?」

 ――マズい。凛子さまが泣きそうなお顔をしている。
 たしかに凛子さまのお友達の数は少ない。というより、いない。
 しかし、それには理由がある。
 誰も近づいてこないのだ。九条宮家という巨大かつ堅牢すぎる城壁は、他者に気安く近寄ろうかという気をまったく起こさせない。もし話しかけてきたとしても、それはお家のためであり、そのすべてが「社交辞令」という鋼の鎧をまとう言葉だ。獅王院付属小学校という名家旧家の子息たちが多く通う学校であるのもよくないのかもしれない。……あと、凛子さまの少々威圧的な美貌も。
 そうしてうろたえる私を尻目に、凛子さまはグイッと目元をぬぐわれた。

「……この『悪役令嬢』たちは、悪役とはいいながらもなんやかんやで友達をたくさん作ったり、周囲の方から慕われたりしていますわ。だから、わたくしも……」
「凛子さま、私にすべてお任せください。必ずや凛子さまを立派な悪役令嬢にしてさしあげます」

 いまにも消えてしまいそうな凛子さまを強く抱きしめる。ギュッと強く抱きしめかえされた。かわいい。
 ……こうなったら、お嬢さまをどこに出しても恥ずかしくない『悪役令嬢』にしてみせよう。
 正直、友達をつくるなら他にもっと手段があるんじゃないかとも思うのだけれど、お嬢さまのやる気に水をさす必要もない。

 ――それより、さらにマズいのは私のケータイに二十件のアドレス登録があることだ。
 お嬢さまを狙う男子の情報を集めるため連絡先を交換した恋愛事情に詳しいよっちゃんさんやエリリンさん、ほかにはお嬢さまのお気に入りの店などを登録したら、こうなった。
 側近でありながら主の前に立つなどあってはならないことだ。自分のいたらなさに奥歯をかみしめる。

 凛子さまに絶対ケータイを見せてはならない。

 私は、そう心に固く誓った。


     ◇


 さて、華麗なる悪の道を突き進むと決意した凛子さまと私ではあったけれど、問題はその方法である。いかんせん二人とも役づくりなんてドのつく初心者だ。
 凛子さまにいたっては、嫌われる以前に他人との接触そのものが皆無に等しい。
 いつもと変わらない賑やかな教室を隅の方から眺めながら、二人で出方を窺っていた。

「『悪役令嬢』って、具体的になにをすればいいのかしら……?」
「いきなり計画が迷子になりましたね」

 いまは一限目の休み時間。早くしないと予鈴が鳴ってしまう。
 ぽっかりと空いたスペースに立ち尽くしつつ、私は昨日の間にまとめたレポートをぺらりとめくった。

「そもそも、大元の『悪役令嬢』なるものは、庶民をいじめるのが日課のようですね」
「あ、それわたくしも読んだわ。身分の低い主人公にいやがらせをするのよね。『庶民のくせにー』って」
「はい。……しかし、生まれ変わって『悪役令嬢』になった者は一切そのようなことはいたしません。むしろ前世が庶民だったぶん、上流階級の選民意識に反発をおぼえることが多いようです」
「……どうやって悪役になるのかしら?」
「…………さぁ」

 スタートラインを引かれた場所がすでに行き止まりで、二人して溜め息を吐く。
 悪役の名を冠しながら、一切の悪事を行わない。けれども悪役令嬢の立ち位置にあることは生まれたときから宿命づけられており――もはや、それは哲学的な命題のような気さえしてきた。
 人に愛され慕われる悪役令嬢。
 この自己矛盾がたっぷり含まれた役職を、これから凛子さまは目指さなければならない。その地へいたる道のなんと遠く険しいことよ。はたして一介の小学生にすぎない私たちに辿り着くことはできるのか。

「……悪事のことはいったんおいて、その他の要素を探ってみましょうか」
「そうね。そうしましょう」
「では……」

 ぺらっと、もう一枚ページをめくる。

「『悪役令嬢』は、好きな男性につきまとうのも日課のようです」
「それも読んだわ」
「凛子さま、お好きな男子はおりますか?」
「いませんわよ。レイも知ってるでしょう?」
「はい。凛子さまは男子よりもプリンの方がお好きです」
「……プリンにつきまとえばいいの?」
「……さすがに大きな病院行きは免れませんね」

 それはきっと子供の無邪気さをもってしてもごまかすことは難しいだろう。
 またしても暗礁にのりあげてしまった。
 しかし、こうしていてはいつまでも計画が進まない。なんとかして一歩くらい踏み出さなくては。

「いっそ、つきまとう男子を家柄で決められてはいかがでしょう?」
「お家で?」
「はい。そのリストがこちらに」

 あらかじめ準備していたプリントを凛子さまに渡す。
 私が選んだのは、九条宮家とくらべて見劣りしない家柄で、かつ女子からの人気も高いイケメンである。これなら凛子さまを恐れて近寄らないということもない。
 生まれ変わりの『悪役令嬢』たちは、こういった顔のいい男を避けていた気もするけれど、そうなると他に悪役らしさを出す手段がなくなるのだ。些細な誤差からは率先して目をそらすスタイルでいこうと思う。

苑柳寺えんりゅうじ神楽崎かぐらざき……ね。たしかに、九条宮と大差ない家格だわ」

 どうやら納得していただけたようだ。苑柳寺は最大手の芸能事務所、神楽崎は医療関連機器の大企業を抱える国内屈指の財閥である。
 その子息、苑柳寺アキさまはいわゆるオレサマタイプの性格であり、ハーフゆえの金髪と彫りの深い顔立ちが特徴のイケメンだ。私はニュースか歴史ものの番組しか見ないので知らないが、自身も雑誌やドラマに引っ張りだこの売れっ子らしい。そうエリリンさんが教えてくれた。
 対する神楽崎透とおるさまは無口な男子で、クセのない黒髪と切れ長の目が特徴の美人顔。常に威圧感を漂わせているので周囲に人は少ないが、そういうクールなところに惹かれる隠れファンが多いのだとか。これは、よっちゃんさんが教えてくれた。
 ちなみに、エリリンさんやよっちゃんさんにはそれぞれ彼氏がいて、他人の恋愛観察は心の保養として嗜まれているらしい。最近の小学生はすすんでいるんだな、と思った。

「けど困ったわね。この二人、どっちかっていうと苦手なんだけど」
「凛子さま、食わずぎらいはいけません。この間のフグ白子は意外と美味しかったでしょう?」
「人間を魚の内臓といっしょにするのもどうかと思うけどね……」

 はぁ、と溜め息をついた凛子さまは、意を決したように唇をひきしめた。

「……でも、せっかくレイが頑張ってくれたんですもの。いつまでも迷ってばかりはいられないわ」
「その意気です、凛子さま」

 かくして、凛子さまと私の『悪役令嬢計画』は幕を開けたのだった。


     ◇


 二限目の休み時間、相談のすえ、まずはまだまともな対応が期待できそうな苑柳寺さまに声をかけてみることになった。

「それにしても、すごい人ね……」

 凛子さまが呆然と呟いた。
 その視線の先には、もはや壁のような人だかりがある。
 苑柳寺さまが登校してこられる日はいつもこんな感じだ。純粋にファンの子もいれば、身の周りのお世話をする「紅葉会くれはかい」と呼ばれる親衛隊の子までいる。
 「アキ」で「紅葉」。――その率直なセンス、私は決して嫌いではない。
 ちなみに、紅葉会に登録できるのは家柄のしっかりした生徒だけで、当然のように力関係は彼女たちの方が上だ。おそらくこの輪の中心には紅葉会の会長をはじめとするメンバーたちが控えているのだろう。

「なんとかここを抜けないと、近づくこともできませんわ……」
「凛子さま、それは大丈夫です」
「え?」

 不思議そうな顔をした凛子さまの隣で、私は人垣の外壁の部分にあたる生徒さんたちに声をかけた。

「――失礼いたします。少々道を譲っていただいてもよろしいでしょうか?」

 いっせいに十数人の女子生徒が振り向く。……その顔が、ほとんど同時に強張った。

「ひっ!?」
「申し訳ありません。急な用事がございまして……」
「あ、だっ、大丈夫です! ど、どどどどうぞ!?」

 慌てた様子で群衆がザァッと割れた。ほんのちょっぴりモーゼみたいだなと思った。

「……ねぇ、レイ」
「なんでしょう?」
「ほんとうに、わたくしに友達なんてできると思う……?」

 それは非常に答えにくい質問だった。
 少しでも気休めになればと親指を立てて頷いておいた。

「うう……レイのわたくしへの対応が雑……」

 なにか聞こえたけれど、いまは構ってさしあげられない。そろそろ苑柳寺さまが近づいてきたのだ。
 いくら紅葉会の面々とはいえ、さすがに九条宮の重圧には勝てないのだろう。声をかける間もなく次々に道が開いていく。
 やがて、目的の御曹司の姿が見えた。

「なん……お前、ひょっとして九条宮家の人間か?」
「はい。お騒がせして申し訳ありません」
「珍しいこともあったもんだな。まさか九条宮から近づいてくるとは……で? なんか用か?」

 苑柳寺アキさまはなかなか社交的な性格のようだ。これなら大丈夫なんじゃないかと思い、隣の凛子さまに視線を向けた。

「えっと、その……本日は、お日柄もよく……?」

 ――ダメだ。日常会話の経験が少なすぎて、現状に混乱していらっしゃる。まずはその練習からするべきだった。

「はぁ……? なにいってんだ、お前?」

 困惑はごもっとも。御曹司の整った顔がいぶかしむような色に染まった。
 さて、どうしたものか……。

「あの……苑柳寺くん……」

 私がフルスピードで頭を働かせていると、背後から小さな声が聴こえた。
 振り返ると、凛子さまが築かれた道の真ん中に、眼鏡をかけた小柄な男の子が立っていた。

「あ? 誰だ、お前?」
「よ、吉沢だよ……同じクラスの、学級委員の……」

 なんとなくそんな感じがした。すごく真面目そうな人だな、と。
 それより、苑柳寺さまは同じクラスの委員長の顔を憶えてらっしゃらないようだ。そんなにお仕事が忙しいのだろうか?

「んだよ、モジモジしてねぇでさっさと用件をいえ。気持ち悪ぃ」
「あ、えと。これ、先生から宿題を……」
「あ? だから、忙しくてできねぇっていってんだろ。んなもん担任に返してこい」
「で、でも……」
「ウゼェなぁ。……そうだ、お前が代わりにやっといてくれよ」

 ……おおう。これはなかなかの問題児だ。
 そんな彼に同調して、周囲の女の子たちも口々に吉沢くんを罵りはじめた。
 いったいコレのどこがいいのだろう? さっきのやりとりで、私の中の印象は最悪になったのだけれど。

「……ちょっと、その言い方はなんですの?」

 ――そして、きっと私よりも苛立っているだろう人が、ひとり。

「ああ?」
「ああ? ……じゃ、ありませんわよ! どこの世界に自分の宿題を他人にやらせるバカがいるんですの! 仮に忙しくてできないのだとしても、そんなことは自分で先生とご相談なさい!」

 烈火のごとき叱責に、教室がしんと静まり返る。
 それもそうだろう。様子を見るに、いままで苑柳寺に意見できた人などこの教室にはいないはずだ。
 くわえて凛子さまの声はよく通る。その迫力は、たしかに蘭香さまの血統を感じさせた。

「なにいってんだ? お前。上に立つ人間が下の者を使うのは当たり前だろうが。よそのクラスの人間がごちゃごちゃ口出してんじゃねぇよ!」
「いつ彼があなたより下の人間になったというんです? 思いあがりもほどほどになさいませ! いまのわたくしたちの環境は親が築きあげたもの! その上にあぐらをかく子供など、醜悪の極みですわ!」
「ん、だとっ!?」

 まさかの紛争勃発。
 爆心地の温度が急上昇していくにつれ、戦々恐々とする周りはどんどん静かになっていく。
 日本を代表する財閥の令嬢と御曹司の争いだ。巻き込まれたくない気持ちは痛いほどよくわかる。しかし、これ以上騒ぐとそろそろ大きな問題になってしまうだろう。

「――凛子さま、もう間もなく次の授業がはじまります」
「でもっ」
「苑柳寺さま、お騒がせして申し訳ありません。……しかし、凛子さまのおっしゃられたことはまぎれもない事実。ご自身が大人になられたとき、暗黒ノートに刻まれる歴史を少しでも減らしたいとお考えであれば、日々の態度をあらためられることをご進言いたします」
「なっ!? おまっ……!?」
「それでは……今日はこの辺にしておいてさしあげます。おぼえていらっしゃいませ」

 一応、最後に悪役っぽい捨てゼリフを残して、いまだに猛り狂う凛子さまの腕を掴んで騒然とする教室を後にした。
 「絶対にアイツぶっこ抜いてやりますわ!」という叫びを聴いたとき、私はたしかに、凛子さまと蘭香さまの血のつながりを感じたのであった。


     ◇


「……わたくし、悪役令嬢の才能がないのかしら」
「その可能性は残念ながらいなめませんね」

 三限目の休み時間。次の神楽崎さまがいる教室を目指しながら、凛子さまは少しヘコたれておられた。
 それは仕方のないことだ。凛子さまが悪役を演じるには、心の根っこが真っ直ぐすぎる。もちろん私はお嬢さまのそういうところに惹かれてお慕いしているのだけれども、やはり悪役令嬢となられるには不利な材料だ。
 チャンスは残りわずか。さっきの騒動のことが広まれば、凛子さまを恐れる者がさらに増えてしまう。さっきから廊下ですれ違う人々にもサッと目を逸らされてしまっているし。

「凛子さま、次は少し上から目線でいってみましょう」
「上から」
「はい。『このわたくしに話しかけられたこと、光栄に思いなさい!』……といった感じで」
「いまの、わたくしの声マネ?」
「数ある凛子さまのモノマネレパートリーのひとつ、『上からお嬢さまリミテッドエディション』です。使用人の皆さまにも大ウケですよ」
「……ねぇ、わたくしの知らないところでなにをしているのかしら?」

 いろいろである。いまのところ、凛子さまを敬愛し、日々の動作をつぶさに観察したからこそ繰り出せるモノマネを、私以上に使いこなせる者はいない。シェフの黒部さんあたりはいつも痙攣するほど笑ってくださるので、こちらも腕の磨きがいがあるというものだ。
 といったやりとりを交わしている内に、目的の教室へと辿りついた。
 神楽崎さまの姿はすぐに見つけることができた。
 なにしろ周囲に人がまったくいない。親衛隊に囲まれていた苑柳寺とは対照的に、一人でなにやら難しそうな本を読んでおられる。
 人間嫌いなのだろうか? よっちゃんさんの情報だと、仲の良い幼なじみが何人かいらっしゃるそうだけど。

「小さいときにパーティーで見かけたけど、相変わらずの威圧感ね……」
「お会いになったことがあるのですか?」
「お父様に連れられて、挨拶だけしたわ」
「では」
「……そのときは、『ああ、この子と友達になりたくないな』って思ったわね。なんか怖いし」

 ――なぜ、こんなにも難易度はあがり続けるのか。
 どこかにリセットボタンがあるなら迷わず押しているところだ。

「とりあえず声をかけてみましょう。凛子さま、打ち合わせ通りにお願いいたします」
「うぅ……嫌だなぁ……」

 渋々といった様子で凛子さまが神楽崎のご子息に近づいていく。
 たったそれだけで、平和だった教室の空気はピンと張りつめた。
 きっと西部劇の決闘がはじまる前はこんな雰囲気になるのだろう。

「オーッホッホッぶっ! ……ごふ、ごふっ……!?」

 ――マズい。一発目の高笑いでむせられた。
 ほんとうに世の悪役令嬢の皆さまはあれをマスターしているのだろうか? とても人間業とは思えない難易度だ。
 しかし、神楽崎さまの意識を引くことはできたようで、わずらわしそうな視線が凛子さまに向けられた。

「……なんの用だ、九条宮」
「ごふっ、ごふっ」

 ちょっと待っていただきたい。凛子さまはいま、入ってはいけない器官に空気が入ってしまわれたから。
 私に背中をさすられつつ、なんとか呼吸を整えた凛子さまは、当初の予定どおり威厳たっぷりに胸を張った。

「こ、光栄に思いなさい! このわたくしが、わざわざこんな辺境まで足を運んでさしあげましたわよ!」

 うん、いかにも悪役令嬢らしいセリフだ。まぁ辺境といっても階の端というだけで、中身は私たちのクラスとなんら変わりはないのだけど。あと、つきまとう予定の男子をこのように扱うのは正解なのだろうか。ちょっと自信がなくなってきた。
 ……あ、神楽崎さまが視線を本に戻された。端整なその横顔には「うんざり」という表情が浮かんでいる。
 そして凛子さまは涙目でこちらを振り返られた。無視されて悲しかったんですね? わかりました。ここはこの私にお任せください。
 ということで、戦意喪失された凛子さまの前に出て、すっかりこちらに興味をなくした様子の神楽崎さまと向かいあう。

「――凛子さまをシカトするとはいい度胸ですね。……この私の拳のサビにして」
「レイやめなさい! 待て! ステイ! 暴力はダメ!」

 振りかぶった腕は、凛子さまに抱きつかれて止められた。
 だってこの人、凛子さまを無視したんですよ? いっておくけれど、私は凛子さまや九条宮家の方々を侮辱する者は誰であろうと許すつもりはない。
 ……あと、さっき凛子さまから犬扱いされた気がするんだけど、聞き間違いだろうか?

「……うるさい。用事がないならさっさと消えろ、アホ姉妹」

 しっしっ、と手だけで追い払われた。私に対するそれだけなら、まだいい。寛大な心で許してさしあげよう。
 だがこの男、いうにことかいて、アホ姉妹!? 凛子さまを! アホと……!!

「し、失礼しました〜」

 ずるずると凛子さまに引きずられながら、私は怒りに燃える眼で仇敵認定した男をにらみ続けた。

 ――許すまじ、神楽崎透!


     ◇


 高いフェンスに囲まれた放課後の屋上で、凛子さまと私は見事なまでに打ちひしがれていた。
 本来は立ち入り禁止で施錠された場所なのだけど、つい先日、扉の鍵が壊れているのをたまたま私が発見した。
 たそがれるなら屋上だろうということで、お嬢さまと私はこっそり秘密の扉をくぐったのだ。

「……ダメでしたわね」
「……はい」

 空を焼く六月の夕陽が目にしみる。手の中のヤケ酒ならぬヨーグルト味のヤケピクニックは、もうすっかりぬるくなっていた。
 あの後、さまざまな悪役令嬢計画を二人で実行したものの、結果はすべて空振り。得体の知れない行動に出た九条宮の令嬢を恐れ、周囲からはますます人が遠ざかった。

「申し訳ありません。私が、もう少し神楽崎に対して怒りをこらえていれば……」
「いいえ、レイはよくやってくれたわ。……どちらかというと、わたくしの方がもっとしっかりしていれば」

 はぁ、と二人で溜め息をつく。
 これで一からやり直し……いや、現状を考えるとマイナスからのスタートか。
 友達って、どうやって作るのだろう? みんな当たり前にしていることが、私たちにはこんなにも難しい。

「帰りましょうか……」
「はい……」

 頷いて、のろのろと足元においたランドセルを背負う。
 こんなときでも凛子さまは決してご自分の荷物を私に持たせようとしない。今日くらいは、側近として仕事をさせてほしいのに。

「……あら? 踊り場に誰かいるみたい……」

 扉を開けた凛子さまがぽつりと呟いた。
 たしかに誰かの声がする。薄暗いこの場所に生徒はあまり近づかないのだけど、ひょっとして先生だろうか? だとすると、屋上に出ていたことがバレるとまずい。
 二人で顔を見合せて、息を殺してひっそりと階段を覗きこむ。

「――アンタ、紅葉会をさしおいて苑柳寺様に声をかけるなんて、ずいぶんナメたことしてくれるじゃない」
「そ、そんな……わ、わたしは、ただ落とし物を届けただけで……」
「はっ、どうだか。どうせ、ちょっとでもお目にかかろうとか卑しいこと考えてたんでしょ?」
「お、思ってません! そんなこと……」
「あのね、苑柳寺様にあなたみたいな庶民が声をかけるには、紅葉会の許可が必要なの。そんなの常識でしょ?」

 ――なんと紅葉会による制裁現場だった。
 メンバーらしき女子は全部で五人。やたらと高圧的なところを見ると、親衛隊でもそれなりの地位にいるのだろうか。
 一方、囲まれた女子生徒はいかにもおとなしそうな子で、いまにも泣きだしそうにうつむいてしまっている。
 ……というか、苑柳寺に話しかけるのに許可が必要だったのか。常識らしいけど、私はたったいま知った。そんなめんどくさい手続きを踏んでアレと会話したい子がいるのが不思議で仕方ない。

「――凛子さま、ごらんください。あれが本物の悪役令嬢ですよ」
「そうね。とてもじゃないけど、わたくしにはあんな真似――――じゃない。助けないと」

 そういって、凛子さまは階段を下りだした。
 もうそういうところが悪役令嬢になれない最大の要因だと思うのだけれど……私も、その意見にはおおむね賛成だ。
 慌てて凛子さまの後を追いかける。

「貴女たち、もうそれくらいにしておいたらいかが?」
「はぁ? 誰――くっ、九条宮様!?」
「な、なぜここに!?」
「ちょっと用事がございまして……それより、誇り高き獅王院の生徒がいじめなんて、恥ずかしいと思いませんの?」
「い、いじめなど……ただ、わたしたちは分別のない庶民に、獅王院でのルールを教えていただけで……」
「たった一人を大勢で囲んで? そういうのを世間ではいじめと呼ぶらしいですわよ。だいたい、そのルールすら貴女たちが勝手に決めたことでしょう? 関係のない一般生徒に押しつけてはなりません。苑柳寺様を慕っているというのなら、彼の顔に泥を塗るような行動は避けるべきではなくて?」

 さすがは凛子さま。たったお一人でも堂々と紅葉会のメンバーたちをやりこめている。
 その風格は、まさに次代の九条宮家当主にふさわしい。
 ――けれど、

「……ち、調子に乗るんじゃないわよ! 九条宮の娘だからって!」
「きゃっ!?」

 追いつめられて逆上したメンバーの一人が凛子さまの肩を突いた。
 突然の衝撃に、ぐらっと細身の身体が揺らぐ。
 下りの階段を背にして立っていた凛子さまは、そのまま――

「凛子さま!!」

 弾かれるように一歩を踏む。宙に浮いた凛子さまの身体を、私の小柄な体格で引っ張りあげるのは不可能だ。掴んだ腕ごと一緒に落ちてしまう。
 ――――ならば。

「くっ……!」

 一段下まで跳んで、背中のランドセルに手をあてる。そのまま、振り向きながら階段を踏みこむと同時に、全力で踊り場へと押し戻した。

 ぐん、と身体が後ろに引っ張られる。
 踏ん張ろうにも、足元にはもう地面がなくて。
 景色が、まるでコマ送りのようにゆっくりと流れていく。

 急速に傾いた視界は……しかし、床に倒れこむ凛子さまの身体を、きちんと捉えた。

 ――良かった。凛子さまは、ご無事だ。

「――レイッ!?」

 悲鳴がどこか遠くで聞こえる。
 まるで空を飛んでいるかのような、圧倒的な浮遊感。「ああ、落ちるんだな」と、やけに冷静に考える自分がいる。
 きっと痛いんだろうな。痛いのは、やだな。
 覚悟を決めて、ギュッと目を閉じた。
 やがて、鈍い衝撃とともに、強烈な痛みが――――――痛みが、ない?
 肩がどこかにぶつかった感覚はある。でも、痛くない。
 なにか、布のようなものが頬っぺたに当っている。
 え? 私、どうなったの?

「……何をしている」

 聴こえたのは、地を這うような少年の声。
 おそるおそる目を開けると――そこには、あの神楽崎透の冷たい眼差しがあった。
 敵を見るような漆黒の瞳は、しかし、私ではなくどこか遠くへと向けられている。

「あ……か、神楽崎、さま……っ?!」
「苑柳寺のところの連中か。……お前たち、自分がなにをしたか分かってるのか?」

 神楽崎の声は少年らしくまだ高いものの、聴く者の背筋を凍らせるような迫力があった。
 思わず、私まで身震いしてしまう。

「あ、ち、ちが……わ、わたしは関係ありませんっ!?」
「あ!? ちょっ、ず、ずるい! わたしも知らない!」

 やがて、視線に耐えきれなくなったのか、紅葉会のメンバーたちが次々と駆け出していく。
 ただ、いまさら逃げたところで、私はもう全員の顔を憶えているのだけれども。凛子さまを危険な目にあわせた者はなにがあろうと許さない。絶対に痛い目をみせてやる。
 ……それより、冷静になってみるとこの体勢だ。すっぽりと私がおさまっているのは、神楽崎の腕の中。ギュッと胸元に抱きしめられて……いや、受け止めてくれたんだということは、わかっているのだけれども……その、距離がですね……ち、近……。
 ちょっと軽く手で押してみる。お礼をいおうにも、この体勢はさすがにいろいろ恥ずかしくて口を開けない。
 ささやかな「離してください」のサインを出し続けていると、令嬢たちの走り去った方向をにらんでいた神楽崎が、ようやくこちらを向いた。
 その眼が――わずかに見開かれた。

「……お前、そんな顔もするのか」

 ぽつり、とそんなことを呟く。
 そんな顔、とはどんな顔だろう? あいにくと鏡が近くにないので確認できない。
 不思議に思って顔を触っていると、後ろから勢いよく抱きつかれた。

「レイ……レイ……っ、よかった…………っ!」

 涙に濡れた声。振り向かなくたって、それが誰のものかすぐにわかる。
 ……主人をこんなに泣かせて、私はほんとうにどうしようもない側近だ。

「ご心配をおかけして、申し訳ありません。凛子さま」
「バカッ……ばか…………っ……あり、がと……っ」

 お優しい凛子さま。ほんとうに、あなたがご無事でよかった。

 回された腕にそっと触れて、その感覚をたしかめる。ああ助かったんだ、といまさらになって実感がわいてきた。
 ……と。そこで、私は自分に向けられている視線に気づいた。
 神楽崎だ。あの無表情な坊ちゃんが、なんと口元をわずかに吊りあげて、なぜか私を見ている。

「なんです……?」
「顔、さっきから真っ赤だぞ」

 顔が……さっきから、真っ赤……?

 ――――ってそれ、抱きしめられてたときのことか! そんな顔って、これのこと?! ちょ……は、恥ずかしすぎる……っ!

「あまり無茶するなよ。アホ姉妹」
「な……なっ!?」

 とり乱した私の頭をぽんぽんと叩いて、神楽崎は階段を下りはじめた。
 その手のひらの感触に、またしてもさっきの状況を思い出してよけいに顔が熱くなる。
 ――しかし、ヤツは触れてはならないものに触れた。
 私にはどうしても許せないことが二つある。
 一つは、凛子さまや九条宮の方々を侮辱されること。
 もう一つは――年の近い者に子供扱いされること、だ。

「おのれ、神楽崎……っ!」

 ギリギリと歯をくいしばる。
 アホ呼ばわりしたあげく、頭を叩いて子供扱いのダブルパンチ!
 あの小馬鹿にしたようなニヤニヤ笑いも気にくわない!
 顔が熱いのも、心臓がうるさいのも、ぜんぶぜんぶヤツへの怒りのせいだ!
 あの嫌味な男が消えた階下に向けて、私は握りしめた拳を突きだした。

「覚えていろ! 神楽崎ぃぃぃいいいいっ!」

 ――いつか絶対に泣かす……!


     ◇


「あ、あのっ……」

 凛子さまが泣き止んで、私の動揺も落ち着いてきた頃、後ろから震えた声が聴こえた。
 振り向くと、そこには、さっきまで紅葉会メンバーに囲まれていた女子生徒の姿があった。

「その……あ、ありがとうございました! 助けていただいて、九条宮さまを危ない目にもあわせてしまって……わ、わたし、なんとお礼をいっていいか……!」

 泣きだしそうに肩を揺らした彼女は、これ以上ないほど深々と頭をさげた。
 その姿に私と凛子さまは顔を見合わせる。
 互いの意思を視線だけで確認して、コクっと頷いた。

「あの」

 声をかけると、おさげの女子生徒さんの身体がビクッと震える。
 やがて、おそるおそるといった様子で顔をあげた彼女に向けて、私たち二人は揃って頭を下げながら両手を差し出した。

「「アドレス交換、おねがいします」」


     ◇


「…………まさかケータイを持ってないとは思いませんでしたわね」
「まぁ小学生なので、普通といえば普通なんですけどね……」

 二人でうなだれて歩く夕暮れの道。後ろにのびた影ぼうしは、もう随分と背が高くなっていた。
 一応、お迎えの笠井さんには連絡をいれたのだけれど、あまり遅いと心配されてしまうだろう。
 学校指定のローファーにはき替えて、私たちはトボトボと正門を目指していた。
 結局、本日のアドレス獲得件数はゼロのままだった。ショックのあまり女子生徒さんの名前も聞き忘れたし、あれだけ怯えていると「ぜひお友達に!」とはいい出しにくい。なんだか強請っているみたいだ。
 ままならない現実を嘆きながら、私はふと気になったことをたずねた。

「凛子さまは、お友達ができたらなにをしたいとお考えなのですか?」
「お友達と? うーん。そうねぇ……休み時間におしゃべりしたりとか、帰りに寄り道したりとか、休日に出かけたり……とかかしら?」

 指折りあげられたお友達との交遊計画を聞いて、私の中に、あるどうしようもない考えが浮かぶ。
 魔が差したとしか思えない。けれど、気がつけば、私はその言葉を口にしていた。

「あの……それは、私ではいけませんか?」

 高慢な考えであることはわかっている。それでも、同じようなことを私はお嬢さまとしてきた。休み時間はずっと一緒にいるし、寄り道も、休日にお出かけもした。
 もし、凛子さまが寂しいというのであれば、私が、もっとがんばってその穴をお埋めすることはできないかと思った。
 ……思ったのだけれど。

「レイ? レイではダメよ」

 ――ずき、と。
 困ったようなその声に、胸が、痛んだ。
 いや……まぁ、うん。わかっていた。
 私は、九条宮に引き取っていただいた養子にすぎない。
 施設にいたころ、この性格と物言いのおかげで孤立していた私を、優しい凛子さまはワガママという形にして救いあげてくださった。
 九条宮家の方々も、身よりのない私なんかを身内として扱ってくれる。
 それだけで充分だ。もう、それだけで、私は一生分の幸せをもらったというのに……。

「だって、レイはわたくしの家族じゃない」
「…………え?」

 なんでもないように放り投げられた言葉に、思わず顔をあげる。

「……レイは、わたくしの可愛い『妹』よ。お友達なんかよりもずっと大事だわ。――他人とではできないたくさんのことを、わたくしはレイと一緒にしたいもの」

 ああ、それは。
 ――お嬢さま。それは、なりません……。
 そんなに優しいお顔で。
 そんなに綺麗な笑顔で。
 そんなことをいわれたら、私は――。

「えっ、ど、どうしたの? ……レイ?」

 無礼と知りながらも、腕にすがりついてしまった。
 お願いします。どうか、いまの私を見ないでほしい。きっと情けなくて、みっともなくて、とても凛子さまのおそばにいられないような、恥ずかしい顔をしているから。
 必死になって顔を隠していると、凛子さまがクスッと笑い声をこぼした。

「あらあら、今日のレイは甘えん坊さんねぇ」
「……こ、子供扱い、しないでください」
「ふふ。この流れでちょっと『お姉ちゃん』って呼んでみなさいな。いつまでたっても凛子さま凛子さまって、わたくし、これでも寂しかったんですのよ?」
「あ……と…………おっ、おね……おねえ、ざ……」
「あー……焦らなくてもいいから。まずはお顔を拭きましょう? このままだと、制服がえらいことになってしまいますわ……」

 そういって、苦笑しながらハンカチで顔をぬぐってくれる凛子さまの……お姉さまの手は、とても優しくて、温かかった。


 私の名前は、九才のときに「九条宮澪」になった。
 はじめは夢を叶えるためのチャンスだと思っていた。
 けれど、いまは九条宮家の方々を心からお慕いしている。

 いつか、臆病な私もちゃんと「家族」になれるように。与えてもらった優しさに、きちんと応えられるように。――しっかり前を向いて歩こうと、そう、心から思った。








「今日はたくさん動いたからお腹がすきましたわね、レイ」
「はい……ぺこぺこ、です」
「夕飯のメニューはなにかしら? プリンだったらいいですわね〜」
「いえ、さすがにそれがメインなのはちょっと……」

 二人で手を繋いで歩く六月の帰り道。
 いつもと変わらないはずの茜色が、ふんわりと優しくにじんで見えた。





      ―fin―




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