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サントノーレ 作者:奈備 光

3章

25/118

24 影武者

「ねえパパ、今、いい?」
「いつも言うけど、娘がパパに話しかけていけない時なんて、ないよ」
「うん」
 顔を覗かせたチョットマは、げっそりしたように見えた。
「入っていい?」
「なに言ってるんだい」

 チョットマを襲ったクシが、ハクシュウの顔を持っていた。
 ハクシュウがクシだったのではない。
 それでもチョットマは意気消沈してしまって、宿敵が居なくなった喜びどころではなかった。
 イコマは小さなスツールに腰掛けたチョットマの右肩に止まった。
「セオジュンのことなんだけど」
「うん」

 右肩に止まったのは、いわば合言葉である。
 万一、偽物のフライングアイであっても、チョットマにはわからない。
 ンドペキとの間では必要なかったが、ユウやアヤともそれぞれに合言葉を決めてある。
 チョットマがフライングアイにちょこんと触れた。


 チョットマは二日おきくらいに訪ねてくるが、話題は決まってセオジュンのこと。
 捜索にさしたる進展はない。
 それでも話題にするのは、半ば習慣となった安全な話題だからかもしれない。
 チョットマとて、部隊の行く末や、街の今後や、アンドロとの戦いについて考えていないはずはない。
 そういう話題を避け、行方不明となったセオジュンのことを話すのは、いわば肩の力を抜くために必要なことなのかもしれなかった。
 まして、クシがハクシュウの顔を持っていたという、チョットマにとって衝撃的な出来事があったその翌日ともなれば。

 今、クシの死体が運ばれようとしている。
 あるビルの屋根の上に、放置するために。
 葬儀という類のものではない。
 あくまで死体の処理である。
 屋根の上で二週間晒し、死体が消え失せなければ、つまり再生されなければ、地下深くの水系に放り込まれ、処分される。
 それがエリアREFでの慣習であると聞いたンドペキが、数人の隊員と共に、クシを運んでいるのだ。

 勿体つけた儀式としての葬儀より、よほどこの方が自然な形だとイコマは思った。
 いもしない神に祈りをささげ、ことさらに「神に召されて」などと勝手な思いで死体を見つめるより、悲しみの念も深まるというものだろう。
 死体は死体。
 数日もすれば腐敗が始まる。ただの冷めた肉。
 もうそこに魂が宿っているはずもない。
 魂という、人が編み出した「存在」が実際にあるとしても。
 ンドペキはクシの死体処理にチョットマを誘おうとはしなかったし、チョットマも参加しようとはしなかった。


「あ、そだ、パパにお礼を言わなきゃ」
「ん?」
「私が歌を習いたがってるって、ンドペキに言ってくれたでしょ」
「ああ、勝手なことをしたかな」
「ううん。ありがとう」
「どんな感じ?」
「一つ目のお姉さんは、脈があるって」
「そいつはよかった!」
「そりゃ、脈はあるよね。私、生きてるもの」
「ハハ」

 チョットマは習った曲を教えてはくれなかった。
 自分のものになったら、皆の前でお披露目するのだと笑った。
 ほっとする笑顔だった。
 娘との他愛もない会話。
 このために人は、父親になる。
 父親としての一番の望み。
 それは娘のこんな笑顔。
 自分の遺伝子を受け継いだ子を持ったことのないイコマでも、それくらいのことは分かった。

 アヤとはまた違う種類の喜び。
 彼女はすでに大人で、長い年月を一緒に過ごした。
 チョットマと娘として接しているのはまだ数ヶ月。
 知らないことも多い。
 ただそれだけの違い。


「ねえパパ、セオジュン、アンジェリナの二人とハワードはどんな関係があると思う?」
「うん?」
 最近、ハワードの姿を見ていない。
 セオジュンの失踪のころからだろうか。
 毎日顔を合わせるというわけではなかったので、正確な日はわからない。
「最近、会ったのかい?」
「ううん。プリブとシルバックは、つい最近、会ったみたいだけど」
 ごみ焼却場で出あったという。

「ねえ、そんなことより、パパはどう思う?」
 根拠のない憶測なら、いくらでも並べることはできる。
 しかしイコマは、そうはしなかった。
 チョットマの目が輝きだしたから。
「隠していたわけじゃないんだけど、私、パパに言ってないことがあるんだ」
「ほう?」
「ハワードが言ったこと、なんだけど」


 ハワードの言動は、表向き以前と変わりはなかった。
 しかしイコマは、感じていた。
 元々、アンドロらしく自分勝手に思いつめていくところは同じだが、もの言いたげな顔をして口をつぐんでしまうことが多くなった。
 レイチェルの死が、よほど応えたのだろう、と。

「セオジュンの卒業式の前の日だったと思うんだけど、ハワードが部屋に来てね。こんなこと言ったの」
 チョットマ、私は貴方といつも一緒にいます。
 これからもずっと身近なところで。
 でも、私の姿は見えなくなるでしょう。
 心配しないでください。
「私にだけ話すって言ってたし、なんだか変な話でしょ。なぞなぞみたいで」

「そうなのか……」
 ハワードは消えたということなのか……。
 確かに、毎日欠かさず朝に夕に、ンドペキに何かしらの報告をしに来ていたが、ここ数日は姿を見せていない。
 姿を消す理由は……。
 アンドロ特有の事情があるのだろうか。
 固体としての再生、つまり肉体のリフレッシュの時期なのだろうか。
 とはいえ、何もこのタイミングに……。


「ねえ、パパならどう思う?」
「なるほど、妙な話だね」
 ただ、明確になったことがある。
「つまり、ハワードは自分の意思で、あるいはどうしようもない事情で、自ら姿を隠したということだ」
「そうね」
「それに、あらかじめ、そのことがわかっていたということだね」
「うん」
「身近なところ、っていうのが気になるけどね」
「どういうこと?」
「だってね」

 姿は見えないが身近にいる。なんとありきたりな表現だろう。
 まるで、僕の魂はいつも君のそばに、とでもいうような。
「ねえ、チョットマ、ハワードは死んだと思う?」
「えっ、まさか! そんなふうには感じないよ」
「感受性の鋭い君がそう言うんだから、死んでないんだろうな」
 通常、アンドロが死ぬことはない。想定されていない。
 マトやメルキトと同じように、再生されるといわれている。

「パパ!」
「ん?」
「ひどいよ、それは!」
「どうして?」
「だってそれじゃ、セオジュンもアンジェリナも死んだかもしれない、ってことになるじゃない」
「まあね。で、そっちはどんなふうに感じる?」
「死んでない!」

 しかしチョットマの目は、本心を見られたくないというように、伏せられてしまった。
 セオジュンとアンジェリナ。
 ありていに言えば、駆け落ちしたというのが順当な判断だろう。
 生死は分からないまでも、二人でどこかに行ってしまったのだ。
 ただ、その理由がわからない。
 二人の恋を邪魔するものはなかったはずなのに。
 ニニの存在が、微妙だったとしても。


 ハワードの件は、全く予想していなかったことだった。
 イコマは、あの男を信頼していた。
 ンドペキは仲間として見ていた。
 もし、黙ってアンドロ次元に戻ってしまったのなら、裏切りではないかと感じた。
 それとも、レイチェルが死に、チョットマに振られたことによって、仕事が無くなったと判断したのだろうか。
 働くために生み出されたアンドロだから?
 恋をしてみたい、熱くて甘い心を持った人間になりたいと言っていたハワードが?
 そして、自由に振舞っていたハワードが?

「私ね。彼はきっと本当のことを言ったんだと思う」
「どういうこと?」
「ずっと私のそばにいるつもりだったんだと思う」
 レイチェル亡き後、チョットマが自分が仕える相手だと言ってはばからなかったハワード。
 二人で話し合ったこともあるのだろう。
「だろうね」
 きっと、チョットマの見立ては正しいのだろう。

「ところが何かが起きた。彼にとって、何かしなくちゃいけないことが」
 タイミングとしては、セオジュン、あるいはアンジェリナの失踪である。
「だから、セオジュンたちとハワードの接点を探ろうと」
 チョットマは、飽きることなく関係すかもしれない人々に聞いて回っている。
「ライラがね……」
「ん?」
「セオジュンもアンドロかもしれないって」
「ほう」
「アンジェリナもニニもアンドロでしょ」
「うーむ」
「ライラは独り言みたいに言ったけど」

 セオジュンは、メルキトということになっている。
 これまで、街に住んでいるのはマトかメルキト、と相場が決まっていた。
 孤児を引き取って育てたライラがメルキトだと言えば、それで通っていたのだ。
 しかし、なんら根拠はない。
 案外多くのアンドロが、それぞれの仕事を持って街に住んでいることを知った今、ライラの独り言もあながち外れているとは言い切れなかった。
「アンジェリナの仕事ってのは、詳しくわかったかい?」


 すでにイコマも、概略は耳にしていた。
 アンジェリナは、レイチェルのシークレットサービスだが、任務は街の情報を集めること、ということになっている。
 では、どんな情報を?
「それがね。ニニが毎日うわごとを」
「うん」
「アンジェリナの使命なんて、とか」
「使命か」
「なにもアンジェリナでなくてもいいじゃない、とか」
「任務じゃなく使命?」
「うん。可哀想なアンジェリナ、とか」

 イコマも薄々気づいた。
「レイチェルってさ」
 やはり、そうだったのだ。
 チョットマが大げさにため息をついた。
「私やサリと同じ」
「うーむ」
 レイチェルの恋人探し、なのだ。
「はあ、って感じ」

 ため息をつきながらも、チョットマはそれ以上、レイチェルを悪し様に言うことはしなかった。
 自分で探せばいいのに、とも。
 レイチェルの身の上を知れば、それが至難であることをチョットマも理解していた。
「でも、そこが引っかかるのよ。だって、アンジェリナが恋をした相手はセオジュン。もしかするとアンドロかもしれない少年」
「つまり?」
「パパ、ずるいよ、わかってるくせに」
「まあまあ、君の意見を聞かせて」


 レイチェルの恋人探しの人形として生み出されたクローン、チョットマ。
 そのことで傷ついたのは、つい一月ほど前のこと。
 先回りして話すより、彼女自身が話す方がスッキリするだろう。
「サリは、あっさり殺されて次の候補を探せ、ということになった」
「ん……」
「もし、こんな騒ぎになってなかったら、私も同じように一旦は抹殺されたはず」
「チョットマ……」
「大丈夫よ、パパ。もう、立ち直ってるから」

 立ち直ってなど、いないだろう。
 チョットマの口から、レイチェルやサリの名を聞くのは、あれから始めてのことなのである。
「パパもみんなも、気にしすぎ。もう、いいのに」
「わかった。そうする。で、推理の続きは?」
 イコマはあえて、推理という言葉を使って、ウェットな話ではなく、理性的で論理的な話をしている雰囲気を作ろうとした。
 その方がチョットマも話しやすいだろう。


「今からかなり、ひどいこと言うよ。いい?」
「どうぞ」
「ハワードは、レイチェルがアンジェリナにさせていた恋人探しのことを知っていた」
「仮定だね」
「うん。でね、セオジュンというアンドロが好きになっちゃった」
「つまり?」
「ハワードは怒って二人を……」
「おいおい」
「やっぱり」
「何が起きるかわからないのが人の世だけど、いくらなんでも」
「もしハワードがアンジェリナを好きだったとしても?」
「もっとないね!」

「じゃ、次!」
「よし」
「さっきの仮定は同じよ。アンジェリナは使命を果たせなかったことに打ちひしがれていた」
「なるほど」
「もうレイチェルは死んだんだから、気にすることはないよとハワードは言ったんだけど、それでもアンジェリナの気持ちが治まらなくて」
「それで?」
「で、二人で旅行でもして来いと」
「ハハ! 旅行ねえ!」
「他の街へ行くんじゃないよ。アンドロ次元の観光地」
「観光地! そんなものが!」
「知らない」
「いや、案外あるかも」
 チョットマが笑った。
 こうしてクシのことを忘れようとしている、とイコマは思った。


「どっちのパターンも、ハワードが姿を消す理由にはならない。そこが難しいのよねえ」
「そうだね」
「じゃ、取っておきのを!」
 チョットマがスツールから立ち上がり、狭い部屋の中を回り始めた。
「自信あるみたいだね!」
「そういうわけじゃないけど」
 仮定は三つ。
 セオジュンがアンドロであること。
 アンジェリナが、レイチェルから恋人探しの身代わりとなる使命を与えられていたこと。
 それをハワードが知っていたこと。

「仮定は変わるの」
「そうかい」
「ハワードとアンジェリナには、別の使命があった」
「うん」
「レイチェルは自分に万一のことがあったときのことを考えていた」
 なるほど。地球に存続するホメムはわずか六十三人。
 しかも、レイチェルは最も若く、子孫を残すことが責務。
 それに凡庸ではないし、責任感も強い。

「レイチェルは自分が死んだら、街がアンドロに乗っ取られることも予想していた」
 現実そのとおりになったし、想像には難くない。
「軍も騎士団も、頼りにならないことを知っていた」
 まさしくその通りである。
「そこでレイチェルは東部方面攻撃隊に望みを繋いだ」
 実際、そういう行動に出たともいえる。
 エーエージーエスに閉じ込められることになろうとは、思いもしなかっただろうが。
「レイチェルが打ったもうひとつの手」
 チョットマは立ち止まろうとせず、歩き回っている。
 いつから、こんなふうに落ち着いて、きちんと順序だてて話せるようになったのだろう。
 イコマはうれしくなった。


「それがハワードとアンジェリナの使命」
 セオジュンは脇役のようだ。
 そういう推理を立てることが、チョットマの冷静さを示していた。
「うん、いい感じだ」
「ねえ、パパ」
「ん?」
「私がクローンだって知ってた?」
「いや」
「レイチェルは私とサリを作った。ということは、もっとたくさん作っていてもおかしくないよね」
「だね」

「レイチェルが自分にもしものことがあったときのために、もっとそっくりなクローンを作っていたとしたら?」
「なるほど!」
「そのクローンはレイチェルの影武者として、レイチェルの居住区に住んでいるかもしれない。その人を救い出すため」
 今は、タールツーに囚われているかもしれないから。
「そして、このエリアREFのようなところで、例えば地下深くに住んでいるかもしれない。その日のために」
 そのレイチェルと話し合い、いくつかの準備を進めるために。
「そして、カイラルーシのような大都会で暮らしているかもしれない、普通の市民として」
 そのレイチェルを呼び戻すため。
「ハワードとアンジェリナは行動を開始したのよ。姿を隠して」
 イコマは唸ってしまった。
 ありえないことではない。
「だって、ハワードもアンジェリナも、この話は誰にもできないでしょ。影武者は、自分がレイチェルそのものだ、という顔で登場しないといけないわけなんだから」
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