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サントノーレ 作者:奈備 光

2章

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19 歌の稽古

 チョットマは気分がよかった。
 この調子じゃ、いつまでたっても歌の稽古もできないぞ。行けるときに行って来いと、ンドペキが勧めてくれたのだった。
 それにしても、ンドペキはなぜ私が歌を習いたいことを知っていたんだろ。
 さては、パパが喋ったな。
 悪い気はしなかった。

「でもさ、あのお店に入るには、武装してたんじゃダメなんだよ」
 エリアREFのバー「ヘルシード」では、入口で武装を解かれてしまう。
「ああ、知ってる」
 へえ、ンドペキはそんなことも調べてくれてたんだ。
「送り迎えはしてやれないぞ」
「当たり前でしょ」
 重装甲なら、店で着替えに困る。
 軽武装ならいいかも。

「ツバメの歌とやらを習って来い。いや、待てよ」
「なにさ。私がいいと思う歌を習うんじゃだめ?」
「チョットマ」
「なあに」
「これは、任務だ」
「えっ?]
「隊の気分を高揚するような。んーと、隊の歌みたいなものを」
「あっ、なるほど!」
 隊員たちは疲れている。身も心も。
 それを少しでも和らげる歌を。
「お前が皆の前で歌うんだ。気持ちが沸き立つような歌を」
「はい! 了解しました!」
 と、チョットマは喜び勇んでヘルシードに出掛けたのだった。


 ひとつ目のお姉さんは、喜んで教えてくれた。
 歌のレッスンといえば聞こえがいいが、チョットマにとってはヒア汗が出っ放しだった。
 なにしろ、これまで歌というものを歌ったことがない。
 口ずさんだこともなければ、聴いたことさえないのだ。
 また、近いうちに来ます、と店を出たときには、ぐっしょりと汗をかいていた。

「ふわぁ、疲れたぁ。ま、でも私、音痴じゃなくてよかった。お世辞かな?」
 エリアREFには風というものがない。
 ねっとりした空気が漂っているだけ。
 しかも、このところニューキーツの気温は上がり続けている。地下はまさしく蒸し風呂のようだ。
 それでもチョットマは、鼻歌交じり。
「いい歌よね」
 きっと、ンドペキも喜んでくれるはず。
 知っているかな、この歌。

「スタンド バイ ミー」
 チョットマは何度も声に出してみて、音程を確かめた。
 でも、優しい歌ね。
 ちっとも勇ましくない。
 いいかな、これで。
 隊の歌というより、恋の歌みたいなんだけど。
 まあでも、隊員たちは仲間なんだし、これでいいよね、ンドペキ。
 きっとパパは、いいね! って言ってくれるだろな。
 あ、セオジュンならどう思うだろ……。


 エリアREFの狭い通路を行く。
 もうとっくに恐怖心はなかった。
 聞き耳頭巾のおかげで、かつては散々怖い思いをしたけど、いい人ばかりだし。
 通路に溜まった得体の知れない液体。そこに棲む虫。
 相変わらずあいつらは、気持ち悪いけど。
 それに、この臭気も苦手。
 でも、今はここが私の住処って思う。
 私って、案外、順応性があるんだな。
 私のことで変な噂も耳にするけど、それもみんな含めて、私の街。

 それにしても、セオジュン。
 どうしたんだろう。
 アンジェリナ。
 レイチェルのSPなのに、いなくなってしまって。
 それにハワードも。
 なんだかみんな、変。

 近いうちに、何かが起きる。
 そんな予感めいたものがチョットマにはあった。
 だからといって、緊張はしていない。
 私は私のできることをする。しなくちゃいけないことをする。
 ただ、そう思っておけばいい。
 今はまだ、私がしなくちゃいけないことが何なのか、わからない。
 だから、心を遊ばせておく。そのときのために。


 ふとニニのことを思った。
 あの子、なぜあんなふうに、気持ちを張り詰めてるんだろ。
 アンドロだから?
 それとも、セオジュンに恋していたから?
 アンジェリナに焼きもちを焼いていたから?

 チョットマは、ニニがセオジュンを愛していることを知っていた。
 少し気が重くなった。
 私、人を慰めるなんて、できないから。
 ニニはアンジェリナと住んでいた部屋にいることさえ辛いようで、見かねたチョットマが泊めてやっている。
 きっと今も暗い部屋で、チョットマを待ちながら泣いているだろう。

 ちょっと変なんだな、あの子も。
 げっそり痩せていた。
 痩せただけでなく、夜も眠れないようで、うなされてばかりいる。
 それに困ったこともある。
 政府からまだ給金は出ているようなのだが、お金はもういらないからと、チョットマにくれようとするのだ。
 意味がわからない。

 仕事のなくなったアンドロって、あんなふうになるのかな。
 それとも恋人を失ったから?
 チョットマは不思議でしようがなかった。
 私はンドペキが好きだけど……。
 あんなふうには……。
 あ、そか。まだンドペキは身近にいるものね。


「つっ!」
 殺気!
「あっ!」
 近い!
 しかし、どこ!

 まずい!
 人通りのない、天井の低い細い通路。
 ひときわ暗く、闇が溜まった箇所。
 後ろ!
 敵の位置を察知したときには、殺気は最高潮に達していた。
「くっ!」

 振り向きざまに地面に伏せようとしたが、間に合わない!
 黒いローブが翻る。
 すぐ後ろだ!
 身構えたチョットマの胸元に、銃口がぴたりと据えられた。
 動けない!
 チクショウ!
 軽装備のため、シールドは張れないし、身上の機敏さも普段より半減している。
 銃口が火を噴くと同時に避けるしかないが、距離はわずか三メートル。


 クシに容赦はない。
 問答無用でぶっ放すはず。
「クシ!」
 チョットマの口から出た言葉も虚しく、銃口の奥が光った。
 瞬間、チョットマは横っ飛びし、壁に激突した。
 一瞬目が眩み、相手を見失った。
 スバッ。
 銃口から発せられたエネルギー弾は、チョットマのブーツをかすめ、地面を撃った。
 舗石が緑色の炎を上げ、見る間に溶けていく。

 第一撃は何とかかわした。
 瞬時に攻撃態勢に入る。
 所持しているのは小さなレーザー銃とナイフのみ。
 奴がいる方に銃を向けたが、引き金を引くことができなかった。

「なっ」
 目の前で黒いローブが二つ、もつれ合っていた。
 カランと銃が転がった。
「くそ!」
 チョットマは自分を撃った方に照準を合わせようとしたが、
「下がっていなさい」
 と、落ち着いた声がした。

 えっ、誰が、と思ったのも束の間、ローブが血を噴き出した。
 がっくりとひとりの男が倒れていく。
 血の飛沫が、チョットマを濡らす。
「あっ」
 あの手!
 倒れていく男の腕を掴んでいる手!
 もう一方の手には、血糊の付いた短剣。

 どうっ、と男が倒れ、血飛沫がまた散った。
 同時に、もう一方の男の姿が消えた。

 二秒ほど、チョットマは立ちすくんでいただろうか。
 門番さんが助けてくれた……。
 プリブの部屋、そしてホトキンの間に至る通路の門番さん。
 違いない。
 あの鍵爪のような指。


 通路に飛び散ったおびただしい血。
 天井からも滴り落ちている。
 男の胸の辺り、胴体の半分ほども、ざっくりと切り裂かれている。
 流れ出す血。
 チョットマの目は、視界から消えた門番の行方を追いはしなかった。
 倒れた男に釘付けになったチョットマの目は、瞬きも忘れたかのように見開かれていた。

 危険はないか。
 やがてチョットマは、ゆっくりと息を吐き出した。
 すでに男に息がないことは明白だった。


 助かった。
 汗が噴き出した。
 心の中に安堵感が押し寄せてきた。
 危ないところだった。
 撃たれれば、大怪我ではすまなかった。
 門番さんがいなければ、第二弾、第三弾は受け止めきれなかっただろう。
 効果的に応戦できたとは思えない。

 安堵が怒りに変わった。
 フードがはだけ、頭部が見えている。
 顔は見えない。
 この男の正体を見極めなければ。
 クシとやらの顔を。

「ふざけやがって!」
 チョットマは声に出さずにそう言って、男の顔を確かめようとした。
 死体を回り込み、顔を見た。
 血塗られて判別しにくい。
 まだ血が流れ出し、ローブを濡らしていく。

 チョットマは一瞬、眩暈がした。
「んっ!」
 腰が砕けそうになり、足が震えた。
 倒れ込みそうになりながらも、さらにその顔を見つめた。


 スキンヘッドに切れ長の目。
 東洋人らしい面立ちに、彫りの深い頬。
「そんな!」
 何度も見たわけじゃないけど、忘れるものですか!
 ハクシュウ!
「どうして!」
 ンドペキが駆けつけてくるまで、チョットマは亡骸のそばに蹲り、その言葉だけを繰り返していた。
「どうして!」
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