七章:狩人の夜宴(前)
照明の消えた薄暗い教室にイザはいた。机の上に座り、嗤う。
獲物を、
「デキソコナイ」を狩るという事に一種の高揚感が溢れているのだ。それは、黒く醜いものなのだろうが本人でさえ止めることが出来ないものでもある。強いて言うならば、狂気に近い。
これが自分の元々の形なのだとわかっている。いつもはそうでないように振る舞ってはいるが。そして、ここまで
「デキソコナイ」だけに反応するのは『彼』がそう植え付けたから、だとも。
ぴくり、と指先が痙攣するように震えた。
―キタ…
イザであってそうでない誰かがつぶやいた。乾いた唇を舌でなめ、音を立てずに机からおりる。
狩人が薄闇の中一人、動き出した。
荒い息が口から漏れた。
膝に手をついて前屈みの姿勢で二階の廊下を見回した。
ツクに背を押されて暁は校舎へと入ってすぐそばの階段を昇って来たものの、これからどうすればいいかわからない。
息を整えて背後を恐る恐る見たが、誰もいない。
「デキソコナイ」がいない事にほっとする反面、死神達が一緒にいない事に不安を覚える。
暁は階段と隣の校舎との渡り廊下を交互に見た。廊下は二方向に伸びているが左には職員室等があるので候補から外す。
迷ったすえ、右の渡り廊下を選んだ。自分が獲物であるという認識に無意識の内に息を出来る限り殺し、廊下を歩く足が早歩きから駆け足へと変わっていく。なのに…沸き上がる焦りからか、進んでも進んでも全く距離が縮まった気がしなかった。
心が一気に恐怖で塗り潰された。思考はただ逃げることで手一杯なのに、ふとある一つの言葉が入り込んできた。
―何故、自分ガコンナ目二合ッテイルノダ?
答えは簡単に出た。そう、死神と名乗るモノ達がそう言ってきたから。
だが、暁の中はそれで落ち着くはずがない。こんな時でさえ、いやこんな時だからこそ冷静な部分が語りかけるように考える。
彼等は味方なのか、と。今まで無条件に納得していたが死神だなんて、おかしい。彼等はそう悪人という訳でもないし、むしろ話しやすい所謂いい人だ。暁が知っている限りは、であるけれど。
すっかり忘れていたが、暁と彼等は所詮は出会って一月にも満たない関係なのである。彼等の本心がどうであるかなど、分かるはずがない。
そう、彼等を本当に信用していいのか、さえ分からない。
「―あ…」
小さくつぶやき、暁は足を止めた。
今更ながらに思い当たったのだ、彼等が敵で無いという事が有り得ないこと、に。彼等こそ自分にとっての狩人なのかもしれないだ、と。
自分が今現在追われる身であることも忘れ、呆然と立ち尽くす。
どうしよう、と口だけでつぶやく。その言葉通り、暁はどうしたらいいのか何も浮かばにず混乱を極めていた。窓の外を見て
「あー、月が綺麗だなぁ…」と軽く現実逃避すらしてしまう。
が、それも長くは続かなかった。
ひや、と背筋が凍るような冷気が暁を襲い、
「ヤツ」が気配を隠すこともなく現れたからだ。
それが暁に自身が獲物であり、追われている事を思い出させた。
薄暗い中で闇よりもなお玄い何かが暁がつい先ほどやってきた方から近づいてきた。その中にあるであろう見えない目がひた、と暁を見据える。
「―っ」
ソレから目を反らせぬまま後退り、暁は声にならない悲鳴を上げた。
『イザ』
『サノ?いきなりどうしたの?』
同胞からのいきなりの呼び掛けにイザは足を止めて会話に応じる。
『少々マズイ事に…』
死神になった際に感情を失った彼の珍しく焦った声にイザは眉をしかめる。
『まさか…やられたの』
嫌な予感に先ほどより早い足取りで廊下を再び進みながら最悪の結果を口にする。と、
『いえ』
即座に否定された。
ホッと安堵の息をつく。けれど、足は緩めない。
『ですが、それが起こってもおかしく無い状況です。…飯田暁とヤツが接触してしました』
イザは舌を打った。最悪の一歩手前の状況に眉間の皺を深くする。
足を駆け足へと変え、
『場所は?』
問い掛ける。
『…左端の校舎二階の東側です。ナギもそちらに』
『わかったわ、すぐに行く』
不機嫌かつ苛立った声でそう返し、手近な窓を開けてイザは躊躇いなく三階から飛び降りた。ゴスロリを纏った体がバサバサと派手な音を立てて落ち―途中でがくんととまった。
右手にはめた手袋から細い鋼線が伸びて雨樋に絡まり、イザを空に留めたのだ。
細い体が振り子のように大きく揺れ、コンクリートの壁に勢いよく突っ込んでいく。その寸前で器用に体を反転させ、壁を力の限りに蹴った。
死神の身体能力は使い時によっても違うが人は当然の事ながら獣よりも遥かに高い。その上、イザの脚力は仲間の中でも郡を抜いている。 その脚力を思いっきり使った跳躍は勢いと混ざってぎりぎりではあるものの少女を12、3メートルはあるであろう校舎の間を越えさせた。
ガシャン、と体でガラス窓を割って教室に飛び込む。
膝を曲げて着地の衝撃を緩和させるとすぐに立ち上がり、髪や服についた破片を手早く払った。
糸がきちんと戻っているかを確認し、イザは廊下に走り出た。
「―きゃあああっ」
直ぐ近くから暁であろう絶叫が鼓膜に突き刺さった。
イザは考えるよりも早く声のした方へと全力で走り出した。走りながらもすぐにでも攻撃できるように独特の形で構える。
薄闇に慣れた目が二つの影を捕らえた。
「―きゃあああっ」
暁はそう声の限りに叫んだ。
暁の目の前には今
「デキソコナイ」がいる。薄闇の中さらに闇が凝り固まったようなそれは一応人の姿をしており、顔らしいところの獣じみた一対の金色が獲物を狙う目で暁を見下ろしている。
本能が
「逃げろ」と叫ぶ。なのに、暁にはどうにも出来なかった。膝が笑って歩くどころか、まともに立っている事すら辛い。それでも必死に足を踏ん張って漸く一歩後ずさった。だが、どうあがいてもそれが精一杯で…。
デキソコナイが一歩近寄ってきた。その、おそらく腕であろうものが振り上げられ…。
その瞬間、
「―伏せてっ」
少女の緊迫した声が暁の耳を打った。
言われるままに暁は膝をおって屈み込んだ。もう足がぎりぎりで遅かれ早かれ座り込むことになっていたので偶然とはいえちょうどよかった。
その頭のすぐ上を何かが風を切って通り過ぎた。その糸のような何かはまっすぐに、吸い込まれるように
「デキソコナイ」へと向かっていく。
「―――っ!」
見事に体に突き刺さった糸に
「デキソコナイ」が言葉にならない悲鳴を上げた。
「暁さん、大丈夫?」
「…イザ…」
いつの間にか真後ろに移動していたイザを見上げ、暁は呆然とした声でつぶやいた。
「立てる?」
「…あ、うん。たぶん」
「そう。じゃあ、問題無いわね」
「え…?」
イザの手が暁の片腕を掴んで持ち上げ、無理矢理立ち上がらせる。
「逃げるわよ」
深い深い夜の中、人であらざるモノ達の宴は今なお終わる気配を見せず。 |