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死の境に棲まうモノ
作:都築景



九章:夜と朝の狭間に


ナギを追いかけるように暁は廊下を走っていた。イザに引かれて走った時とは真逆の廊下を。
ナギがもしもの為に、という事で、一回下に降りてから反対側にまわって迂回してきたのである。
前を行く背が不意に止まり、暁もつんのめるようにして足をとめた。ずっと走っていたせいで切れる息を宥めることもなく、彼の視線の先を追う。
暁から見えたのは、床に倒れるツクと何故か動きを止めているあの、気味の悪い
「デキソコナイ」、そして…イザ、だった。
華奢な体と容姿には不釣り合いの大きく湾曲した大鎌を構えている。月光を受けて刃がギラリ、と輝いているように見えた。

「―あぁぁぁぁぁあ!」

イザが叫び、大鎌を力の限りに振るう。
沈む月の最後の一筋の煌めく刃が、身動き一つしない
「デキソコナイ」の体に吸い込まれるように入り、あっという間に両断していく。血にも似た、けれどそれよりも粘着質な黒い何かが大鎌の後を追うように飛び散る。
「――――――っ!!!」
「デキソコナイ」が言葉にならない叫びを上げ、空気がびりびりと震える。
そして…、その腰の辺りをまっすぐに横に切断された
「デキソコナイ」は、爆ぜた。
いや…正確には、淡い光がその内から爆ぜるように溢れ出たのだ。闇よりもなお暗い表皮を突き破るように光が迸しったのだ。
それらはほんの数秒のことなのに、やや離れている暁の瞳にはまるでスローモーションの映像のように全てがゆっくりと見えた。大鎌の刃に宿る硬質な輝きも、薄れていく闇も、辺りを照らして包み込むような淡い煌めきも、全てがただ鮮やかに。
だから、だろうか。淡い光の中にうっすらと、そうまるで溶けゆく最期の名残のような、ほとんどが透けている影が…見えた。おそらくは人の男性であろう、影は穏やかに笑っていて……すぐに空気の中に溶けていってしまった。
「――あぁ…」
嘆く声ともため息とも、つく息を暁は吐きだした。
彼は逝ってしまったのだ、となんとなく理解する。彼女もいずれ辿りつく場所に、と。
影が消えてしまうと、それに導かれるように、淡い光も収束していき、最期に瞼の裏にその残滓が遺るだけであった。まるで、幻であったかのように、何もかもが消えた。淡い光はおろか
「デキソコナイ」の姿も、その気配さえも。残ったのはただ一つ、イザの手の中の…大鎌。
非常灯の僅かな光しかない闇に沈んだ校舎に本来あるべき静寂が戻る。
す、と前にいたナギが脇にずれて、立ちすくむ暁をイザの前にさらす。
イザは大鎌を握りしめたまま、暁へとゆっくりと近づいてくる。その瞳にあるのは、悲しげな…けれども全てを諦めて覚悟した、何か。
暁にあとニ歩、といったところで死神は…足を止めた。じっと、彼女を見据える。
それは、例えるならば…獲物を狙う獰猛な獣の、目。けれども、獣とは違い…ほんの一欠けらではあるが人らしい感情があった。同情するような、憐れむような、獲物にかけるようではない感情が。
そうして、暁はようやけ思い出した。彼らにとって、
「デキソコナイ」を狩るということは、些細なことで…自分を殺しに来たのだと。
強引に巻き込まれていたというのもあるが…あまりにも、彼らが普通で一緒にいて心地よくて、忘れていた。
膝が笑い、逃げろと心の中で警鐘がなった。嫌な汗が背を伝う。
震える足を何とかなだめ、一歩後ろに下がる。が、そこで止まる。
暁は自分の体を見下ろした。だが、どんなに動こうとしても…指の一本すら思い通りにはなってくれない。まるで固まったかのように、だ。
視線を上げると…目が、あった。忠実な従者のようにイザの後ろに立つ、サノの空のような蒼い瞳と。
睨みつけるようなその目に、震えが走る。
「…サノ」
暁の異様な様子の元に気付いたイザが静かに、たった一言だけそう言った。ひそめられた、けれど強い意思を宿した声音。
サノは何か言いたそうではあったが、イザに睨まれると…渋々と、ではあるが暁から視線を外した。瞳が空のような蒼からいつもの色に戻される。
その途端、暁の身体からどっと汗がふきだし、膝から力が抜けて冷たい床に座り込んだ。心臓の鼓動がやけに早く、全力疾走した後のように息が乱れている。
イザは暁を、見た。いや、見下ろした。大鎌を持ち直して、屈みこむ。
「――ごめんなさいね」
いつも人の目を見て話す彼女らしくなく、やや俯きながら彼女はそれだけ口にした。
暁は…笑った。本来なら、恐怖のあまりパニック状態になるか、震え怯えるかするだろうに…、暁は何故か、ただ力無く笑うだけであった。
イザは悔やむように、けれど迷いを振り払うように…歯を食いしばった。
イザは立ち上がると、大鎌を構えた。息を深く、吸う。
自分に向かって振り下ろされる大鎌と頬を撫でる風と音、そしてイザの声にならない叫び…、それが飯田暁が最期に感じたものであった。

そして…その意識は、魂は淡い光の中へと溶けていく。



「――もうそろそろ夜明け、だな」
階段の半ば辺りの段に腰掛け、ナギが紫煙をくゆらせながらそう口にした。
「そーだね」
そのわずか下で同じように座るツクが気の抜けた声でそう返す。
ナギの上の踊り場にはサノが壁に寄り掛かっているが、ただ上の階を見上げるだけで…何かを口にする気配すらない。
「そろそろ、撤収した方がよくない?これ以上は人目につくよ」
ツクがため息交じりに提案する。立てかけていた刀を手に取り、立ち上がる。
「だが、まだイザが降りてきていない」
「わかってる。さすがに今はイザつが一人でいたいってのも、さ」
「…サノ、お前はどう思う?」
ナギの問いかけに、サノが顔をわずかにあげる。フェルト帽で半分ほど隠されたその顔はいつになく青白く、彼の疲弊の濃さを露わにしている。
「…イザのしたいようにしておけばいい」
ぽつりと言うと、後はもう用はないとばかりに二人から顔をそらした。
ナギとツクは顔を見合わせると処置なし、と互いに肩をすくめた。
「まぁ、サノの言うとおりだけどさ。いつもの事だしな」
「そうだな。自分と同じ年頃の少女を処理すると、いつもああなる」
「まだ吹っ切れてないんだろうな。まぁ、そこがイザらしいというか」
苦笑するツクにナギが頷く。吸い殻を携帯灰皿の中に落とす。
二人の会話を聞くともなしに聞いていたサノがふいに鼻を鳴らした。
何故か小ばかにするようなそれに二人が何か問いたげに見上げる。
「…気付かないのか、イザがああして同じ年頃の処理した少女の側で悼むのは…皆、名前に『アキ』がつく者だけだ」
「『アキ』…?」
「確かにそうかもしれないが、何故だ?サノ、お前は何を知っている?」
訝るようなナギとツクにサノは珍しく笑った。ただ…それは見る人を不快にさせるようなそんな嗤いであるが。
「イザがまだ人だった頃の名は、『あき』さんだったそうで」
サノは意味ありげに言葉を切った。階段に座る二人を見下ろし、声を決して階上のイザに届かないように低める。

「そして…イザがその手で
「デキソコナイ」にしてしまった方も、ね」



夜と新しい一日を思わせる夜明け――朝の狭間で、死神達は各々の思いを胸に抱く。悲哀にも似た、痛みを……












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