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子不孝 作者:瓢六玉

無教養な親

 学校できちんと体系的に勉強してこなかった親は、時おり、科学的、合理的な思考ができない故に、感情論や決定論をふりかざしたり、極論や屁理屈をこねることが多い。

 ネットに書き込まれた話を例にあげてみよう。
「私の二つ上の従兄弟で、尊敬もしており、兄弟同様に親しくしていた彼が若くして亡くなり、たいへん落胆したことがある。
 母親と口論したさい、ひょんなことから母親が父方親戚の悪口をはじめ、亡き彼のお母さんが小姑のとき自分を苛めたからバチがあたって早く息子に死なれたんだ、と言ったのを聞いて愕然とした。
 人の生き死にのことについて、こんな不遜な物言いは聞いた事がない。
 いくら腹立ちまぎれとはいえ、言っていいことと悪いことがある。
 そんなこともわからないのだから、常識と教養がないとしかいいようがない。
 事実、この人は自分で言うには勉強が嫌いだったようで小学校しか出ていない。
 当人はそれを恥ずかしく感じているようで、人前でそのことに触れたらとたんに顔色が険しくなった。
 だが、そのことを無意識下に抑圧しているようで、そうとうな学歴コンプレックスになっており、満座で従姉妹の高校を馬鹿にして叔母に窘められたり、知人の大学を三文大学と虚仮にしたり…と、自らを棚に上げて反動形成で攻撃するのである。
 本も読んでいないから、体系的な教養がなく、思考も飛躍したり筋道がはずれたりして、口論しても文字通り「おはなし」にならないのである」

 教養とは決して学歴のことではない。無学の人でも、思いやりがあって、他者に優しい人は、教養があると思う。
「優」という字は、人偏に「憂い」と書く。字義的には、「憂いを知る人」は優しい人であり、優れた人でもある。換言すれば、人生の哀しみや「もののあはれ」を知っていて、それを生きている人は優しくて、優秀な人、すなわち教養のある人なのだ。
 人を傷つける人間は野卑であって無教養なのである。こういう無教養な親ほど子不孝なものはない。


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