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手招き

 うつ病というのは死に至ることもある病だ。もちろん、本人の自殺によって。本人も無自覚な場合もあるらしく、だから、もしかしたら、「まさか、あの人が」というようなケースの自殺は、うつ病によって引き起こされているのかもしれない。

 既に今の会社に就職してから十年以上が経過した。ややマンネリ気味だが、そこに文句を言うのは贅沢というものだろう。私はかなり恵まれている方だと思う。裕福と呼ぶには程遠いが、それでも今のところ生活には何の支障もない。

 しかし、それでも不意に不安になることもある。このままで私は果たして大丈夫なのだろうか?と。「自覚なしのうつ病」の話が妙に気になるのもだからだろう。

 そんなある日だった。私は“手招き”を見たのだ。

 通勤途中、反対側のホームの片隅に“手”が見え、しかもそれが私を招いていた。白く綺麗な手で、やさしい揺れ方をしている。なんだろう?と思っているうちに電車がそのホームに停まった。それは下り電車で、平日にもかかわらずほとんど乗客は乗っていない。私はそれを見て、思わずその電車に乗ってしまおうかと思ってしまった。

 その日はとても晴れていて、もしもこんな日に下り電車に乗って、何処かの田舎町を散歩でもしたらとても気持ち良さそうだ。が、もちろん、会社を無断欠勤する訳にはいかない。私はその“手招き”を無視して、いつも通りに出勤をした。

 それからもその“手招き”を私は度々見るようになった。そしてその手招きを見る度に、私は何か懐かしいような癒されるような不思議な心持ちになったのだ。もしも、あの“手招き”に応じて行ったなら、その先には何が待っているのだろうか?

 ある日の仕事帰り。私はまた“手招き”を見た。ビルの影から私を手招いている。今までに、何度も“手招き”を見ているが、帰宅時に見るのは初めてだった。そして私は「帰宅時ならば、あの手招きに応じても良いのではないか?」とそう考えたのだ。多少家に帰るのが遅くなるくらいなら、別に構わないだろう。

 ところがそう思って手招きに近付いて行くと、手招きはいつの間にか消えてしまうのだった。そして少し遠くでまた私を手招く。

 “何故、逃げるのだ?”

 そう思いながらも私はその手招きに応じて歩を進めた。この先にはきっと“救い”が待っているのだ。そう信じて。

 どれくらい進んだだろう? ようやく“手招き”が近くに見えた。少し大きめ道路の向こう側で私を手招いている。信号はなく、大きなビルが両脇にある所為で見通しも悪かったが私はそれを気にしなかった。あの手がすぐそこで私を招いている。それしか頭の中になかった。

 道路に向かって足を進める。手招きは消えはしなかった。

 “ようやく、辿り着ける!”

 そう、私は思った。

 が、その瞬間だった。けたたましいクラクションが鳴った。それで私は我に返った。見ると、私の目の前にはトラックが私に激突する寸前で止まっていた。運転手が急ブレーキをかけてくれたお蔭で私は助かったようだ。

 「危ねぇだろうが! 何、飛び出してんだよ!」

 運転手がそう文句を言って来た。当然だろう。私は慌てて退く。トラックが目の前を走り過ぎた。その後で私はあの“手招き”を思い出した。そうだ、あの手招きの先に行かねばならないと。ところが確かにすぐ先で私を招いていたはずのそれは、どこにも見当たらなかったのだった。

 愕然となる。

 “まさか、あれは私を殺す為に招いていたのか? トラックで轢き殺す為に……”

 しかし、それから少しの間の後で、私はこんな事を思った。

 “いや、もしかしたら、あれは本当に救いだったのかもしれない。あの手招きに応じてその先に行ったのなら或いは私は……”

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