桐生の忍 ―影送り組曲―(26/38)PDFで表示縦書き表示RDF


桐生の忍 ―影送り組曲―
作:アオキチヒロ



23.想遺―Album of memories―


「空夜ー、学校遅れるわよー!」
 早朝から近所迷惑もいいところだ。少女特有の高い声がこだました。その声によって目覚めた魁は、未だに半分眠ったままの脳を無理矢理働かせて、のそのそと四つんばいで廊下へと出た。
 丁度自分の目の前を朝飛が慌てて走っていった。
 彼がドアを開けると、そこにはいつものセーラー服を着て、やはりいつもの下駄『花風』を履いた志保が立っていた。
「おはよう、志保。今日は随分早いね」
「うん。だって学校に遅れるから」
「学校? ああ、そっか、昨日から空夜と一緒に通ってるんだっけ?」
「そうよ」
 はっきりと返事をして威張って見せる彼女に、魁はなんとも言えない表情を向ける。
 確かに、自分は桐生家から何かを掴めるかもしれないと言ったし、空夜のことを調べるようにも言った。そして彼女は自分は自分なりのやり方でやると言ったし、自分もそれを許可した。
 だが、まさか同じ学校に通うことになるとは思わなかった。予想を遙かに超えた彼女の行動に、魁はもう何も言うまいと誓った。
 どこまでも大胆な行動をしてのける少女だ。朝飛へ真っ向と勝負を仕掛けたり、隠すことなく本音を話したり。同い年の空夜と比べると、考え方が幼い気もする。それとも、これが年相応の行動なのだろうか。空夜が特殊すぎて、魁には最早分からなかった。
「あ、おはよう空夜」
 朝飛が起きてきた空夜へと声をかける。その挨拶には答えずに、空夜はぼそりと吐き出すように言った。 
「……しんどいからヤダ」
 パジャマ姿のまま、非常に嫌そうな顔をしている。元々滅多に学校へ行かない人間だ。二日連続で行くのは少々疲れるらしい。
「じゃあ保健室に行けばいいでしょ。保健室登校も立派な登校よ。何はともあれ学校なの、学校。行けるうちに行っておかないと後悔するって、志勇兄も言ってたし」
 なんだか、志保は当初の目的を忘れているような気がする。魁は誰にも気付かれないように頭を抑えた。もう彼女に頼るのはやめだ。結局最後に頼れるのは自分だけなのだ。
 思い悩む彼の後ろでは、あまり乗り気では無い空夜が、気怠そうに声を出す。
「……柚希ー。起きてきて志保を追い払ってよー」
「ゆずきくんはもう仕事に出ちゃって居ないよ」
 兄によって、最後の切り札は捲ることも出来ないまま終わった。柚希はもうとっくに桐生家を後にして、今頃は任務に就いている頃だ。
 空夜は諦めたのか、盛大に溜息を吐いて二階の自分の部屋へと階段をあがる。
「ちょっと、どこ行くのよ」
「制服に着替えてくる。それに、まだ七時半だよ……朝ご飯食べてないし」
「あ、そういえば私も食べてない」
 どれだけ急いで来たんだ。朝飛は微笑とも苦笑とも取れない笑みを零して、志保を見やる。
 志保はいそいそと靴を脱いで、勝って知ったる風に台所へと朝飛の背中を押しながら歩く。
「朝ご飯食べないとね。一日の活力、活力!」
「はいはい、志保も食べるんでしょ……」
 呆れているような声を出してはいるが、一応いつもの彼の姿だった。昨日のあの不機嫌丸出しの朝飛とは大違いだ。今日はまともなご飯にありつけそうだと魁は一安心した。 
「空夜も早くおりてこねぇと、まじで遅刻すんぞー」
 階段に向かって声を張り上げると、空夜が「分かってるー」と間延びした返事をするのが聞こえた。それを確認して、魁は、志保に押されながらなんとか早歩きで歩く朝飛の後を追った。





 * * *





「ここか」
 朝ご飯を食べ終え、志保と空夜が学校へと行き、朝飛に洗濯物を手伝わされて、いつの間にか時刻は午前十一時を回っていた。
 それから暫くして、朝飛が買い物をするために出掛けたのを見計らって、魁はとあるマンションへと訪れていた。五階建てのこぢんまりとした、古くもなく新しくもないマンションだ。
 他のマンションと変わっているところと言えば、屋上の柵が壊れて無くなってしまっているところあろうか。住民の話によれば、大分昔に壊れてから管理人が修繕すると言い続けているらしいが、直された試しがないらしい。
 それ以外は、何の変哲もないただの建物だ。
 魁は、このマンションの510号室前に立っていた。一応念のためにインターホンを鳴らしてみるが、やはり中からの反応はない。親切な住民が、ここの部屋の主は昨日から帰っていないのだと教えてくれた。
 これで間違いはない。表札にも、ちゃんと名前が書いてあるのだから。
 魁はその名前をなぞるようにして読んだ。
「……曾根崎、ね」
 ここでも偽名を通しているらしい。魁は柚希の住まう部屋へと来ていた。
「分からないことは、自分で調べろ……ってね」
 ポケットから取り出したバタフライナイフのような物は鍔木の先代が作った特別製で、様々な機能を兼ね備えた器具を仕込んである。その中にあるピッキング専用のものを取り出して、彼は素早くドアの鍵を開けた。端から見れば、普通に鍵を使って開けたようにも見える。
「鬼が出るか、蛇が出るか」
 ふ、と昨日の二人の言葉が頭を過ぎった。
『これ以上関わるな』
 それは忠告か、警告か。それでも魁は構うことなくドアノブを捻る。ここまで来て、引き下がることはしたくない。喩え後悔の念に囚われることになるとしても。
 キイ、とドアの隙間から身体を滑り込ませるようにして、柚希の部屋へと入った。



「…………なんにもねぇなー……」
 部屋の様相は良く言えば質素、悪く言えば殺風景なものだった。見た感じ、生活に必要最低限の物しか揃っていない。入ってすぐにあるリビングには低めのテーブルと、オーディオはあるがテレビはない。壁には時計とカレンダー。色んな丸印や走り書きが書いてあるところを見ると、スケジュール帳代わりに使用しているらしい。
 そしてリビングに向かい合う形で併設されたカウンターテーブル式のキッチン。
 ここも滅多に使わないのか、シンクが新品のように綺麗に光っている。黒い手袋をはめて、冷蔵庫の中身を拝見してみたが、予想通り栄養ゼリー系が大半を占めている。後はスポーツドリンクや牛乳、申し訳程度に入れられている野菜類。
 次に隣の棚を開けてみると、カロリーメイトやクラッカー、即席麺類が買いだめされていた。いつかの朝飛の言うとおり、ろくな食生活をしていない。
「妙な部分は無いか……」
 ほっとしたような、がっかりしたような、微妙な気分でリビングの南側にあるドアを開ける。部屋はここしか無いらしく、寝室として利用しているようだ。こちらも、やはり殺風景だった。
 ベッドに、机、備え付けの飾り棚、そしてクローゼット。折角壁の一部分を占領しているというのに、棚には殆ど何も置かれていなかった。僅かな本と、小さなサボテンが二つ。特に目を見張るようなところは無い。
「なんか、寂しい家だな……」
 魁は素直な感想を漏らした。ここで必要最低限のことしかしていないのが見て分かる。帰る家というのは、もう少し温かなものでは無いのかと問いたくなる。
 魁は机と揃いの椅子に腰掛けて、三つある引き出しのうち一番下の引き出しを開けた。日記でも見つかるかと思ったが、どうやら予想は外れたようだ。ほとんど空である。仕事の細かな資料を纏めたファイルや、朝飛から貰ったのだろうか、料理の本が二冊。そして、背の高い、少し厚めの本が一冊。
 最後の一冊が気になって、魁はそれと取り出した。手袋をはめているのだから大丈夫だろう。
 思っていたより重かったそれを膝の上へと置いて、魁は丁寧に表紙を開けた。
「これ……アルバムか」
 一番初めのページには、桐生家の玄関先で今より随分幼い柚希と朝飛と空夜が写った写真が収められていた。年頃は小学校低学年くらいだろうか。空夜は幼稚園かもしれない。
 人の思い出を勝手に見るのは気が引けたが、魁は二ページ目を捲った。今度は柚希と朝飛が二人で木登りしているのが写っている。その写真の下に『Yuzuki and Asahi in the park』と筆記体で書かれていた。たぶん、イリア・スカイグラウンドが書いたのだろう。自分の息子と柚希を連れて、公園にでも行ったのかも知れない。
「こんなに小さい時から一緒に居たんだな」
 ぺらぺらと、流し読むようにして魁はページを捲っていく。どの写真にも、必ず柚希が笑って写っている。彼と写る人の中には、今より若い冬悟やイリア、桐生前頭目の姿も見られた。そしてほとんどが桐生家や、桐生家の周辺で撮られたものだった。
「……あれ?」
 そして、アルバムは最後まで貼られることなく途中で終わっていた。最後の写真に写った柚希と朝飛と空夜は、一番初めの写真からあまり変わっていない。一季節ほどの期間分しか無いようだ。
 恐らく、イリアが家を出て行ってからはアルバムを作る人が居なかったのだろう。全ての写真の下に、英語による説明が走り書きされていたのだ。
 魁はアルバムを静かに閉じて、元の位置に戻した。
 危うく、ここへ来た目的を忘れるところだった。柚希の不明瞭な部分を明かさなければ。まだ引き出しはあと二つ残っている。
 二番目の引き出しには、拍子抜けするほど何も入っていなかった。一番下の引き出しより酷い。ペンが何本かと、メモ用紙、クリップにテープ。それだけだ。
「鬼も蛇も出ねぇなー」
 最後の引き出しに何かがあることを期待して、魁は開けようと手を伸ばす。が、すぐに先程ピッキングに使用したナイフを取り出した。
 一番上の引き出しには、鍵が付いている。
 それを慣れた手つきでかちゃりと開けると、いままでより丁寧に、ゆっくりと腕を引いた。
 すると、ころころころ、と何かが箱の中で転がる音がした。
 小瓶だ。片手に収まりきるほど小さな瓶が引き出しの中で転がっていた。
「これって……!?」
 慌てて持ち上げる。窓から差し込む太陽光にゆらゆらと揺らめく、瓶の中身。透明で、少しとろみのついた液体だ。
 これに、魁は見覚えがあった。苗木之下に居た頃、教えてもらったときに見たことがある。
「毒……だよな」
 無味無臭、そして無色。少量で、人の気を失わせることが出来る薬。使い方や分量を誤れば死にも至る、毒。
 仕事で使うわけでも無いはずだ。なぜなら、この薬は五忍樹内では一般人に使うことは禁じられているのだから。
 使うとするなら、忍やこちら側の相手しか居ない。
 出てきたのは、鬼や蛇どころではない。
「何に使う気だよ……?」
 平静を保ちながらも、魁は独り呟くしかなかった。










あの頃の笑い方など、もう忘れた。














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