「我々には、用意があると云っているのだがな?」
そう吐き捨てた男は、さも腹立たしげにワイングラスの中身を煽った。いっそ豪胆、いっそ無神経なまでの不遜な態度に、周囲に座する男達はさも疎ましげな視線を投げつけている。
軽蔑をも込めて"覇王"と呼ばれるその男、王国の軍務を一手に任されている逸材なのだが、如何せん、その荒々しい気性故に孤立することの多い存在だった。
「しかし……用意があると云われましてもな……」
困ったように口元に蓄えられた長髭を弄んでいるのは、ひたすらに隠居を待たれ続けている摂政大臣。齢九十を超えて口調も衰えないその剛健振りには、誰しもが舌を巻く。しかし、皮肉かな。その頭脳だけは齢に見合った衰えを示しており、そして脳の硬化を表すように、その思慮さえも日に日に枯渇している有り様だ。先代国王の時代にはその王の存在さえ希薄にさせていた人物だったのだが、時の流れとはあらゆる意味で無情である。
「軍備に関する用意は、当然充分におありなのでしょうな。しかし、それは既に、先帝の方針……すなわち『遺志』でしかありますまい。先帝がお亡くなりになって十五年……使え得るものがあるとは、とても思えませんな」
「そんな問題だけではありません」
と、普段穏やかな顔を殊更険しく繕った青年が、これも勇んだ風で口を挟んだ。先日父親の死によって役を得るに至った、うら若き内相大臣である。
「恐れながら、用意があるとは如何な用意でありましょうか?現在の国情では、とてもそんな大それたことを云える状況ではないものと存じます。気候の異変による作物の不良……一部の地域では飢饉により、国民が明日をも知れぬ苦しみを味わっております。先程の外務大臣の報告からすれば、インフレによる影響で我が国の通貨はその価値を失っているとか……この状況をして、とても『用意がある』などとは云えないのではないでしょうか?」
「では、そのインフレを招いた原因は何か?」
"覇王"は、やけに鼻白んだ態で若輩へと向き直る。
「軍備の強化を怠った末に握られた弱みへの云い訳だと、我が耳には斯様に聞こえますがな。内相殿」
軍事大国で知られた国家が、では、世界平和に追随した結果は何か?
世界の総人口の半分を犠牲にしたと云われる二十年前の大戦から以降、世界的風潮として武器放棄・軍需削減が謳われ始め、今では軍事と名の付くものは忌み疎まれるまでに世界規模での意識改革が浸透した。しかし、それによって利を得たのは、今まで植民地的見解のもとに絶対支配を受けていた第三世界の小国群である。それはつまり、食料をその第三世界からの搾取に頼っていた大国にとっての手痛い誤算と云えた。
この大国でも、急遽農政改革の推進が進められていた。しかし、支配階級が国の六割を締めるという異形の社会バランスはその崩壊を受け入れることが出来ず、少ない下層階級の細々とした生産に頼る以外に他ない状況となっている。
「まだまだ、意識の改革から始めなければいけませんね」
古老の司祭がその太い指に十字架を握り締め、いとも憐れに呟いてみせる。
「全人類が求める平和社会を実現するためには、人々が汗してパンを作る必要があるのです。しかし我々は哀しいことに、これまでその努力を怠ってきました。主のお導きくださる世界に近付くためにも、我々は今ここで、努力と堅忍の時を持つべきなのでしょう」
アーメン。
司祭の宣言を受けて、皆が同様に詠唱する。
一体この場にいる何人が、誠の信仰を持って宣言を口にしているのか。否、誰もいまい。司祭本人でさえも、その脂染みた額に残る毛ほどの信仰心も持ち合わせてはいないだろう。それが、この国を現す総てなのだ。
「ところで……そちらの方。あなたはどのようなご意見でしょうな?」
摂政大臣がふと気付いたようにこちらを見詰めた。蚊帳の外だった私の姿に一瞬の疑心を表し、しかし、長年培ってきたであろう平静の鎧を身のまとうや人の良い笑顔を浮かべてみせる。本人は、完璧なまでに徳深い大老を演じきっているつもりなのだろう。その瞳が嫌悪にくすんでいることなど、髭の先ほども気付いていない。
話しの矛先が逸れると同時に、一同の視線もこちらへと流れてきた。どれもこれも同じ色をしているのが、いつもながらに笑いを誘う。"覇王"など、まともな口が利けるのかとでも云うように、片口を釣りあげている。
私は、観念したという代わりに嘆息する。この場では、私の意見などあってなきが如し。何を云っても同じなら……とは思うのだが、しかし私も所詮は同じ穴のムジナ。自分の見栄を優先する愚か者なのだ。
「第三諸国への侵略によるリスクは、一体如何ほどなのでしょうね?」
眉をひそめた"覇王"を尻目、私は時間切れの迫ったゲームを引き伸ばすように、言葉を繋いだ。
「第三諸国からの貢献で命を繋いでいる我が国のようなところが、他にもあることは事実です。ですから、一度制圧を目的とした侵略を示せば……他の国々も、指を咥えて見ている……という手はないでしょう。他を圧して、第三諸国を手に入れるだけの余力がおありでしたら、私には反論する必要もない。私個人の意見としては、そんなところでしょう」
「では、侵略行為に賛成なさるおつもりか!?」
内相大臣の若い怒声が、耳をつんざく。謀らずしも同位置に立つこととなった"覇王"が、水を得た魚も斯くやという態で、彼に失笑を浴びせかける。
「侵略行為ではない。これは、自分の持ち物を取り返すだけの行為だ。なぁ、呪い師殿」
「貴公の呪いはなかなかに意表を突いてくると聞くが……いやはや、これは意表どころではありませんな」
外務大臣が、呆れたように首を振る。彼も、平和主義者のひとりである。いや、偽善を善意と信じて疑わないひとり、と云うべきか。
疑心と軽蔑の入り交じった視線を受けて、私は少々居心地の悪い感慨を味わう。しかし、意見を変える気はない。所詮、卓上の夢……水掛け論に他ならなのだから。それならば、存分に、気の済むまで水遊びを続けるがいい。
そして、私は再び口を開く。
「侵略を善しとしている訳ではありません。ただ、このまま死ぬか、それとも、国を捨てるのか……二者択一を求めているのだと、純粋に指摘しているだけです。国の貧しさを見ぬ振りする国民達。錆びた剣を振りかざし、力はあると豪語する軍という名の蛮族。皆が右を向くからと、意味を考えずにそれに倣う能無しの群れ。私の意見はありません。ただ、したいことをなさればいい。それが国政ならば、誰も反論できますまい」
「何を云うか! このペテン師が!!」
莫迦にされていると判ったのか、激昂を露にした"覇王"が椅子を蹴立てて立ち上がった。いつも思うのだが、この男は、自分が貶されているということに気付くのが遅過ぎる。興ざめもいいところだ。
立ちあがった勢いのまま、"覇王"は私の胸座を掴んで拳を固めた。さすがの私も、思わず顔をしかめる。以前一度だけ彼の拳を受けたことがあったが、その痛みは未だ悪夢の原因でもある。できれば、二度目は御免被りたい。
「おやめなさい、お二方。急いで結論を出すことでもありますまい。ここは、穏やかに話し合いましょう」
他者が呆然と、半ば迷惑顔で見守るなか、司祭が立場上仕方なしといった態で仲裁役を買ってでた。主の代理と、国民の大多数を信徒として抱える彼の出現に、"覇王"が渋々に拳を引く。私は思わず、安堵のため息を吐き出した。
立場を保つことに成功した司祭が、殊更安堵したように、胸に手を置いて十字を切る。
「事が事です。気が荒むのは我々全員が同じ思いでしょう。ささ、気を落ち着けましょう。そして、他の方々の意見も聞いてみようではありませんか。例えば……あそこにおられるご婦人など……」
と云う司祭の表情が、妙に歪んだ。何かを訝しむように眉をひそめ、その瞳には、何処かあり得ないと訴えるような疑心を満たした色が映っている。私と"覇王"は謀らずして、同じ瞬間にそちらを向いた。
そこには、いつの間にか妙齢の女性が静かに腰掛けていた。腰まで届く長い巻き毛はこの世のものとは思えないような、鮮やかな新緑の色を湛えている。象牙よりも滑らかな白い肌に、黄金の瞳……何故、こんな女性がいたのに気付かなかったのだろう? そう思わせるのに充分な、異質を秘めた人物だというのに。
「失礼だが、ご婦人。今までここにいらした方かな?」
摂政大臣までもが、彼女に対してそう問いかける。誰しもが、彼女の存在に疑念を抱いていた。呪い師である、私でさえ。
そんな彼女が、薄く唇を開いた。その音吐が、まるで何かの音楽のように室内に響く。
「今まで通り、お気になさらず」
静かに告げると、再び彼女は沈黙した。たったそれだけで、彼女の気配が薄れるのを感じる。多分、ここに列席している各々は、目を逸らしただけで彼女の存在を忘れるだろう。
だが、私は意識を離せない。何故なら、私こそが言霊を操る者なのだから。
予想通り、視線を外すや忘却への船出を許した一同を尻目に、私は彼女の隣に立つ。彼女のような呪いを、私は知らない。
「御無礼お許しを。あなたは、一体どなたでしょう?」
「知ってどうなさいます?」
その声音に、おかしな匂いはない。
「どうということではありませんが。好奇心から……と、正直に申し上げます」
「真摯な方ですこと。しかし、何も申し上げることはありません」
しかし、この強烈な期待感と喪失感は何だ? 私は、彼女の顔を凝視する。
"覇王"の、強気な発言が耳を突いた。冷静な陽光色の瞳が、それを風に吹かれた木の葉のように追っていく。
私は、忘我の波を感じている。おもむろに描く、砂時計のイメージ。
抗うように、ゆっくりと言葉を転がし。
「して、あなたのご意見は?」
「私は見る者です。そして、過ぎ行く者」
「と、いうと?」
目を離せば、きっと忘れる。しかし彼女は、そこに存在し続けるだろう。
これは、確信。
彼女が不意に、壁際へと白く細長い腕を伸ばした。その指先が、微かなせせらぎを作り出している水時計を指し示す。
その清らかな流れに目を留めた私に、彼女は満足げな笑みを浮かべた。
私の意識から、再び彼女が薄れて消えた。 |