恐るべし善者の魔法
私は改札口を潜り、ホームに立った。ほどなくして電車がやってきて、私は座った。車両同士を連結させた通路に接した長椅子の席である。車両によってはシルバーシートの可能性がある席だが、この車両は違うらしい。
目を閉じて、ゆらゆら揺れる。足元から温かい空気が流れて、心地よかった。暫くして、私の隣に、ドスンという衝撃が走った。驚き、私は目を開ける。子供が居た。さらに向かい合うようにして、その子の母と、祖母と思われる人物が立っている。見渡すと、知らぬ内に全ての席が埋まっており、祖母と母の席は無いようだった。祖母はかなり年配に見えた。席を讓るべきなのか、私は逡巡した。その間に子供の母が、
「おばあちゃんに席を譲りなさい」
と子供に向かって言う。
「えー、疲れたからやだ」
子供は答えた。私は決心した。ならば私が、大人を見せるしかないだろう。立ち上がり、「どうぞ」と席を渡した。老婆はそんな私を見て、
「大丈夫ですよ。貴方こそお疲れでしょうから……」
と返す。何度かやりとりを繰り返した後、結果的に私は元の席に座っていた。やりとりを見ていた子供は、意気消沈していた。自分が悪いことをしていると思ったらしい、何も言わずに老婆へ席を渡す。家族は黙ってしまった。私の隣に座った老婆は、きっとものすごく居心地が悪かっただろう。家族は次の駅で降りていった。
やれやれ、と私は座りを治す。心には、余計な横槍を入れてしまったと、罪悪感を感じた。しかし過ぎたことはどうにもならず、私は目をつぶった。
私は知らなかった。すぐ近くの扉から、老人が乗り込んできていたのだ。私の向こうに座っていた女性が立ち上がる。その気配で目を開けた。女性は5歩も歩いて、扉の前に立っていた老人の腕を掴むと、
「どうぞ」
と席を渡した。随分ロングパスの席譲りだった。ここはシルバーシートではない。しかし車両によってはシルバーシートでありえる席だった。居心地の悪さを覚えた。この女性は、心根の優しい人か? しかし少し前まで私が老婆に席を譲ろうとしたときは、何もしなかった。どういう心境の変化だ? 私は迷った。迷いながら次の駅を迎える。老人が乗ってきた。私の隣には、先とは違う子連れが座っていた。子供の母が、ドア付近に立つ老人を指さして言う。
「ほら、あのお婆さんに席をゆずって」
席から飛び降りた子供は、無邪気に老人の元へ向かい、席を渡す。居心地がどんどん悪くなる。居た堪れない。私は必死に、目を閉じ俯いて、気付かないフリを装った。
ここはシルバーシートじゃないんだぞ!
心の中で叫ぶ。別にシルバーシートでないから譲らなくて良いと考えている訳ではない。しかし、現在この席の乗客は、遠くの老婆を見つけて席を譲るために長距離歩いているのだ。やり過ぎだと思う。老人にとってもありがた迷惑だろうと、内心思っている。しかし世間の目には、彼らは善者で譲らぬ私は悪だろう。
どうしよう……私も讓るべきなのか……。
迷っていると、次の駅でも老人が来る。待ってましたと言わんが表情で、向かいに側の人が立ち上がった。老人は、大丈夫だと答えた。しかし無理やり譲られた。
居心地は最悪だ。周りの人はどんどん年配者になっていく。もはや座っているよりも、立った方が気が楽だろう。
——次の駅で老人が来たら——。
私は構えた。しかし、私の向かいにいる男もなにやら構えている。イヤフォンを付けて、茶色にそまった髪の若者だ。私の目には、彼が席を讓るタイプに見えなかった。だが、彼の目は扉に向いている。表情は、もうこの席に座っていたくないと言うようだった。
駅に着く。老人が入ってきた。
私と彼は同時に立ち上がった。
「どうぞ!」
私と彼は、老人がどちらに座ったかも確認せず、お互い逆の方向へ歩き出した。私は車両を繋ぐ通路の扉を開いて、奥へ進んだ。これで気まずさから開放されるのかと思えば、1つの席も開いていない満員車両が天国に思えた。
思えば、周りの乗客達が席を譲り出した、そのトリガーを引いたのは私だったのかもしれない。私が老人に讓る行為が、辺りにプレッシャーを与えた。耐え切れなくなったのか。あるいは優しいに目覚めた者が次の老人へ譲り、さらなるプレッシャーを与える。
情けは人のためならず、巡り巡って自分のところに来るという。この言葉の真髄は、優しさは連鎖するということだ。
確かに優しさは連鎖するらしい。しかしソレを伝えた媒体は、プレッシャーという強迫観念ではなかろうか。無理やり席を譲られた方は、さて、次の優しさへ繋げられただろうか。
私が生み出した優しさは、まだ生きている。世界を渡り歩き、巡り巡って、再び私の前に現れる。私はただ、そのときが恐ろしい。