第32話 告白
実行委員の会議に戻ってきた際、誠に幸運ながら俺の椅子は残っていたが、一方で俺の居場所はほぼほぼ無くなっていた。これは知ってた。
「きも、……円城瓦君、今日の会議はどうだった?」
会議終了後に球技大会実行委員長と副委員長が二人して、俺へと尋ねる。
皆の注目を浴びる中、
「良かったと思いますよ」と答えた。
これは偽らざる本心だった。どうやら俺という仮想の敵を得た事で実行委員全体の結束が強まった結果、グダグダだった会議が活性化して、より速い会議の進行を可能にしたようだった。
それなら、まあ、俺が犠牲になったのも少しは報われる。……いや、やっぱきついわ、この状況。
何故なら現状、
「何その上から目線の発言、ムカつくわ」「やっぱ噂通りのゴミ野郎だったんだな、あいつって」「あんなのに球技大会無茶苦茶にされたら皆がかわいそうだから、がんばらないと」
と針のむしろどころじゃない状況だったからだ。
かなりの居心地の悪さに俺はすぐさま荷物を纏めて帰り支度を済ませ、教室を出る。
……ほんっと無意味な事しちまったなぁ、俺は。こう言うのもいつもの事だって言えるけど。
ひとまず、まだ乃雪からの連絡はない。ならばとそのまま帰ろうとする中、
「あ、あの、その……」
との言葉と共に、引っ張られる服の感触。
驚き、振り替えるとそこにはちょこんと服の裾を摘まむ副委員のクラスメイトが立っていた。
「何か用か?」
俺はできるだけぶっきらぼうな調子で答える。
ここで下手に仲の良さそうな様子を見せれば、今後こいつもここでの立場を失いかねない。
そんな考えが頭を巡る中、当の副委員の娘は二の句を告げず、どう喋って良いかを思案しているようだった。
それだったら話は早い。俺はこいつにも嫌われた方が良い。
「話がないなら、もう行くわ」
そう言って彼女に背を向ける。付いてくる様子はなかった。
教室を出て校門を目指そうとするが、その前に喉が乾いていた事に気づく。
やはり慣れたとは言え、悪意の向けられるやり取りは疲れるものだ。
校門に行く前に校門から遠く離れた場所にある自販機を目指した。
財布からお金を入れ、コーヒーを購入。自販機の下から缶を取り出そうと屈み、一時的に視界が狭くなった瞬間の事だった。
視界が大きくブレた。
何が起こったのかと頭が考えるも、思考が付いていかない。しかし、やがて状況を理解していく。
俺は自販機の目の前から離れ、ジェット機に運ばれるがごとく、その場から高速に動いていた。
そして、俺を抱え、移動しているのはジェット機などではなく、一人の女の子だった。
――――参加者!
それに気づいた時、俺はあまりにも無防備だった。やがて高速で移動する女子は止まり、抱えられる状態から逃れて地面に伏せた俺を上から見下げた。
そいつは、俺の知っている人間だが、やがて忘れていただろう相手だった。
「……副委員?」
そいつはさっき俺と一緒に会議に出ていた、副委員の娘で間違いなかった。
「まさか、お前が参加者だって言うのか?」
まさか、等と言うものの、その手は既にスマホの入ったポケットに手が延びていた。
もちろん『炎上』させるためだ。
今のこいつの動き、間違いなくそれなりの注目度を持った参加者の動きだった。
少なくとも現状での俺のフォロワーは間違いなく越えている。
とは言え、こいつが何故……?
俺だって悪評という形でこそあるが、それなりのフォロワーは集めている。つまりこんな地味で、みんなからの注目を集めていないような地味な生徒になんて通常なら『炎上』しなくとも勝てる。
そうだと思っていたからこそ、俺はこいつが参加者であった事に気づかなかったのだ。
俺のクラスメイトや合同クラスなどのよく顔を合わせている人間が参加者かどうかの精査は既に済ませている。
ただし、それはあくまでも『驚異になりそうなリア充』に限定した場合での話だ。
精査に使える時間はそう多くはなかった。だからこそ、より危険度の高い方のみを対策するのは当然だ。
よって、例え参加者であったとしても、驚異になり得なさそうな、この副委員のような地味少女はそもそも精査の対象としては外している。
にも関わらずこれだけのフォロワーをどういう経緯で取得した? ……などという思考ですら無意味だった。
なぜなら何となく俺はこいつの「タイプ」に気づいたから。
「実葉 心香です。……円城瓦さんはやっぱり名前も覚えておりませんよね」
副委員の娘、もとい名前を名乗られてようやく俺はその娘を「認識」し始める。
黒髪のロングヘアで、顔を覆い隠しそうなほどに大きな丸眼鏡が特徴的な第一印象的に地味めと言っても過言ではない少女だった。さらには猫背で、まるで世間から自分を隠そうとでもしているのと思ってしまう。
それ以外に特徴のない娘で、強いて言えばその特徴のなさが目立つと言い換えても良い。髪留めなどの飾り気も一切なく、ロングスタートも膝下まで伸びている。女子高生という華やかさの一切感じられない、色で言えば明らかな灰色臭を感じてしまう。
俺とはある意味で世界を共有してそうな、そんな暗がりにいそうな娘。
「名前なんて知らなくて良いだろ、誰だよお前は。特に今は敵同士だしな」
そう言って俺もまた参加者である事を自ら認める。
俺に対して先程の運動能力を見せた時点で、俺を参加者だと認識しているのは明らかだ。
だからこそ、敵意を向けるための言葉を差し出す。
すると、
「分かっておりますよ。貴方はそうやって、人に嫌われようする事は。でも、その下にはもっと違う、別の感情がある。あの時だって」
「あの時? ……ああ、さっきの事か? 言っとくがあれは助けた訳じゃないから勘違いするなよ。あれだ、会議がくそ過ぎて文句言いたかったからお前をダシに使っただけだ。それよりも……、随分と流暢に喋るじゃないか。さっきとは大違いだ」
俺の言葉に実葉は顔を赤らめる。
「……もともとアガリ症で、それにあの時はちょっとした事情があったんです。ただ、ご迷惑をお掛けしました。申し訳ありません」
と実葉は深々と頭を下げた。
「何のつもりだ?」
その聞きながら俺は内心驚いていた。
俺と相対する人間で俺に悪意を持っていない奴はそう多くない。麗佳は事情に疎く、舞島は煽るのが好きだからこそ悪意はそう多くなかったが、基本的には「きも瓦」と揶揄されるのが俺の日常会話だ。
だからこそ、こうしてきちんと謝られたのには意表を突かれた。
ますますこいつが分からなくなる。
そんな中、実葉は言う。
「いえ、お世話になったのは間違いないですから」
「…………。それより、用件を聞こう。まさか謝罪だけしにきた訳じゃないだろう?」
今後の俺の対策は決まっている。
できる限り会話を引き伸ばしつつ、『炎上』させるための時間を稼ぐ。
最早、一刻の猶予もない。まずは乃雪にメールして『炎上』させる――――
と考えていた中、突如として乃雪からの着信が入る。
このタイミングで着信? それに乃雪はスマホを通しての着信は早々しない。それも俺が学校にいるタイミングではしたがらないだろう。
だからこそこの着信がかなり緊急事態である事を俺に伝えていた。
「着信ですよね? 出ても宜しいですよ?」
参加者特有の強化された聴力でもって察したのか、実葉はそう言ってのける。
俺は視線は実葉から外さずにスマホを操作、乃雪との通話を繋げる。
「にぃ!? 良かった、繋がったの……。今、大丈夫?」
電話口の乃雪は酷く焦った様子で、俺が電話に出た事にほっとした様子を見せていた。
とは言え、まだ安全は確保されていない。実葉に目を向けると、彼女は何も言わなかった。
どうやらまだ通話を続けても良いらしい。
「それで、乃雪、どうしたんだ? お前が電話してくるなんてよっぽどじゃないか」
今でも外に出られない乃雪は外と繋がる事――例えそれが電話であっても――を避ける傾向にある。
そんな乃雪が電話をしてくるのだ。それはよっぽどの事だろう。
「うん、そのね、にぃ。今も球技大会の実行委員の会議に出ているの?」
「お前、なぜそれを?」
乃雪には実行委員で学校に居残っている事については話していない。
だが、乃雪はその質問には答えず、話の先を続けた。
「にぃの撮った写真の精査が終わったの、データベースからすべての生徒の顔写真との照合を終えているの。だから、連絡した」
「そうか。けれど、メールでも連絡しても良かったんじゃないか?」
「ううん、違うの! 該当した生徒に気づいたからこそ、早めに連絡したの」
そして、乃雪は昨日のメイドの正体を口にした。
「該当した生徒の名前は実葉心香って人で、にぃのクラスメイトなの。もっと言えば、にぃの出席している球技大会の委員会の副委員なの。危ないから気を付けて!」
「乃雪、今すぐに俺を炎上させろ」
やはり――――だ。
俺はようやく自分の中に沈殿していた疑問を掬い上げ、それの正体を明言化させる。
この女生徒、実葉心香という参加者は、俺と同じタイプだ。
人気で信奉者を集めるのではなく、一時の話題性でのみフォロワーを高めるタイプ。
だとすれば、この女は誰よりも危険だ。
普段、特に注目もされず、後を気にしない人間は今一時に全てを賭ける。
何故なら捨てるものが何一つないからだ。
窮鼠、猫を噛む。手負いの虎ほど恐ろしい。
それが俺には、俺だからこそ、よく分かる。
そんな中、
「止めておいた方が良いですよ」
と実葉は俺と乃雪の会話に口を挟んだ。
「貴方の戦法は存じ上げているつもりです。勿論、その弱点も。貴方がフォロワーを上げるには時間が必要です。違いますか?」
「!?」
俺の戦法が読まれている!?
俺の『炎上』はともすれば強敵を相手にできる可能性のある言わば奥の手だ。
しかし、『炎上』しきるには時間が必要だ。
少なくともその間、実葉から逃げ切る時間が。
ただ、それを全て知っている相手ともなれば、時間稼ぎが通用しない。
「にぃ、どうしたの、にぃ!?」
乃雪の金切り声が電話口から聞こえる。
今俺が置かれている状況に気づいたようだ。
しかし、
「乃雪、炎上はなしだ。悪い」
そう言って二の句を告げている乃雪を無視して一旦電話を切った。
「…………、俺の戦法を知っていて、なおかつすぐに俺を倒さない。何か言いたい事があるんだろう?」
「話が早くて助かります」
実葉は不敵に笑った。
こうして追い込まれた状況。奇しくも俺には経験がある。
勿論、舞島との一件だ。
彼女は麗佳の一戦を望み、それを有利に進めるために俺をスパイとして利用しようとしていた。
バトルロイヤルである以上、手駒を増やす事には大きなメリットがある。
現在、頭角を現し始めているらしい『グループ』とやらもその一つだ。奴らは現状での先輩後輩の上限関係などに漬け込んで、手駒を増やしているらしい。
だからこそ、話の理解も早くなると言うものだ。
だが、俺は次に実葉の言った言葉を理解できず、「は?」とあまりにも呆けた返答をしてしまった。
「聞こえませんでしたか? ではもう一度」
実葉は今度こそ俺が聞こえていないと言い訳しようのない、はっきりとした口調で言った。
「私と付き合って下さい」
「……………………」
空いた口が塞がらないとは正にこの事だった。
視界がぐわんぐわんと揺れる。
女の子から告白されるなんて俺は正直、都市伝説だと思っていた。
中学生や高校生で異性と付き合っている奴とか、絶対おかしいだろ。そんな簡単に人に好きだとか、愛しているだとか言ったり、あまつさえキスしたり、その先まであるとか信じられるはずがない。
――――――いや、マジで。
「どこ――――」
「どこに等という冗談ではありませんよ?」
「拒否け――――」
「ありません。バトルロイヤルから脱落したければ、どうぞお好きになさって下さい」
「……………………」
退路は既に、断たれていた。
「明日からはどうぞ宜しくお願い致します。……ねぇ?」
怪しく口角を上げる実葉を俺はどうしたって真っ直ぐに見る事はできなかった。