その日の朝、目が覚めると、私こと桂 雛菊の身に、信じられない事が起きていた。
それに気が付いたのは、おトイレに入ってからのこと。寝巻きのズボンとパンティを脱ぎ、いざ便座に座ろうとした時、無くてよい物が、股間にぶら下がっているのが見えた。
これってひょっとして……、と思った私は、それが本物であるかを確かめる為、人差し指でピンッと弾いた。その瞬間、私は激しい痛み襲われた。……って、痛がってる場合ではない。
私は用を足す為、一物を便器の水に向け、ビタミンの影響で黄色く染まった液体を、小便小僧のようにチョロチョロと放った。
やがて、その液体は、空になって止まった。
男って拭くのだろうか、そう思った私は、どうしたら良いか迷ったが、取り敢えずいつも通りに備え付けの紙で一物を拭い、便器に捨てて水を流し、トイレから出た。
その直後、水色の髪の女性が現れ、私に泣きながら飛び付いてきた。
「ヒナえも──ん!」
「ちょっと、どうしたのよ!?」
私はその声が低くなっている事に自分で驚いた。
「あれ? ヒナ、風邪でも引いたの?」
実姉で、桂 雪路というその女性は、私を見詰めて首を傾げた。
男になった、と言ったところで、信じて貰えそうにはないか。
私は態と咳をした後、「ちょっとね」と答えた。
「それより、何か遭ったの? お姉ちゃん」
「ああ、そうそう。お金貸して!」
「…………嫌だ」
「そんな冷たい事言わないで! 3万で良いから!」
「嫌よ! お姉ちゃんに貸して、ちゃんと返金された例しがないわ!」
「ケチ! こうなったら金融会社に──」
ガスンッ!
私は姉を黙らせる為、拳骨を一発、お見舞いした。
「うっ!」
姉は呻き、気を失って崩れた。
「えっ? ちょっと、お姉ちゃん!?」
私は気絶した姉の頬を叩いた。しかし、姉は目を開けない。
「……………………」
言葉を失った私は、姉を殴った右手拳を見た。
有り得ない。いつもなら、怒って真剣で襲い掛かってくる姉が、こうも容易く、気を失うなんて……。体が男になったから力が増したのか。
私は横にある壁を思いっ切り殴り付けた。
バキッと壁を貫通する拳。
ヤバッ!
私は壁に作ってしまった穴から手を抜いた。
はっきりと見える向こう側の部屋。どうしよう。何かで塞いでおくか。
私は家中を引っ掻き回し、壁と同じ色の紙を見付けると、裏側に糊を塗って穴を塞ぐように、その面をぴったりと張り付けた。
これで暫くは大丈夫だろう。
私はバレないことを祈りながら、洗面所へ行き、鏡を覗き込んだ。
そこに写っているのは、いつもの私の姿。見た目に変わりは無しか。
「ふぅ……」
私は安堵の溜め息を吐いた。
それにしても、どうして男になってしまったのだろうか……。
考えていても答えが見付からないので、私はその疑問を一先ず横に置いて、洗顔と歯磨きを行い、寝室へと移動した。
さて、着替えて学校に行くか。
私は全裸になってクロゼットを開け、スパッツと靴下を出して身に付け、扉を閉めて壁に掛かっている制服を着用した。
その直後、目を覚ました姉が、「ヒナー」と入って来た。
「ああ、おは……っ!?」
振り向いた私は、姉の頭から血がどぴゅどぴゅと噴き出しているのを見て驚いた。
「お姉ちゃん、ひょっとしてそれ、私の所為?」
「えっ?」
「いや、だから、その頭……」
私は血が噴き出している姉の頭を指差した。
「うわっ、何で血が噴き出してんの!?」
「驚いてないで手当てしなさい! 人は血液が3分の1失われると死んじゃうのよ!?」
「マジで!?」
姉は更に驚くと、慌てて手当てをしに行った。
ぐぅ〜、と腹の虫が鳴いた。
「お腹空いた……」
私はそう呟くと、キッチンに移動して食パンを焼き、バターとジャムを付けて朝食を済ませ、最後に牛乳を飲んで、再び寝室に戻り、鞄と学校指定の水着を用意して家を出た。
すると、スーツを着た水色の髪の少年と遭遇した。
「おはよう御座います、ヒナギクさん」
綾崎 颯というその少年は、笑顔でそう挨拶をしてきた。
彼がどうして此処に居るのか、という突っ込みは無視して、この状況はとても拙い。もし、異変に気付かれでもしたら、女として見て貰えないどころか、寧ろ男だと思われて私の乙女心に傷が付く。それだけは絶対に避けたい。
そこで、私は挨拶をせず、ハヤテくんに無言で微笑んでみせた。
「どうしたんですか? 黙り込んで」
「別に」
そう言って私は、慌てて口を塞ぐが、もう遅かった。
「あれ? 今、声が低かった様な……」
「あ、いや、実はちょっと風邪を引いちゃって」
そう言った後、私はゴホゴホと態と咳をした。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫よ」
「そうですか。でも、無理はしないで下さいね。風邪は引き始めが肝心と言いますし。まあ、ヒナギクさんなら、それなりに体力もありますし、そんなに気にする事でもありませんか」
私の身を心配してくれるのかと思いきや、余計なことを言い放つハヤテくん。
「ねえ、それってどう言う意味?」
私はそう問うと共に、細い目で見詰めてやった。
「ひょっとして、私の事を化け物か何かと思ってるんじゃないでしょうね?」
「いや、実際そうじゃないですか。だってヒナギクさん、この間この町に現れた、僕でも倒せなかった巨大怪獣を一本の木刀だけでみじん切りにしたじゃないですか。僕から見れば、貴方は化け物……いや、それ以上ですよ」
その言葉にムカついた私は、正宗という木刀を召喚して掴んだ。
「綾崎くん、私は人間よ? それと、私から見れば貴方の方が化け物よ。車に撥ねられようが、紐無しバンジーをしようが、傷一つ負わないし、この木刀で何度真っ二つに裂いても、元通りにくっついて死んではくれないし」
「ハハ。それはそうと、どうして怒ってるんです?」
「別に怒ってなんかいないわよ」
「怒ってるじゃないですか。その木刀が何よりの証拠です」
「だから、怒ってないって言ってんでしょ!?」
私は目にも留まらぬ速さでハヤテくんの懐へ近付き、それと同時に振り被った正宗を一気に振り下ろした。しかし、彼が素早く反応して避けた為、攻撃は空を切る。
「ヒナギクさん、落ち着いて下さい。暴力では何も解決しませんよ」
「うるさい!」
ハヤテくんはそう諭すが、私は正宗を振るい続けた。だが、攻撃は幾度となく空振り続きで、掠めることさえしない。
「ちょこまかと動くな!」
「いいえ、そう言う訳には行きません。いくら不死身とはいえ、当たったら痛いですから」
「何ならこれはどうかしら!?」
私は水平斬りをした。
木刀から放たれた斬撃波が、正面と両斜めに広がりながら、ハヤテくんを襲う。
「…………!?」
避け損なったハヤテくんの全身から、大量の血飛沫。
「初めて見ます。新しい技ですか?」
「そうよ。けど驚いたわ。何てタフなの」
「当然ですよ。お嬢様をお守りする執事ですから、倒れる訳には行かないんです」
「……………………」
私は無言で正宗を投げ捨てると、ハヤテくんの懐に飛び込み、拳を彼の腹に埋ずめた。
「がはっ!」
吐血し、蹲って怯むハヤテくんに、私は容赦なく回し蹴りを放つ。
「うわっ!」
足が頬にヒットし、勢いよく吹っ飛んで壁にぶつかり、腹這いに倒れる。
「素手の勝負は今まで僕と互角だったのに、いつの間に強くなったんですか? 丸で歯が立たないです」
やはり男になってから、力が増しているのか。
「日頃の鍛練の成果よ」
「そうですか。では、そろそろ本気を出させて頂きます」
「えっ?」
「今までのはウォーミングアップを兼ねた、敵の力量を計る為の芝居です。此処からが本番です」
「そう。けど、もう時間がないわ。続きは学校が終わって──」
そこまで言ったところで、ハヤテくんの姿が目の前から消え、真後ろに現れた。
「いつの間に!?」
咄嗟に振り向き、攻撃を防ごうとするが、それに間に合わず、私は吹っ飛ばされ、全身を壁に強く打ち付けた。
「くっ……!」
私は激痛に顔を引き攣らせた。
「あ、痛かったですか?」
「全然平気」
私は余裕の笑みでハッタリをかました。
「それより、続きは学校が終わってからにしましょう? 決着はそれからでも遅くはないと思うわ」
「いや、今やらないといけないが気がするので、すみませんけど、このまま続けさせて頂きます」
「そう。なら、お望み通りやりましょう。けどその前に場所を変えない?」
「では、負け犬公園まで行きましょう」
私たちは、戦いの場を負け犬公園に移した。
「さあ、何処からでも掛かってらっしゃい?」
「解りました。では」
そう言うが、全く動かないハヤテくん。
「どうしたの?」
「いや、あれ……」
ハヤテくんは、私の後ろにある大木を指差した。
「えっ?」
振り返ると、その大木から出ている一本のの枝から落ちそうになっているリスが居た。
「ハヤテくん、助けてあげ──」
顔の向きを戻し、そう言い掛けたところで、ハヤテくんの蹴りが私の股間にぶら下がる一物に炸裂した。
「いっ……!」
私はあまりの痛みに股間を押さえた。
「貴方、ヒナギクさんではありませんね。誰なんですか?」
「何言ってんのよ? 私はヒナギクよ」
「それは見た目だけ。貴方、どう見ても男ですよね。本物のヒナギクさんは何処に居るんですか?」
私は本物よ! そう心の中で突っ込んだ。それより……。
「えっと……半分正解。残る半分は外れよ。信じてはくれないかもしれないけど、起きたら男になってたのよ」
「…………は?」
「だから、私がヒナギクで、突然、男になっちゃったの!」
「そうですか……って、えぇ──っ!?」
ハヤテくんは驚いて目玉が飛び出しそうになる。
そんなリアクション、誰も望んでない。
「あの、それって一体、どうしてですか?」
「それが判れば元に戻してるわ」
「そうですよね。所で、その手に持ってる袋は水着ですか?」
そう言ってハヤテくんは、私の持っている水着に目を向けた。
「そうだけど……」
「着るんですか?」
「当然でしょ。今日は水泳の授業があるのよ。水着なしじゃ入れないわよ」
私が言うと、ハヤテくんは男用の水着を取り出した。勿論、学校指定。
「これに取り替えて下さい。今のヒナギクさんは何処から見ても男です」
「待って。そんな物を身に付けたら、私が男だと思われちゃうじゃない!」
「そうですか。では、せめて着替えだけは、誰も居ない所でお願いしますよ」
「どうして?」
「騒ぎになるからですよ」
その言葉に、私は想像してみた。
女子更衣室で、水着に着替えている途中、他の女子に一物を見られ……って、それは拙いわ!
「解った。トイレで着替えることにする。それより、何とかならないかしら? この声」
「女の子に戻れば治ると思います。それと、男の声で女言葉は辞めて貰えますか?」
「そ、そんなこと言われても、男の子の喋り方なんて解らないし」
私がそう言うと、ハヤテくんが鞄から一冊の本を取り出した。
「これを読んで下さい」
「何よ?」
私はハヤテくんから本を受け取った。
「5秒で解る男の喋り方?」
私は疑問に思いながら、その本を開いて読んだ。
とても解りやすい内容だった。
「成る程な。サンキュー」
そう言って私は、その本をハヤテくんに返した。
「流石です、ヒナギクさん。5秒のものをたった2秒でマスターするとは」
「有り難う……って、必要ないわよ! この声は風邪だっていいんだから!」
「え、でも……」
「でもじゃない! 私は絶対、男言葉なんて使わないからね!」
「そうですか。では、これをお渡しします」
そう言って、飴玉と思しき物が入った瓶を取り出すハヤテくん。
「それは?」
「変声飴です。これを舐めることで、色んな人の声が出せるようになります」
例えば──と、中から黄色い飴玉を取り出して、それを口に入れるハヤテくん。そして、「私は三千院 凪だ!」と言った。
「ちょっ、ナギの声じゃない!」
「ヒナギクさんのもありますよ」
そう言ってハヤテくんは、ピンク色の飴玉を取り出し、黄色い飴玉と入れ換えに、自分の口に含んだ。
「ヒナギクよ」
と、私の本当の声で言うハヤテくん。
「それ、私に寄越しなさい」
ハヤテくんは口からピンクの飴玉を吐き出した。
私はそれを奪い取り、自分の口に入れようとしたが、既のところでハヤテくんの留められた。
「ヒナギクさん、駄目ですよ。それ、僕の唾液が付いてるんですから」
「良いわよ、貴方の唾液ぐらい」
私はそう答えると、半ば強引にハヤテくんの唾液が付いたその飴玉を口に入れた。
「飲んじゃ駄目ですからね」
「えっ、何で?」
「元の声に戻らなくなるからです」
「ああ、なら大丈夫よ。この声は元々、私のだから」
私はそう言って、口内の飴玉を飲み込んだ。
「さあ、学校行くわよ」
「はぁ」
ハヤテくんは素っ気無い返事をした。
私たちは公園を後にした。
杉並に建つ小中高一貫の白皇学院。そこが、私とハヤテくんの通う学校である。
面積は杉並区全体を占めるくらい広く、移動には路面電車を使うほどだ。
私とハヤテくんは、その学校の校門を抜け、校舎を目指す。
「ねえ、ハヤテくん」
「何ですか?」
「あの飴玉、何処で手に入れたの?」
「牧村先生から貰ったんです」
「そうなんだ。でもどうして牧村先生が?」
「実験中に偶然、出来てしまったそうです」
「何の実験よ?」
「さあ?」
ハヤテくんは、わからないという顔で肩を竦めた。
「なら良いわ。それより、元に戻れるかな、私」
「そうですねぇ……。戻れるんじゃないでしょうか」
「何よ、その曖昧な回答は?」
「すみません、確証がないものですから。兎に角、牧村先生に相談してみましょう」
「えっ、牧村先生に? どうして?」
「変声飴を作ってしまうくらいですから、ひょっとしたら性転換が可能な薬もあるかと思って」
「そんな薬、ある訳ないでしょ」
私がそう否定すると、「あるわよ」と、眼鏡を掛けた白衣の女教師、牧村 志織が現れた。
「牧村先生!?」
私は驚き飛び退いた。
「はい、桂さん」
牧村先生は、白衣のポケットからボトル形の瓶を取り出した。その中には、紫色の禍々しい液体が入っていた。
「何ですか、それ?」
「性転換が可能な薬よ。これを飲めば、男の子にも女の子にもなれるわ」
「……信用していいんですか? そんな非科学的な代物」
「あら、失礼ね。ちゃんと科学的根拠はあるのよ。これを飲めば、染色体が男女逆になり……って、説明するより実際に体験した早そうね」
牧村先生はそう言って、その異様な液体が入った瓶を渡してきた。
「ハヤテくん、怖いから試して」
私はそう言って蓋を開けると、中の液体をハヤテくんの口内に無理矢理ぶちこんだ。
ゴクッと飲み込んでしまうハヤテくん。
「うわっ、僕のム○コが!」
ハヤテくんは慌てて股間に手を当てた。
「ヒナギクさん、女になってしまったみたいです、僕……」
「冗談でしょ?」
「見ますか?」
私はその問いに頬を赤らめた。
「えっと……その……、ハヤテくんのアレを?」
「それ以外に何があるんですか?」
は、ハヤテくんのアレ……。少し興味あるかも。
私は徐に頷いた。
ハヤテくんはベルトを緩めると、ズボンの下のパンツに指を引っ掛けて広げた。
私はゆっくりと覗き込み、確かに無くなっていることを確認した。
「じゃあ、これを飲めば……」
私は手にしていた瓶を見た。しかし、中は空っぽだった。
「無い!? どうやら、全部ハヤテくんに飲ませてしまったみたいね」
「ええ──っ!?」
「そんなに気にすることないわよ。ハヤテくんなら、女の子でもやっていけるわ」
「女の子だなんて、僕は嫌ですよ! 牧村先生、同じ薬、もう一つ下さい!」
ハヤテくんは牧村先生に泣きながら抱き付いた。多分、無理だと思うけど。
「ごめんなさい、あれしか無いのよ。偶然に出来た代物だから」
牧村先生は申し訳なさそうな顔で言った。やっぱり。
「そんな、これじゃあ僕、お嫁に行けません!」
「何言ってんのよ! 貴方の場合は婿でしょ!?」
「僕はお婿さんよりお嫁さんになりたいです!」
その爆弾発言に、私と牧村先生は沈黙した。
「あれ? どうかしました?」
「いや、ハヤテくんって、顔だけでなく、心も女の子なんだな、と」
「えっ、そんなことありませんよ」
「あるわよ。だって、ハヤテくんがなりたいのはお嫁さんでしょ? でもそれって、女の子にしかなれないものなのよ」
「ですよね……。解りました! 僕、お嫁さんになる為に、女の子をやります!」
「そう。でも、誰のお婿さんになるつもりなの?」
その問いにハヤテくんは私を見詰めた。
「ヒナギクさん!」
「な……何?」
「僕に、貴方の子を生ませて下さい!」
「ちょっと待って!」
驚き戸惑った私は、両手を前に出した。
「ひょっとして桂さん、男の子に?」
そう訊ねるのは牧村先生だ。
「ええ、まあ……」
「じゃあ、私の実験は成功ね」
「実験?」
その言葉に私は首を傾げた。
「実は昨日、さっきの薬が出来たから、酒と偽ってお姉さんに渡したのよ。でもその様子だと、飲まなかったみたいね」
「そういえば昨日、お姉ちゃんに変な飲み物を飲まされたけど、まさかあれが原因かしら? ……って、何でそんな物を渡したんですか!?」
「効果を試したかったのよ」
「それで、私はどうなるんですか!? まさか、一生このままって訳じゃ……?」
「ええ、一生このままよ」
ガーンッと音を出しながら膝を着く私。
「お婿に行けないわ」
「ヒナギクさん、安心して下さい。僕が貰ってあげますから」
「ハヤテくん……」
私はハヤテくんに抱き付いた。
「それより二人とも、そろそろ行かないとチャイムが鳴るわ」
牧村先生が言うと、キンコンカンコンとチャイムが鳴った。
「ハヤテくん、遅刻よ!」
「はい!」
私たちは校舎まで慌てて駆け出した。
おしまい。
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